久遠の鎖  瀬戸なみ子

 平安篇

時は平安――。

俺の名は安倍鷹久。陰陽師見習い。といえば聞えはいいが実質は見習いという名目の居候だ。

身分が全てのこのご時世、生まれた瞬間に未来は決まってしまう。

身分の高い家に生まれればよほどの馬鹿じゃないかぎりかなりのとこまで出世ができ
るが、身分が低けりゃいくらできが良くて死にもの狂いでがんばっても出世のみこみ
はあまりない。

そんな世の中で唯一、素質と才能にさえ恵まれれば身分の低い生れでも
出世の可能性があるのが陰陽師。

というやつで俺の居候先でもある賀茂保憲様の屋敷には毎年十数名
もの少年達が見習いとしてやってくる。

ただし、五年修業して見込みが無ければ破門となる。

そんななか、俺が七・八年も見習いでいられるのは、他人から見れば幸運で
しかないだろう人間関係という鎖のせいだ。

 俺の亡き父と保憲様は親友どうしでその縁で俺と兄の二人は両親の死後この屋敷の
世話になっている。そのうえ、叔母の泰子様は総領息子の乳兄弟で今はこの屋敷の家
司を務め屋敷の人事権なども握っている実力者。かててくわえて俺と違ってこの方面
の才能があった兄は、今では都でも保憲様に次いで一・二を争う実力の持ち主なの
だ。

こういった人間関係の中、早々に陰陽師としての才能に見切りをつけ他に生きる
術を見つけたいと思っている俺の思惑をよそに他人からは恵まれているとしかみえな
い万年見習いの日々を送っていた。

「ありがとうございました」
その娘は実に艶やかな笑みを浮かべて俺に頭をさげた。
「いや、それより怪我はないか?」

俺は刀をおさめながら尋ねた。偶然、北高野の森でごろつきに囲まれていた彼女を助
けたのだ。
「私はここ北高野の長者、造麻呂の娘で蛍。と申します。あの…あなた様は?」
「あっ…俺は安倍鷹久。見習い陰陽師だ」

名乗ってから、あぁと気づいた。それが表情にでたらしい、蛍が不思議そうに小首を
傾げた。

「噂を思い出した。北高野の長者の娘に凄い美女がいるって。君の事だな」
「鷹久様もその噂を知ってますのね。では続きもご存知でしょう?文に返事もよこさ
ぬ傲慢な女って…」
「回りの連中がよく噂しているんでね」
「だって顔も性格もわからない人と結婚しようなんて気が知れませんわ。鷹久様はそ
う思われません?」

「う〜ん。俺も嫌だけど。貴族の結婚というのはそういうものらしいからな。ところ
で、その様というのは止めてくれないか。どうも落ち着きが悪い。鷹久でいい」
「では、私の事も蛍と呼んで下さい」

そして、にっこりと笑う。とても笑顔の似合う娘だった。

それから俺達はしばしばこの森で会うようになった。蛍は噂に違わず美人で明るくて
そして高貴な身分の姫君方に劣らぬほど博識だった。

俺は蛍といる時が一番楽しかったし彼女もまた俺といる時が一番好きだと言ってくれ
る。俺達が恋に落ちるのにたいして時間はかからなかった。他愛ない話に笑い、戯れ
のようにくちづけを交わす。俺達は初めて会った高野の森で逢瀬を繰返した。
だが、幸福は長くは続かなかった。数ヶ月後、俺達の恋は思いもよらぬ事件で一方的
に終止符を打たれた。

時の今上帝が急に北高野に行幸したのだ。春の陽気に誘われたのなんだのと理由はつ
けられているが早い話、お上の耳にまで蛍の噂が届いたという事だ。噂に惹かれて行
幸とかこつけて蛍に会い、噂にたがわぬ美貌と教養に惚れこんだ。というのが真相だ
ろう。身分上、女御とするわけにはいかないものの更衣として入内するよう、その日
のうちに蛍の家に申し入れがあったという。

まあ、申し入れといえば聞えはいいが早い話が命令である。

国の最高権力者に逆らえる訳がない。蛍一人なら断ったかもしれない。

だが、彼女もそのために親を犠牲にはできないし、俺も俺自身の事で兄や恩あ
る賀茂家に類がおよぶような事はできない。まるで三文小説のヒーロとヒロインのよ
うな立場になってしまったが、現実は物語のように助けもこなければどんでん返しも
起こりはしない。

そのうえ入内する事が決まってからは蛍の回りには常に護衛の衛士
が付き、俺達は別れのときまで慰めあう事すら許されなかった。

蛍が入内して十日が過ぎた。俺はここ二・三日、蛍と会っていた森の中の池の辺でな
にするでなくぼんやりと時を過していた。女々しいといえば女々しいのかもしれない
が、いきなり逆らう事もできない相手に最愛の女性を横からひっさわれたショックは
そう簡単には消えてくれない。

ぼんやりと水面を眺めていた俺は、近づく人の気配に刀の柄に手をかけて振り返っ
た。

「今日もこんな所にいたのか」
「兄上――」

物柔らかな動きで姿を見せた兄に俺は複雑な表情をむけた。俺と違い何でもそつなく
こなす兄が俺は少し苦手なのだ。そんな兄に今のどん底状態の自分を見られたくな
かった。

「蛍殿のことは気の毒だがどうしようもないよ。いつまでも落ち込んでないで元気に
なっておくれ」
慰めてくれるが、それがかえって今の俺には煩わしい。それに…気のせいか兄の言葉
に意地の悪い波動を感じるのだ。

「無理です。そう簡単には忘れられません」
「困ったね…」

兄の口元が薄っすらと笑みを掃く。瞬時、浮かんだ表情に兄の本心が透けて見えた。
「風がでてきた。今日は戻ろう」

手を伸ばしてきた兄から逃げるように、俺は一歩後ずさる。
「なにを考えているんです?兄上。それとも…なにをしたんですか。と、お尋ねした
方がいいですか?」

俺の言葉に兄は驚いたように目を開いた。もっとも、その表情は悪戯を見つけられた
子供のような顔だ。

「何もしてはいないよ。おまえは、なにか勘違いをしているようだね」
「そうでしょうか。俺には、兄上が何か楽しんでいるようにみえるのですが。俺達
の…俺と蛍の仲をーー」

「邪魔などしてはいないよ」
俺が言い切る前に兄は否定の言葉を紡ぐ。その余裕たっぷりの姿を俺は黙って睨み付
けた。
「本当だ。だが…そうだな。私も少しは素直になった方がいいかな」

そういって薄っすらと笑みを浮かべた兄に俺は無意識にあとずさった。何故か背筋に
悪寒が走る。

「なにを脅えてるんだ、鷹久。神明に誓って私はなにもしてない。でも今回の事、喜
んではいるよ。私はあの娘を憎んでいたからね」
「何故です。蛍が兄上になにかしたというですか?!」
「……………」
「――兄上!!」

気色ばんで叫ぶ俺の手首を兄が掴む。一見、華奢に見えるのに思いのほか強い力で引
寄せられ兄の胸に抱き込まれる。
「あの娘は私からお前を横取りしようとしたのだから」
「えっ?」

意外な言葉に驚いて顔をあげると、驚くほどまじかに兄の顔があった。
そして―――。
俺はきつく抱きしめられたまま唇を塞がれていた。舌先でゆっくりと唇の形を巡り歯
列を舐めまわす。
「くっ…ん…っ…」

息苦しさに耐え切れず僅かに開いた隙間から兄の舌が侵入し我が物顔で口中を蹂躪す
る。
「や…やめ…てください。兄上!!」
ようやく唇を離し、俺は叫んだ。悔しいかな足が震えて兄の腕の中が逃れられない。
「なぜ?」

俺には不思議そうにきく兄の真意が分からない。
「何故って…俺達は血をわけた兄弟なんですよ!!」
「そう思ったから今まで耐えた。その結果がこれだ。危うく蛍なんて小娘に横取りさ
れるところだった。鷹久、私はもう良い兄を演じるのはやめるよ」

兄の右手が俺の首筋をゆっくりと撫であげる。悪寒ともなんともつかない何かが背筋
を駆け上る。反射的に身体を竦めた俺に満足げな笑みを見せ、兄は俺の身体をその場
に倒した。

「なっ…な・な・なに…するんですか!兄上!!」
思わず大声を上げた俺の口を片手で優雅に塞いで兄が耳元で囁く。
「大声を出すものではないよ、鷹久。供人達が驚いて駆けつけてくるだろう」
「じ…実の弟にこんな無体な事をしてるのを見られたら兄上の名声に傷がつきます
よ」

精一杯虚勢をはって脅してみる。
「私は気にしないよ、そんなもの」
あっさり言われて、俺は追詰められた。俺は気にする。こんな状況を他人に知られる
なんて、考えただけでも背筋が凍る。固まってしまった俺に笑いかけ、兄は俺の衣を
脱がしはじめる。

「やだ…や…めて…」
喉が引き攣ってうまく声がでない。胸の突起をちゅっと吸われ、俺は反射的に背を反
らした。今までこうだと思い込んでいたのとまるで違う兄の姿に混乱し、どうすれば
この状況から逃げ出せるのか考えられない。兄に触れられるたびにびくびくと反応す
る己の身体をもてあまし俺はただ喘いでいた。

「ひゃっ!」
いきなり身体を返され腰を抱えられて後庭を舌で舐められ俺は情けない声をあげた。
「な…なに…?」
「本当はお前の可愛い顔を見ながらにしたいが、初めてのお前にはきついだろうから
ね」
それなら、兄上は経験有りなんですね。とか言う茶々を入れる余裕など俺には無い。