正義を語るうえで避けては通れぬ議題として『悪とは何か?』というものがある。
“悪”という不確定な概念は、物語において極めて重要な働きを持つ。主人公に敵対してその貫通行動を阻害する障害こそが悪の存在意義であるが、だからこそストーリーの面白さを左右する重大で魅力的な役割をも彼らは担っている。悪は正義と同じく、ヒューマニズムを顕現させる一側面なのである。
なかでも“小悪党”は人の心の弱さ、醜さ、卑劣さを象徴し、彼の犠牲の上で、主人公と悪の対立軸で導く行動と思想の偉大さは美しく花開かせてきた。
この人物を語らずして、以降の悪の群像を語る事はできない。筆者の悪の哲学として発祥はまさにこの人物を起源としている。劇中にあっては最大級の度し難い悪の小者として名を馳せた、魔王軍妖魔師団を率いる六軍団長が一柱を担う老練な魔法使い。魔王軍の悪役一同はどれも魅力的な存在として描かれているが、そのなかにあって駄目駄目なほどに悪を貫き通して終盤まで生き残れたのはこの老人と死神キルバーンくらいであろう(残りの悪党諸君は少しなりと正義と共有される理念を持ち合わせていた)。
チャームポイントは、後ろを向くとまるで桃になるその特徴的なシャンプーハット襟、および鼻水が良く出る鼻。
劇中でクロコダイン氏に指摘されるように実際はかなりの実力を備えていた人物で、切り札は集束魔法『マホプラウス』。個人の実力だけが価値基準であった魔王軍にあって集団戦術の強さを提起する画期的発想の持ち主で、マホプラウスもそれに準拠して編み脱された魔法の技術らしい。劇中ではオリハルコンの強さを知らしめるためのかませ犬でしかなかったが、実は一、二を争う汎用性と性能を備える、優れた戦術眼に基づく切り札だったのである。
劇中流行のカードゲーム『マジック&ウィザーズ』の生みの親といわれるカリスマ社長。その奇態な様子は漫画の頃から存分に発揮されていたが、ことアニメにいたって他キャラが声がいけてないとガタガタに言われている一方で、ペガサス氏についてはその名前に遜色のない翼を得たが如くいよいよ似非英語調子でぶいぶい言わせている。
主人公、武藤遊戯には『遊戯ボーイ』と名前にボーイをつけて呼ぶのもアレだが、ライバルの海馬瀬人には『海馬ボーイ』と名字呼びなのも気になる。どんな格好良い場面でも映え、どんな格好悪さでも映えるという、ある意味ではかなり強靭なスタイルを貫いているとも言えるだろう。
左眼の千年眼で相手の心理を洞察し、手札の全てを読み取るというインチキまがいの能力に加え、挑戦者の海馬瀬人が「決闘盤で勝負しろ!」と言ってものらりくらりとふざけてかわし相手の土俵で戦おうとしないという強かな戦略家でもある。道化師たるもの、かくあるべきだ。因みにペガサス氏が恋人を助けるため云々といった彼の起源に関するそんな軟弱惰弱な情報については、筆者の脳内では“無かった”事になっている点も付記しておく。
本作の終盤、追憶編と呼ばれる一連の回想物語でトリを勤めた人物。数多く知る悪役の中でも特筆に当たる。実際この辰己がストーリーにおいてどれほど重要だったかというとちっとも重要ではなく、ヒロインを事故死させるというその一点における憎まれ役を買っただけ…ここに示される数多くの悪党の中でもかなり存在価値の無い人物であろう。
しかし物語的レーゾンデートル不足を補って余りあるのが、彼のほざく「いかな才気溢れる若人をも出し抜く…数十年の闘いの果てに辿りつける境地」だとする“老獪”という信条。
肉体的に若年層に劣る老人が、積み重ねた経験則で築く戦略(人質+部下の自爆)。本来、こうした策略を用いる時、悪役キャラは大抵引け目を覚えたり、不必要に卑屈になるものだが、明らかに小悪党じみたこの狡賢さを平然と「老兵最大の武器」と言ってのけるところが痺れる憧れる。彼の堂々とした開き直りは世の小悪党諸君も心奮わせられる。
因みにアニメでは“人の持つ業とそれゆえの争い”をヒロインに語って自殺を止めたりする渋い敵になっているが、それもまた「老獪」と言い放つ彼の原作の老練な性格の基盤あってのものということは言うまでもない。
東亜テレビを支配し“黒いマスコミ王”と呼ばれた社長。美味しんぼという漫画の方向性に止めの一撃を刺した人物とも言える。美味しんぼの悪役といえば魔王然として君臨する海原雄山氏が挙げられるが、筆者はここであえて金上氏に注目したい。
巻数を重ねるごとに大人物へ方針変更しつつある海原氏に代わり、この人物こそ劇中の悪、およそ人間の持つ暗黒面と腐敗面が凝縮したようなキャラクターなのである。
敵対的M&Aによって大原社主を精神的に追い込み気絶させては哄笑、韓国人に対するあからさまな差別蔑視、一社長と思えないストレートな恐喝と買収行為、支配力でごり押す放送内容の捏造。メディアと権力を用いた悪行の限りを尽くす彼は、温厚な栗田女史に「邪悪そのものだわ!」と言わしめる程で、男子たるもの一度は言われてみたい。
多くの恫喝、捏造を暴露されても平然と社長業に居座り続けるしぶとい彼であったが、遂にそのワンパターンを読者だか作者に飽きられたか、海原雄山に偽造疑惑をでっちあげた一大作戦の失敗を契機に誌上より姿を消す。だが、彼が滅んでも終わる事は無い…第二、第三の金上がいずれまた美食業界に現れる事は間違いないのだ。
キール・ローレンツを筆頭に人類補完委員会5名を含む計12名で構成される謎組織。ほぼ姿を見せず音声のみのモノリスとしてしか現れない。
本作では破壊を齎す敵とされる使徒の存在と行動原理が謎に包まれたうえ、味方指揮官の碇ゲンドウ氏も謎を含む言行が多かったため、視聴者としてはどこに仮想敵を用意するか迷う事がある。そのなかでこのゼーレの面々は見たり声色を聞いた瞬間に不気味というより「よし、お前らは敵だ」と視聴者が安心して想定できる珍しい存在であった。
古来より、巨大組織の幹部だとか政府機構の首脳だとかが一同に会しているという状況は視聴者に対して「お前ら駄目だ」という1つの安堵に満ちた結論を与える。テンプレート的衆愚議会とも思える彼らだが、特筆すべき点が一点。それは即ち「彼らの目的は無事達成された」という事実!巨大権力をちらつかせ、利権が云々計画が云々言っている連中が、最終目標である人類補完を達成した事実はこの業界を震撼せしめた。小悪党でも頑張ればいける、衆愚議会とかでもやればいける。ゼーレの偉業は後続の悪党諸兄の儚い人生に一縷の希望を与えているのである。
宮崎駿監督作品のなかでも、時代を経てなお高い人気作『天空の城ラピュタ』。この作品がこれほどまでに愛され続けている一因がこのムスカ大佐という人物の強烈なキャラクター性である事は今更述べるまでもない。キャラクター人気投票にしたところで1位こそヒロインに取られたが、小者悪党にして主人公パズーを抑えて堂々第2位の輝かしき実績を持つ。
その魅力は終盤からの“豹変”にある。終盤までは飛行石を付けねらう軍部実行部隊の隊長で冷徹なエリート軍人程度にしか見られなかった人物であったが、ラピュタを前にして大きくその役どころを変えて本性を曝け出す点が特に重要。ラピュタの力を振るって愉悦に浸っている時の名言「人がゴミのようだ!」から始まり、「何をする!!くそ〜、返したまえいい子だから!!さあ!!」という本音の下卑た部分を取り繕う似非紳士面、虫寄れば慌て草が生えて慌てという神経質さ、そして「あ〜あ〜目がぁ〜目がぁ〜!!」というあんまりな醜態に終始する彼のドラマは人間、ひいては人生の縮図と言える偉大なテーマを秘めているのである。
素晴らしい、ムスカ君、君は小悪党だ、大変な功績だ!
ガンダムSEEDの悪党といえば篭絡魔女のフレイ様を持ち出されやすいが、筆者はあえてイザーク氏を推挙したい。ザフト軍パイロットでデュエルガンダムの搭乗者。同僚のアスランにエースの座を奪われ、彼に対し粘着質な敵愾心を持った歪んだ駄目エリートである。類稀な自信と自尊心が、実力や戦果に対して空回りしていて一種の永久機関的な泥沼となっているこの構図が、この人物の小悪党としての小さからぬ魅力と言えるだろう。
仮にもエリートパイロットチーム所属、モビルスーツパイロットとしての高い戦術能力をもつはず。今週の一言と呼んで差し支えないほど主人公機のストライクガンダムに対して「ストライク〜!」と野球漫画の審判よりも力の入った絶叫をあげながら特攻する奇妙な習性を持つ。最初にそのストライクガンダムに撃墜されるのも大概はこの御仁(しかも眼中にされてない)、活躍平均時間:約2分のコンパクトさも注目したい。かくも徹底した噛ませ犬だが、その道化っぷりは冷徹と合理主義が支配する戦場ではむしろ人間味を感じさせ、戦果がなくても卑屈にならず高慢さを通す様は、順応と妥協を旨とする現代社会の風潮へのアンチテーゼを表現しているように見えなくもない。
ナメック星編と言われるシリーズ全体での悪の親玉を務めた悪役。左図近影はそのうちの第一形態に過ぎず、無意味に大きい第二、エクレア頭の第三、禿の第四形態、パパにネダってサイボーグ体となった第五形態が確認されている。宇宙の帝王にして恐怖の破壊者然としているが、実際には惑星単位での不動産ビジネスを手がける事業主。力は戯れに惑星を破壊して「」と哄笑高らかに笑うことから、ビジネスは余興の一環と思われる。
惑星1つを破壊するレベルの戦闘力とエネルギー技を持ち、戯れに惑星破壊までするその残虐さで恐れられている。しかし実力に対してオカマ調のような喋り方と子供くらいの大きさの風貌、さらになぜか“おまる”に乗っているという、当時の強い奴は大きい的な風潮とは完全に一線を画したエキセントリックさから非常にインパクトが醸し出されている点が特色。この人物の存在が、シリーズの力学インフレの元凶、蛇足的エピソード序章といった悪評のあるナメック星編を燦然と輝かせていたことに間違いはないだろう。
また、親父の威光でロボットとして復活⇒瞬斬、というその人徳に相応しく素晴らしき刹那的晩年を迎えたことにも感動と哀悼の意を表したい。
600年を経た蛇の変化『たゆら(左図の若い男)』と、蝦蟇の変化『などか(左図の老人)』の2人組。人間に化け社会にもぐりこみ、妖怪に理解できない自己犠牲の心「満足する死とは何だ」という疑問の解答を求め、答えられない人の脳味噌を食べる。全33巻中、1巻を辛うじてキープするにとどまる端役に近しい出番の彼らだが、その魅力は全妖怪中で随一。漫画タイトルが『などかとたゆら』に変更されたとしても筆者には何も違和感がない。
彼らの魅力は非妖怪性と非人間性の共存にこそあると筆者は断言する。防御担当の『たゆら』と攻撃担当の『などか』といった絶妙なコンビネーション、互いのキャラクター性に則った台詞回しによるコミュニケーションの確立などは、社会性の低い妖怪が多い中ではかなり特殊な価値観が確立されている。とんでもない虐殺行為を繰り返すものの、その衝動が他の妖怪のような食欲や支配欲ではなく「好奇心」によって定義されている点も興味深い。それでいて、相棒の片割れがやられそうになっても「それがどうした?」然として助けようとしない、大変バケモノらしい自己以外を省みぬ絶対的な価値観も併せ持つ点もチャームポイントであろう。
悪とは、そのロジックが悪であることによってしか表現されえないからこそ悪と呼ばれうるのである。そしてそのロジックが非人間的であるにも関わらずヒューマニズムを内在させた複雑なキャラクター性こそが魅力ある悪役として映えることになる。ガーゴイル氏はそうした点における最高峰の1人である。不気味な仮面をかぶり、ネオアトランティスという巨大組織を率いて人類文明の根絶と支配を目論む、まさに絵に描いたような単調な悪党にも関わらず、ガーゴイルはその一挙手一投足一台詞で我々を魅了するだけのカリスマ性を持つ。
彼の武器は余裕ぶった紳士的でありながら酷薄さを兼ね備えたその振る舞いである。同系統のカリスマ悪党として知られるギレン・ザビ、ラオウ等の力強さとは一線を画していながらも老練な威厳による強い牽引力がそこには存在する。例え変な仮面にセンスを疑う赤背広(アトランティス人としての誇りを重視する割りにどうして人間の服装を愛用してるのだろう?)、圧倒的優位を幾度も幾度も覆させられる戦歴など、ドン引き要素があっても彼のリーダーシップは決して揺らがない。というか組織で彼以外に指導者になりうる部下幹部がいないあたり、したたかな人材配置である……。