正義を語るうえで避けては通れぬ議題として『悪とは何か?』というものがある。
“悪”という不確定な概念は、物語において極めて重要な働きを持つ。主人公に敵対してその貫通行動を阻害する障害こそが悪の存在意義であるが、だからこそストーリーの面白さを左右する重大で魅力的な役割をも彼らは担っている。悪は正義と同じく、ヒューマニズムを顕現させる一側面なのである。
なかでも“小悪党”は人の心の弱さ、醜さ、卑劣さを象徴し、彼の犠牲の上で、主人公と悪の対立軸で導く行動と思想の偉大さは美しく花開かせてきた。
同作品の第一部ののっけから主人公を置いてけぼりで登場、あたかも自らこそが主人公とばかりにシーンを席巻した恐るべき天才。頭脳明晰、文武両道、容姿端麗ともう何もかも揃ったような青年。業績としては富豪ジョースター家の養子となってその当主を毒殺を試みた、というやや地味な悪行が起点であるが、彼のサクセス(?)ストーリーは“石仮面”の力で吸血鬼になったことで大きく方向が変わり、首から下の体が変わったり、スタンド能力に目覚めたり、途中でその能力内容が変わっていたりと八面六臂の大活躍を繰り広げ、彼の死後ですらその影響力は方々に波及している。
この人物が悪の華として大成したのは、なんといっても作品独特の言い回しで語る彼の“生きる”ことへの哲学である。元々が家庭的に恵まれず、貧乏暮らしだったせいか、上昇志向や生への執着心、ハングリー精神や自尊心が強い。曰く「おれは「恐怖」を克服することが“生きる”ことだと思う。世界の頂点に立つ者は!ほんのちっぽけな「恐怖」をも持たぬ者ッ!」。彼のそうした一代成功者のようなカリスマと、顔を曝け出す前の恐怖感に比べて曝け出した後の小悪党的没落の一途を辿るギャップの強さには多くの人が痺れたり憧れたりしている。
巨大軍需組織エグリゴリが開発した人造超能力兵の試験運用品『レッドキャップス』の総司令官。階級は大佐。彼を含め団員は見た目は子供だが、実際は老衰などで一線を退いた老練な傭兵集団が特殊手術で若返っている。主人公達捕獲の指示を受け、藍空市包囲戦『スナーク狩り』を展開。残虐な手口と老獪な戦略手段で主人公らを追い詰めるが、非人道的作戦の報いに相応しく、予想以上の主人公達の力に覆されてあえなく敗退した。
戦場指揮を得意とし、市民の恐怖を利用した人心掌握戦略、毅然とした調子でウイルス弾で狙撃(←これ重要、自分は前線に出ない)等、胸のすく悪行を遂行してきた。そんなガウス・ゴールがサンデーという少年誌でのる稀有な存在たらしめたのは死に際に論拠する。急に老化が進んでミイラになるお約束を経て、彼は市民から石投げられ、少女には冷たく見下ろされる顛末。だが見捨てられた彼は同情を乞わず、勇者の誇りとやらを独白して朽ちる。
この独白、悪であり非人間的であり、なお熱いロマンを感じさせる何かがある。修羅場を抜け、戦場にしか自分を見出せない戦士だけがとれるない立派かつ歪んだ死に様は、多くの悪党への闘いの狼煙となってくれるに違い無い。
シャフト・エンタープライゼスジャパン企画三課の課長。ゲーム企画開発からそのテストプレイといった業務から、レイバー密輸、人身売買、警察官拉致から暴動教唆にいたるまで様々な仕事をそつなくこなす愛すべきサラリーマン集団。
劇中ではレイバー『グリフォン』に子供を乗せて、警察レイバーと取っ組み合いをさせて技術プレゼンを作ろうとする等、常人では辿り付けない発想で主人公と敵対する。その一方で会社側からも煙たがられて拘束されるなど、悪のボス的立場より狂言回しのような位置付けが特徴でもある。
糸目はほとんど開眼されないことから、物凄いコスモが溜められていることが予想される。
劇中で後藤隊長に分析されるように、彼のロジックは“子供心”。行動原理も価値体系も“楽しさの追求”と“不快の回避”に帰結する。
自らの行動を悪と思わず善悪で行動を規定していない、というこのキャラクター性は当時は勿論、(無垢な少年少女がそういう性格のケースはあるが、こんな背広の大人姿というのは)今でも珍しい部類に属する。側近の黒崎が切れ者なら、内海はまさにキれ者。これくらい極まってないと百戦錬磨のつわものどものリーダーは務まらん。
世界征服を目論む悪役集団『ロケット団』の総統。ここで紹介するのは数あるサカキ氏のなかでも、雑誌のターゲット層を完全に間違えたと評判の『原作:日下秀憲 画:真斗』版コミックに登場したサカキ氏の深味ある悪のカリスマを紹介したい。
躊躇も小賢しい理屈もない、劇中に述べる如く「私は世界を我が物にしようとする強い人間だ」と自負、そんな自分による世界征服が適ったとすればそれが世界のあるべき姿だとごく自然に振舞う徹底した決断主義者。部下に対する飴と鞭の使い分け、必要とあらば自らの潜入行動すら辞さない行動力、決して侮らず見くびらず過大評価もしない分析力は、まさに“頼れる上司”の姿である。
愛用モンスターは『じめんポケモン』と『かくとうポケモン』。彼の得意戦術が『相手より早くモンスターを出し、相手のモンスターボールの開閉スイッチを破壊する』というポケモンバトル真っ向否定の方法であり、その上でパワーとスピードに特化させるための効率的な選択だと思われる。この1側面を見ただけでも、彼が巷に溢れかえっているようなカッコイイ偉ぶるだけのボスではない、計算された合理性と周到な戦術観を備えた“覇者”なのだと分かるだろう。
ビッグファイア団幹部エージェントで別名『幻夜』、フォーグラー博士の息子でヒロイン銀鈴の兄。地球静止計画の実行者として父に代わり世界への復讐と大怪球を始動させる。ロングヘアに白背広(時に黒ビキニパンツ)姿はスタイリッシュ悪者な風貌。しかし本書での彼の高評価は最終話『大団円』で曝け出される彼の醜態である。
元よりハイテンションな展開に加え、大人の都合でストーリーは巻き進行、主人公サイドの大量のキャラ各人に活躍を当てるため、展開は「エマニュエルが圧倒的パワーでねじ伏せ哄笑⇔主人公キャラの力で逆転」の交互綱引きを彼1名で担当する羽目になり、笑いと怒りと涙目のスピード感溢れる一喜一憂っぷりが鮮やか。
得意技はテレポートだが、筆者の“唯一観た”第七話では残念ながらこの能力は使われない。妹の射殺や逆切れ、父の遺言の勘違いという陳腐な真実暴露による狼狽といった多種多芸を披露する。最後には「こんな恐ろしい遺産を父親に勝手に手渡されどうする!?貴様ならどうするつもりだ、答えろーッ!」と主人公に意味不明な一喝。しかも回答を提示されぬままストーリーは大団円っぽく終焉する等、歴代悪党のなかでも特筆に価する扱いであろう。
香港でも一、二を争う富豪(に成りすました疫鬼という妖怪)にして妖撃社のオーナー。主人公とヒロインの持つ不老不死の力をいち早く見つけ、獲得に向けて正体を隠したまま接近、以降の彼らの信頼を得るために生活援助者として陰日なたから支える奇妙な関係を築く。
シリーズ序盤から中盤までの主人公サイドにおける母親的存在。演技のために土爪にあえて轢かれたり、ヒロインを操作しようとして墓穴を掘ったり、召喚した魔獣にぶん投げられたりと、策謀をめぐらす割には予定外に自ら傷つく事が多い苦労人で、本作ストーリーにおいて独特なポジションを保つ彼女の言行裏腹の一つ一つ、その読めない動向に読者は魅了されてやまない。
石化光線と様々な疫鬼族に伝わる秘術全般に通じ、側近として赤と青というあんまりな名前の2名と疽道士(仮名)を率いる。此方もまた良い味を出しているコンビ。加えて会社経営などにも精通しているらしいことも分かる。結局、妖怪らしい本能的な上昇志向と権力への執着を持ちながらも、自分自身が家族の暖かさのようなものを好んでいたということを再発見しつつ死亡。彼女の死が、シリーズにおける一つの終わりであったと言っても過言ではないだろう。
深夜アニメ枠で放映された戦慄の問題作『TEXHNOLYZE(以下テクノライズ)』。全登場人物に善人が欠片ほどいない中、特筆に値するのがこの怪人物。シリーズ序盤から街の秩序が崩壊していくための口火切りを担当。街とそこに住む人々を本来の姿にすると称して暗殺、爆破テロをやりたい放題遂行する行動派。口調は温和なサラリーマンといった調子で抑揚に欠け、一人称は“僕”、言っている事の多くがはぐらかすような意味不明さとあって劇中人物や視聴者を逆撫でする。残念ながらクライマックスで色々邪魔が入り、結局(何も理解していない)主人公の鉄拳制裁でナンセンスに撲殺されるという当人には不本意な結末を演じることとなってしまう。
変な帽子にチョビ髭とオレンジ色のツナギという奇抜な服装、DVDのCMを担当するといった実績に裏打ちされた独特ののんびりとした語り、人間味溢れつつテロに走るキ○ガイっぷりが特色で、劇中間のCMで小麦ちゃんにも大いに気に入られていた。どうやら暴力を振るう行為こそが自分の人間性の証だと考えていた節があり、そのためかちょっと女性に傷つけられただけでブチ切れるといった秘められたチンピラな凶暴性もチャームポイントとして備えていた。
銀河英雄伝説には腐れカリスマのトリューニヒト、冷酷軍事参謀のオーベルシュタインや理屈倒れのフォーク等々と魅惑の悪役が多い。だが中でも僅かに2巻(全10巻)の登場で異彩を放つのがこのフレーゲル男爵だ。ファーストネームすら劇中に呼ばれないこの人は主人公ラインハルトと公然と敵対する“アンチ金髪の孺子”の先鋒。およそ軍事も政治も分からぬ若様貴族を代表するような無能さが売りだが、文句をブツブツ言うだけの他貴族と違い策謀によって陥れようと詰めの甘い謀術を駆使する余計な行動力のある人物である。
彼のそうした輝きは主人公らとの戦争になってさらに増す。肥大するエゴと減衰する自制心とで勝手に戦端を開いて友軍の足を引っ張り、不利を感じ取ったらさっさと逃げ出すだけのしたたかさ。終盤の最終戦に至っては、敗色濃厚と(遅まきながら)把握するや、“艦と艦で一騎打ち”という常人の戦術家では考えつかない奇策をも展開しようとした。その奇抜な騎士道的発想についていけなくなった部下に裏切られて射殺されるというように締めもしっかりしている。まさに彼の生き様こそ打倒されるべき腐敗の巨木、ゴールデンバウム王朝の象徴と言っても差し支えないであろう。
七英雄はその全員が各々個性的で、極めて魅力的な悪役として描かれているが、なかでも筆者は本書でこのボクオーンに注目してみたい。広大なガレサステップに地上戦艦という移動要塞を築き、草原で収穫する麻薬を資本として一帯地域を制圧下に置く。彼の行動は一貫性と計画性に基づき、七英雄リーダー格のワグナスを除けば単独行動ばかりの他七英雄と一線を画している点も特筆に当たるだろう。麻薬という中毒化すれば恒常的に発生、拡大する需要で人間社会を経済面から制圧するという彼の構想は、組織力と経済力の強さ、そして人間の反発力の恐ろしさを熟知し巧妙に利用した極めて有効な侵略手段と評価できるだろう。
彼の得意技は『マリオネット』という相手の行動を操作する技、その場しのぎの言い逃れをして背後から闇討ちする高度な戦略と交渉力である。また、自らも大好きな人形を繰って戦いに臨むが、左図のような大人形を持ち出させるにはかなり特異な攻略ルートを通るしかない。しかしどんな労苦を費やしてでも彼を最後の一人として残し、最終局面で「このボクオーンを最後に残したのは作戦ですかな?」と言わせること、それは最終皇帝の責務の一環ではないだろうか。
旧名ズェピア・エルトナム・オベローン。自らを“噂”という現象へ昇華させた吸血鬼にして元錬金術師。能力としては錬金術師が持ち合わせる高速思考、分割思考に加えて、噂という情報を具現化する力を持つ。自身も物理的には世界のどこにも存在せず、一定条件の不吉な噂、伝承が信憑性を持った状況が発生した地域に“タタリ”としてのみ発生し、虐殺の一夜を完遂すると勝手に消える。“タタリ”として出現した彼は殺してもその夜の間は何度もどこででも蘇り、現象としての彼を殺害することは原則不可能とされていた。
左図は“タタリ”になる前の一介の吸血鬼としての姿。一見したところではすかした面構えで高貴なロマンホラーの美形吸血鬼。普段は自らを映画監督になぞらえて脚本遂行の言い回しで虐殺行為を繰り返すばかりだが、ふとした拍子に「フフフ」という余裕な笑みと「ケキキキキ」という凄い笑い方、静かな微笑をたたえる顔と目が充血した壊れたパックマンみたいな表情、それらが渾然一体入れ替わる二面性の切り替えを目の当たりにする。加えて終盤でボロカスの様に扱われるその三流小悪党の道化た様子とがあいまって、迫力ある独特さに満ち満ちたキャラクターに仕上がっている。