空色の花 4
・・・終わるんだろうか・・・ここで・・・
湿った地面に伏せながら、ぼんやりと考える
案外・・・あっけなかったな・・・
覚悟は・・できている・・・
終わる時は・・・終わるんだ・・・
誰でも・・・・
悪寒で震える身体から、力を抜いて、乱れのない最後をせめて迎えたい。
忍びとして、死を恐れる訳にはいかないのだから。
・・けれど寒い・・・
身体が勝手に震えるんだ・・・
暖かいものが欲しい・・
明るくて・・・暖かいものが欲しい・・
最後だっていうなら・・・・・
なんで私は・・・欲しいと言わなかったんだろう・・
生きているのに・・・私も・・・あの人も・・・
同じ・・・時間の中にいられるのは・・・こんなにも・・
わずかなことだったのに・・・
───────死にたくない
まだ・・・生きている・・・
生きているあいだは・・・
しがみついてやる
・・もがき苦しんでもいい・・泥にはいつくばって・・みっともないと笑われたってかまわない
もうすぐこの世界から自分がいなくなってしまう
考えることすらできなくなってしまう
・・・苦しむことすら・・・できなくなってしまう
ぎりっと震える歯の音を噛み締める。
指先までの感覚を、全ての力を使い切るように確かめた。
「・・止めを刺さなくても・・・いい・・のか」
利吉は下腹に力を込めて、低い押し殺した声で、見えない敵を誘った。
しかし・・・闇から応える声に、利吉は驚愕した。
「おや、まだそんな所に潜んでいたんですか」
聞き覚えのある声。愁葉だった。
「手ごたえはありましたから、遅かれ早かれ時間の問題と思っていましたしね。あなたは気配を消すのが本当にお上手だ」
「やはり・・敵に寝返っていたんですか・・愁葉さん・・」
「寝返る・・・?私が公恵を裏切っていると?そんな疑い が私には掛けられていたんですか・・心外ですね」
「・・・裏切りでなければ・・何故・・」 「利吉どのは須郷の機密を手に入れた。私が手にする事ができなかったのにね」 「あなたは・・・あの屋敷を調べようともしなかった」
「当然でしょう。何故私がそんな危険な事をしなくてはならないんです。私は草です。命令がなければ、このまま 須郷の城で下働きをして生涯を終えることだってできる。 公恵が滅びれば好都合なのはその通りですよ。須郷がなくなればまた違う城で草として生きる。命令は絶対だ。抜けることだって出来ない」
「・・・・」 「あなたが情報を持って帰れば、私の命があやういでしょう?余計なことなんかしなければ良かったんですよ」
愁葉の声は近い。しかし油断は見せず巧みに場所を特定させない。
利吉は苦内を強く握って、好機を待った。まともに打てるとは思えなかった。けれど、何もせず、このまま果てる訳にはいかなかった。
「・・・・・鬼火・・」
一瞬の事だった。人の輪郭が、青白く利吉の前に浮かびあがった。それは鬼火のように、ゆらりと利吉に近付こうとしていた。
渾身の力を込めた一投が、愁葉の喉元に突き刺さる。
「・・・・がっ!」
愁葉は刀を利吉に振り下ろそうとして届かず、地に崩れた後わずかに悶えて、動かなくなった。
眩しいものが視界に入って、利吉は目を細めた。
厚く垂れ込めていた雲が強風で途切れ、山端にかかりはじめた丸い月が、音もたてずに世界をほの明るく照らしていた。
利吉は愁葉の遺体を調べた。自分の使う毒の解毒剤くらいは持っているはずだ。それらしき物が見つかって、利吉は迷う暇もなくそれを飲み下した。
しばらく身動きもできず、利吉はぼんやりと月を眺めていた。
どうして・・・月と鬼火を見間違ったりするだろう
薬が効いてきたのか、汗がどっと流れ、身体が熱くなってくる。ふらつく身体を起こしてみると、なんとか歩けるようだった。向かう先は東だ。今は迷う心配も無い。
忍びには光り足と厭われる明るい月が、利吉の進むべき道を静かに照らしだしていた。
なすべき事をなして、決められた報酬をきっちりと受け取って、そのまま寄り道もせず、利吉は学園に向かった。
速足に峠あたりの山の日差しは暑いくらいで、浅葱に芽吹く樹木の木陰が青く心地よかった。
「利吉くん」 「お久しぶりです土井先生。・・・約束のお茶をいただきに来たんですが、入れていただけますか」
「・・・うん、私の部屋でもいいかな」
土井半助は利吉を自分の部屋に通すと、戸棚から薬一式をとりだした。
利吉は申し訳なさそうな顔で、黙って半助に怪我の手当をまかせていた。
素肌に触れる半助の手の感触。
真剣に手当をする半助の表情を盗み見て、何故だか今自分が生きていることを素直に実感できた。
「お茶もいいけど、利吉くんお腹空いてないかい?」
「じつは倒れそうです」
取る物も取らずに夢中でここへ来たので、そう言われて自分が空腹な事に気が付いた。
「じゃあここに持ってこよう。ちょっと待っていて」
半助の声をうっとりと聞いて、利吉はただただ幸せだった。
ほどなく簡単な膳をもって、半助が戻ってきた。
白いご飯と湯気の立ったお味噌汁。それに御菜がいくつか。
腹は減っているのだが、半助が前に座って自分を眺めているので、胸もお腹も何だかいっぱいな気分になってしまう。利吉は味噌汁に少し箸をつけた。
「・・・・・美味い」
味噌の味がはらわたに沁みた。
「味噌汁が何で美味しいか、利吉くん知っているかい?」
「・・・・?何故なんです?」
半助を見ると、いたずらを仕掛ける子供みたいな顔で利吉に笑いかけている。
「それは味噌汁が生きているからなんだよ」
「味噌汁が・・・生きてるんですか?」
利吉は椀の中の、薄茶色い汁をじっと見つめた。具は菜っ葉だけ。箸を置いて、両手で包むように椀の中を無心に見続けた。
「・・・・ああ・・・本当ですね」
手のひらに、トクン、トクンと規則的な振動が伝わってくる。
手のひらが確かな鼓動を椀に与え、それをまた自分の手のひらで感じているのだ。汁の表面が、同じ鼓動で僅かに脈うっていた。
半助はにこやかに笑っている。
伝えたい事がたくさんあった。
あなたに出会えて、苦しい想いをした事を
その辛さが生きる味わいだと知った事も。
「今回の仕事では、色々あったんです」
「そっか」
利吉の怪我を見れば、どの程度の事があったかは半助なら分かる。半助は利吉の忍びの腕は十分に評価していた。
「でもそれで、一つ分かった事があるんですよ」
「何だい?」
何処か悟ったところを感じさせる若者の成長ぶりに、半助は優しかった。
「私は・・・あなたが好きです」
「・・・・・へ?」
半助は一瞬きょとん、とした顔をした。こういう所は無性に可愛い。でもこの人はこれだけで無いところが侮れないのだけれど。
「それだけは伝えたいと思って、戻ってきたんです」
できるだけ落ち着いてそう告げた利吉は、それでも自分の胸の鼓動の煩さに冷や汗をかいていた。
驚いたまま言葉を返してくれない半助の方を見られなくなって、利吉は目の前の食事をなんとか片付ける。
「御馳走様でした。あの・・・父に挨拶をして帰ります。次の仕事がありますので。あ、食器は片付けますから」
「またこの後も仕事なのかい、また山田先生に仕事のし過ぎだって叱られるんじゃないか?」
半助が何か言ってくれて、利吉は少しだけ安堵した。
「そうかも知れませんね・・・でも、進んでゆくしかありませんから」
闇夜に道を見失っても、今の自分なら迷わないでいられる。
一つ何かを突き抜けた感じが利吉を支えていた。こんな感覚を重ねて、大人になってゆくものなのかも知れない。
「待っているから、あまり無茶をしないで帰っておいで」
「土井先生・・・・」
さっぱりと片付いた小部屋に、障子越しの暖かな陽が差し込む中、利吉は立ったまま、土井半助を見つめていた。
柔らかな物腰。けれど芯の強さを感じさせる張りのある声。明るい眼差しは、それでもどこか、悲し気な潤いを感じさせる。
「帰ってきます・・・・あなたの元に・・・何度でも帰っ てきます。待っていていただけるんですね」
「まあ、お土産を期待しているからね」
「は、はい」
生真面目に返事をする利吉に、半助は吹き出した。
「冗談だよ、お土産なんかいいから、ちゃんと無事に帰っ ておいで・・・って、利吉くん?こ、こら」
気が付くと、利吉は半助をぎゅっと抱き締めていた。
「・・利吉くん」
「すみません・・・もう少しだけ、こうさせていて下さい」
肩口に顔を埋めて、半助を包むように抱き締める。
半助は子供をあやすように、身動きのとりにくい腕で利吉の背中をぱたぱたと軽く撫でていた。
暖かくて明るい春の光りが、心の中にも満ちてくるようだった。
なんでもっと早く、こうしなかったんだろう。
命の瀬戸際でしかつかめない事もあれば、こうして触れてみなければ分からない事もある。
生きている事は驚くべき発見の連続だ。
きっと次に帰ってくる時、また先に進んでいる自分がいる。それはきっと、新しい半助との出会いでもあるのだろう。
「土井先生・・・」
自分をいつまでも離そうとしない若者を、半助は甘やかしてあげている。その甘さに含まれる苦みを、今の利吉なら味わう事ができる。
「今も一つ分かった事があるんですよ」
「何だい、利吉くん・・・」
「・・・土井先生は・・・太陽の匂いがするんですね」
その輝きが本物であると信じられるから、また無明の闇に迷っても、進むべき道を間違えたりなんかしない。
帰る場所が分かっているから・・・
利吉はまた、新しい旅への一歩を踏み出してゆく
そうやって旅立つ利吉の後ろ姿を、半助もまた、まぶしそうに見送るのだった。
了
|