光明寺の背後の山を総称して天照山といいます。天照大神の尊像を記主禅師感得せられたのをもって、その名を付せられたといいます。中腹に開山の良忠上人をはじめ歴代の墓所があります。また、光明寺の開基である北条経時公(法名 蓮華寺殿安楽大禅定門)の墓所があります。 天照山からの景観は、鎌倉50選にも選ばれました。
〈これからの教育は、自分の頭で考える人間づくりにある。教育に携わる人間は、大胆に思い切った教育を進める野人の中から選び、学校は寺子屋でもいいから、文部省の中央集権的な教育統制は無視すべきである〉(一部略) 鎌倉アカデミアは、こんなコンセプトをもとに昭和二十一年(一九四六)、材木座の光明寺を使用して開校されました。学長の哲学者・三枝博音をはじめ、作家・高見順や演出家・村山知義といった個性あふれる教授陣は、教育の理想を求めて、ユニークで自由な実践を大胆に押し進め、「楽しい学園」を目指し、作家・山口瞳、作曲家・いずみたく、映画監督・鈴木清順など多くの逸材を輩出。その先駆性がいま改めて見直されています。