空色の花 3




須郷城主の屋敷は本当に近づく事すら困難だった。本丸の方は、連日訪れる使節などでかえって侵入が果たしやすい。

公恵の使節も何度か訪れている。

城主の屋敷に訪れる人間はかなり限られていることが分かったが、それだけ知るのにかなりの日数を費やしてしまい、もうあまり時間がなくなってしまっていた。
あと数日で公恵と須郷の同盟調停が行われるため、家臣達は戦と同等の支度を整えている。
愁葉も昼は城の下男としての仕事から離れられない。利吉はぎりぎりまで粘った。



それが分かったのは、偶然でもあった。
城主の屋敷に出入りする人物の中に、利吉の見た事のある男の顔があったのだ。忍びである。今は公恵の背国、問題の動きをしている国で仕事をしているはずだった。

利吉はその事を愁葉と伝令係の老人に告げると、屋敷を本格的に調べるべきだと愁葉を説得しようとした。

「私は反対ですね」
「何故です!愁葉さんがするべき仕事と思うから協力を仰 いでいるんです」
「この時期に問題を起こす事自体がまずいでしょう。公恵 の背国の使者意外にも、公恵の隣国の使者や忍びが来る のは良くあることです」
「分かりました・・・私一人でも仕事は果たします」
利吉は動こうとしない愁葉に苛立って、鋭い視線をつきつけた。
「捕まっても決して、こちらの情報を漏らさないでくださ いよ」
「・・・・分かっています」

つかみ所の無い愁葉の表情に、利吉は初めて冷たい感情らしきものを見てとった。



戦国の世の闇夜は、真の闇だ。だが、城は明日からの隊の出発に備えて一晩中真昼のように篝火が焚かれている。同盟調停に赴くというよりは、まるで合戦の出陣のようだ。城主も今夜から本丸に移っている。

利吉は予感めいたものがあって、本丸を探ることにした。人の出入りがある分、こちらからの方が探りやすい。
「やはり・・・・」

毒を盛られたのだろう。公恵の使節の遺体が地下牢に隠されていた。丁寧に着物も変えてあるが、使節の顔は覚えている。
須郷は本気で調停式の場を合戦とするつもりらしい。公恵の背国が同じ日に公恵に戦を仕掛けるのは本当なのだろう。

時間が無い。利吉は遠慮なく、何人かの須郷の忍びを始末した。

肉を斬る嫌な感覚も最近では慣れてしまっている。 屋敷の隠し戸棚は、頻繁に使われていたせいで見破りやすい僅かな木目の痛みがあった。密約書は無かったが、作戦図と走り書きの入った地図が見つかった。それだけあれば十分だった。

追っ手はすぐにかかった。仲間の血の匂いに気づかない忍びはいない。
利吉は愁葉に連絡をとるのをあきらめて、町中に逃げ込んだ。伝令係の老人に後の手配を頼むつもりだった。

だが・・・追っ手をまいて忍び込んだ細工物屋の店には、嫌な匂いが立ち込めている。
「・・・・・!」
あの人の良さそうな老人は、どす黒い血にまみれて、冷たく固くなっていた。
屋敷で自分が手にかけた忍びの小さな呻き声が、聞こえた気がした。
僅かでも親しんだ者の死も、あの忍びの死も、そして自分の死も、領域なんか無く、差別も別け隔てもない。

終わりはやってくる。

誰の上にもだ。




利吉は走った。
町の火が遠くなる。小さな手提灯の明かりを頼りに山路を取る。


闇夜だった。


夜を厚く覆う雲は、星の輝きを通さず、照り返すべき町の火影も持っていない。

手元の明かりがなければ、顔の前にかざした自分の手すら見えない暗黒の夜だった。

深く呼吸をするように吹く風は、足音を上手く消してくれる。

夜が明ける前に、公恵の領内に入っておきたかった。明日には両陣営が出発する事になる。作戦が漏れたとしても、須郷は戦を仕掛けてくるだろう。だが、公恵にもいくつか手を打つ余裕ができる。
背国の動きから、もう公恵は大体の事は掴んでいるはずだ。対処はしているのだろう。
自分がたどり着かなくても、状況は変わらないかもしれない。
だが忍びとして、仕事は果たさなくてはならない。何を犠牲にしても、それだけが今の自分になすべき事なのだ。
一人の力で一国を救うなどと自惚れていない。ただ自分の仕事をするばかりだ。それすら果たせないのでは、何のために多くの命が掛けられたのか分からない。
味方にしても敵にしてもだ。



「・・・・!!」
山の狭間の狭い平地に差しかかった時、するどい痛みと共に手提灯が何かに叩き落とされた。地に落ちた衝撃で火は消えて、急激な闇に包まれる。

利吉は咄嗟に大きく跳んで茂みに身を伏せ、息を殺しながら風音を利用してゆっくりとその場から移動した。

今のは灯火を狙ったのではない。明かりを持つ人間を狙ったのだ。
相手の気配の殺し方は忍び以外のなにものでもない。利吉ははっきりとした自分の血の匂いに焦りを感じた。

多分毒が塗られていたのだろう。身体に痺れた感じが回りはじめた。傷は胸と、右手首のあたり。利吉は血を流すにまかせていた。

気配を気取られないように解毒薬を口に含んだが、手持ちの薬で効くものか、今は判別がつかない。

この道は裏街道だ。道の行程も大体分かっている。闇夜とはいえ方向さえ分かれば、公恵にはたどり着けるはずだ。だが・・・利吉は今の攻撃を受けて、方角が正確に捉えられなくなっていた。風もこの場所では渦を巻いて、方向感覚を狂わせる。

(敵の人数は・・・須郷の追っ手の待ち伏せがこんな所に まで・・・?・・油断したな・
・・)

解毒薬は効いてくれないようだ。息が苦しい。相手の気配が動かないのは、こちらが確実に弱るのを待っているからなのだろう。闇に目を凝らしても、自分の手すら見えなかった。
時折、谷間に吹き込む風が重々しく木々を揺らす。

幻覚でも見そうなくらい、頭が朦朧としてきた。

今まで与える側だった死・・・が、自分の上に重くあらがい難くのしかかっていることを、利吉はどうしようもなく実感していた。

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