緑豆、空島に帰る





ジジイとゾロが喧嘩ばかりするので、近頃サンジは呆れ気味だ。
二人はどうでもいいことで喧嘩する。今朝は南極と北極どちらが寒いかで言い争った挙句の果てに、ケツの青いガキが、いいや青くねえ、肝の小せえ男め、いいや小さくねえむしろ巨人だ、どこが巨人だこの若造が、へえ……どこがアヒルのお気に入りか聞きてえか、などと罵りあい、いつまでも台所のあっちとこっちで睨み合っていたので、ついにサンジも堪忍袋の緒が切れた。
「てめえら!喧嘩すんじゃねえつってんだろ」
「てめえんとこのクソジジイが喧嘩売ってくるからだろ」
ゾロは咄嗟に言い返した。
「この孫コンジジイが!」
「孫コン?」
「孫コンでなきゃ、ナスコンだろ!一体いつんなったら孫離れすんだよ、いい加減あきらめろ、クソジジイ」
「なんだとこの緑豆野郎めが」
二人は再びにらみ合う。
「もう……やめろ!」
サンジはテーブルを叩き、厳しく叱責した。
「うちのジジイと仲良くできねえなら、てめえなんかもう豆空島に帰っちまえ!」
腕を組み、決然たる物言いだった。
「え!」
おれだけかよ、とゾロはさすがに驚いた。
まさかの展開だった。
サンジに惚れられているものとばかりに思っていたが、まさかジジイと秤にかけられて、負けるとは。
ジジイの方は、それ見たことかという顔をしていた。少なくともゾロにはそう見えた。ムカついたのでジジイを睨みつけると、ジジイも睨み返し、再び二人は台所のあっちとこっちで睨み合う。
「もう!何べん言わせんだ、喧嘩すんじゃねえよ」
サンジはゾロの首根っこを掴むと、家の外へ引きずり出した。
「ほら、とっとと豆の木登れ!上で頭冷やすのがいいんだ、てめえみたいなのは」
かなり本気で立腹の様子だ。
「てめえが悪ィ、上で反省して来い、クソガキ」
ジジイはさりげなく追い討ちをかけた。
だが、「ほら早くしろクソ緑豆」と言いながら、サンジまで豆の木をよじのぼり始めたのはどうしたことか。
サンジは豆の木を積極果敢によじのぼり、またよじのぼり、せっせと雲の上目指して進んで行き、慌てて後を追ったゾロと二人揃って、じきに残されたジジイからは見えなくなった。




「……つまりあれか、チビナスは緑豆に反省を促すために空島へ追い返す決断をしたとしても、自分が緑豆と離れるという選択肢は思い浮かびもしなかったというわけだな」
ミホークはサンジとジジイの二人の家で、ほう、と満足げな溜め息をついて紅茶を啜った。この家に常備されている紅茶の葉は香りが良く、ミホークの気に入りだった。
「……ッ」
ジジイは歯噛みした。
サンジが出て行ったのと入れ違いぐらいで、今度はこのマイペースな男に自宅に上がりこまれ、ストレスで額の血管も切れそうだ。
「てめえはまた呼ばれもしねえのに、性懲りもなくひとんちにあがりこみやがって!」
「うん……、お茶のおかわりを頼む」
「頼まれてたまるか!」
ジジイはミホークへ向かってフライがえしを投げつけたが、料理人の悲しい性なのか、手は勝手にポットに次の湯を注いでしまっている。お湯の温度も丁度良いはずだ、茶の葉がゆっくり水分を含むまで待つ。最高の状態でカップに注がれた紅茶が、乱暴にがちゃんとテーブルに置かれると、ミホークは再び満足そうに、ほう、と溜め息を吐く。
「まあ、ここに来てもチビナスが留守なのは残念だな」
「チビナスって呼ぶんじゃねえ!」
「うん……、貴様もいつも同じことをチビナスから言われていたな」
「……ッ」
あの緑豆のガキもむかつくが、この男も腹立たしい。ある時突然レストランに訪れ、ここの料理も店構えも大変気に入った、と何故かオーナーシェフの自分ではなくサンジに向かって言い、以来自宅にまで頻繁に押しかけるようになった。こちらとしては、大変気に入らない。
「……そう言えば、そろそろ特選丹波の黒豆の新豆の季節だな」
ふと思い出して、ジジイは呟いた。
そうだな、とミホークも頷いた。
「特に新豆の収穫時期の最初のものは甘みが強くて、一番新豆と呼ばれ重宝されている。しかし数量があまりとれない超レアな豆なのだ。チビナスの気に入りだったな」
ミホークは感慨深げに首を捻る。
「去年の新豆の季節に、たまたまチビナスからおれ宛に、うちに遊びに来ないかという催促の手紙が届いたので、全くもって偶然にも一番新豆の季節だったこともあり、土産に持って来たのだった」
「料理人が新豆の季節を知らないものか」
「何か言ったか」
「いや……」
「あの時のチビナスはいつにも増して可愛らしかったことだ」
お茶のおかわり、とミホークはカップを差し出す。そして、お茶ばかりで腹が水っぽいな、何かつまめるものも頼む、黒豆のシフォンケーキとか、などと指定する。
「チビナスは、このおれの好物であるオムライスまで用意して待ちわびていてくれたな。偶然新豆を持って来て、本当に良かったと思えるような可愛らしさであった」
「てめえは本当の馬鹿だ」
「ん?」
「いや、こっちの話だ。だが残念だな、今年はチビナスは空の上だ」
「ああそうか、なるほど」
ミホークは頷いた。
では今年は空の上に宅配便で一番新豆を送ることにしようか、などと呟いている。
「てめえは娘を嫁に出した実家の母親か!」
ジジイは菜箸をミホークに投げつけ、投げつけつつも自らの発言に自分自身でダメージを受けていたという。




だが事態はわりとすぐに解決した。
翌朝、ジジイが一人で朝食をとっていると、おもむろに玄関のドアが開き、サンジが戻ってきた。高いびきをかいて平和そうに眠ったままのゾロを引き摺って、入って来る。
「ち、チビナス!」
ジジイは驚いて口をあんぐりとあけた。
「おはよう、ジジイ」
ずるずるとゾロを引っ張り、サンジは居間を横切って、自室へその熟睡するお荷物を運び込んだ。そして適当に床の上へ投げ出す。それでもゾロは眠ったままだ。よほど神経が太いらしい。
「チビナス、てめえもう戻って来やがったのか」
「うん」
サンジは頷いた。
「腹減った。こいつ運ぶの大変だったぜ。何度起こしても豆の木降りてる途中だってのに寝るし、最後の方は小さくなったから担いで降りてきた」
一度寝るとなかなか起きない奴なんだ、と訴えながら、焜炉の上へ置かれた鍋を覗く。
「お、ジジイの作った緑豆スープ久し振りだな。豆の潰し方があたかも仇敵に対するものであるかのように容赦無くて、喉ごし滑らかで、すげえ美味いんだよなー、これ」
嬉しそうに自分の食器を用意している。
ジジイは苦々しく舌打ちすると、
「てめえ、出てったり戻ったりどういう了見だ。言っておくが、てめえの分の飯なんざ、用意してねえからな」
「朝飯出来てるなら、ゾロも起こそうかな、起きっかなー」
「聞いてんのかチビナス!」
「だって、おれとゾロの分のパンも、準備出来てるじゃねえか」
「……!」
べ、別にてめえらの分じゃねえ、とジジイは吐き捨てるように言った。
ジジイが昨日のうちに焼いておいた白パンは、ふかふかと豆空島の雲のように柔らかそうだった。小麦粉の香りがする。
サンジは、うんうん、と言いながら、ゾロを蹴り飛ばすために部屋へ向かった。




昨日、豆空島へ戻るとゾロは元通りの巨人に戻った。地上へ下りて来た時と逆のことが起こったのだ。
大きくなったゾロはサンジを手のひらに乗せて、またあの巨大な小屋へ連れて戻った。
雲の上を歩くゾロは、矢張りこの場所が彼の居場所なのだと実感させるに足る程、悠然としていた。彼の不在中も変わらず豆空島のいたるところに茂り緑を蓄えていた豆の木たちが、さわさわと風で騒ぎ出す。サンジは眩しそうにゾロを見上げた。
やがて豆空島に夜が訪れ、サンジは思った。


「これじゃ、ゾロとえっちできないじゃねえか」


そこでサンジは夜が白み始めるのを待たずに、ゾロを叩き起こして下界に戻って来たのだった。
と、言うことをジジイは知らぬまま、二人を罵倒しつつも食後の果物の準備を始めた。




1 2 3 4 5 6