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秩父多摩「甲斐」国立公園を振り返る



「山梨の地名が入っていない」
 山梨市は、2005年(平成17年)3月、旧山梨市、牧丘町、三富村が合併しました。
 山梨県の北部一帯の山岳地域が秩父多摩甲斐国立公園になっています。旧地域でいえば牧丘町、三富村のことですから、従前はやや距離感がありましたが、合併してからはまさに「わがまち」の国立公園となり、山梨市が誇る最大の観光資源のひとつです。
 秩父多摩甲斐国立公園は、従前は秩父多摩国立公園だったことを知らない人が多くなりました。2000年(平成12年)に「秩父多摩甲斐」に名称変更になったのです。
 秩父多摩国立公園は1950年(昭和25年)に指定され、埼玉県、東京都、山梨県、長野県にまたがっています。
 私が県庁環境保全課に在職中(1987〜1990年度(昭和62年度〜平成2年度))のことでした。自然環境保全に熱心な当時の望月幸明知事からの話として、「秩父多摩国立公園は、山梨県の面積が一番広いのに、山梨県の地名が入っていない。どうにかできないのか。」とのことでした。
 まったくそのとおりです。しからば、なんとかするように動き出すことになりました。

「甲斐」が最善
 まず、所在市町村の代表者などで構成する検討委員会をつくりました。名称は「秩父多摩国立公園名称変更検討委員会」、会長は当時の原忠三甲府市長(故人)でした。
 問題はどういう名称にするかでした。秩父多摩国立公園の県内のエリアは、旧市町村でいえば、東から丹波山村、塩山市、三富村、牧丘町、甲府市、敷島町、須玉町の北部一帯ですが、「秩父」とか「多摩」というように、当該地域全体を表すぴったりした名称が浮かびません。候補とすれば、金峰、昇仙峡、甲武信などが挙げられましたが、局地的などで採用不可。県北部の山並は奥秩父山地と呼ばれていますが、それは山梨の地名とは言えません。公園エリア全体を表す地名はあきらめ、「北甲斐」、「甲斐」を残して、語呂のいい方ということで秩父多摩「甲斐」国立公園を山梨県の案として決定しました。
 次のステップは、関係する埼玉県、東京都、長野県の理解と協力を得ることです。当時は、関係都県、市町村で構成する秩父多摩国立公園協議会があり、その会議の場などで説明して理解を求めました。そのなかで、長野県は、公園の面積は一番少なく、その多くが国有林であることから、長野県のエリアの名称は求めないとの見解もありました。
 今度は、国立公園を所管する環境庁への要望活動です。1988年(昭和63年)頃から始めたと思います。私が携わったのはここまで。
それから毎年、国への要望事項の一つに組み入れ要望活動を続けたと思います。
それが、2000年(平成12年)にやっと実りました。スタートから12年。思い出に残る仕事の一つでした。