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平成22年12月1日
マイナスイオン
今年もあとひと月となりました。 先月末、山梨県の昇仙峡に何十年振りかに行って来ました。仙娥滝に出ていた虹、左の写真で分りますかねぇ? 「森羅万象悉有仏性」、マイナスイオンを一杯浴びて、大自然のパワーで身心を満たし、雑念を振り払い、 無事皆さまと一緒に年が越せるよう祈念して来ました。
平成22年10月15日
命とは
 「命とは 冥土の旅への暇つぶし
       いかに楽しく過ごすべくかや」なんて考えていたら、

98歳の現役医師、日野原重明先生の言葉が目に留まりました。

  「命はなぜ目に見えないか
        それは命とは君たちが持っている
                    時間だからなんだよ」

そう、命というのは自分の持っている時間なのですね、刻々と削られて
行く時間、
あとどれ程の残りがあるのかは誰も知らない。

無為に人生を過ごしていないか?
一分一秒、今を一生懸命に生きているか?
日野原医師の名言集をご参考まで。
http://www.earth-words.net/human/hinohara-sigeaki.html
平成22年9月3日
大自然のそろばんに狂いはない
9月になったというのに、酷暑の日が続いています。 地球規模での異常気象とかですが、この程度のことは実は異常でも何でもないのかもしれません。 つまり何億年のスケールで見れば今は氷河期と氷河期の間の間氷期に当たるとのこと。この間の気温の振れ方は一体どの程度なのでしょう?  人類はまずついていけないでしょうね。大自然のそろばんに狂いはないのですから、人間はだましだまし対応していくより手はないのでしょう。 それにしても、境内でちょっと作務をやっては、水風呂に飛び込んでいるこの暑さ、なんとかならないものでしょうか。とは言っても、水風呂 ではなく沐浴または水垢離(みずごり)と考えれば、生き返ったような気分になり生きていることの尊さを実感できる------これもまた修行ですね。
平成22年8月3日
アメリカのこと1
「葉月」8月入りとなりました。東南アジアが引っ越して来たような猛暑の中、皆様お元気にお過ごしでしょうか。 さてまた、敗戦記念日が近づいて来ました。戦争を知らないこの和尚が1987年に初めて米国のロスアンジェルスに降り立ち、レンタカーを借りてフリーウェイに出たとたんに、びっくりし たのは片側が8車線もあったことでした。そこに溢れるように走る車・車・車、その圧倒的な物量!!!---開戦の1941年頃はどうだったのかは知りませんが、彼我の力の差は歴然としたものがあった筈です。 しかし、一般の日本国民でそれを知っていたのは何人いたでしょうか。 「民は依らしむべし、知らしむべからず」だったのでしょう。あの戦争の結末は悲惨なものとなりました。 65年も経っても今だに、数々の後遺症を引きずっています。 インターネットの時代になって、情報は溢れていますが言葉や理屈だけでなく体を使って認識することも大切です。「百聞は一見に如かず」です。
平成22年7月1日
パワースポット

お勤めの行き帰りなのか、よく当院に黙ってお参りされていたお若い方(今風にいえばギャル)。最近になってお守りを求められました。 聞けば期間社員として近くで働いていらしたが、期間切れ雇い留めとなったとか。その間宝くじによく当たったり、今回も次の勤め先を探すのにたいした苦 労もなくすぐに就職が決まったなどーーー彼女にとって当院はパワースポットだったそうです。 勤め先が変わって、もう気軽には来られなくなるので、せめてお守りでもとの由。 当寺の境内に足を踏み入れた瞬間に何か「気」を感じるとおっしゃる方が時々います。 唯物論者には決して分らない、何か眼に見えないパワーがあるようです。 そういえば、この和尚も毎日パワーを頂いているようなーーーー。 皆さんも、My Power Spotをお持ちでしょうか?

平成22年6月1日
お大師様の言葉1

仏教とはもともと「人間はどのように生きるべきか」を命題とした学問です。 決してお葬式を行うために生まれた教えではありません。 お釈迦様も、その答えを求めるべく出奔されたのは、皆さまもご存じのとおりです。 真言宗祖弘法大師(空海)は、その著「般若心経秘鍵」で「それ仏法遥(はる)かに非ず、心中にして即ち近し、真如外(ほか)に非ず、身を棄てて何(いづく)にか求めん」 つまり、正しい信仰に目覚め、一心に修行を重ねれば、その人の人間性は限りなく高まり、ついには生きながらにして仏と等しい境地に登ることができる。 これをお大師様は「即身成仏」と呼ばれました。 一人一人が自覚をもって真理に目覚め、慈しみと智慧に満ち満ちた世界が実現すれば、それが即ち仏の世界、悩み苦しみ迷いのない曼荼羅絵図の世界=密厳浄土であると。 人間の可能性に賭けた教えとも言えますが、私たちはどこまで自覚できているのでしょうか?

平成22年5月1日
人生の楽しみ即精進
経営者・科学者・芸術家・職人・料理人などその道を極めた一流とみなされる人たちの言葉には、本人たちが気付いているかどうかは知りませんが、何か仏教的な雰囲気があります。苦労しているのだけれど、楽しんでいるというか。
人生の楽しみは、ひたすらな努力、精進の中にこそ潜んでいるんでしょうね。
仏教詩人・坂村真民さんの詩に
           「最高の人とは
           この世の生を
           精いっぱい
           力いっぱい
           命いっぱい
           生きた人」
とあります。
私たちも、精いっぱい力いっぱい命いっぱい生きた人でなくては味わえない楽しみ、即ち「精進」の中の楽しみを味わい尽くす人生を過ごしたいものです。
平成22年4月1日
煩悩即菩提
今日から新年度。新しい生活を始める人も多いことでしょう。 さて仏教は人間の煩悩(=欲望・迷い)を否定し、「悟り」を求める教えと一般には理解されているようです。 しかし悟りを求めようとすること自体が欲望であり煩悩でもあるとも言えます。一方、菩提とは「悟りを開いた仏の境地=涅槃の境地 」または「智慧に満ちた無上の悟り」です。純な欲望ならばそれを達成しようとする煩悩は清らかです。そして滅すべきはその達成を妨 げようとする、余計な煩悩です。こう考えると煩悩には善い煩悩と悪い煩悩があると言えます。善い煩悩に満ち満ちて生活を送れば 菩提に到達できるでしょう。これを密教では「煩悩即菩提」と称します。皆さん、純真な目的をもって全力で頑張っていれば、幸運の 「きっかけ」はやってきます。意欲(=善い煩悩)に満ちた生活を始めましょう。
こちらもどうぞ
平成22年3月1日
初午会式

特別厄除祈祷で
授与される「だるま」さん
今年は3月の9日が3月の初の午の日ですので、前日の8日 を宵の宮(よみや)と称し8日9日の2日間、厄除け祈願の「初午会式」を開催します。誰で もその人生が全て順調ということはあり得ません。大なり小なり厄年というものが巡って来ます。ちなみに厄年というのは、2月3日 の星祭りのページを見て頂くと分るのですが 「黒星」の年がすべて厄年となります。中でも数え年で男25才・42才・61才、女19才・33才・61才の時を「大厄年」と云い特に 厄難にあう恐れが多く忌み慎まねばならぬ年とされ、その前後の年も前厄・後厄といって恐れられています。代理参拝も受付けますので、 どうぞご参拝下さい。
平成22年2月1日
寅と毘沙門天
今年は「寅」年、寅は毘沙門天のお使い。 毘沙門天は仏法守護、福徳・財宝の神です。
干支の相場格言では、「丑」つまずき、「寅」千里を走り、
「卯」跳ねる・・・と言うそうです。 "「丑」つまずき"は何か昨年の世相をずばり言い当てているような気がします。 "「寅」千里を走り"は後に「千里を還る」が続く様ですので "「卯」跳ねる"の来年に向かって、じっくり準備するのが今年の心構えかと思う次第。 世の中の景気回復を願って、今年は毘沙門天への祈りを特に懇ろにしましょう。(写真は当山の毘沙門天です)
ご真言は 「おんべいしらまんだやそわか」です。

平成22年1月1日
無名の南軍兵士の祈り
『大事をなすための力を与えてほしいと神仏に願ったのに
従順さを学ぶようにと弱い人になった

偉大なことができるようにと健康を望んだのに
より善きことができるようにと病弱さを与えられた

幸せになるために富を求めたのに
賢くなれるようにと貧しさを授かった

人々の賞賛を得ようとして力を求めたのに
神仏の必要を感じるようにと弱さを授かった

生活を楽しもうとあらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと生命だけを授かった

求めたものは何も与えられなかったが
願ったことはすべてかなった

こんな私なのに、

声に出して言わなかった祈りもすべてかなえられ
私は誰よりも豊かな神仏の祝福を受けた』

年の初めに「自分の人生を振り返ってみる」のにヒントとなる言葉ですね。

ばほうざん れんこういん はつうまでら

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