夏草一葉   5 

時刻はもう真夜中に近い。

明かりの灯された山田伝蔵の屋敷で、ぴくりとも動かない
半助を囲む、きり丸達の姿があった。

村には腕の立つ医者がおり、とりあえずの治療が
終わって、薬を煎じているところである。


 肩口から袈裟掛けに斬られた半助の出血の仕方は尋常ではなかった。倒れた半助を抱
きとめた伝蔵は、彼をそっと近くの木にもたれ掛けさせた。寝かせると出血が余計にひ
どくなりそうだったからだ。まだ半助には意識が残っていて、青ざめた顔のきり丸を見
た。

 きり丸は半助の怪我を自分のせいだと思っているのだろう。半助は絶えそうな息をつ
きながら、にっこりと微笑んだ。
 「・・・巻き込んで、悪かった、な、きり・・丸」
暗に“お前のせいではないよ”、という半助の心遣いなのだ。
 「喋るな半助、死にたいのか」
伝蔵は、そうは言ったものの、半助の怪我が村まではとても持たないものだという事を
認めざるを得なかった。
 「利吉、すぐに火を起こしてくれ。ここで傷口を縫ってしまおう。半助、 いいな」

半助が口の端を少し上げる。利吉は弾かれたように支度を始めた。刀の柄から縫い針を
出し、火で消毒する。血で張り付いた小袖を小刀で切り剥ぎ、刀の下げ緒で半助の体を
木に縛り付け、固定した。
 「半助、これが最後かもしれん、一言なら言ってもいいぞ」

伝蔵の精一杯の言葉に、血の気の失せた顔で、半助は、とてもきれいに・・・笑った。

 「家の、物は・・・みんな・・・きり丸、に・・譲る・・から、」
 最後の言葉に選んだのは、そんなことだった。



 白い顔をして眠っているのは、半助ではないようにも思える。煎じた薬を少し冷まし
てから、利吉はそれを自分の口に含み、意識の無い半助に飲ませた。さっきそうした時
は父が目を丸くしていたが、今は、看病を利吉に任せて、村の忍者達と辺りの警戒に当
たっている。きり丸は隣室で仮眠を取らされている。危険を避けるため、母には伯父の
家に避難してもらった。不謹慎かもしれないが、何だか漸く半助を独り占めできたよう
に感じる。死の薫りがする口づけは、悲しいほどに利吉を酔わせた。

 僅かに継ぐ息に小さな呻き声が混じる。半助は三日目に意識を取り戻したが、またす
ぐに昏睡状態に陥ってしまった。利吉ときり丸が無言のまま看病し続けている。半助は
鎖骨をばっさりと斬られていた。失った血も多かった。応急処置の際に十分な殺菌が出
来なかったのも心配の種だ。熱が引かない。利吉はやることをとりあえず済ませてしま
うと、後は枕元でぼんやりと座っていた。

 どうして土井半助でなければならないのだろう。
今頃になって、利吉は自分にそんな質問を課した。本当ならこういうことは、あんな事
をしでかす前に考えるべきことだったのだ。

 利吉は一流忍者の家系に育ち、仕事を快調にこなして名前も売れている。家族も健在
で、広い屋敷もある。この歳で欠けているものといえば恋人、というところなのだろう

が、それも望めば見目良い相応しい候補はいくらでもいるのだ。利吉は男女問わず憧
れを抱かれているのだから。
 ただ、土井半助だけは手に入らない。

欲しいのか・・・欲しい・・・欲しいのだ・・・。何故他の誰かでは駄目なのだろう。

 あの後暫く、利吉はかなり自棄になって、旅先、相手かまわず抱き、抱かれた。男も
いたし、女もいた。利吉は若く容姿も頗る良く、断る相手はいなかったし、自分を愛し
てくれる相手にも困らなかった。そうやって行きずりに躯を重ねる誰かを、心から愛せ
たらどんなに救われただろうと思う。

 半助の何処がそんなに他者と違うというのか。このきれいな躯や整った顔立ちだろう
か。とぼけた人当たりの良さの奥に潜む、一流の忍びが持つ鋭さだろうか。それともあ
の笑顔だろうか。確かにあんな風に笑う人は他にいないような気がする。けれどそれが
どう他の人と違うのか、考えてしまうと分からない。

 理由が必要なんだろうか。
 まだ素直に半助の隣にいられた頃、ただ側にいるだけで、利吉は理由も無くひたすら
に幸福だった。半助から滲む暖かみがたっぷりと心を潤して、傷を埋め尽くしてくれた

あの頃の満足感をもう一度味わいたいのだろうか。

 ふと、昔、気配を消す訓練をしていた時の事を思い出した。
あの時、青い影と光が細かに揺れる竹林の中で、一人でいる半助を見たのだ。
いつもの柔らかい表情とは全然違っていた。
時々見せる厳しい表情でも無かった。忘れられないあの目。あの目を父は知っているの
だろうか。すぐに気配を気付かれてしまって、半助は困ったように笑っていた。

もしかすると、きりきりとするこの想いは、あの時生まれたものなのかもしれない



 半助がはっきりとした意識を取り戻したのは、五日もたってからだった。意識が戻っ
たとは言え容体が悪いのは相変わらずで、意識がある分痛みに苦しんで、見ている方も
辛い。

 六日目に学園から戸部新左エ門がやって来た。伝蔵が村の忍者を頼んで学園に繋ぎを
取ったものらしい。戸部は天才剣士であり、学園では剣術指南を担当している。が、天
才型の戸部は教師に向いているとは言い難い。どちらかというと学園の用心棒的役割の
方が大きかった。戸部が担任を受け持っていないのは、こんな時一番身動きが取りやす
いように、なのである。

 「半助・・・」
土井半助の容体が想像していたよりかなり悪いようで、戸部は暫く言葉を失っていた。
が、半助の体のことは彼自身の回復力と、医者や看病する者達に任せるしかない。戸部
が呼ばれて来たからには山田伝蔵に何か策があると考えられた。戸部に出来るのは剣を
振るう事ばかりなのだ。

 「山田先生、それで・・・」
 「戸部先生、わしはきり丸を連れて学園に戻ろうと思う。きり丸の話か ら推測する
と、半助を襲った連中は半助を引き抜くつもりらしい。早急 に作戦を開始する必要が
ありますからな」
これは半助が回復する事を前提とした話であったが、それ以外の可能性を伝蔵はあえて
無視していた。

 「敵の正体は」

 「それも大体の見当がついております。羽槻城に城主として最近着任した木野水禅
數虎という人物をご存じでしょうか」
 「噂は聞いています。確か木野小次郎竹高の異母弟で、戦に長けた残忍冷酷な男と

戦に長け過ぎたせいで兄に疎まれて、辺鄙な羽槻城に流されたと言う噂ですな。衆
道好みで、見目良い壮年の若者を捕らえては拷 問で多く犠牲にしているとか。・・・
では・・・」

 「恐らくな。確認を頼んでいるところなのだが」
どのみち敵は半助が回復するまでは襲って来ないつもりらしい。それも罠かもしれない
が、その時の為に護衛として戸部にはこの村に残ってもらうことにする。

 ただ問題はきり丸だった。半助の看病をさせてやりたいとも思うが、苦しんでいる姿
をこれ以上見せたくないようにも思う。きり丸は修行中の身なのだ。半助ならきっと学
園に連れて行くことに賛成するだろう。きり丸が来るなら学園までは村の忍者に護衛を
頼むつもりでいるし、ここに残るよりは安全なはずなのだ。が、きり丸にとって土井半
助は最早家族と同義の存在である。その彼が生死の境をさ迷っている今、きり丸が側を
離れてくれるであろうか。

 意外な事に、きり丸はあっさりと学園に戻る事を承知した。

 あの日からきり丸は殆ど誰と口をきく事も無く、きつい目をして黙々と半助の看病を
していた。きり丸に捏ねられるのを予想していた伝蔵だったが、思い詰めたきり丸の心
の傷が、見た目以上である事を理解した。ならば余計に守ってやらねば。それが半助の
願いでもあるだろうから。

 伝蔵と半助との付き合いは、半助の死の可能性にうろたえるほど軽いものではない。
一応は師弟関係なのであろうが、それ以上の絆があることは確かだった。
 きり丸もまた、同じなのだ。

 家族、仲間、友、そんな言葉では括れない、人と人との繋がりを何と呼べばよいのだ
ろう。

 目頭が熱くてたまらなかった。


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