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いささか、富士世界遺産登録に貢献


富士山周辺マンションラッシュ
 昨年(2013年)、富士山の世界文化遺産登録が実現しました。
私の県庁勤務は県議会議員の前に21年間。いろんな仕事をやらせてもらいました。そのなかで、27年前環境保全課在職中にした仕事が少なからず富士山の世界文化遺産登録に役にたったものと内心自負しています。
 バブル景気というときがありました。1986年(昭和61年)〜1991年(平成3年)をいうようです。特に土地投機はすさまじいものがあり、リゾート地はマンション建設ラッシュでした。
 富士山及び富士五湖地域は、富士箱根伊豆国立公園に指定されていますが、富士山麓の北部及び山中湖の北部などは規制の緩やかな普通地域になっており、その普通地域に86年頃からリゾート・マンションが急速に建ち始めました。特に富士山麓北部は、2合目くらいまで普通地域で、その松林の中で、樹高を超えて建築物が建てられることが懸念されました。それによって富士山の景観が壊されるのを一番深刻に考えていたのが、当時の望月幸明知事でした。望月知事は、「富士山麓のある建築物が樹海から飛び出しているのが、河口湖辺りからよく見える。これは景観破壊だ。」と憤慨していました。

富士の景観を壊すな
 87年の2月頃だったと思いますが、県庁内で会った当時の環境保全課高橋正夫課長から「異動するなら、やってもらいたい仕事がある」との立ち話があり、「使ってもらえるなら是非・・。」と返答しました。
 その年4月、環境保全課の自然保護担当に異動して、早速、普通地域内の建築物の規制の仕事に取り掛かりました。といっても、自然公園法ははじめてお目にかかりましたのでゼロからの出発です。しかし、日にちが経てばリゾート・マンション建設が進んでしまいますので、時間との戦いでした。
 特別地域内での工作物、建築物の設置は厳格に規制され許可制になっているのに対して、普通地域では建物の規制は何もできないというのが、それまでの担当者などの認識でしたから、まずそれを覆すことから始まります。
 大枠として、自然公園法の体系の中で制度化することが前提でした。また、富士山麓にあっては、樹海から建築物が覗かないようにすることでした。

制度化を急げ
 大方の見通しを立てて、いよいよ制度化本番です。抜け駆けを許さないように、届出の受理を凍結という手荒な措置をまずとりました。
 次いで、建築家の清家清さん(故人)を会長とする検討委員会を設置して具体的な検討の出発です。
 細かい検討経過はさておき、最終結論として、普通地域を富士山景観形成地域、富士五湖景観形成地域、市街地の3地区に区分し、建築物の高さ、建築面積、建蔽率などの指導基準値を設けました。
 その中で、建築物の高さについては、富士山景観形成地域では、20m以下、ただし、周辺の樹高以下、富士五湖景観形成地域では、20m以下、市街地では25m以下としました。
 検討委員会の報告をまとめるにあたって、景観保全を重視する清家会長らは、もっと規制力を強めるべきとの意見が強く、一方地元自治体関係者や議員などは強い規制に難色を示しており、最終調整が難航した経過がありましたが、先の内容でなんとかまとまりました。

「基準」諦め「指針」に
 いよいよ決裁を経て指針の公布の段階になって、当時の小沢澄夫副知事から、建築物設置に関する「指針」でなく「基準」せよとの指示があり、高橋課長は考え込みました。規制力が高いように表現したい意図です。
山梨県で検討してきた普通地域内の建築物設置に関する指針は前例がなく、自然公園法を所管する当時の環境庁自然保護局には指針の内容など、さまざまな指導を仰いできました。環境庁としては、国立公園普通地域であれば、「届出制による指導」の範囲を超えないことということでした。
 小沢副知事の指示を受けて、私が環境庁に出向いて、再度見解を確認したところ、「自然公園法と関係なくすればご自由にどうぞ。国立公園普通地域とうたうなら「基準」はだめ。そんなに規制を強めたいなら特別地域にしたらどうですか。」とごもっともな話で一蹴され、「基準」は諦めざるを得ませんでした。
 87年9月、半年弱で何とか指針の公布にこぎつけました。届出の凍結を解除すると、待っていたかのようにリゾート・マンション建設の届出が相次ぎ、担当者はその指導に大変苦労しました。
 国立公園普通地域での建築物の指導指針を数値で示したことは画期的なことであり、富士山麓の富士山景観形成地域で建築物の高さを周辺の樹高以下にしたことは、今日までの、富士山の景観保全に大きく寄与したと思います。それは世界文化遺産登録に貢献したものと考え、だいぶ前のことを思い起こして記しました。
※ この指針は、その後何回か改正されており、山梨県のホームページに掲載されています。