夏草一葉10




 葉月城の敵の忍びの大きな動きはまだなかった。
だからといって、学園側が作戦の準備に時間をかけている
と、葉月城に捕らわれている人質への危険が増すことになる。

 城に潜入していた忍びが既に二人、命を落としてしまったらしい。ぐずくずしてはい
られなかった。
 学園に敵の忍びを誘い込むための入念な罠の下準備も進められている。

 だが作戦を知らされていない生徒達がほとんどの学園では、すべてが通常通りで、平
和そのものに見えた。

 半助も怪我が治りきらない体を押して、罠の配置作業に参加していた。山田利吉も軽
く顔を変装で隠して、その作業を手伝っている。
 だが二人の間にはもう、優しいいたわりの言葉が交わされることはなかった。

 土井半助が学園に戻っているという情報は既に葉月城には流してある。罠の準備が整
い次第、山田利吉の所在も敵に明らかにされる。が、その前に半助目当てで敵が侵入し
て来る可能性もある。これからますます気の抜けない日々が続いてゆくのだ。

 半助が裏方の作業をしている間、表だっては変装の名人鉢屋三郎が土井半助として行
動していた。生徒達は疑いを持つことは無いようで、鉢屋の補助役のきり丸は少し肩す
かしを食ったようである。





 したしたと雨が降る午後。職員寮には青葉を打つ滴の音ばかりが響いている。
 「流石大木先生・・・ちゃんと授業が予定通りに進んでますねえ」
側にあった授業計画表を眺めながら溜め息をつく土井半助に、大木雅之助は苦笑した。

 「お前さんの方も進んでるみたいだな」
 「ええ、割り当ての準備はほぼ終わりました。雨続きですからね、もっとかかるか
と思ったんですが・・・利吉くんが手伝ってくれましたから・・・」

 「利吉の方は今何やっているんだ?」
 「・・・さあ・・・それより打ち合わせを進めましょう。夜は見回りがありますか
ら早く進めないと・・・」
二人の他にひと気の無い部屋では、言葉が途切れると雨音がひどく寂しく響いた。

 ふいに雅之助の手が半助の顎を掴むと、顔を自分に向けさせる。
 「お前さん、顔色がよくないぞ。無理してんじゃねえのか?」
 「・・・無理という程の事はしていませんよ。忙しいの
 は先生方みなさん同じですし・・・雨続きでちょっと傷は痛みますけど、我慢でき
ない程じゃありませんから」

そう言って見せた半助の笑顔は完璧で、雅之助は言いかけた言葉をひとつ飲み込むと、
ふうっと溜め息をついた。

 「・・・利吉の方も・・ひどい顔してたぞ」
半助から笑顔が消える。
 「今のお前さんも同じ目をしてる。そういうの、放っておけないんだよなぁ」

 「大木先生には・・・失礼ですが関係のない事ですから」
 「関係無くも無い。気に入っている人間の事だからな」
雅之助は机を脇にどけて、半助の方へ近寄ると、ゆっくりと手をのばして半助の髪に触れた。
傷を負った獣をなだめるように、そっと撫でてやる。

 土井半助が大木雅之助と知り合ってから、それほど長い時は経っていない。が、最初
の出会いの時から雅之助には妙に気に入られてしまっている。
 「戸部先生から色々聞いちまった、お前さんと山田利吉とはそういう仲なんだろう?」

 「・・・・・」
そういう仲もこういう仲も、そんな開けっぴろげに問われても何とも言えないのだが、
確かに二人は甘い一時を共有していたかもしれない。

 利吉の想いは、実は以前から少し感づいていた。だが無理やりな行為に及ぶまで、思
い詰めさせていたとは気付かなかった。そんな事をさせてしまった自分が、利吉に傷を
付けてしまったように思えてあの時は少し悲しかった。

 「別れるつもりなのか?」
別れるとか・・・元々そういう二人では無かった。ただ、大切にしたかっただけなのだ

 「だが、利吉の方はあきらめる気は無いんじゃないのか?」
そんなはずはない。もう事務的な事以外、ほとんど言葉も交わさなくなった。そのうち
に自然と分かってくれるだろう。

 「儂がお前さんの恋人になったとでも言えば、あいつも分かるんじゃないか?」
 「!彼を・・・・そっとしておいて下さい・・・」

哀願する半助の表情ははかなげで、ひどく雅之助を魅きつけた。雅之助は内心舌を打つ

大事な作戦の前に悲愴感漂う二人を元気付けてやろうかと思っただけだったのだが、
半助と二人きりでいるうちに、その気になってきてしまった。山田利吉が土井半助にそ
ういった関係を許されていたという事実も衝動に後押しをかける。

 気力の落ちた半助の弱みに付け込むのも悪い気はするのだが・・・。
 本人は知らぬ事だろうが、この土井半助という若者を欲しがっている男達は多い。し
なやかな強さと、薫るような甘さと、つい手を出したくなる敏感な反応と・・・。
容姿の良さも手伝って、腕の中でおもいきり泣かせたいと思わせる。

忍び仕事を一緒にこなした事のある者なら、あのぞっとするような半助の冷徹な一面に触れて、
膝を折って屈したくなる経験を味わったりもした事だろう。

 見ているだけでもたまらない・・・。
 手に入れたらきっと、極上の味を経験できる。

 「半助・・・・」
土井半助が考え事に気を取られている間に、雅之助は今度は強く半助の顎を掴んだ。
 「!」
濡れた感触に唇を吸われて、半助は瞳を大きく見開いて、唖然としている。

 倒れ込むままにきつく抱き締められて、半助の躯がびくり、と反応した。
 「・・・・んぅ・・・」
小さく呻いて抵抗しようとするが、左を封じられてしまうと、怪我をしている半助は容
易く組敷かれてしまう。

 雅之助の厚い胸板に押さえ付けられて、もがきようもないまま、半助は好き勝手に舌
を貪られていた。せめて口中を犯す雅之助の舌を噛んでやろうかとしたが、歯を歯でが
っちりと組まれて、口を閉じる事も許されない。

 非道いキスだ。咬みつかれているのと変わらない。
 覆い被さる男の熱が、体の芯にぞくりとした感覚を蘇ら
せる。それがどういう意味を持つのか、半助は理解を拒んでしまっていた。

 「・・・ひっ・・・」
首筋から耳那を、尖らせた舌で官能的に何度も嘗め上げられ、半助は敏感に震えた。嫌
がって躯を捩るのを利用されて、着物が肩からはだけられる。

 痛むくらいに首を吸われ、胸元にかけて、いくつも跡をつけられた。胸の飾りを齧
られる。

 「ああっ・・・やめっ・・」
躯どころか思考まで痺れて、半助はただとぎれとぎれに喘ぐしかなかった。
 その艶のある小さな悲鳴に雅之助がごくりと唾をのむ。雅之助は熱のこもった息で、
低く半助の耳元に、その愛しい者の名を囁いた。

 「!」
 「?!」
突然半助がすべての力を抜く。それにつられて緩んだ雅之助の手が軽く払われ、次の瞬
間、

 「ぐうっ!!」
顎の下を平手で思い切り突きあげられ、浮いた体の溝落ちにためらいもなく蹴りが入っ
た。

 雅之助は衝撃をこらえて半助から二、三歩下がる。
半助はその間に何とか立ち上がって、乱れていた息を整えつつあった。互いに目が合い
睨みあう。

 雨音が空しく響いた。
 

 「・・・・。ま、簡単には墜とせねえってか」
先に緊張を解いたのは雅之助の方だった。悪びれもせず、不適にニヤリと笑う。
 そんな雅之助にあきれたように半助は溜め息をついた。どうにも憎めない相手である
のが始末に悪い・・・。

 「・・・こんな事は・・・もう無しにして下さい。・・・疲れます・・・」
 「悪かった。でもまあ、やっぱお前さんは良いな。本気で相手を願いたいんだが」

半助はそれには答えず、本当に疲れたようにうつむいた。
 そんな顔をするから襲いたくなるんだろうが!と、雅之助は内心毒付く。
しかし今のは雅之助が悪かった。それで少し反省してみた。

 「細かい仕事の詰めは、後は儂がやっておくから。お前さんはしばらく部屋で休ん
でた方がいい。すまなかった」
いえ・・・、と言いかけて、半助は自分が小さく震えている事に気がついた。
こんな事くらいで・・・と自分を律しようとするが、どうにもならなかった。

 「すみません・・・ではお言葉に甘えます。後は宜しくお願いします・・・・」
装束を簡単に整えて、ふらつく足で退室しようとする半助を雅之助は一度だけ呼び止め
た。

 「口んとこ、切っちまってる」
半助はそう言われて、口の中に広がる血の味に気付く。先程の事が生々しく思い出され
て、眉を顰めた。

 与えられた行為そのものにではない。

 突然の喪失感に・・・・自分で自分に愕然としたのだ。

 それは・・・半助にとって酷く・・・恥ずべき事だった。 心が思いどおりにならな
い・・・。

 唇の傷をきりりと噛みしめて、忍びの顔をする。いつもの土井半助の顔を作るのは、
今は何故か辛かった。





 雅之助を振り返らず、半助は自室に向かった。

 途中で誰とも会わずに済んだのは幸いだった。ご丁寧に襟では隠せない所にしっかり
と跡がついてしまっている。変装用のどうらんで早くそれを隠してしまおうと思ってい
た。

 「・・・・・」
が、襖に手をかけて、部屋の中の人の気配に気付く。
それは良く知った気配だった。

 「・・・・土井先生」
 「・・・利吉くん・・・・」

一呼吸おいて、半助がその姿を利吉の前に現す。姿勢を正して座している利吉の真っす
ぐな視線に、思わず目を逸らした。

 「!怪我を・・・なさったんですか?」
 「・・・っ・・・」
 「・・・その跡・・・・どうなさったんです」

半助の首から胸元にかけて散らされた明らかな行為の跡を、やはり利吉は鋭く見咎めて
きた。



 どう振る舞うのが最善なのか・・・土井半助は迷っていた。
 これ以上利吉には自分に引きずられて欲しくない。
 だが必要以上に傷つけたくもない。

 術を選ばなければ・・・
 言葉という忍びの術
 心を操るための

失うのじゃない。
互いに手に入ったかに見えたモノは、最初からひとときの
慰めでしかなかったはずだ。

必要なら、今でも利吉を甘やかしてやってもいい。
時間があるならもっと夢中になれる何かを一緒に探してあげてもいい。
きみが・・・・


 「土井先生。一体何があったんです・・・。説明してはいただけませんか」

利吉の感情を殺した声が蒼色の空間に静かに満たされる。 逸らしていた瞳を峻巡しな
がら向けると、半助はゆっくりと口を開いた。


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夏草一葉1

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