夏草一葉 8
すぱあああんっっ
四方手裏剣が細竹に突き刺さった。放ったのは土井半助。同じ竹に連続で手裏剣を当
てていた。
「左手だというのに、すごい精度ですね」
利吉が半ば呆れたような声をあげた。半助は手裏剣も当然一流の腕であるのだが、学園
の生徒達の前ではいつも苦手な振りをしていた。
「左右使えるように訓練してきたからね。右が早く使えるようになるといいんだ
が」
「まだ痛みますか」
「いや」
半助が布で釣った右手の指を動かしてみせる。
「医者の許可が出るのを待っているんだ。腱は辛うじて無事らしいから、肩が直
って訓練出来るようになれば、指の痺れも・・・」
半助の目に不安の色を感じとった利吉は、その目を覗き込みながら、そっと体を寄せる
「歩けるようになってからの回復が早いと、医者が驚いていましたね」
「ああ・・・そうだね」
にじり寄る利吉に半助は少し後ずさる。が、利吉の腕に捕らえられてしまった。
「毎日運動したのが良かったんでしょうねぇ」
「なっっっ」
利吉の意味深な言葉に半助は真っ赤になって、思わず拳を
振り上げる。
「っっっ痛っっううっ」
振り上げたのは怪我した右腕で、激痛で半助は目眩に襲われた。
「ど、土井先生っ」
利吉が半助をしっかりと抱きとめる。すぐに右肩を調べてみたが、異常は無いようで利
吉は安堵の溜め息をついた。
「無理しちゃ駄目ですよ、土井先生」
「ったく、誰のせいで・・・」
半助はしばらく利吉に寄り掛かったままになっていたが、痛みが引いて利吉から離れよ
うとすると、利吉の腕にぎゅっと抱きとめられてしまう。
飽きもせずに何故利吉がこうも自分を好いてくれるのか、半助には全くそれが不思議
であった。一時の気の迷いにしては、利吉の腕に込められた力は確かなものにも思える
心の中の何かがふらつく。はっとして、半助は利吉の腕から躯を離した。利吉の目に
少し悲しげな色が浮かぶ。
「今朝山田先生から連絡が入ったんだろう」
一瞬の間に、利吉の表情に僅かだが様々な思いが現れ、それから見知ったいつものよそ
行きの顔に落ち着いた。
「はい。そろそろ学園へ移動出来ないか、というものでした。敵方は、そろそろ動
き始めているらしいです」
「連中もしつこいなぁ、しかし学園に行くのはどんなものかな。敵を学園に引き寄
せてしまう事になるだろう? ああ、もちろん利吉君の村にも迷惑をかける積もりはな
いんだ・・・」
忍術学園、と言ってもそこはれっきとした忍者組織である。命令とあればそれに従うし
か無いが、自分個人の為に学園が動くというのは半助の嫌うところであった。まして生
徒を危険に巻き込むというのは・・・。
「学園長と父の判断なんです。学園に行きましょう。一 人で孤独な逃避行なんて考
えてちゃ駄目ですよっ」
利吉には半助の考えていることが何となく分かった。敵は利吉より先に半助を狙うと言
っていた。だから半助さえ逃げ切れば、利吉はとりあえず無事でいられる。が、たった
一人でどこまで逃げ切れるというものではない。たとえ半助の腕を持ってしても、統制
の取れた組織と渡り合うのは容易な事ではないからだ。
「それに情報では、結局狙われているのは学園そのものらしいんです」
「では、やはり八宝斎が・・・」
「意外でしたが、そうなんです」
利吉の話しをまとめると次のようなものであった。
黒幕は、八宝斎の仕える竹高公の異母弟、木野水禅數虎。彼は兄に輪を掛けた戦好き
で、領土の拡大は殆ど彼の軍の手柄といっても過言ではない。
だが少々手柄をたて過ぎた。
優秀な弟というものはいつでも兄に疎まれるもである。だが弟の數虎を今始末してし
まったのでは戦力的に惜しい。
かといって弟が兄よりも名声が高まるのは、兄の竹高公の立場を危うくする。
そこで弟を一時的に戦の無い葉月城へと流すことにしたのだが、そこは八宝斎、油断
がない。弟の反感を抑えるため楽車の術を使ったのである。つまり數虎公の趣味を利用
したのだ。葉月城近辺の目ぼしい若者の名前をあげて、しばらく狩りを楽しんでいても
らおうという事なのである。 そして、その若者の中に山田利吉の名が入っていた。
「連中、近隣の小妾出身の若侍やら、美丈夫で売ってい る剣豪まで攫っていて、学
園に被害にあった城から救援 の依頼が殺到しているらしいです」
「あんなのに目をつけられたやつは、たまったもんじゃないなあ」
まるで他人事のような半助の口ぶりに、利吉はかくりと肩を落とした。
利吉のせいとは言え、半助も目をつけられている一人なのである。
「とにかくですね・・・」
言いかけて、近づく足音に気付き、利吉はそちらへ顔を向けた。
「半助、利吉くん、話しているところすまないのだが」
現れたのは、半助達のために
護衛に詰めていてくれている戸部新左ェ門である。その後ろにもう一人、半助の良く見
知った顔が現れた。
「木下先生!」
「お加減はいかがかな、土井先生」
やはり忍術学園教師の木下鉄丸である。今朝の伝令とは別の連絡を伝えに来たらしい。
半助は利吉に向ける笑顔とはまた違った、明るい、ちょっと子供っぽい笑顔を木下に向
けた。その横で利吉が少し面白くなさそうな表情をしたのを戸部が気付く。
随分と微笑ましい。このひと月、戸部は二人をさり気なく見守ってきた。始めの頃の
ぞっとするような狂気さえ感じさせていたあの利吉が、随分と変わったものだと思う。
「何にやにやしているんですか、戸部先生」
利吉が鋭く見咎めてくる。
そう言えば今はそんなほのぼのとした事を考えている時ではないのである。
「学園が狙われている、というあたりまで話は進んでいたようだが」
「結局、力のある葉月城と学園を戦わせて、勢力を相殺 しようという事なんでしょ
う」
半助の声が落ち着いた色を帯びてくる。
「その通り。で、怪我人の半助にはちときついかもしれんが、二人ともすぐに学園
に向かうようにとの命令を私は伝えに来たんだ」
「しかし・・・それでは学園に敵が攻め入るきっかけを作ってしまいます。ですか
ら・・・」
「いや」
木下が、半助の考えをすべて理解した上で、その続きを言わせなかった。
「学園に、近隣の被害にあった城から仕事の依頼が来ているのは聞いたと思うが、
学園はこの件に全面協力することになったんだ」
「ああ、では」
「うむ、半助達には悪いがな」
「私と利吉くんは、敵の忍者隊を学園に引き付けておけばよいのですね」
「さすが半助、話しが早い。そういうことだ」
敵方には人質の若者が多く捕らわれている。全員を救い出すために様々な忍者組織が協
力して作戦を遂行することになったのだが、最も脅威となっている敵の忍者隊をどこか
へ釘付けにしておく必要があった。
「しかし生徒が危険に巻き込まれるのでは・・・」
「詳しい説明は学園に戻ってからだ。いいな」
木下は有無を言わせぬ調子で言い切ってしまうと、屋敷にさっさと踵を返した。残りの
者も後に続く。
取り分けて支度という事も無く、戦いやすい軽装のまま、半助達は村を後にした。
まだ午後も早く、四人の影がちらちらと木漏れ日に混ざりあう。
「護衛をつけて下さっているのですか?」
「ああ、気付いたか、六年だよ。今年の連中は血の気の
多いのがいすぎてな、なに、いい経験だ」
今年の六年生には滝夜叉丸や三木ェ門がいる。六年では危険な実戦授業があるため、
大体の知識が学べてしまう五年生くらいで学園をやめてしまう生徒が多いのだが、彼ら
二人はあいかわらず学園で首席を争っていた。
生徒達は遠巻きに樹木に紛れながら随行している。
半助の体を心配しながら付き添うように歩いていた利吉だが、ふと、半助が教師の顔に
戻っていることに気付いた。 多分また二人きりにならない限り、あの戸惑ったような
目で、自分を見てくれることはないのだろう。
半助は訓練を始めていたとはいえ、傷もまだ癒えない体で山道はきついであろうに、
そんなそぶりは全く見せない。 利吉も気持ちを引きずらず、心を切り替えて、忍びの
顔になっていた。
一度港に出て、短い距離ではあるが航路を取る。さすがに半助は疲れていたようで、
船に落ち着いた時の小さな溜め息を利吉は聞き逃さなかった。が、今はお互いただの忍
びとして接している。
海から河を逆上って、陸路を取る。そこからは忍びの足であれば学園まではあっとい
う間で、先に帰しておいた六年の一人が木下に全員無事学園に戻っている事を報告した
半助がぺこりと頭を下げる。その視線の先、学園の門前には、山田伝蔵が満足そうな
表情で出迎えていた。
「宜しくお願いいたします!」
教室に邪気の無い子供達の声が響く。
三年は組ではいつもの通り、大木雅之助先生が教科の授業を始めようとしていた。
「ああ、授業を始める前に、皆に話しがある。静かにするように」
少し改まった調子で、大木が生徒を一喝する。
は組の生徒達が注目していると、大木は「どうぞ」と、教室の外で控えていたらしい
人物に声をかけた。
「みんな、しっかり勉強しているようだな!」
「わああっっ」
「土井先生!」
教室に明るい空気が満ちる。は組の生徒達は、嬉し気な様子を少しも隠さない。きらき
ら輝く生徒の目が眩しくて、半助は目を細めている。その半助の表情がまた、生徒達に
は眩しかった。
「あれっ先生、怪我してるんですか?」
金吾が真っ先に気がついた。半助は忍び装束と同色の布で、肩から右腕を吊っている。
「本当だ〜!土井先生、大丈夫なんですか?」
「ああ、怪我は全然大したこと無いんだ。」
「どうして怪我したんですか?」
大した事は無い、という半助の言葉に安心した生徒達は、俄然好奇心が沸いてくる。
「ああ、これはね」
ちょっと格好いい武勇談を期待してしまう。
「出張中にさぼって温泉に行ったんだけど、ゆったり浸 かっていたら、急に大きな
熊が現れてね、あわてて湯から飛び出したら、石鹸に足を取られて転んで腕を折った
んだ」
照れ臭そうに半助は、はははと笑った。
教室の扉の外では、控えていた利吉が、音も立てずに大コケにコケていた。
(もうちょっと、マシな嘘は無いんですかっ、土井先生っ)
心中叫ぶ利吉を他所に、教室の中では
「な〜んだ!そっかー」
「土井先生、熊に食べられないで良かったねーーー」
などと、無邪気な声ばかり。
(信じる方も、信じる方だ・・・)
こういう辺りがついて行けないんだよな、と、利吉は頭を抱えた、が、わいわいと騒
がしかった教室が、次第に静かになってゆくのに気付く。
「きり丸・・・」
乱太郎は、きり丸が泣いているのに気付いた。きり丸は肩を震わせ、声を我慢して下を
うつむいている。
怪我の本当の理由を口止めされているきり丸は、悟られ
ないように、平静を装っているつもりであった。それなのに、涙の方で勝手に流れてく
る。
(何だよ、どうしたんだよ俺は・・・土井先生が助かった事は、聞いて知ってたじ
ゃないか・・・何で・・・泣くんだよっ)
どうにもならない自分をもてあまして、きり丸は、折角の半助の笑顔を見ることもでき
ずにいる。そんなきり丸に気付いて、次第に教室はしんみりとしてくる。そうなると折
角こらえている小さな嗚咽も、皆に聞こえてしまう。
(泣くな、泣くな、泣くな、格好悪いじゃねえかっ)
しかし、堪えようとすればする程、膝につっぱったままの腕はがくがく震えるし、腹の
底から次々に上がってくる熱い固まりみたいなものが、息を満足にさせてくれなくて、
たまらなく苦しいのだ。
その時、きり丸の頭にふわりと暖かいものがのせられた。見かねて、半助がきり丸の
頭をなでていた。
「心配かけたなあ・・・きり丸・・・」
小声で呟かれると、もう駄目だった。きり丸は泣いた。とにかく泣きまくった。すると
隣にいたしんべえも泣き始めた。涙は次第に伝染して、結局あっという間に全員がお
いおいと泣き始めてしまった。
「お、おい、何で泣くんだ〜」
半助が困った顔で、皆をなだめようとする。
は組の生徒達はこの一月間の話を知らないとは言え、きり丸の不安も、きり丸の涙の
理由も感じとっていた。
失う事は悲しいこと。
そして自分達は失わずに済んだのだ。
暖かくて優しくて、瑞々しいもの。自分の中と外にある、 人の心と心が繋がりあう
時間の柔らかい切ない何か。
それらを共有している土井半助という人。
「土井先生〜」
しんべえがしがみついて泣くので、半助は優しくなだめていたのだが、俺も僕もと子供
達が集まって、おしくら饅頭状態になってしまった。抱き着いてくる子供達は大分泣き
やんで、嬉しそうに甘えてくる。そういう子供達に半助も弱くて、押されて傷がひどく
痛いのだが、とにかく全員の背をなでてやっていた。
大木も、笑ってその光景を見守りながら、がしがしと頭をかいている。利吉は影に在
りながら、その光景に自分も在りたいと願っていた。肩をぽんとたたかれる。父、伝蔵
が暖かに笑っている。
静かに静かに、暖かな波紋が胸の内から外側へ広がって、世界に満ちてしまいそうだ
った。