夏草一葉   7

 忍術学園では、何事も無く平和な日々が続いていた。まだ土井先生と戸部先生は出張
中。代わりの担任の大木雅之助先生は、以前からは組の生徒とは面識があったせいで、
来た早々馴染んでしまっていた。ちょっと荒っぽいが実力があり、教え方も上手いから
生徒にかなりの人気である。相変わらずの楽しい毎日。楽しい毎日、のはずなのだ。だ
が・・・

 「なあ、きり丸は一体どうしちゃったんだ?」
一緒に食事をしていた団蔵が堪り兼ねたように尋ねた。
 「どうって、」
乱太郎が口ごもる。

 「急に勉強熱心になっちゃってさ」
 「そうそう、お昼もさっさと食べて、自主練習に行っちゃうんだもんなあ」
側にいた金吾や喜三太が話しに加わって来る。

 「いい事じゃないか、もともと僕たちは勉強しに学園に来てるんだし」
 「そりゃそうだけど、乱太郎は変だと思わないのかい?」

思わないはずがない。乱太郎は学園では、きり丸の最も身直な存在なのである。新学期
からきり丸は本当に人が変わったように勉強熱心になった。笑ったり、冗談を言ったり
もするのだが、以前のきり丸と、やはり何処かが違った。笑った時の目が、誰かに似て
いるような気がした。

 土井先生?
そうか、土井先生の目に似ているのだ。

 きり丸は土井先生と一緒に暮らしているのだから、似てきたとしても不思議ではない
のかもしれないが、・・・何故か釈然としない。
 「土井先生に何かあったのかな」
しんべえのその言葉に、周りで食事をしていたは組全員の動きが一瞬止まった。誰もが
何となく思ってはいたものの、決して言葉にしたくない事だったのだ。
 「まさか、しんべえ。土井先生にもし何かあったんなら山田先生があんなに普通に
しているはずが無いよ」

実際、先生方の態度からは何も読み取ることは出来なかった。だから本当に心配する事
は何もないのだろう。きっとそうだ。乱太郎も他の生徒達も、そう思いたかった。

 「大したものだな・・・」
練習に励むきり丸を眺めながら、山田伝蔵は呟いた。
 あれからもうひと月経つ。きり丸は驚くほど腕を上げていた。きり丸はもともと器用
であったし、合戦場での経験から度胸もあった。補習授業のお陰で実戦体験を積んでい
るし、記憶力だっていい方であったから、やる気さえ出せばかなりの腕になるとは思っ
ていた。が、たったひと月でここまでとは、伝蔵は予想だにしていなかった。

 最近では乱太郎やしんべえが、きり丸の自主練習に付き合っていて、この二人もなか
なかに腕を上げている。元はビリの三人組に負けまいと他の生徒達も張り切るものだか
ら、結果として“は組”の成績は急激に上昇し、他の教師たちを驚かせていた。

 が、皮肉な事に、それは新しい担任の大木雅之助の手柄である様に見えた。雅之助が
悪い訳ではないのだが、半助の事を考えると少し苦々しくもある。半助はちょっと生徒
には甘い男であったが、何より生徒を愛していたし、生徒に愛されていたのだ。

 「こういう事も、あるものなのだな」
子供達は半助が出張中であると信じている。このまま半助が戻らないとしても、この日
常は変わらないのだろう、と思う。それは何だか淋しい気がする。
 いつ命を失ってもおかしく無い戦国の世で、永遠を信じる者が愚かなのかもしれない
が、それでも土井半助だけは、変わらぬあの笑顔でずっと自分の隣にいてくれるような
気がしていた。城付きの忍びから戦忍びになった半助に、現役引退を勧めて教師にした
のは伝蔵である。
 
半助と出会ったのは、今から十年以上も昔のことになる。その頃伝蔵は現役の忍であ
った。そして、最初で最後の敗北を味わったその日が、土井半助との出会いの日であっ
た。

 あの日、ある豪族の護衛の任に就いていた伝蔵は、館に突然上がった悲鳴に、一早く
駆け付けた。そして、そこに少年の姿を見た。少年は血の海の中でぼんやりと足元の二
つの骸を眺めていた。警備は完璧の筈であったのに!こうも簡単に侵入を許し、館の主
人とその妻を殺されるとは。しかもこんな子供に!伝蔵はぎりぎりと歯噛みしたが、そ
の少年がこちらを向いたとたん、頭の中からすべてが吹き飛んでしまった。

 伝蔵はただ、名を問うた。

 土井半助、と少年は答えた。

少年のその目が、不思議な笑みに彩られる。背後で立て続けに大きな爆発が起き、その
姿が掻き消えた。完敗だ、と伝蔵は思った。が、少しも嫌な気はしなかった。そして、
山田伝蔵は現役の忍びから引退を決意し、忍者の教師となった。
 その少年と二度と会うことはあるまい、と思っていたのだが、とある事件で再会を果
たした。

 伝蔵は半助を必死に説得して、忍術学園の4年生に編入させた。半助の忍術の腕は、
学園の教師の教えを乞うまでもないものであり、兵法の腕は戸部の舌を巻かせたし、火
薬の扱いにかけては教師以上の実力を持っていた。しかし半助にとって学園での勉学は
思いの外楽しいものであった。本などそれまで滅多に読めない生活であったから、半助
は暇さえあれば書物を紐解いていた。

 伝蔵は自分の屋敷で半助に休みを過ごさせ、卒業後は一流の忍者として城で仕事をさ
せた。そこで半助は良い働きをしたのだが、一年程で仕事を変わりたい、と相談してき
た。理由を問うと、ただ、「お城の殿様は、衆道を嗜まれるのです」とだけ言った。

 ああ・・・
と、伝蔵は悟った。伝蔵自身は、半助の事を決してその様な目で見たことは無かったの
だが、理解は出来た。伝蔵は半助の為に、信用のおける平和な城を選んだつもりだった
のだが・・・。そして次に選んだ城でも何事かあったらしく、今度は伝蔵に知らせずに
半助は戦忍びへと仕事を変えていた。 

 大分経ってからその噂が伝蔵の耳に入ると、伝蔵は大慌てで半助を呼び戻した。丁度
忍術学園で教師の欠員が出たため、これ幸いと半助を教師にしてしまったのである。
忍者の教師は、熟練した腕と完璧な忍術の知識が必要とされ、学園の教師達は皆、その
道の達人ばかりである。その中で半助の若さは異例なことであったが、学園に途中編入
した半助の腕前を知る教師達は、半助を教師に相応しいと認めていた。

 実際、半助はかなり子供の頃から、忍者として仕事をしてきたらしい。詳しいことは
不明である。誰が忍術を教えたかも黙していた。
 教師になってからの半助の人生は、概ね穏やかで落ち着いたものになった。子供達と
の触れ合いを半助自身も喜んでいた。事件は数々起こったものの、それまでの半助の日
常に比べれば、学園の中は平和そのものであった。それが・・・油断に繋がったのかも
しれない。

 伝蔵は溜め息をついた。

 それにしても自分は、何故こうも、土井半助の人生に干渉してきたのだろう、と伝蔵
は考える。半助が自分に信頼を寄せてくれるようになってから、自分も自然にそれに答
えてきた。が、無理に人生の進路を変えさせた事もあった。それは、一流の忍びとして
の半助の名声を奪うことになってしまったが。

 多分、・・・忘れられないのだ。

 血溜まりの中で、伝蔵に向けられた、あの・・・目、が。
 譬え伝蔵の知らない所で、であっても、あんな目をされるのは、たまらない、そう思
ったのだ。

 土井半助を、血溜まりから遠ざけていたかった・・・。
 

 柔らかな風を感じて視線を上げると、淡い空に黄色い蝶がひらひらと舞っている。抱
きとめることの出来ない、風の化身のようだ、と伝蔵は思う。手の平から滑るように逃
げ去って行くものを、繋ぎ止めておくことは出来ない。あの日々も、今、空に響いてい
く子供達の声も。

 土井半助の容体は回復に向かっていると聞いている。
感傷に浸ってはいられない。羽槻城に潜入している仲間から、そろそろ敵が動こうとし
ている、という情報が入って来ていた。伝蔵の仕事は、これから起きるであろう戦いに
最善の流れを与えることである。全てを予測することは人間には不可能。大きな流れ
に逆らうことも出来ることではない。が、流れは変えることが出来る。それが忍びの仕
事なのだ。情報を集め、敵の心理を利用し、敵自身が自滅の方向へ向かうよう、流れを
作るのだ。

 敵も忍者である。下手な小細工は通用しない。出来ることなら犠牲も最小限に止めた
い。すべては伝蔵の立てる方針で決まる。

 「山田先生」

聞き覚えのある声がして、伝蔵は振り返った。目の前に背の高い自分がいた。
 

 
 



 ひと月が過ぎて、土井半助は漸く起き上がることを許された。切り口が滑らかだった
お陰で、予想より鎖骨の骨折の着きが早かったのだ。動かずにいられたことも良かった
あれからすっかりおとなしくなった利吉の看病が行き届いていたお陰でもある。

 「今日は、少し歩いてみますか?」

半助の着物を替えながら、利吉が尋ねた。
 「そうだね、手を貸してもらおうか」

まだ右腕は動かすことが出来ず、肩から布で吊っている状態である。ひと月の間殆ど寝
たきりであったから、体もまだ自由に動かない。利吉の手助けが欠かせなかった。
 新しい寝着に軽く着物を掛けた姿で、半助は利吉に支えられながら屋敷の庭へと降り
てみた。屋敷を取り巻く竹林が、軽くさらさらと鳴る。座敷から寝たまま眺めていた盛
りの花々も既に散りかけ、噎せるような緑の匂いが鼻をついた。日差しが半助には少々
きつい。傷も完全に癒えている分けでないから、一歩一歩が気の遠くなるような作業に
感じられる。

 「土井先生、このくらいにしておきましょう。無理はいけませんから」
利吉は左肩を支える腕を延ばして、そっと半助を抱き抱えた。

 「少し痩せましたね」
 「まあ、動けなかったからね」
 「土井先生」

利吉の腕に力が入り、半助の顔を自分の方へと近づけさせる。利吉の唇が、半助の頬に
触れる。少しの間があってから、半助が首を利吉の方へ傾けてくれたので、利吉の小さ
な望みは達せられることが出来た。

 半助に対してずっと抱いていた利吉の愛憎も、あの日、半助が利吉を受け入れる意志
を示してくれた時からすっかり成りを潜めてしまっていた。利吉が望む事に対して、半
助は優しい肯定をかえしてくれる。必要な時には甘い言葉すら与えられ、半助の微笑み
を独占し続けている今、利吉は譬えようもなく幸せであった。

 「村の人に見られたらまずいんじゃないのかい?」
やっと自由になった半助の唇から、そんな言葉が漏れる。

 「誰もいないみたいですよ、それに見られたって別に私は構いませんが」
利吉のそんな真正面な想いに、半助はあきらめの溜め息をついた。
 「すみません、土井先生にはご迷惑ですよね。あの・・・これからは気をつけます
から」

 「うん」

利吉を傷付けないよう、半助はにっこりとした笑みを作った。屋敷には護衛のために戸
部新左エ門先生が詰めてくれている。こういうあからさまな事は、やはり避けていたい
気持ちがあった。利吉は半助を抱えたまま、踵を返して屋敷の中へと戻り、半助を布団
に横たわらせた。半助は、利吉が落ち込んでいるのでは、と思ったのだが、当の利吉は
部屋の襖を閉めるのに忙しい。魂胆が見え透いている。

 「利吉くん、君ねえ・・・」
呆れ顔の半助が眉を顰めた時には、利吉はもう部屋を閉めきって、半助の傍らで屈託の
無い笑みを浮かべていた。

 「歩けるようになったら、という約束でしたよね」
利吉が半助の首に手の平を添わせる。確かにそんな約束をしてしまったのだが、しかし
こんな急に求められても、半助は戸惑うばかりである。だが逃げようがない。そんな風
に半助が思い迷っている間に、利吉は唇を重ね合わせながら、先程自分が着せたばかり
の半助の着物を丁寧に解いていた。

 「・・・は・・・っ・・・」
半助をいたわるようにゆっくりと、けれども確実に、利吉は半助の声を誘った。半助の
抱き心地のよい躯を軽く抱き締めながら、堪えに堪えつつ漏れる半助の声を愛しんだ。
指を後ろに這わせると、流石に半助が抵抗しはじめる。

 「まっ・・・て・・・っっくっ」
利吉が少し動きを止める。

 「土井先生、逃げちゃ駄目・・・ですよ・・・」 
そんな言葉が頭の芯を痺れさせる。

 相手が誰であろうと、躯を重ねる事くらい何ということも無い、と半助は思っている
つもりだった。だが、どうしても反応してまう自分が恨めしい。しかも利吉にはこのひ
と月の間、身動きが取れなかったとはいえ、自分の弱い部分や汚れた面を散々見られて
しまっている。そんな自分をまだ欲しがる利吉が、半助には不思議だった。

 恋などただの幻想、想いが叶えば後は気持ちが離れてゆくばかり。相手を想えば想う
程、離れてしまった時に心の臓を食いちぎられるのだ。狂おしい想いなど、半助は遠慮
願いたかった。利吉はそれを自分に求めている。それを半助は知っている。躯は与えて
もよい、と思っていた。死んだも同然の自分を、必死の看病で救ったのは利吉なのだか
ら。

 「っ・・・・あっ・・」
まだ、声を抑えていられる。何故利吉がこんなにも自分を欲しがるのか、半助は利吉に
問うたことはない。きっと利吉自身にも分かりはしないのだ。恋などそんなものである

だから同じように理由無く、利吉も離れてゆくのだろう。その時に、心を食いちぎら
れて持ってゆかれるのは後免なのだ。もう、そんなことは・・・

 「土井せんせ・・・っ逃げちゃ・・駄目です」
利吉が呪文の様に繰り返す。
 逃げてなど・・・

 「逃げちゃ、駄目・・・っですよ」
 「あっああっ」

頭の芯が霞む、利吉が自分に与えるものが、段々に躯を支配してゆくのが分かる。自分
を見失ってしまいそうで、怖い。・・・怖い?・・・何故・・・そんな馬鹿な・・・
 「もう、っ逃げないでくださいねっ・・・土井せんせっっっ」
「!!!!」

ひどく突き上げられて、半助の躯が反り返る。自分がどんなに艶っぽい声を挙げている
か、もう半助には分からなくなっていた。


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夏草一葉1

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