◆野外学校の生い立ち 1976年(昭和51)に『北極圏12,000キロ単独走破』を終えた植村さんは、旅の苦楽を共にしたエスキモー犬のうちの二頭をおびひろ動物園に寄贈したことが縁となり、その後、毎年のように帯広・十勝を訪れ多くの人と親しくなりました。そして、1983年(昭和58)に帯広を訪れたときに、『南極犬ぞり旅行』が終わったら「この日高山脈が見える十勝のどこかに野外学校を開いて、自分が体験した技術や知識を若い世代に継承していきたい」と語っていました。
しかし、それから半年後の1984年(昭和59)2月、『厳冬期のマッキンリー世界初登頂』を果たした直後に消息を絶ち、帰らぬ人となってしまいました。
無念でならない帯広の人たちが中心となり、「植村さんの夢を受け継いだ野外学校を作ろう」ということになり、1985年(昭和60)8月に『植村直己・帯広野外学校』が開校しました。
これ以後、毎年夏・秋・冬には青少年を対象とした野外学校を開校し、卒業生は1400名を超えました。また、1988年(昭和63)には、全国の皆様からいただいた寄付で丸太造りの研修棟・シンボルタワーが完成、さらに機能と施設の充実を図っています。 植村さんと帯広は、こちら
◆野外学校の目標 植村直己・帯広野外学校は、ウエムラ・スピリッツ(=植村さんの心)を学び、近づくことを理念とした活動を行っています。
【自主と自立】 野外学校は、生徒たちに伸びやかで心を打つような〈遊び〉を提供する。でも、待っていれば与えられるわけではない。自分たちの手で遊びと生活を築くのだ。手助けは、ほとんどない。
【協 調】 植村さんの単独冒険は、多くの協力に支えられていた。遭難でさえ、捜索活動を招いたことにより、ついに個人的行為であり得なかった。野外学校は、支え合わなければ食事もできない生活を通じ、個人が常に社会の一員であることを知る場として運営される。
【自然との対話】 野外学校の基地に立つと、自然の息づかいが感得される。小鳥のさえずる優しさだったり、吹雪のしゅん烈さだったりする。私たちは、山の急斜面をあえぎ登り、せせらぎに魚を追うだろう。自然に耳を澄ますことが、私たちのテーマだ。
◆野外学校の活動 野外学校では、「自然に触れ」「自然に学び」「きびしい自然の中で、どう生きのびるのか」を学びます。この実践が青少年を対象とした『サバイバルキャンプ』『自然探験学校』『冬の冒険学校』です。また、親子や一般を対象とした、自然やアウトドアに親しんだり体験することができる『親子のための野外学校』などのプログラムも開催しています。
野外学校では、ボランティアスタッフを募集しています こちらです
植村直己・帯広野外学校は、皆様の善意と野外学校の趣旨に賛同したボランティアの手によって運営されています。