おまけのはなし





サンジは重たい腰をさすって台所に立っていた。
何しろ夕べは大変な騒ぎだったのだ。騒がないように、声を殺しつつの大騒ぎだった。あの激しいけだもの緑豆相手に、サンジもなかなか善戦した。
上手にいなしたり、そうかと思うと煽ったり、恥ずかしながら快感に溺れる顔をそっと見せてやったり、覚えたばかりの小技で逆に緑豆を唸らせてやったり。
正直、何度も大きな声が出そうになって堪えるのに苦心した。ジジイが同じ家のなかで寝ていると思うとはらはらし、またその緊張が二人の気分を盛り上げたりした。
あのクソ緑豆野郎の鼻息の荒さときたら、とサンジはくつくつ笑う。
あの馬鹿な緑の男は、サンジのことがよほど好きでたまらないのだ。肌の上を撫でるときの、あの慎重で優しい手つきがそれを物語っている。胸から腹にかけてを、触れるか触れないかの強さで何度もなぞられ、そのもどかしい感覚に、終いには息も絶え絶えになるほど焦らされてしまった。
やー、参ったな、とサンジは煙草のけむりをふいっとふかす。
本当に参る。あのゾロの馬鹿さと、オレのこと大好きさには、参ってしまう。
きっとものすごく夕べのチャーハンが嬉しかったのだろう。元は異形の巨人かも知れないが、こうなって見ると随分可愛らしいものだ。
ニヤニヤしながらサンジはフライパンの上でオムレツをくるっと引っくり返した。黄色い、ふわふわの玉子が綺麗な半月型に整えられていく。オムレツはサンジの得意料理の一つだった。
本来なら、洋風のソースも用意したいところだが、今日の主賓はケチャップをかけて食べるのがお好みだ。
勿論サンジは客をもてなす仕事のプロなので、その好みに応えるように準備する。
白い大きな皿の上へ、湯気をたてるオムレツを載せる。我ながらうまく出来たものだ。
間もなく客人が訪れる約束の時間だ。タイミングもぴったりだな、と思いつつ、ケチャップで玉子の上へ文字を書いた。これもまた、客人の好みなのである。サンジはその好みに副うようにするだけのことだ。
ところが、玄関のドアを乱暴に開いて中へ入ってきたのは、待っていた客人ではなく、苦虫を噛み潰したような顔のジジイだった。新聞を取りに行って来ると言って外へ出たのに、手には一通の封書を持っている。
「なんだよジジイ、なんか良くない手紙か」
「確かに良くない手紙だが、知らせの内容が悪いんじゃなくて、差出人が良くない手紙だな」
ほら、とジジイが机の上へ手紙を投げ出す。
サンジはそれを手にとって、中身を確認した。
差出人名は、時折この家を訪問する長い刀を背負った不思議な男、ミホークの名前になっていた。
サンジは首を傾げた。
「あれ、あのおっさん、今日うちに遊びに来るはずなのに手紙を寄越すなんて変だな」
「手紙を寄越そうが寄越すまいが、あいつはいつでも変だ」
ジジイが忌々しそうに言う。
ははは、何言ってんの、ジジイ、とサンジは笑って受け流すと手紙を開いて中身を読んだ。
突然の野暮用が出来たので今日はそちらへ伺えない、大変残念である、という内容だった。
「えー、なんだよ、一番新豆の季節だから、食事に誘ったら絶対手土産に持って来てくれると思ったのに」
サンジは期待が外れて唇を尖らす。
「アホが、豆につられてんじゃねえチビナス」
ジジイが反対側の手に持っていた新聞をすこんと投げつける。
「ん?でもこの手紙、今日の日付になってんな、カモメ便にしても速過ぎる。どうやって届いたんだ」
「てめえのダチの鼻の長い奴が運んできた」
「ウソップか。あいつ相変わらずお人好しだな」
まあでも、用事が済んだらきっとまた近々来てくれるだろ、あのおっさんなら、とサンジは気を取り直して手紙をポケットにしまった。
そして素早くスプーンの背でケチャップで描かれた「ミホーク」の文字を消す。いつもこのサンジ特製名前入りオムレツを作ると、ミホークは惜しげもなく高級特選黒豆をプレゼントしてくれるほど喜ぶのに。
あの豆は非常に美味だが、どういうわけか、他では一切手に入らないのだ。

サンジは冷蔵庫を開きケチャップを再登場させると、今度もまた手際良く、
「ゾロ」
と、今しがたミホークの名前を消したばかりの玉子の上へ、トマト色の文字を書いた。見事なリサイクルだった。
「まあもう昼過ぎだしな」
サンジは独り言を言う。
「そろそろあいつを起こしてやんねえとな」
その後姿を見送って、ジジイは肩を竦めてコーヒーの準備に取り掛かった。
また今日もあのむかつく緑豆のガキを、こってりおちょくってやらねばならない。忙しい毎日だ。
庭に生えた豆の木のせいですっかり日陰になった台所で、ジジイは一人、頷いた。



<おしまい>

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