錬金術概要U About Alchemy


 12〜16世紀の西ヨーロッパを中心に「錬金術」と呼ばれる学問が流行した。現在でこそ錬金術は陳腐化し、日本では単純に魔法的な手法による卑金属加工、あるいは魔法的薬学の一環といったイメージでしか知られていないが、 しかし実際には錬金術は化学、医学、自然科学等、様々な分野に派生する根底にもとなったと言われている非常に広範な体系であった。 本書では錬金術の持つ基本概念や理論と特殊な用語について、また錬金術という学術が人類史に対してもたらしてきた歴史的経緯とその意義について述べるものである。

※本書は錬金術が必ず機能することを保証しません。その実践による損失の責任を筆者は負いません
※いわゆる金融系やレアメタル運用系に携わる“現代の錬金術”については本書では割愛します

錬金術の世界観

 前篇でも述べるとおり、錬金術の学派はその手段や過程こそ多岐に渡り存在するものであるが、その根本の目的には多かれ少なかれ“物質の正しい成り立ち方”をその研究対象としている。 そしてその上で世界の成り立ち方に関する多くの論考が錬金術には存在する。これには古典錬金術の発展に大きく寄与した古代ギリシャ哲学の思想、ならびにルネッサンスとともに宗教的世界観からの脱却を図る運動、とりわけグノーシス主義と呼ばれる一派が大きな影響を残している。

 中でも特徴的な世界観の1つは『エメラルド板』の記述に基づいて構築された“世界中のあらゆる物質も生命も、そしてもちろんのこと「世界」そのものもすべて低次元から高次元へと自然に変化する”という論旨であろう。 例えば錬金術において最高の金属は「黄金」と位置づけられている。これは価格的な意味だけでなく、黄金は特殊な液体(王水)以外には変化する事が無く、即ちそれはこの黄金こそが鉱物の進化としての終着点である事実を意味するとされていた。
錬金術にとって黄金生成とはそうした低次元の卑金属が(本来であれば自然とおこなわれるはずの)進化をできなくなっている病害を取り除いて治療する『救済(※1)』を行う工程を、もっとも顕著に実践するための手法の1つでしかない。

・錬金術と隠秘学 「隠された知」

 一般に神秘学やオカルティズムと知られている隠秘学、この隠秘学の開祖とされるアグリッパ(※2)は著名なる錬金術師でもあり、隠秘学という哲学の根幹を成す原理にはやはり錬金術の思想が色濃く影響を与えている。 錬金術において、物質とはただ物質であるというわけではなく、隠された知識をもっていると考えられている。そしてそれらは観察者の学識や思考に応じて少しずつ提示されるのである。 この考え方は隠秘学においても多大な影響を与えているわけだが、この「隠された知」の扱い方について、隠秘学は錬金術と大きく反発する。それは即ち、錬金術の世界観においては“観察者が知識を発見する”のではなく、“観察対象が知識を観察者に対して分与する”ということを意味しているのである。
 錬金術はこの「隠された知」の解明が最終目的である世界の構成の成り立ちを知る道筋とするのに対して、逆に隠秘学では“知るべきでない知識や語るべきでない知識”の範疇に関する哲学的な考察を主張している。 アグリッパは『隠された知』のブラックボックス性(観察者が存在しない状態)にこそ意義を持つ知識も存在することを説いている。
 錬金術にせよ隠秘学にせよこうした観察者と観察対象との関係性に対する考え方は、“主体と客体は完全に分離できる”という近代以来のデカルトの理論により否定されている。しかし奇しくも昨今の量子力学の不確定性原理によってこの発想は再び注目されつつあり、最小の量子レベルの世界では観察者の観察行為自体が観察対象に影響を与える可能性について示唆されている。 この理論が完全に実証された場合、科学の科学性(観察の正確さ、同条件の同結果などのこと)が崩壊する事になると言われている一方で、錬金術思想の世界観が再び注目される可能性もあると思われる。

・錬金術と医学 「内的宇宙と外的宇宙」

 錬金術は広範な分野を含む体系を備えるが、中でもそれを医療に特化させて用いるという考えを進めたのが、著名なる錬金術師がホーエンハイム、通称パラケルスス(古代ローマの名医ケルススを超えるものの意)である。 彼は錬金術における地、水、火、空気の四元素に関する研究、塩と硫黄と水銀の三原質の研究を進める中で、人間の医療技術にこの四元素と三原質のバランスといった理論を応用できるものと考え、多くの治療に役立ててきたといわれている。
一説では彼は『賢者の石』を製造と、そこから不老不死の薬『エリクサー』の製造に成功したとも言われているが、彼自身は黄金の錬成などについては批判的であったことから賢者の石の錬成についてはやや疑わしいものとされている。
 パラケルススは医学や錬金術だけでなく天文学やギリシャ哲学にも造詣が深く、彼は『内的宇宙(ミクロコスモス)』と『外的宇宙(マクロコスモス)』が照応するという考えを備えていた。 錬金術では星の運行によって法則性が変動することは一般的なものであったが、これをさらに人間の生態に当てはめ、 内的宇宙として一人の人間には肉体と精神と魂の3つが、そして対応する形で外的宇宙には地上世界、天上世界、霊的世界の3層があるとする彼の提唱は錬金術と医学、そして近現代SF思想と漫画史で大きな影響を残したものとして、今なおパラケルススの名は高いものとしている。

錬金術の犯罪性

 錬金術はその偉大な目的に対して、過程や手法に関しては「黄金生成」「人工生命の創造」などといった夢いっぱい浪漫いっぱいという有様から、非常に多様な胡散臭さによって埋め尽くされている。 中でもスコラ錬金術が台頭するヨーロッパ各地では錬金術そのものがキリスト教会からの反発を受け、15世紀頃からは異端審問官と呼ばれる官職が生まれ魔女裁判が流行したようになったこともあって、その槍玉となることも多かった。 また、錬金術自体もその専門性と成果の不安定性、そして黄金という経済的価値もあって、詐欺的手法として用いられてきた。 例えば著名なる詐欺貴族として名高いカリオストロ伯爵もまた、高度にでたらめな錬金術の話法を用いてパトロンより巨額の支援を受けていたという。 以下にはそうした錬金術史における様々な犯罪的風評ならびにそのために用いられてきた手法などを挙げる。

・錬金術師=悪魔主義者

 15世紀ごろから流行した魔女狩り、異端審問といった社会情勢によって彼ら錬金術師は時折、悪魔主義者と同一視されたことがある。 錬金術師の研究所は一般人とは隔された村外れ、都市区でも移民たちを収容するスラム街内部などになっているケースが多い。 また彼ら錬金術師が特に重用している薬品である硫黄臭は地獄の空気とも考えられており、錬金術師の自宅から漂ってくる実験上の悪臭類は“錬金術師が地獄から悪魔を召喚したため”と誤解されやすかったようである。
 実際には本当の錬金術師は信仰篤い事も多い。一説では彼らは世界に散る象徴(シムボラム)を読み解く力が必要とされ、この考え方に流入した道教思想が拍車をかけ、象徴を読み解く天啓(悟りのような状態)を得るに高い精神性を求めるようになった。 加えて錬金術に流入したカバラの秘儀などの魔術的知識の中には天使の加護を必要とする論理が流行するようになり、錬金術で『王者の技』を行使するためには正しい信仰と神の加護を得なければならないとなっている。

・錬金術師=異端者

 スコラ錬金術としてヨーロッパを中心に花開いた錬金術文化であるが、それはそれまで一般的であったキリスト教世界観に大きな波紋を投げかけた。そもそもキリスト教世界では人が知識を求めること自体も罪深いものであるのに加えて、 錬金術がもたらした理論、ヘルメス思想、グノーシス思想、カバラ魔術、フリーメーソン思想、ドラゴン信仰などは全て新約聖書の天地創造と大きく異なっている。錬金術師の“神の御業の再現”は倫理的にガチでアウトだったのである。

・錬金術師=詐欺師

 錬金術は上述のとおり黄金錬成という経済的に高い影響効果をもたらす過程があるために、本来の目的を置いてその黄金錬成の成果のみを希求する錬金術師も多い。 特に暗黒時代を終えた13世紀以降のヨーロッパでは貨幣経済が復興しつつあり、黄金の価値と需要は飛躍的に高くなったという社会背景から、パトロンが錬金術師に求める成果も 黄金錬成であるケースが多かったとされる。錬金術の理解には広範で専門的な知識を要することから、こうした知識に詳しくないパトロンに資金提供を持ち賭ける詐欺的錬金術師もまた、この時代に多く台頭した。 皮肉なことにこうした詐欺師の台頭を抑制したのは15世紀に流行した魔女狩りや異端審問で、詐欺を主とする二流の偽錬金術師はこうした宗教情勢に伴うハイリスク性から一定登場を抑制されたようである(逆に一流詐欺師は華々しい成果を残しているようだが)。

・アグリッパの完全殺人

 15世紀ごろのドイツ出身の錬金術師、神学者コルネリウス・アグリッパは悪魔の黒犬を従えていたという異端と悪魔主義を兼ね備えたグレードの高い犯罪的伝承を持つ。その中でも特筆にあたる犯罪の1つが完全殺人の実行である。
伝えによればアグリッパが不在の書斎に1人の名もなき若者が侵入、誤って呼び出されていた悪魔に絞め殺されてしまうという事件があった。 帰宅したアグリッパはこの惨状を知ると、悪魔を改めて呼び出し、この若者の死体を一時的に再生させる。そしてその死体に外をしばらくウロウロ歩き回らせた後に倒れさせて自然死であるように偽装したのである。
残念ながらこの手法に関しては結果的に、死体から絞殺痕が発見されたことで発覚してアグリッパはその地を逃げだすことになったという。隠秘学の開祖は自らの犯罪隠蔽に関しての隠し方は残念ながら片手落ちだったという証左である。

・カリオストロ伯爵の予言、薬品販売詐欺

 15世紀ごろの錬金術師にして魔術師とされているアレッサンドロ・カリオストロ伯爵の名は現代でも広く知られているが、歴史的には彼を山師や詐欺師と位置づけるのが一般的とされる。 巧みな話術に深い魔術知識、美人の妻セラフィーナの口裏あわせの協力によって、イタリア、フランス、ロシアなどの社交界において、信憑性の高い様々なでっちあげ予言を残して名声を高め、 不老不死のエリクサーや回春剤、媚薬と称した液体を販売する活躍を残している。
ちなみに伯爵の子孫なのか誰なのか、カリオストロに名を連ねる人物が公国を築いてルパン3世と対立して、立派な城内で贋金作りに精を出していたという話もあるわけだが、総じてカリオストロはなかなかの錬金術手腕と言えるであろう。

・ジル・ド・レ男爵の大量殺人

 フランス貴族にしてジャンヌ・ダルクの補佐をしたとされる戦友、救国の英雄の1人であるジル・ド・レは、オルレアンの戦争後に領地で湯水のように財産を浪費して錬金術に没頭したとされる人物でもある。 財産目当てにやってくる錬金術師へも豊富な支援をおこなう一方で黒魔術をおこなうように指示、その生贄としてか数百名にもおよぶ少年を拉致、監禁し、虐殺したという成果を持つ。 結果的には錬金術的成功を迎えず聖職者の拉致行為から告発され絞首刑に処されるが、非道の限りは二次創作的に名作童話『青ひげ』を生み、聖杯戦争に参加できるなどの謎めいた錬成に成功させている。

・フランツ・タウンゼントの資金調達詐欺

 フランツ・タウンゼントの用いた錬金術詐欺の手法はきわめて明快にしてシンプルなもの、即ち黄金を錬成すると詐称して資金提供を募集し、その金でトンズラするというものである。 およそ本書であえて語るまでもなく実も蓋もないこの手法を紹介するに到ったのは、フランツ・タウンゼント氏のこの手法が実践されたのが1920年代(アメリカ黄金時代)であることに起因する。 同氏の求めに応じた人物には、時のドイツ指導者エーリッヒ・ルーデンドルフも名を連ねたといわれており、当時の10万ドル(現代価値に換算して1億円相当)を集めることに成功する優れた実績を残している。