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植村直己・帯広野外学校の歴史(1)

野外学校開校前夜(1983年)〜10周年(1995年)まで
野外学校ができるまで
1983年8月15日、帯広空港に降り立った植村さんは、開口一番「今回は、ぜひお願いしたいことがあってまいりました。」ときりだした。年令的にいつまでも冒険を続ける訳にはいかない、これからは自分が今までに体験してきたことを青少年のために役立つ事として、 野外学校をやってみたいので適当な場所を探してほしい。山があって、川があって、1町歩位の畑のあるところが望ましいという主旨であった。とりあえず「岩内自然の村」を見てもらう事となった。時あたかも“戸塚ヨットスクール”のシゴキが大きな話題になっていた時で、「暴力で人間を更生させようなんてとんだもない、人権無視も甚だしい。」と語気を強めて憤り、そんなことよりも「厳しい自然の中で、どうやって生きて行くかを体験することの方が意義がある。」と力説していた。

 「岩内自然の村」を見てもらったが、植村さんは「いい所ですね。」と一言いっただけで、どうやら植村さんの意には適わなかったようでしたので、他に適当な場所を、探すことを約束した。
 その夜は、夕食前に「平原まつり」の盆踊りに参加したが、空腹を我慢して30分近くも踊ったが、 踊り方は踊り始めと同じで一向に上達していなかった。
 翌16日、帯広市長を表敬訪問し、野外学校を開校したいと熱心に説いた。その時、当時の田本憲吾帯広市長は、喜んで協力することを約束した。しかし、その時点での実現の時期は、双方とも植村さんが南極横断冒険旅行成功後を想定していた。

 帰京後、植村さんは野外学校開設の準備を意図したのか、米国、ミネソタ州にある野外学校「アウトワード・バウンド・スクール」へ向かい、生徒として入校しようとしたが、有名人の植村さんは犬ぞりのインストラクターとして過ごした。
 そして、1984年(昭和59年)1月、この野外学校を出てアラスカのマッキンリーに挑戦し、2月12日、世界初のマッキンリー冬期単独登頂に成功、翌13日登頂成功を伝えた後消息を断った。

 植村さん遭難確定の報道に、全国的な捜索資金のカンパが始まった。帯広でも資金をカンパしようとの声があがり、4月18日に植村直己帯広会が設立された。
 しかし、間もなく残念ながら植村さんの捜索は断念された。全国から集まった捜索資金も潤沢にあり、その時点で帯広での資金カンパは意義を失った。そこで、カンパの目的を植村さんの顕賞事業資金に変更することとなり、募金活動は続いた。顕賞事業をどうするか、議論百出の結果1985年(昭和60年)1月25日、おびひろ動物園に植村直己記念館「氷雪の家」が開館した。開館式の後、植村さんゆかりの人達が集まり、第1回野外学校を語る会(参加者21名)を開催し、植村さんの野外学校への想いを確認。3月9日、文芸春秋社の湯川編集長来帯を機会に第2回野外学校を語る会(参加者18名)を開催した。

 その後、5月16日に帯広市文化スポーツ財団と野外学校の事務局体制について協議したが、財団側に事務局担当の意志なしと確認、6月22日の第3回野外学校を語る会(参加者9名)において、有志による開校を決意し、正式に「野外学校実行委員会」の設立準備委員会を発足させた。
 時を同じくして、八千代中学校の移転改築の情報があり、その跡地を野外学校として活用できないかについて、6月29日、広野山岳会及び地域住民と懇談、跡地利用のメリットを確認。7月19日、帯広市教育委員会と跡地利用について協議、7月30日、帯広市と帯広市教育委員会に旧八千代中学校跡地を野外学校の基地として利用したい旨要請。帯広市としては、任意団体に直接貸借することはできないので、地域振興事業の一環として地区の団体に貸与することとし、11月1日、八千代・広野地区再開発推進協議会を発足させた。
 一方、活動資金について、7月30日、植村直己帯広会に協力要請し、野外学校実行委員会を植村直己帯広会の事業部会と位置づけ、百万円を助成することが承認された。
 
 7月13日、第2回設立準備委員会。7月16日、第3回設立準備委員会。7月22日、第4回設立準備委員会(参加者9名、会則・役員・事業計画「植村直己サバイバルキャンプ」等について検討)。8月9日、第5回設立準備委員会(代表幹事会)の開催、ついに8月20日、結成総会において「植村直己・帯広野外学校実行委員会」が設立された。(中村悟)
第1回野外学校からログハウス竣工まで(1985.9〜1988.2)

1985年 (昭和60) 
9月7日〜8日 第1回野外学校『サバイバルキャンプ』
44
  植村公子名誉校長、広島廸則植村直己帯広会会長、多くの関係者、生徒51名、指導員28名、他に多数の報道関係が参加しての盛大な開校式となったが、あいにくの雨。雨中での火起こし、炊飯、テント宿泊、夜中には水浸しとなってテントの移動など、惨劇となり、「ウエムラ・スピリット」の過酷さを思い知らされた。
11月2日〜4日 第2回野外学校『自然探験学校』33
 雪の帯広岳登山、すき間だらけのテントでの宿泊はとにかく寒かった。
◇1226日 「どんぐりの夢」創刊号発行
 植村公子夫人より百万円の寄付をいただき機関紙を発行することとなった。

1986年(昭和61年)
◇1月23日〜2月4日「植村直己冒険の軌跡展」
植村さんの冒険の数々を紹介する写真展が全国各地で開催され、帯広では入場者2万1千人を越える大盛況。会場は藤丸・カルチャーホール。
2月1日〜2日 植村直己「耐寒教室」

氷まつりに協賛して、タウン8広小路の路上で、ドーム型テントで1泊。
◇2月7日 ログハウス建設委員会発足
 研修施設の必要性を痛感し、ログハウスの建設を検討することとなる。
2月15日〜16日 第3回野外学校『冬の冒険学校36
 初めての雪洞での宿泊、真っ暗になってもなかなか完成しない。やっと出来上がったが酸欠が心配、通気口として煙筒をつけた。
◇2月16日「植村直己をしのぶ会」
 雪山に遺影を飾って全員で黙祷。
◇4月 「どんぐりの夢」2号発行 
◇6月3日  映画「植村直己物語」公開あいさつのため 西田敏行、倍償千恵子が来訪。
◇6月14日 シンボルマーク決定
 青空に白い山、麓に緑の樹、植村さんと自然を象徴する(表紙参照)。制作者 奥野淳一氏
◇7月 「どんぐりの夢」3号発行
◇7月20 丸太造りのトイレ完成
◇7月27日〜28
 福岡から「ちびっこ一人旅」が来訪し、スタッフの指導のもとで、 基地でキャンプ。
8月2日〜3日 『第1回全道野外活動指導者講習会』
 長谷川恒男氏を講師に招いて、彼の登山へのきっかけ、登山学校の活動内容、ロッククライミングの装具、扱い方等の講義を受ける。翌日は芽室町の採石場の岩壁を利用して実際に訓練を受ける。
8月3日〜7日 第4回野外学校『サバイバルキャンプ』46
 植村公子名誉校長も5日〜8日まで参加、今回も天候には恵まれなかった。
◇9月27日 インディアンテント組み立て
 俳優西田敏行氏より寄贈された直径8m、高さ8mの巨大なインディアンテントの組み立て。
◇11月 「どんぐりの夢」4号発行
11月1日〜3日 第5回野外学校『自然探験学校』52
 戸蔦別川上流のピリカペタン沢で、放流したニジマスを手作りのヤスで捕獲しようとしたが、ほとんどは自然に戻ってしまった。 この行事から、ザイルワークの基礎訓練が始まる。

1987年(昭和62年)
◇1月 「どんぐりの夢」5号発行
1月10日〜12 第6回野外学校『冬の冒険学校』34

 2日目の朝、温度計はマイナス28℃。しかし、雪洞の中は4℃前後と快適だった。
◇2月13日 「植村直己をしのぶ会」
◇4月15
 実行委員会を「植村直己・帯広野外学校」に改組、大きく会則の変更を行い、体制を整える。
◇5月23 ログハウス校舎建築地鎮祭(着工)   神主さんを呼んで、田本帯広市長、広島植村直己帯広会長、田代校長による鍬入れ式。
◇6月 「どんぐりの夢」6号発行
8月1日〜5日 第7回野外学校『サバイバルキャンプ』63
 今回より、参加経験のあるAコースと、初心者のBコースを設定。Aコースが、のちに上級コースに発展。岩登り、竪穴住居作り、登山などを体験。
◇9月23日 ログハウス校舎上棟式
  同日、基礎訓練施設検討委員会発足(校舎の工事に合わせて、ザイルワーク、岩登りなどの基礎訓練ができる施設の検討を開始)。
1031日〜11月1日 第8回野外学校『自然探験学校』29
 ピリカペタン沢でキャンプ。プラネタリウムのような満点の星空に感激。本格的な岩登りに取り組む。
◇11 「どんぐりの夢」7号発行
◇11月 北沢会員が管理人住宅へ入居

1988年(昭和63年)
1月9日〜11 第9回野外学校『冬の冒険学校』30
  初日は雪洞作り、2日目は5kmのコースを歩くスキーで八千代牧場へ。昼食は特製ソーセージ。夜は冬の星座観察。3日目は雪中運動会。
◇1月31日 ログハウス校舎完成
◇2月 「どんぐりの夢」8号発行
◇2月20日 校舎竣工式
 兵庫県日高町長、植村公子、湯川文春編集長、安藤文春写真部次長、帯広市関係者、大口寄付者等多数が参列。祝辞、棟梁の本山義光氏に感謝状贈呈などのセレモニーが盛大に。

 

◆ログハウスができるまで◆

 植村直己・帯広野外学校が設立されて間もなく、熊代弘法先生から「八千代中学校の跡地を借りてはどうか」との話をいただいた。八千代中学校がどこにあるのかも知らなかったので学校を見に行ったが、すでに学校は移転したあとで、古ぼけた校舎と教職員住宅そして比較的新しい体育館があった。

 早速、教育委員会と交渉したが「老朽校舎の建て替えで移転新築したので、建物はすべて取り壊すのが原則」と我々の要望はいかにも迷惑そうだったが、我々の趣意は理解していただいた。

 我々としては、旧校舎は無理にしても何とかして体育館と教職員住宅の何棟を残して欲しいと主張したが、新校舎建設が補助事業で行われたため、どうしても旧校舎と体育館は取り壊さざるを得ないとのことで、何回かの交渉にもかかわらず、学校用地全部と住宅三棟だけを帯広市から借り受けることとなった。ただし、任意団体の植村直己・帯広野外学校が直接借り受けることは出来ないため、便宜上「八千代・広野地区再開発推進協議会」を設立し、帯広市はこの協議会に貸与し、さらに野外学校が借り受けることとなった。

 八千代中学校が取り壊された跡は、ただ広い広場になってしまい、野外学校最初の行事「サバイバルキャンプ」では、テントや移動トイレを借りたり準備に多忙を極めた。当日の開校式は生憎の雨だったが、雨宿りする所もなく悲惨なキャンプとなった。

 この経験から、野外学校にとって何が必要なのかの論議が始まった。まずトイレの建築が最優先され、本山さんの奮闘でログの立派なトイレが完成、その出来上がりに感動し、テープカットまでして後日の笑い話となった。

次の目標は、研修施設の建設だった。野外学校の敷地は確保したものの、ログのトイレがシンボルでは様にならない。何としても「ここが野外学校だ」と言えるようなシンボルが欲しい。ならば野外学校らしくログハウスにしたいが、先立つものは資金である。どのくらいのお金を集められるかが論議の中心となった。三百万、いや五百万は集められるだろうが、一千万は無理。とすればお金のかからない建て方は?、そんなお金のない話から、丸太を縦に使い、すき間に粘土を詰めては、などなど珍案がでたが施工予定者の本山さん(野洲校長のログハウスやログのトイレを建てた経験から、校舎建設は本山さんに決めていた)から「そんな建築工事なら、私は降りる」と言われ、結論はでなかった。

 そんな時、一級建築士の後藤薫さんが設計した図面が披露され、図面を見た一同は「すばらしい」の連発だった。ちなみに建築費は九百万円だった。だれもが「すばらしい」の次に頭に浮かんだのは「そんな大金を集められるか」だっただろう。しかし、この案を努力目標にして募金活動をやって見ようという意見に反対する人はだれもいなかった。そして臨時総会でも全員一致で承認された。

 さて問題は、募金の方法である。並の募金のやり方では九百万もの大金は集まらない。いくら植村直己さんの知名度が高くてもそう旨くはゆくまい。何か変わった募金方法を考えなくてはと頭をひねった。

 ふと頭にひらめいたのが「丸太一本、一万円募金」だった。その根拠は、当時カラマツの丸太が一本六千円と言うのが相場だった。六千円の丸太を一万円では高いという意見も出たが、四千円は手間賃だと無理やりこじつけたが、結果的には原木の皮むきだけで一万円は妥当だったと思う。

 早速、報道関係にこの案の記事報道を依頼したところ、大いに共鳴してくれて全国に報道され、大きな反響があった。

 第一番の寄付者におびひろ動物園からエスキモー犬を買っていただいていた旭川医大の美甘教授夫人から「エスキモー犬のえさ代にして」と動物園に寄付申し込みのあった十万円をこの基金に寄付していただくようお願いし、それ以前にも野外学校の運営資金にと寄付のあった二十六万円余りを建設資金に組み入れた。その後、続々と寄付が相次いだ。また、一万円は無理だが、自分のお小遣いからと言って千円〜三千円を寄付していただいた小学生もあり感激した。最終的にはおよそ、個人三百六十人の方から九百万円、企業・団体九十件で六百万円、総額約一千五百万円もの浄財をいただいた。

 お陰様でログハウスの他に、訓練施設や五右衛門風呂まで建設できた。 

 今考えるとバブルの最盛期だったことがいかにも幸運だった。

(中村 悟)

ログハウス竣工から開校10周年まで(1988.2〜1987.5)

1988年(昭和63年)
2月20日〜21 『第2回全道野外活動指導者講習会』
 竣工したてのログハウスで最初の行事。 講演は今村源吉道教育大名誉教授の「野外活動への勧誘」、吉田邦子会員(道教育大釧路分校)の「冬の遊び」。ほかに、各地で野外活動に参加している人たちの事例報告やイグルー作り体験。
5月4日〜5日 『春の山道を歩む会』15
 親子で参加できる行事として、この年から「春の山道を歩む会」「野草を喰らうつどい」「秋の山道を歩む会」「高山植物観察会」の年4回の行事が新に追加されることが先の総会で決定。その第1弾が「春の山道を歩む会」。親子連れやグループなどが参加し、春の旬を満喫。
5月22日 『野草を喰らうつどい』24名  
 一般参加行事第2弾!春の野草を、おひたし、テンプラなどにして味わい、豪華!羊の丸焼きも。
◇6月 「どんぐりの夢」9号発行
6月19日 『高山植物観察会』30
 アポイ岳の高山植物を観察しながら登山。午後7時に帯広で解散。ちなみに天候は・・・・ 
7月30日〜5日 10回野外学校『サバイバルキャンプ』66
 今回から6泊7日に期間を延長。期間中の8月2日〜3日には東京都体験学習生と合同キャンプ。東京都の参加者、生徒100人+引率者20人。
10月8日〜10 11回野外学校『自然探験学校』30
 「帯広川の源流を探る」をテーマにワラジを履いて沢登りに挑戦。
◇10月「基礎訓練施設完成」
1112日『秋の山道を歩む会』27
 拓成地区の林道を、ヨブスマソウで作った熊よけのラッパを吹きながらの散策。梶さん初登場。

1989年(平成元年)
◇1月 「どんぐりの夢」10号発行
1月14日〜16 12回野外学校『冬の冒険学校』28
 宮本氏(新十津川町在住)の協力で犬ぞりも体験。期間中NHKが密着取材。
◇1月26日〜31 植村直己写真展「男にとって冒険とは何か」
 氷まつりに協賛し、 藤丸カルチャーホールで開催。総入場者数 5.000人。 
2月11日〜12日『第3回全道野外活動指導者交流会』
 活動事例紹介、情報交換とイグルー作りの実技講習。
5月4日〜5日『春の山道を歩む会』
◇5月4日 田代理事長急逝
◇5月 「どんぐりの夢」11号発行
5月21日 『野草を喰らうつどい』
◇6月 五右衛門風呂完成
7月29日〜4日 13回野外学校『サバイバルキャンプ』53
 このキャンプから上級コースを設定。
1014日〜15 14回野外学校『自然探験学校』35
  戸蔦別川でイカダ作り。 イカダの上にいるよりも、水中の方が長かった参加者も多数。
11月4日〜5日 『秋の山道を歩む会』

1990年(平成2年)
◇1月 「どんぐりの夢」12号発行
◇1月6日 佐柄・安池会員結婚式(基地)
  両者は前年のサバイバルキャンプで知り合い、その後急展開でゴールイン。ログハウスを式場に、野洲校長と植村公子名誉校長の媒酌で風変わりな結婚式。
1月13日〜15 15回野外学校『冬の冒険学校』58
 クロスカントリースキーと犬ぞりを体験。
2月11日〜12 『第4回全道野外活動指導者交流会』
 「O..S活動について」(講師 鎌田晴之氏)の講演とザイルワークなどの実技訓練。
5月5日〜6日 『春の山道を歩む会』43
5月20日 『野草を喰らうつどい』62
6月18日 『高山植物観察会』(アポイ岳92
◇7月30日〜8月1日 石川県少年団体リーダー国内研修。イカダ作り、沢歩きを体験。
◇8月 「どんぐりの夢」13号発行
8月2日〜8日 16回野外学校『サバイバルキャンプ』52
 一般コースは登山、ザイルワーク、イカダ作りなど、上級コースは自分たちで食料計画をたてて買い出しへ。あとは山中での生活。山さんデビュー。
◇1017 「植村直己記念連絡会」出席者との懇親会
1020日〜21『第5回全道野外活動指導者交流会』並びに『秋の山道を歩む会』
 舟津圭三氏を講師に南極の話を聞く。 
◇1021日 植村公子・舟津圭三囲む懇親会
11月3日〜4日 17回野外学校『自然探験学校』35
 中札内村ヌーナイの里に前進基地を設けての自然観察。11月の行事はとても寒い。

1991年(平成3年)
1月13日〜15 18回野外学校『冬の冒険学校』25
 今回から冬の上級コースを新設。
5月5日〜6日 『春の山道を歩む会』43
 ピョウタンの滝から札内川沿いを散策。前夜に降った雪が消えず、「雪の山道」となる。
5月19日 『野草を喰らうつどい』28
◇6月16日 拓成湖カヌー練習場完成式
6月23日 『高山植物観察会』(アポイ岳)92
8月1日〜7日 19回野外学校『サバイバルキャンプ』30
9月7日〜8日『第6回全道野外活動指導者交流会』
 東川町在住の渋谷氏を講師に迎えてカヌーの基礎講習。初体験のため“沈”が続出。
9月21日〜23 20回野外学校『自然探験学校』32
 初めて本格的にカヌーを取り入れたプログラム。最終日には、拓成湖横断リレーも。
11月3日〜4日 『秋の山道を歩む会』3

1992年(平成4年)
1月11日〜13 21回野外学校『冬の冒険学校』27
  一般コースは基地周辺で、上級コースはトッタベツヒュテ周辺で山スキーなど。
◆3月18日「指導員講習会」開始
5月3日〜4日 『親子で歩く春の山道』50
 今回から改称。雄馬別地区の林道散策。
5月17日 『野草を喰らうつどい』29
6月26日 『高山植物観察会』76
 大雪山系緑岳の高山植物観察。残雪が多く、ほとんどは「ユキノシタ」でした。
7月30日〜5日 22回野外学校『サバイバルキャンプ』47
 今回から上級コースは文字どおりのサバイバル。自分たちの装備を背負って、約25km日高山脈に分け入ったところに前進基地を設営。小屋掛け、食料調達など、自給自足の生活を体験。
9月5日〜6日『第7回全道野外活動指導者交流会』
 テーマは前年につづき、カヌーの基礎応用編。
9月26日〜27日 『親子カヌー教室』5
1010日〜11日第23回野外学校『自然探験学校』30
 カヌーがメインプログラム。戸蔦別川の激流に挑んだ上級コースの参加者の中には、数百メートルも水の中を流されたものもいた。植村公子名誉校長来訪。 

1993年(平成5年)
1月9日〜11 24回野外学校『冬の冒険学校』21
 期間中の最低気温はマイナス10℃と、 やや暖かい。 一般コースは雪不足のためテント生活。上級コースは自分たちの食料買い出しののち、基地から15km山奥でキヤンプ。最終日は午前3時に荷物を背負って、スキーで基地まで戻ってきました。
1月23日〜24日 『親子で楽しむスキーと犬ぞり』10
 初めての行事。どんころ野外学校で、帯広百年記念館佐藤学芸員を講師に、クマゲラの食痕やクロテン、エゾシカなどの足跡を観察しながら歩くスキー。 
5月2日〜3日 『親子で歩く春の山道』32
 2日目は大雪となってしまいました。
5月16日 『野草を喰らうつどい』29
6月20日 『高山植物観察会』42
 豪雨のため目的地をアポイ岳からトムラウシ温泉霧吹きの滝に変更。
7月29日〜4日 25回野外学校『サバイバルキャンプ』37
 今年は雨のほかに寒さも!前進基地では朝の気温はプラス4℃、日中も10℃前後と、夏とは思えない天候。結局、十勝幌尻岳登山も悪天候で断念。
◇8月29日 舟津圭三氏来訪
9月4日〜5日 『第8回 全道野外活動指導者交流会』
 どんころ野外学校のスタッフを講師にカヌーの基礎・応用編。
9月11日〜12日 『親子で楽しむカヌー教室』10
  初日は拓成湖で基礎訓練。2日目には戸蔦別川での激流にチャレンジ。
10月9日〜10 26回野外学校『自然探験学校』27名 
 カヌーが中心のプログラム。上級コースは1泊2日で十勝川下りに挑戦。
◇1120日 植村公子名誉校長来訪
 藤原・加賀谷会員の結納のため。カヌーで十勝川下りも体験。

1994年(平成6年)
1月15日〜16日 『親子で楽しむスキーと犬ぞり』22 
2月11日〜13 27回野外学校『冬の冒険学校』10
 拓成湖のほとりに前進基地。雪が少なかったため、雪洞の上部はブルーシートとなり、マイナス23℃は少々こたえた。(指導員用雪洞が製作途中で崩落)
◇3月19 10周年記念事業検討委員会発足
◇3月27日  諌山(吉田)邦子会員結婚式
◇4月  「どんぐりの夢」 発行
◇4月9日  「植村直己冒険館」 オープン
 兵庫県日高町。野洲校長・中村事務局次長が出席。
5月3日〜4日  『親子で歩く春の山道』20
5月15日 『野草を喰らうつどい』41
6月20 『高山植物観察会』39
 アポイ岳。野外学校にしては珍しく好天。
◇6月26 拓成湖カヌー開き
 植村公子、 白石紘次郎氏来訪し、カヌーに挑戦する。ヨットの達人も、カヌーには悪戦苦闘。
7月28日〜3日 28回野外学校 『サバイバルキャンプ』27
  記録的な猛暑のなか、上級コースは伏美岳登山を中心としたプログラム。一般コースは十勝幌尻岳登山、オリエンテーリング、食料調達、川遊びなど。
9月10日〜11日 『親子で楽しむカヌー教室』23
◇9月17 藤原・加賀谷会員結婚式
 野洲校長、植村名誉校長の媒酌、野外学校ログハウスで挙式。
10月8日〜10 29回野外学校 『自然探験学校』19
 伏美岳登山をメインとしたプログラム。赤く色付いた木々を眺めながら、強風のなか全員登頂。
1023 『第9回全道野外活動指導者交流会』
 帯広百年記念館 池田亨嘉学芸員を講師に迎えネイチャーゲーム講習会。

1995年(平成7年)
1月13日〜15日 第30回野外学校『冬の冒険学校』21名
上級・一般コースともトッタベツヒュッテを前進基地に。雪不足のため雪洞作りは断念したが、歩くスキーなどに挑戦。
2月11日〜12日 『親子で楽しむスキーと犬ぞり』12名
◆5月3日〜4日 『親子で歩く春の山道』

 家族・グループなど32名が参加。札内川沿いの散策、カタクリの群落観察、食べられる野草の採取、野草調理など盛りだくさんな“春の自然”を楽しむことができた。
5月21日 『野草を喰らうつどい』

7月2日 『高山植物観察会』
 まだ雪が残る大雪山系・赤岳(2078m)に登山しながら、コマクサ、エゾイソツツジなどを観察。参加者68名の大部隊となり、今後の同様行事の募集定員に課題を残す。
◇7月15日 指導員テキスト発行
 数回の指導員による検討会を経て冊子にまとまる。表題は「習うより慣れろ」内容は技術論が中心。
31回野外学校『サバイバルキャンプ』

 今回のサバイバルは、開校10周年を記念し、通常プログラムの一般コースのほかに、「十勝縦断徒歩」コースを開催した。
7月28日〜8月3日=一般コース
 地元・十勝をはじめ、札幌、北見、山口県などから14名が参加。登山は今年も雨で断念したものの、魚釣りやザイルワークを体験。
7月28日〜8月5日=十勝横断徒歩コース
 十勝の北端、三国峠から襟裳岬までの220kmを8泊9日で歩き通したのは6名。これに野外学校スタッフとサポート隊の大学生が随行した。1日平均3035キロの道のりを時速4〜5km、1時間歩いたら10分休むペースでゴールを目指した。原則は“野営・自炊”。天候にもおおむね恵まれ、最終日の午前11時5分、襟裳岬に無事ゴールインすることができた。
8月27日 開校10周年記念式典
 野外学校には珍しくスカッとした青空の下、野外学校基地を会場に開催。植村公子名誉校長をはじめ、兵庫県日高町、東京板橋の植村直己記念財団、大塚博美氏、中尾正武氏など植村さん縁の来賓、野外学校と関わりのある方々百余名が出席し挙行された。式典後の祝賀会では、羊の丸焼き、搾りたての牛乳、ワインを堪能。
◆「シンポジウム 野外学校の過去と未来」
 同日、ログハウス前に日よけのテントを張って、板橋・日高・帯広の活動や運営内容、植村さんが目指していた野外学校とは、今後などについて語り合った。ちなみに、当日の様子を録音したテープは、セミの声にかき消されがちな会話が…。それほど天気のよい真夏の一日だったということ。

◇8月25日〜27日 「写真展 野外学校10年の歩み」
 帯広百年記念館を会場に10周年記念写真展を開催、3日間で280名の来場者。
◇野外学校10周年記念誌「10年の歩み」刊行

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