夏草一葉    11

 「土井先生・・・一体何があったんですか」
問い詰める利吉の眼は、しかしあくまでも冷静であった。
 「利吉くん・・・・」

しばらく逡巡していた半助が、瞳を揺らす。ここで利吉を突き放すのは、大切な事であ
るようにも思う。敵が学園に本格的な行動を取る前に、狙われている自分から利吉の関
心を外へと向けさせたい。半助を護るような、余計な行動を取らせたくないのだ。

 しかし、そのせいで利吉に思わぬ動揺が生まれ、敵との戦いの最中に命を落とさない
可能性がない分けではない。時間が許すなら、本当は突き放す前に自分よりずっと価値
のある関心事を与えてあげられれば良かったのだが・・・。

 他の人間であったなら掛けるのに苦痛のない術が、利吉に対して使えないのはどう
いう訳なのか。

 大木雅之助にかけられた言葉を思い出す。
 雅之助と関係していると利吉に告げたのなら、利吉は本当に自分への想いを諦めるか
もしれない。

 だが半助への執着で狂気まで見せた利吉である。半助に何かしようとするならともか
く、雅之助に斬りかかりでもされたら・・・・

 半助は心中眉を顰める。

自分を無理に組敷いて、こんなにはっきりと跡を付けた雅之助が招いた事態である。本
来なら、こんな噛み跡の理由なんて適当にごまかしたってよかった。理由を聞かれたっ
て、答えなくったっていいはずなのだ。

 だからこれは雅之助が与えてくれた機会なのだろう。利吉が雅之助に詰め寄るような
事があっても、雅之助なら臨機応変に対応してくれるはずだ。

 騒ぎになるのは面倒な気もするけれど・・・
半助は雅之助との親密な関係をほのめかそうと、首や肩口に散らされた朱の跡の理由を
語り始めようとした。

 だが、雨音まじりに告げられたその内容は、先程雅之助と半助の間であった、ありの
ままの・・・事だった。

 自分の語る内容が自分で信じられなくて、半助は言葉を紡ぎながら呆然としていた。
こんな事を話してしまっては、本当に利吉が激高して雅之助を責め立てかねない。目の
前で座す端正な顔立ちの青年は、その表情が忍び特有の無感情なものであっても、内面
はかなり激しい気性の持ち主なのだ。

 「それで、土井先生はそんな事をされて、このまま黙っていらっしゃるつもりなの
ですか」

きつい目を隠さずに、利吉が半助を見つめる。

 「でも・・・別に私は腹を立ててはいないんだ。あの人は時々突拍子もない事をす
るけれど、こちらの油断を教えてもくれるからね・・・」
利吉の反応が読み切れず無意識に緊張して息が浅くなる。・・・・そうして利吉が返し
てきた答えに・・・半助は驚きを隠せなかった。

 「土井先生がそうおっしゃるのでしたら、私が騒ぎ立てる訳にはいきませんね。・
・・今は大事な時ですし。でも全部片がついたら、大木先生に釘を差しておくくらい
 はさせて下さいね」

半助は大きめに開いた瞳で、その優し気に自分に語りかける青年を見つめていた。
 そうしてそれから、目を細めて、嬉しそうに小さく笑った。

 利吉も、そんな半助の変化に驚いていた。
この一瞬、半助は完全に素に戻っていた。
 たくさんの表情を持つこの土井半助という人は、誰にでも優しく打ち解けて見せるく
せに、芯の部分には決して誰も踏み込ませない人だった。嫌になるほど忍びに徹して、

心を奪われる笑顔の裏に、たくさんの嘘が盛り込まれていたなんて事、半助の周りにい
る人間は殆どが体験済みのはずだ。

 小さい頃から一緒にいる機会の多かった利吉でさえ、素の半助なんて殆ど見た事がな
い。

 ただ一度だけ、あの群竹の繊細な光の中で、まだ幼いとも言えた自分の出会ったあの
人・・・。

 それがこの恋のはじまりであっても、利吉にとって、素の半助も半助が造りあげてい
る土井半助も、ずっとすべてが愛しかったのだという事を、半助の心の芯に伝えたかっ
た。

 「どうしたんですか?」
蒲公英の綿毛に触れるように、そっと言葉をかける。
 ひたひたと雨の滴が世界の広がりを伝えるばかりで、黒々とした板敷きの四角い空間
は、二人のひそやかな息使いすら、何かを壊してしまいそうに儚気だった。

 「利吉くんも・・・」
半助の深い色を含んだ声がやわらかく響く。利吉はこの声がいつだって大好きだった。

 「私がどうかしましたか?」
 「大人になったなあ、と思って」

半助がちょっと意地悪気に、けれども幸せそうに、利吉に笑いかけてくる。

一瞬で利吉はまた半助の魅力に取り込まれて、半助の妙な言いように
ただただ完敗とばかり眉を下げてみせた。
 「あなたを愛していますよ・・・」
互いの視線が真摯にからみあう。

 「きみに・・・背中を預けるのも、悪くないかもしれないね」
 「!」
半助がまた違った風に莞爾と笑う。どれだけ付き合えば、この人の全ての笑顔を見尽く
す事ができるのだろう。

 「土井・・・先生・・・それって・・・」
 「半助でかまわないよ。利吉くん」
 「・・・・・・半助・・さん」
 「誓約書でも必要かな」
 「・・・いいえ」

いいえ、と利吉は首を横に振った。
 今のさり気ない半助の言葉の意味も重さも、利吉には十分過ぎる程に理解できた。安
易な愛の言葉なんて、比べものにもならない。

 どうして・・・この人はこういう人なのだろう・・・。
 どうして自分は、この人に出会えたのだろう。
 どうして、この人を愛するだけの人生を歩む、その幸運
 を手に入れられたのだろう。

鼓動が早くなる。胸に熱いものが一杯で、息をするのも苦しい。こんな幸福感、経験し
た事がなかった。
 身動きもとれずに、利吉は震えそうになりながら、熱を帯びた眼でひたすらに愛しい
存在を見つめ続けた。

 小さな口で半助が微笑む。その唇に引き寄せられる。
半助が拒否しないのを確認しながら、利吉は僅かずつ膝を進めた。

 恐る恐る近寄る利吉が微笑ましくて、半助はふわりと動くと、利吉の額に唇で軽く触
れた。悪戯っぽい目で見上げると、一瞬驚いていた利吉が、ほれぼれするような笑顔に
なった。

 大きな動作で、半助を包み込むように抱き締める。
甘くて柔らかくて優しくて・・・ちょっと意地悪な愛しい人が、確かに自分の腕の中に
いるのだと実感する。

 深く息をはいてその髪に顔を埋めた。
仄かに甘い薫りにたまらなくなって、肌をすり寄せる。それでもまだ心の芯から身体の
末端まで、相手の熱を欲しがって泣き出しそうになった。

 「こ・・こら、利吉くん・・・」
半助を抱き締めていた腕が、手が、自然と半助の躯を探るように動いて微妙な所まで届
くと、それまでおとなしかっ
た半助がたまらず身じろぎはじめた。

 「嫌がらないでください・・・・・は、半助さん・・・」
 「・・・っ駄目だったら」
 「さっき半助さんの方から口付けてくれたでしょう?」
 「あっ・・あれは」

屋敷にいた時はいつもかなり強引に求めてきた利吉が、遠慮がちにしていたのがちょっ
と笑可しかったのと、利吉の事を思っていたとはいえ冷たく苛めてしまった事への、半
助的なお詫びのつもりであったような気がする。何にしても誤解だと言おうとして

 「・・・んっ・・」
開きかけた口を、利吉の唇が深々とふさいでしまった。
 そのまま小さく抵抗する舌を搦めて、徐々に熱く全部を奪うように吸い貪る。何度か
息をするくらいは唇を許してあげたけれど、また口付ける度により深く繋がりを求めて
半助が体ごと逃げをうつのをそのままに床に押し倒した。
 「ゃ・・・駄目っ・・利吉く・・」
 「声だけ、我慢していただけますか?」
 「何言っ」

しゅる、と音がして、帯が解かれる。こんな所でそんな、いや、さっきも大木先生にあ
んな所で、いや、そんな事より何でこんな目にばっかり会ってしまうんだ!と半助は内

心叫んでいたのだが、すっかりソノ気の利吉を叱り飛ばそうとして・・
 「・・・・」
利吉のすがりつくような熱を帯びた瞳に言葉を失ってしまう。
 何だか今逃げ出すのはいけないような気がした。

 「・・・っく・・」

冷たい床が次第に温もりを得て肌になじんできても、利吉は躯全体で半助を包み込むよ
うに押さえながら、何度も角度を変えて口付けを繰り返した。

 何だか狐に食われてる獣みたいだ・・・と、乱れがちな息の半助はそうぼんやりと思
う。

 スルスルと着物がはだけられて、利吉の指が確かめるようにゆっくりと躯中を這い回
る。元々敏感な躯の持ち主の半助は、ひくり、と震えて簡単に弱みを知られてしまう。

 そしてそんな所ばかり触りまくられて、半助は声を我慢するのも難しくなってしまっ
た。小さな抗議は何度も利吉の唇でたしなめられ、雅之助に散らされた跡には更に強い
刻印が成される。痛いくらいに首や胸元を吸われて、半助はきつく目を閉じた。



 大人の男にしてはひどく滑らかな肌だと、土井半助を抱く度にいつも思った。鍛えら
れているのに、躯の線も抱き心地も柔らかい印象ばかり受ける。
 「んっ・・・」

意外な程感度が良くて、無理はさせたくないと思っていてもつい愛撫に熱中してしまう
この人を抱くのは本当に何もかもが心地良い。

 切な気な表情に煽られる。潜めた吐息のような喘ぎも、濃紺の装束を僅かに身にまと
わりつかせた裸体も、危険な程に色気に満ちていた。

 乱れさせたい。すがりつかせて泣かせたい。この人の中を自分で満たしたい。気が急
いで少し強引に指を侵入させると、小さな悲鳴と僅かに幼い表情が伺えた。

 ずっと自分は試していたのかも知れない。この人がどこまで自分を許してくれるのか
・・・自分を・・受け入れてくれているのか。けれどそれ以上に求めていた。この人そ
のものを。受け入れられる事の究極の快楽を。笑顔も吐息も少し怒った顔もしなやかな
動きを見せる奇麗な肢体も柔らかで可愛い声も・・・

 足を少し曲げさせて、下肢に顔を埋めると、指ばかりで
なく舌も使って嬲るように嘗めまくる。頬を擦り寄せ、さらりと肌をくすぐる前髪も尖
った形の良い鼻稜も何でも利用して、与えられる限りに動物的なそれを愛しんだ。唾液
が流れて指の滑りを良くしていく。

 「っは・・・ぁ・・・っあ・・んっ」
その動きを押さえようと伸びる半助の手は、次々に与えられる手管に敏感に反応して、
ろくに抵抗もできないまま利吉の髪に添えられていた。

 責めが弱まったのはほんの一瞬だった。大きく足を開かれ、腰が浮いたとたん、熱く
て固いものが一番敏感で弱い部分を侵しだした。長く慣らして半助の力が抜けていたせ
いか、それが根元まで収まるのにさほどかからず、そのまま規則的に腰を使われる。

 「ぁあ・・・んんんっぐ・・・」
内蔵が浮くような強すぎる感覚に、突き上げられる度に悲鳴をあげそうになって、半助
は着物の端を強く噛み締めた。 利吉も息が荒くなってくる。擦り寄せられる汗の滲む
肌は更に相手の肌との間隔を密なものにし、躯の外も内側も気持ちも今はただ相手の与
えるモノで埋め尽くされて、感じているのがどちらの快楽なのかすらもう分からなくな
ってくる。

 「っ・・んっ・・も・・・だ・めっ」

 「もうょっと・・・我慢してください・・ね・・」
 「んんっ・・や・・ぁっ・・うっ・・」

利吉がいっそう動きを速めてより奥まで腰を進めて、半助はもう耐え切れないとばかり
に泣きながら首を左右に振った。利吉は僅かな間だけ動きを弱めると、半助がきつく掴
んでいた着物から指をはずさせ、自分の首にからめさせた。

 「・・・愛していますよ」
 「・・・利・・・!あっあっぁああっ」

半助は何度か強く弱いところを揺すりあげられて、言葉もまともに返せないまま限界を
迎えてしまった。

 腕も躯も何もかも震えながらしがみついてくるのが、たまらなく愛しかった。その心
地良さに利吉も欲望を素直に中に吐き出す。

 絡まり合いながらもくたりと板敷きの床に崩れ落ちる二人。
 遠くに生活の音を聞きながら、深いけだるい満足感と共に、今は互いの熱い吐息ばか
りに心を傾けていた。


次へ→

夏草一葉1

 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14