日記 
                 
                         【2006年1月1日〜 】


 12月29日
 情報(8月〜12月分)の整理、更新作業終了
 「佐倉本新刊案内 平成14・17・18年」「佐倉本 著者一覧」「郷土資料 著者一覧」「佐倉市民本新刊案内 平成17・18年」「佐倉市民本 著者一覧」「図録・報告書」「著者検索」「一般雑誌一覧」「漫画本」更新。
 「郷土雑誌一覧」は、該当資料がなかったため、日付のみ更新。
 どうぞご利用ください。なお、次回の更新作業は、平成19年8月を予定しています。来年も、みなさまの情報をお待ちしています。

 ☆☆☆
 過日、映画好きの某市役所の人と映画の話をしていたら、「うちの息子が映画NANAのロケが志津で行われたときに、現場で見ていた」そうである。確証が得られました。


 12月28日
 〈発信 K2さんへ〉
 K2さんへ。
 探索依頼のあった広田彬について、ホームページに掲載したところ、えりっぷさんから下記のメールが届きましたのでお知らせします。

 以前「広田彬」さんのことを調べていたかたがいらっしゃいましたよね。時間があるたびにパソコンであれこれ調べていたのですが。国会図書館検索でひっかかりました。
 このサイトは中身の説明が割りと詳しいのでときどき利用するのですが、著者に「広田彬」といれると2冊でてきました。一冊は『北総匝瑳郡野手邑内裏塚碑和祭之記」といいます。
 内容まではわかりません。明治16年刊で出版地は佐倉町となっています。館主さまならおわかりでしょうか。検索してみてください。原本は古書店にあるようですが、もしかしてこういう古書はどこかで保管されているのでは?とりあえず気がかりをなくすためメールしちゃいました。ごめんなさい。こんどこそよいお年を。図書館があくのが楽しみです。

〈発信 えりっぷさんへ〉
 ありがとうございました。さっそく、K2さんに連絡をし、またホームページに掲載しました。手がかりがつかめましたので、しばらく時間をいただければ、何か探せると思います。よいお年を。

 12月27日
 みなさんからいただいた情報(8月〜12月分)を整理、更新作業中。

 ☆☆☆
 えりっぷさんからメールあり
 このホームページで色々取り上げていただいて、単なる自己満足のたのしみだけだった「調べること」が、人の役に立つたのしみに変わりました。ありがとうございました。
 勝手なメールにいつもいつも丁寧に受け答えいただいてとてもうれしかったです。今日で年内の仕事納めです。また来年なにか見つけましたらメールさせていただきたいと思います。一年間ありがとうございました。よいお年を。

 〈返信〉
 こちらこそ、いろいろな情報をいただきましてありがとうございました。来年も情報をお待ちしています。よいお年をお迎えください。


 〈おしらせ〉
 文中に誤字あり。「日本の中の佐倉紀行」。村山郡を村山群と表記。訂正しました。
 ホームページの引用にあたっては、ホームページに示した文は目安としていただき、実際の利用にあたっては自身で原本を確認してください。

 12月26日
 みなさんからいただいた情報(8月〜12月分)を整理、更新作業中。

 12月25日
 みなさんからいただいた情報(8月〜12月分)を整理、更新しています。

 12月24日
 えりっぷさんからメールあり
 佐倉丸のことですが、移民関係から探ってみたところ見つけました。山田廸生(やまだみちお)著「船にみる日本人移民史」中公新書1998年刊にのっていました。
 「第一章明治・大正期の移民船 ペルー移民第一船佐倉丸 」の項目に「佐倉丸は日本郵船の船である。2953総トン。1887(明治20)年に英国で建造された鋼製汽船で、日清戦争のときに政府が購入し、戦後払い下げられたものだ。船名はそのころ歩兵第二連隊があった千葉県の佐倉にちなんでいる。日露戦争中に旅順港閉塞作戦で自沈し、壮烈な最期をとげた。」(53頁)佐倉です!

 〈返信〉
 ごくろうさまでした。ありがとうございます。来年の満開佐倉文庫情報大賞候補ですね。

 12月24日
 ホームタウン佐倉さんからメールあり
 こんばんは。御礼が遅くなりましたが、先日のオフ会の節はお世話様になりまして有難うございました。テッチャン会員が多く、お蔭様で楽しい半日を過ごすことができました。
 ただテッチャンにはよくてもそちらに話題が偏り過ぎると関心のない方々からは、オフ会を敬遠されそうですので、反省しています。他の皆様にご参加いただくためには、「佐倉と文学」というような主題を決めて、参加を呼びかけてはいかがでしょうか。
 雑談の場を設ければ、その他の部門に興味のある方にも楽しんで頂けるかと思います。

 〈返信〉
 ありがとうございました。来年は取り入れたいと思います。それから、たまには文学散歩などもすると、別な司書さんの参加もあるかも知れないですね。外に出ることも考えましょう。

 12月24日
 市川市にお住まいのK2さんから初メールあり
 こんにちは。はじめてお便りいたします。しかし、実は以前からだいぶ満開佐倉文庫さまにはお世話になっておりました。遅ればせながら、いつも素晴らしい場を提供してくださっていることに心から感謝申し上げます。
 また、今後とも、是非、この活動を続けて下さるよう祈念いたしております。
 さて、早速で御無礼かとは存じますが、実は幕末から明治に掛けて活躍した佐倉出身の「広田彬」という人の情報を求めております。こちらで掲載していらっしゃる電子小説の中にも登場しているようなので、元佐倉藩士なのは間違いないとは思うのですが、いかんせん、どこからどのように調べたらよいのかが分かりません。
 近いうちに、佐倉に参りまして、市立図書館に籠もってみたいとは願っておりますが、なかなか機会に恵まれません。
 もしも、お手数でなく、ご存じのことがあれば、御教授していただけないでしょうか。また、「広田彬」に詳しいお知り合いがいらっしゃいましたら、何とかご紹介いただけないものでしょうか。
 初めてのお便りで、重ねて図々しいお願いばかりを申し上げて恐縮です。ご不快の折は、何とぞ御読み捨て下さいませ。

 〈返信〉
 はじめまして。満開佐倉文庫を運営している亀田雄岳と申します。いつも、当ホームページをご覧いただきまして感謝しております。
 さて、お尋ねの「広田彬」について。
 1、小説「御くら花」に出てくるストーリーは水澤氏が考えたもので、どのような出典から書いたものかわかりません。ご指摘を受けて、ここに出ているのかと気づいたしだいです。
 2、私自身、広田彬がどのような活躍をしたのか把握していません。そのため、広田については調べていません。
 おそらく、調べている人はK2さんしかいないと思います。
 3、幕末の藩士の名前については、『印旛村史 近世』の第3巻(であったか)に、掲載されています。これを見ると、幕末時の役職がわかります。これは市川市の図書館にもあるのではないかと思います。
 4、広田彬が、どのようなことをやった人物であるのかということがわかれば、調べる糸口がつかめるかも知れません。佐倉のことなので、協力したいと思います。

 ホームページをご覧のみなさまで、ご存知の方がおりましたら連絡ください。

 12月23日
 昨日の飲み水の続き
 佐倉の飲み水が描かれた小説があります。
 司馬遼太郎『胡蝶の夢』一(1979年7月 新潮社)「渡辺弥一兵衛は、一家をあげて歓待してくれた。すぐに番茶が出たが、『佐倉の自慢は殿様と水でございまして』という口上がついた。なるほど水がいいために茶が格別にうまいように思われた」(174頁)

 佐倉の水は利根川の水とブレンドするまで、とてもおいしい、まろやかな水でした。

 ☆☆☆
 えりっぷさんからメールあり
 久しぶりに、図書館のホームページを開いたところあらたに「仲町つれづれ〜佐倉図書館通信〜」という項目が誕生してました。不定期ということですが、なんとなくうれしいですね。

 <返信>
 私も、さっそくのぞいてみました。図書館周辺の話が綴られており、参考になります。みなさんもどうぞ。


 12月22日
 佐倉市水道部では水道事業の創業30周年を記念して、ペットボトル飲料水「おいしい佐倉の水」を1万本つくりました。これは佐倉の地下水でつくった水で、とてもまろやかです。
 市役所が開いている日の12月28日まで、水道部の窓口で希望者用に2000本が配布されています(一人1本のみ)。私も、さっそくもらってきて、試飲しました。この水を飲んだだけでは、どの程度のものかはわかりませんが、脇に水道水を置いて比較すると、その差に驚きます。いやぁ〜、佐倉の地下水っておいしいですね。試飲したい人は、お早めにどうぞ。
 ラベルには前後2枚の写真がついています。佐倉城址公園のと、紅葉です。

 12月21日
 昨日の内容、訂正。
 「インターネットで佐倉山を検索したら、いろいろ出てきましたね」と記しました。検索できた件数は多いのですが、佐倉と名前のついた山は、福島県舘岩村の八総地区にある佐倉山(通称八総佐倉山)と、塩ノ原地区にある佐倉山(通称塩ノ原佐倉山)、奈良県にある小佐倉山、北海道士幌町にある佐倉山系だけでした。佐倉と名前のつく山は少なかったのです。ほかにあったら、教えてください。
 特に八総佐倉山は福島県の「うつくしま百名山」に選ばれるほどの名山だそうです。さて、山は素人の私が、これをどのように満開佐倉文庫に掲載しようかと考えています。
 素朴な疑問として思うことは、何で一つの村に、同じ名前の山が二つもあるのだろうかということです。しかも、八総地区にある佐倉山の標高は1073m、塩ノ原地区にある佐倉山の標高は1157mというりっぱなものです。これがわかりません。
 また奈良県にある小佐倉山の近くには、大佐倉山がないのだろうか、などと他愛もないことを思います。どなたかご存知でしたら教えてください。やはり地名辞典やインターネットで出てこないような話が一つでもほしいですね。

 12月20日
 Kさんからメールあり
 ホームページ、拝見いたしました。ありがとうございました。
 本当に「佐倉本」、蓄積されてきましたね。今年8月、会津・高杖高原に泊まりました。佐倉山というのが二つありました。そういえば、地名事典で調べようと思っていたのですが、すっかり忘れていました。

 <返信>
 「船」の後は「山」ですか。わが「佐倉」にこだわらなくても良いということになると、いろいろな「佐倉」が出てきそうですね。
 山といえば、北海道の士幌町にもありました。佐倉情報とは分けて、掲載することもいいかも知れませんね。でも、地名辞典で全国の佐倉山がいっぺんに調べることができるなら、満開佐倉文庫で収集する意味もなくなるのではないかとも思っています。いずれにせよ、少し考えて見ます。
 ちなみに、インターネットで佐倉山を検索したら、いろいろ出てきましたね。南会津にある佐倉山(八総佐倉山)は、「さくらやま」と呼ぶのではなく、「さぐらやま(やそうさぐらやま)」と濁るそうです。参考になりました。

 12月19日
 Kさんへ。
 過日、Kさんから「佐倉丸」は佐倉から付けた名前ではないかという話あり(「佐倉本情報」12月14日に収納)。遅くなりましたが、佐倉丸の話を書きます。
 私が佐倉丸のことを知ったのは、平成9年4月2日付けの読売新聞「編集手帳」で、「1899年(明治32)の、あす4月3日、ペルー・リマの外港に日本郵船の佐倉丸が着く。新潟、山口、広島などから日本移民第一陣790人が乗っていた」という記事を見たことです。
 この佐倉丸が、わが佐倉と関係がありやしないかと思い、さっそく日本郵船に問い合わせてみましたが、よくわからないということでした。

 木津重俊編『日本郵船100年史』(1984年9月 海人社)に出ている佐倉丸は、明治20年に建造され、明治29年に陸軍省から払い受けたものとなっています。建造時、陸軍省で「佐倉丸」と名前をつけたのであれば、日本郵船に聞いても名前の由来はわからないということになるでしょう。
 陸軍といえば、第一師団の第二連隊が佐倉に駐屯していましたから、地名から付けた名前と期待したくなるのですが、推測の域を出ません。ここでは、断定をしないでおきましょう。
 この佐倉丸は、日露戦争時に旅順港の入り口を塞ぐための船(第三次旅順口港閉塞隊)の一隻に選ばれ、自沈しました。
 佐倉丸は、この自沈した船のあと、再び佐倉丸と名付けられるU世が誕生します。この佐倉丸がKさんの話される船です。こちらの方は、『七つの海で一世紀』(日本郵船創業100周年記念船舶写真集)に出ています。
 本によれば、竣工は1940年(昭和15)3月。ニューヨーク線に就航とあります。ところが昭和16年1月陸軍に徴用され、防空基幹船に指定されます。そして、高射機関砲8門で武装、磁気機雷に対する防雷銅帯を船体周囲に装着し、マレー半島コタパルの上陸作戦に参加。
 17年3月1日、ジャワ島北西部バンダム湾で上陸作戦中、水雷艦艇の雷撃を受け沈没とありました。
 新旧の佐倉丸は、いずれも戦争で沈んでしまった船でした。

 12月18日
 えりっぷさんからメールあり
 お正月番組のCMが流れる時期になりましたね。テレビ朝日で1月6日、7日に「白虎隊」が放映されるようです。
 私は両親の故郷が会津なので小さいころから田舎にかえるたびに、史跡を見物させられていましたので、大変身近な題材です。
 今年はさらに興味深く見れると思います。館主さまの「明治に生きた佐倉藩ゆかりの人々」を読んで「会津で自刃した佐倉藩士」として、小柴小次郎のことを知ったからです。
 ドラマに登場するかどうかはわかりませんが、そういう人がいたという思いで見ようと思ってます。

 <返信>
 私も興味がありますのでチェックしておきましょう。西洋医学を学んだ松本良順は江戸を脱出して会津に行きます。そして、病院となった藩校日新館で陣頭指揮をします。その辺のところが出てくると佐倉の人にとってはありがたいですね。
 江戸時代、佐倉と会津の関係は面白いものがあります。これは、後日、書くことにしましょう。それから、小柴小次郎のことも、駕篭舁さんの論文がありますのでコメントをしたいと思っています。

 ☆☆☆
 Uさんからメールあり
 僕のライフ・ワークのひとつに真田幸村の研究があります。それでなんでも真田幸村や真田家の事が載っている本を集めています。
 先日、懇意にしている古本屋に立ち寄った時、「真田の事が載っているから」という店主の言葉に、研秀出版「グラフィックカラー日本の民話18歴史伝説<南関東・中部・東海・北陸>」の巻を購入しました。
 「真田三代記」がテーマでしたがあまり珍しい写真もコメントもなかったのですが、100円という値段で買ってしまいました。その本には「佐倉宗吾の怨霊」という民話が載っています。

 <返信>
 ありがとうございます。「佐倉宗吾の怨霊」は有名ですので、いろいろな本に載っていますね。これだけでも研究テーマになってしまいそうです。
 それから、Uさんも私とテーマは違いますが同様に本を集めているんですね。真田幸村や真田家のことが出てくる本があったらお知らせします。ところで、真田関係の映画などは集めていますか。忍者ものによく出てきますよね。


 12月14日
 銀狐さんからメールあり
 突然のお知らせに吃驚しています。皆様の興味の対象となるような情報とお認め頂き感謝しております。今後もよく探求し同様の情報が提供できるよう努めてまいりたいと存じます。ありがとうございました。

 12月13日
 <銀狐さんへメール>
 満開佐倉文庫からのお知らせ。
 おめでとうございます!!
 第3回(平成18年)情報大賞に、銀狐さん提供の「堀田正睦の暗殺計画」が選ばれました。
 詳細は、下段の「たより」に掲載していますので、ご覧ください。
 これからも、面白い情報提供を期待しています。
 館主 亀田雄岳

 12月11日
 情報大賞選考会の詳細を掲載します。

 駕篭舁さんからメールあり
 昨日は最後に駅まで送っていただき有難うございました。日頃はお会いできない方のお話や、指導物語の背景画面の検証など、たいへん面白く有意義な時間を過すことができ、感謝しております。
 情報大賞は、いろいろの分野があって今回は選考が難しかったですが、それだけに大いに楽しめました。これも毎年の楽しい企画です。

 <返信>
 昨日は、ありがとうございました。選考会のこと、今、書き終えまして、ホームページにアップしました。作業的には2時間以上かかってしまいました。
 でも、このようにすると、その年にいただいた主な情報を整理しておけるのではないかと考えています。これからも、よろしくお願いします。

 12月10日
 情報大賞選考会(及びスキルアップ研修会、司書活動報告、忘年会)開催。出席者10人(うちゲスト1人)。選考票委任1人。
 内容
 1、一年間のホームページ運営について(館主)
 2、ゲストと映画「指導物語」のロケ地を検証
 3、報告「京成電車で最初の女性運転手となった人」
 4、報告「上町の山車について」
 5、司書活動報告
 6、情報大賞選考会
 速報
 今年度の情報大賞は銀狐さんの提供してくれた「堀田正睦の暗殺計画」でした。詳細は後日。
 *もったいぶっているわけではなく、資料を忘れてきてしまって詳しいことが書けないんですね(汗)。

 12月9日
 えりっぷさんからメールあり
 フォークルの話で意外な盛り上がりですね。はしださんは奥さんが病気になられて専業主夫されたりで『お父さんゴハンまーだ』という本を出されたことがあります。
 ネットで検索すると今も子供の教育関係の講演もされてるようです。北山さんは『さすらいびとの子守唄』というタイトルで本もだされています。
 相変わらずの映画「指導物語」ネタですが、吉村昭さんの「東京の戦争」筑摩書房2001年を何気によんでいましたら、丸山定夫さんのことがのっていましたのでお知らせします。
 吉村さんが中学生のころ築地小劇場の新劇で丸山さんの舞台を見られたようです。映画「故郷」での丸山さんもみたようです。「丸山定夫が地方巡業中、広島に投下された原子爆弾で死亡したのを知ったのは、終戦後であった。生きていたらどんな俳優になったか。年を重ねるにつれて凄みのある俳優になったにちがいない。奥底の知れぬ俳優であった」(『ひそかな楽しみ』 より)
 念のためですが、以前佐倉本で『新橋ステーション』上田広著のメールは届いたのでしょうか?ご返事を削除してしまったのではないかと不安になりました。

 <返信>
 すみません。上田広著『新橋ステーション』のメール、見当たりません。削除してしまったようです。お手数ですが、もう一度、メールください。

 12月8日
 Uさんからメールあり
 今回のメールは「佐倉」の話題ではないので、ずい分と迷いました。ですが、管理人さんやえりっぷさんのメールを読んでどうしても紹介したい事があり、書きました。ふさわしくないと判断されましたら掲載はしなくてもかまいません。
 『悲しくてやりきれない』や『さすらい人の子守唄』は名曲で、今までたくさんの方がカバーしてきましたが、今回はあまり知られていない、セルフ・カバーを紹介します。
 まず、『悲しくてやりきれない』ですが、1980年代にはレコード会社各社が企画物で往年の名曲をオリジナル・メンバーで吹き込ませてGSやフォークのコンピレーション・アルバムを発売しましたが、1981年に『グループ・サウンズ・グッディーズ VOL1』として発売されたアルバムの中で、はしださんが『悲しくてやりきれない』をカバーしています。
 『さすらい人の子守唄』の方はやはり1981年に北山さん自身がアルバム『キタヤマ・オ・サム 北山修青春詩歌集』でカバー。このアルバムは他にはしださんと組んだ作品では、『風』『花嫁』もセルフ・カバーしています。CD化もされているので手に入りやすいと思います。
 また、2003年には、6曲入りのCD、『はしだのりひこ 風』ではしださん自身の思いを込めた作品をセルフ・カバーしています。もちろん『さすらい人の子守唄』も新録されています。以上、今回は貴重な本人たちのセルフ・カバーについての話題でした。

 <返信>
 ありがとうございました。私はフォークルが大好きでしたので、佐倉に関係のない話題でもうれしいですね。
 いきなりテレビで「おらは死んじまったぞ」と流れたときには驚きました。テレビは三人の人形しか出てきませんでしたから、どのようにして歌うのだろうか、なんて話題になりました。
 友人は下手なギターを弾きながら、早口言葉のように歌っていましたね。しばらくしたらテープを早く回転させたこともわかって、納得したり。
 当時が懐かしくなりました。団塊の世代が来年から定年になります。何か団塊の世代に共感をよぶような当時の歌の「こぼれ話」でもありましたらメールください。

 12月6日
 えりっぷさんからメールあり。
 きょう久しぶりにカラオケに行きました。このホームページを思い出して、ザ・フォーククルセダースの「悲しくてやりきれない」を歌いました。
 それから吉村昭氏以外に今年亡くなられた佐倉本に関する方がいらっしゃったら教えてください。年末なので著書を調べて紹介したいと思いました。

 <返信>
 佐倉本を書いた人で、今年亡くなった人は吉村氏以外に把握していません。

 12月5日
 Uさんからメールあり
 僕のメールがトップ・ページに掲載されていますね。ありがとうございます。近年、はしだのりひこさんの話題について語ることが少なかったので、嬉しかったです。
 また、「鉄ちゃんクラブ」も読みました。みなさん、さすがですね。SLのことからあれだけ推理してしまうのですから。『さすらい人の子守唄』が出た時、僕は小6でした。
 この曲、『風』よりも好きでした。それでレコードを学校まで持っていったんです。そしたら、たまたまそのジャケをSL好きの友人が見て「あ、これは千葉の佐倉機関区で撮影したものだ!」って教えてくれたんです。
 もちろん、その時はまだアルバム『未完成』は発売されていなくて、ジャケ写の場所を僕は特定すらできていませんでした。「どうして判るの?」ときいたら、機関車で判るという様なことを確かその時友人は言っていた記憶があります。
 あまり仲がよかった訳ではないその友人は、中2の時、佐倉機関区まで行ってSLの写真を撮ってきました。その写真を僕も1枚もらったのですが、残念ながら今はありません。この友人はその後無事現在のJRに就職しております。そんな事を「鉄ちゃんクラブ」を読みながら思い出してしまいました。
 さて、残念ながら何故彼らが佐倉機関区でジャケ写撮影をしたかはわかりませんが、シューベルツやアルバム『未完成』のコンセプトは「旅」ですから、それを象徴するSLが必要だったのかもしれませんね。
 僕は最初、彼らは京都のグループですから、京都周辺のSLを撮ったのだろうと思っていたのですが、前記の友人に佐倉だと教えられたのです。
 前のメールで撮影時期は昭和44年の3月〜5月だろうと推理しましたが、あらためて『未完成』を調べてみたら、レコーディングが昭和44年の4月中旬ぐらいまでかかっているのが判りました。おそらくはそのレコーディングが終了してからジャケ写撮影だろうと思われますので、撮影は昭和44年の4月中旬〜5月までとの絞込みも可能なのではないかと思います。
 はしださんとは僕の地元のラジオ局の仕事やライブで来るたびに、特に1972年〜75年にかけてお会いできていたのですが、ついにこの時のジャケ写が何故佐倉だったのか訊くことを忘れていたことが今考えると残念です。
 ただ、はしださんはこう言っていました。(73年現在)「あの『さすらい人の子守唄』は僕が作った曲の中でも、傑作中の傑作だと自負してるよ」と。
 『さすらい人の子守唄』って、よくよく聴き込んでみると駆け落ちの歌ですよね。そのイメージがSLと結び付くのでしょうね。この時駆け落ちした若い二人はSLに乗ってどこまで行ったのでしょうか?
 はしださんは後に『花嫁』でも夜汽車に乗せていますが、もしかすると、この時の撮影が北山さんやはしださんにSLの強烈なインパクトを与えたのかなとも思ってしまいます。
 この時の撮影、メンバーや北山さん、広野さんはカメラマンの方にアングルはどうだこうだと五月蠅く注文したみたいですよ。それだけ沢山の枚数を佐倉機関区で撮影した証明でもあると思います。
 で、もうひとつ気にかかったのは、亀田さんからのメールに「『未完成』の中に機関車の横で撮ったモノクロ写真があって・・・」とあったのですが、(あれ、『未完成』の中にSLの横で撮ったモノクロ写真ってあったっけ?)と思い、『未完成』を手持ちの4枚分を探してみたのですが、アルバムには機関車横のモノクロ写真はなかったのです。
 もしかしたらシングル『さすらい人の子守唄』の裏面ジャケのことですか?あれならモノクロですよね。でも発見もあったんです。アルバム『未完成』はブックレットになっているので、ジャケットが開きます。その開いたすぐのカラーポートレートが機関車横を楽器を持って移動して行くメンバーが写っているのですが、後に再発されたシングル『朝日の前に/白い鳥にのって』は、おそらくこの次あたりの撮影だと思われ、カメラに向かいメンバーが顔を向けているアングルの物が使われています。
 またまたつまらないことを書いてしまい赤面の至りです。どうか今後ともよろしくお願いいたします。

 <返信>
 失礼しました。『未完成』の写真は、カラーでした。「メンバー4人が楽器をかかえて機関車の横を歩いている写真です。」というUさんの言葉が印象に残っていて、そのような写真であったと記憶していたので、現品を確認せずに記憶で書いてしまいました。モノクロとカラーを混同してしまいました。おっしゃるとおりです。失礼しました。
 ところで、今、気づいたのですが、Uさんは北山修氏と話をしたり、はしだのりひこさんとお会いしているようですが、そのような関係の方とお見受けしました。これからも、よろしくお願いします。

 ☆☆☆
 鉄ちゃんクラブのみなさまへ。Uさんが「この時のジャケ写が何故佐倉だったのか訊くことを忘れていた」とあります。私の頼りない記憶によれば(あまり信用できません)、東京近郊で機関区の残っているところは佐倉しかなかった。だから佐倉で撮影した、というような(?)、いわないような(?)・・・。
 そこで、みなさまの中で、東京近郊の機関区の閉鎖年月について調べていただける人はいないでしょうか、というお願いです。
よろしくお願いします。

 えりっぷさんからメールあり。
 雑談ですが。フォクルセターズ後の北山修さんは大学にもどり、精神科医になられてます。いろいろカウンセリングの本や癒しの本をかかれてますよ。

 <返信>
 ありがとうございました。

 12月4日
 Uさんからメールあり
 僕のメールに返信をくださいまして、ありがとうございます。少し補足させてください。
 僕はフォーククルセダーズ(フォークル)の時から、はしだのりひこさんと北山修さんのファンでした。だから、シングル『さすらい人の子守唄』とアルバム『未完成』が出た時から、このジャケットの撮影は千葉の佐倉機関区だと知っていました。
 また1970年の頃、北山修さんが深夜放送のDJをやっていた頃、「シューベルツのレコードのジャケットの撮影には全て同行した・・・」と言っていました。それで、1971年の頃、サインをもらうわずかの隙に北山さんに確認できたのですが、確かにあの『さすらい人の子守唄』のジャケ写撮影には同行したそうです。
 また、他にはフォークルの時から彼らのレコードジャケットをデザインしていた広野勝さんも(アルバム『未完成』のジャケも彼のデザイン。アルバムの中のイラストも描いています)同行していたそうです。
 亀田さんも北山修さんが好きな様ですが、嬉しく思います。はしだのりひこ&シューベルツは以下のレコードをリリースしました。
 シングル
 @風
 Aさすらい人の子守唄  (佐倉で撮影した写真が初めて使われた)
 B朝日の前に
 C白い鳥にのって
 D一人ぼっちの旅(これは解散が決定し、端田宣彦とシューベルツ名義。D〜Gは同時発売)
 E杉田二郎とシューベルツ名義のシングル
 F越智ゆうじとシューベルツ名義のシングル
 G井上博とシューベルツ名義のシングル
 H朝日の前に/白い鳥にのって(解散後に再発されたベストカップリングシングル。「佐倉」で撮った別の写真を使用。アルバム『未完成』の中に載っている写真を別アングルで撮ったもの)
 <4曲入り>
 @さすらい人の子守唄(シングルとは別の写真を使用)

 <アルバム>
 @未完成(佐倉で撮影された写真満載。表面ジャケはアメリカのフォーク・ロックグループ、ザ・バーズを意識しているのでは・・・と当時話題になった。裏ジャケは後、CD時代になった時のベスト盤にも使用されましたね)
 Aリサイタル(ライブ盤)
 B天地創造
 Cさよならコンサート(ライブ盤)
 Dはしだのりひことシューベルツのすべて(解散後の1972年に発売された2枚組ベスト盤)
 Eはしだのりひことシューベルツ(カレッジ・ポップス・オリジナルストックシリーズの1枚としてリリースされた20曲入りベスト盤。シングルAと同じ写真を引き伸ばして使用)
 その他Eに先立つ2、3年前に@が再発されています。オリジナル盤に付いていたポートレートなどは付いてなく、表と裏ジャケだけの作りでした)
 以上はレコード時代で後はCD時代に突入します。

 <返信>
 新たな情報、ありがとうございました。私も、フォーククルセダーズが大好きで、レコードを聴いたり、下手なギターを弾いて歌っていました。懐かしいですね。今でもカラオケで歌っています(笑)。
 それから情けないことに、「さすらい人の子守唄」のレコードは買いましたが、当時、佐倉機関区で撮影されたことは知りませんでした。
 また何かありましたら、教えてください。

 12月3日
 Uさんから初メールあり
 管理人 さま
 初めまして。Uと申します。僕は、はしだのりひこさんの大ファンで、はしださんで検索していたら、こちらの『写真撮影他』に行き着きました。
 さて、はしだのりひことシューベルツが佐倉機関区で写真撮影したのは昭和44年のことと思われます。何故ならこのグループは昭和43年暮れに結成され、昭和44年1月にデビュー曲の『風』をリリース。
 で、佐倉機関区で撮った写真がはじめて使われた第2弾の『さすらい人の子守唄』のリリースが昭和44年の6月1日ですから、撮影は昭和44年の1月から5月までの間と思われ、またジャケットの服装などから推理して昭和44年の3月〜5月の頃ではなかったかとも思われます。
 また、ここで撮った写真が使用された、はしだのりひことシューベルツのレコードジャケットは僕の知っている限り他にも2種類あります。
 それは1980年代に出た、カレッジ・ポップス・オリジナルストックシリーズのCとして出た「はしだのりひことシューベルツ」集でここでのジャケ写はシングルの『さすらい人の子守唄』のものを引き伸ばして使っています。
 もう1枚は、シューベルツ解散後の昭和45、6年ごろ、シングルでベスト・カップリング・シリーズとして再発された『朝日の前に/白い鳥に乗って』。はしだのりひことシューベルツです。ここでの写真は、まったく初出のもので、メンバー4人が楽器をかかえて機関車の横を歩いている写真です。
 とにかくシューベルツは、この佐倉機関区で撮った写真がよくレコードジャケットに使われました。この撮影ではメンバー4人の他に作詞者(風やさすらい人の子守唄等の)の北山修さんも同行していました。
 はしださんのファンなので書かずにはいられませんでした。失礼します。

 <返信>
 はじめまして。満開佐倉文庫を運営している亀田雄岳と申します。このたびはメールをいただいましてありがとうございました。また私の知らない情報をいただきましてありがとうございました。
 『朝日の前に/白い鳥に乗って』は見ていませんが、『未完成』のジャケットの中にメンバー4人が楽器をかかえて機関車の横を歩いているカラー写真(訂正)がありました。そのような写真を何枚も撮っていたんでしょうね。北山修氏も同行していたなんて感激です。
   これからも、よろしくお願いします。

 12月1日
 11月の訪問者(アクセス)数 1206人 1日平均 41.6人

 11月29日
 ギムリさんからいただいた新聞情報を確認
 11月25日付け
 〔浅井忠を再評価〕
 「(略)それから一世紀が過ぎました。旧派と呼ばれた浅井らの絵画術が日本の風土に適した確かなものだったということが、最近の研究でわかってきました。新派としてもてはやされた外光派以降、その確かさが失われていったことも。
 『長い時間』に託すしかないことが、あるのだと思います。目先の利害にとらわれて混乱を続ける現代の教育現場が報じられるたびに、黙語先生と呼ばれて慕われた浅井忠の静かな風貌が目に浮かんできます。」
 (11月25日朝刊 読売新聞 15面「時の余白に」 文 編集委員 芥川喜好)
 新派といわれた黒田清輝との対比などもしています。絵の評価もさることながら、浅井忠の教育者としての「生き方」に光を当てています。

 11月28日
 ギムリさんからメールあり
 情報大賞にノミネートしていただきありがとうございました。どれも貴重な情報で、選ぶのは大変ですね。
 ところで、11月25日(土)の読売新聞の15面「時の余白に」という記事をご覧になりましたか?浅井忠のことが書かれていて、佐倉は特に関係ないのですが、とてもいい記事だと思いました。

 <返信>
 さっそく探してみます。

 ☆☆☆
 七の子さんからメールあり
 連絡、遅くなりまして申し訳ありません。1ヶ月ほどインターネットにつながらない生活をしておりました。
 12月10日は、法事がありまして、16時過ぎにならないと時間がとれませんが、その時間ではもう終了でしょうか…
 それから、上町山車の牛引きの件について、面白い情報があります。お会いしたときに話します。

 <返信>
 お待ちしています。


 ☆☆☆
 N・Tさん、sendagiさん、TONGさん、ホームタウン佐倉さん、Sさん、駕篭舁さん、Iさん、fukikohassyさんから情報大賞選考会に参加の連絡あり。

 11月27日
 Wさんから初メール
 はじめまして。志津駅の名前の由来が知りたく PC初心者なので操作方法も あまり解らないながら やっとたどりついたのが ここでした。
 『佐倉市史研究』第17号(2004.3)「京成電鉄気軌道 志津駅をめぐって」の記事を知るにはどうしたら良いですか?

 <返信>
 はじめまして。満開佐倉文庫を運営している亀田雄岳と申します。
 「佐倉市史研究第17号」は、市内の図書館にあります。そこでご覧になるのが、一番早いと思います。また何かありましたら連絡ください。私の知っている図書情報をお知らせします。

 11月23日
 えりっぷさんからメールあり。
 最近古本を集めだしてしまいました。「指導物語」がらみです。昭和17年管書房刊の「映画の表現」沢村勉著を今日手に入れてよんでいます。
 中に「指導物語脚色記」がのっていたので。特に佐倉関係もありませんが。最初のシナリオは沢村さんの初年兵の日常を紹介したいとの思いがでてしまって、兵隊を描きすぎたとのこと。
 「書き終へて、製作者の森田信義氏から指導されるもののほうは書けているが、指導するもののほうが書き足りないといわれどきりとした。慌てて機関士の側にたちなおり、最初の30枚ばかりとそのほかも数箇所書き直した。兵隊の描写を少なくし、機関士の描写にとりかえたのである。」とありました。

 <返信>
 そうでしたか。映画を観るときには思い出しましょう。ありがとうございました。

 11月22日
 「佐倉という字」という項目を、左中欄に掲載します。ご覧ください。

 11月21日
 黒田碧さんの連載小説『城下町慕情』第22回を掲載しました。ご覧ください。

 11月19日
 Iさんから初メール
 鉄ちゃんクラブ内容の件です(5月20日〜5月31日情報 はしだのりひことシューベルツの記事)。
 C58289の履歴:昭和22年9月15日一関機関区で水害により履歴簿汚損、以前の履歴不明。昭和36年3月9日佐倉機関区。
 C58166の履歴:昭和14年10月2日新鶴見機関区 昭和16年10月30日千葉機関区 昭和29年11月1日佐倉機関区。
 たまたま「鉄ちゃんクラブ」拝見しました。小生、佐倉にいた58677の調査をライフワークにしています。

 <返信>
 はじめまして。満開佐倉文庫を運営している亀田雄岳と申します。このたびは貴重な情報をお寄せいただきましてありがとうございました。
 これからも、佐倉に関した情報がありましたら、お寄せください。まずは、お礼申し上げます。

 11月18日
 館主が推薦する第3回情報大賞候補を上記に掲載しました。司書さん、友人にも候補を推薦していただきたいと思います。メールをお待ちしています。

 11月14日
 本日、自然系の先生とお会いする機会あり。タヌキ談義をしました。
 そもそも私がタヌキにこだわり始めたのは学問的探究心からではなく、たまたま庭に実った桃が、ある日突然なくなったので、それをタヌキの仕業ではないかと疑ったところから始まります。
 せっかく明日採ろうとしていた桃が、一夜にして10個近くなくなってしまったのです。その衝撃は大きく、それまで野生の動物に関心のなかった私に、動物観察の好奇心が生まれてしまったのです。
 ところが素人では、「タヌキは桃の木に登れるか」という初歩的な知識からして持っておらず、思考停止状態になっていたのです。
 そのようなことを話したら、「タヌキが7〜8mもの木に登っているところを見たという人がいるそうです」と話してくれました。「えっ」と驚きました。タヌキは木登りをするのか。そうであれば、桃の実が食べられることもありうると思いました。
 でも、私の小さいころ、タヌキは佐倉の町に出たという話は聞いたことがない、と言うと、「いや、いたんだと思います。ただ、タヌキはけもの道を歩いていたので人間と遭遇しなかったんでしょう」ということでした。
 周辺の野山がなくなり、餌を求めて人里に紛れ込んできたのでしょうか。佐倉で野生動物と遭遇する記録も貴重だと思います。佐倉のどこでタヌキは出没するのでしょうか。もしかしたら、私たちはタヌキと共存していたりして・・・。そのようなことでタヌキ情報を開設しています。

 11月8日
 佐倉本情報
 白鳥浩治『生きている印旛沼 ー民俗と自然ー』(2006年10月 2000円 崙書房出版)  第1章 印旛沼とその流域の概要 第2章 印旛沼周辺の人の営み 第3章 印旛沼とその周辺の自然特性 第4章 印旛沼とその周辺の自然改造 第5章 印旛沼流域の現状
 本書は研究書ですが読みやすく、また印旛沼を幅広い領域からとらえていますので入門書としても適しています。

 11月7日
 銀狐さんからメールあり
 こんばんは、館長様。銀狐です。パソコン復旧に伴う連絡網確保のための確認メールです。パソコンは大丈夫ですか?

 <返信>
 ごぶさたしています。連絡先がつながりました。お手数をかけました。

 ☆☆☆
 日曜日、印旛沼に出かけ、1時間ほど散歩をしてきました。散歩をするのは本当に久しぶり。サイクリングをする人が多くなったなあと思いました。

 11月6日
 <司書さん、友人におしらせ>
 いよいよ情報大賞選考の季節となってきました。今年一年(2005年12月〜2006年11月30日まで)、みなさまはどのような情報に感動したでしょうか。当ホームページに掲載された情報で、これはと思う情報をメールで送ってください。
 エントリー期間は11月30日までとします。なお、いずれ、私のエントリーした情報も掲載します。
 そして、司書・友人が選ぶ第3回情報大賞の選考会を12月10日(日)に行います。参加できる人はメールしてください。

 11月5日
 以前、K2さんから映画情報をいただいていた「トカレフ」を観ました。印旛沼が最後の場面で出てきましたので「佐倉ゆかりの作品」と認定します。
 息子の命を奪われた人間が容疑者を探し出します。そして、トカレフという拳銃で打ち合うクライマックスの場面が印旛沼でした。ロケ地は、北印旛沼の吉高機場から本埜河岸あたりまでの沼に沿った道路と、本埜河岸です。
 容疑者がパトカーを奪い、沼に突っ込んで止まるんですね。ここは、私が写真の撮影に行く場所でもありますので、よく知っています。
 また、ここはハスが咲く場所として知られています。冬となっても、ハスの枯れた茎が水面に残っているはずですから、それを取り除いたのでしょうか。とてもきれいでした。
 阪本順治監督、大和武士、西山田海、佐藤浩市出演、ヘラルド・エース配給 1994
 "94年度キネマ旬報読者選出日本映画ベスト・テン第6位
 "94年度毎日映画コンクール音楽賞、録音賞受賞
 "94年度ヨコハマ映画祭作品賞・監督賞・音楽賞・助演男優賞

 11月4日
 佐倉にゆかりのある土地を訪ねたことがあります。「執筆中の電子本」という項目(右欄)にある「日本の中の佐倉紀行」で紹介していますが、今回は函館市、山形市、横浜市を掲載しました。ご覧ください。

 11月3日
 10月の訪問者(アクセス)数 1337 人
  1日平均 43,1人 詳細は「訪問者記録」に掲載

 11月2日
 えりっぷさんから3日分のメールを掲載。

 先日お知らせした「ひとがた流し」の本を同僚が確認してくれましたので。168ぺージ「佐倉のね、歴史民俗博物館に行ったんです。」のところから数行ですが、佐倉の名がのっていました。

 <返信>
 ついでに、発行年月、出版社がわかりますか。

 ほとんど日記のようですが。
 今日休みなので久しぶりに志津図書館にいってきました。相変わらずの人出です。
 近くの西志津郵便局に用があったのでいつものように入ったのですが。ふと見ると「横町の石橋」の巨大な絵が脇に!よく考えてみると以前からあったようななかったような。
 不思議な感じでした。見てても見えないものってあるんですね。

 <返信>
 佐倉を見ようとする眼になってきたということですね。


 館主さんがホームページの更新をしないというので、メールは控えようと思ったのですが、記事をみてしまったので。
 今日(10月29日)付けの朝日新聞ちば版に酒々井・麻賀多神社にある、150年前に制作された山車人形「小野道風」の人形が丸ビルで展示されたとのニュースがのっていました。
 江戸で制作されたもので「下総佐倉藩のもとにあった肴町地区の氏子たちが依頼し」いまの神社が譲り受けたとあります。

 <返信>
 私は以前、酒々井の神社で見たことがあります。りっぱでしたね。

 10月26日
 ちょっとした用が入りましたので、しばらく更新しません。メールは受けます。

 10月24日
 左欄、「佐倉情報ライブラリー」から「情報プラットホーム」を分離。
 「情報プラットホーム」には、一つのテーマに皆さんから寄せられた情報を重ねていきます。

 10月20日
 司書さんを認定すると、満開佐倉文庫はどれくらい続けるのだろうかと自問する。会社だって、ある日突然、「閉店します」といったら社員は戸惑うだろう。
 遊びとはいえ司書さんを認定したのだから、文庫の考え方を持っていなければならない。
 今は、とりあえずの目標として2010年までやってみようと思っています。あと4年、ホームページを開設して10年目の節目を迎えます。そこまでできれば一区切りできたかな、と思います。
 もっとも、そこまで運営できるかも不確かですが、一応の目標を持っています。みなさまのご支援をお願いします。

 10月19日
 本日、訪問者(アクセス)数、60000を超える。いつもご覧いただきましてありがとうございます。これからもページを充実させていきますので、みなさんのご協力をお願いいたします。

 飛鳥さんからメールあり
 ご無沙汰してしまいました。元気でいます。

 <返信>
 ごぶさたしています。
 今年、パソコンをウイルスに破壊されまして、みなさんのアドレスが消去してしまいました。こちらから連絡がとれなくて申し訳ありませんでした。何か佐倉情報がありましたら、メールください。

 10月18日
 えりっぷさんからメールあり
 毎日のようにメールしてすみません。市民本のことでの情報です。職場の同僚のご近所のかたが歴博の方なので、著書があるかと調べてみました。
 色々著書があります。先日家族でみにいきましたが、かなりな収集品でした。もしかして市民本の範疇かと思いあたりお知らせしたしだいです。
 ただ奥付には佐倉在住とはなっていないのですが。ご判断お願いします。ご報告まで。

 <返信>
 メール、ありがとうございます。
 先生は佐倉に住んでいますので広く捉えれば佐倉市民本の範疇ですが、研究者が書いた研究書は、私が捉えようとする佐倉市民本とは別です。
 私が捉えたい市民本とは、市民や文化人が書いた小説やエッセイなどです。もちろん、佐倉を研究した本は佐倉本として捉えます。
 また、先生の著書には奥付に佐倉市在住と明記していないということですが、それは先生の意図があったことですから、あえて「佐倉在住の人」と紹介しないほうがよいですね。
 先生が伏せている所在地を、かってに明かしてしまうことになるのですから。

 10月17日
 七つの子さんからメールあり
 お祭りが終わって、ふぅ〜っと気が抜けています。今年は3日間ともお天気に恵まれて、本当に良かったです。
 横町でお会いしましたね。横町は世帯数十数軒で、あの江戸型山車を曳き回すのですから大変です。あちこちから、お手伝いの曳き手の方々がお見えになります。
 かく言う私も、今年は3日間とも横町の助っ人でした。お祭りにオフ会、私は困ります。3日間は祭りバカ丸出しですから(笑)

 <返信>
 祭りにオフ会とは、野暮な話でしたね(笑)。失礼しました。3日間、お疲れ様でした

 10月15日
 ホームタウン佐倉さんからメールあり
 こんばんは。佐倉のお祭りも今日で終わりですね。私は13日夕方に山車が引かれていくのを路傍でみましたが、急坂を登る際は曳き手のみなさんも大変ですね。
 先日お知らせした211系電車への置き換えは予定通り10月21日から順次交替されます。現在の113系6両編成は、すべて211系5両編成に置き換えられますから、佐倉ー千葉間での着席チャンスはかなり少なくなり、立ちんぼの方が多くなるでしょう。
 電車を利用することが多い私には所得税、社会保険料、医療費値上げに続く生活苦の加重となり、困った世の中となりました。
 なお、送付済みの211系電車への置き換えの記事は「佐倉の鉄道噺」か「テッチャンコーナー」へ移動させていただきたく御願い致します。お手数掛けてすみませんが、先般の不着のこともありますので、このメール到着の旨ご連絡いただければ幸いです。

 <返信>
 原稿、未掲載で申し訳ありませんでした。「日記」には収納しましたが、それを「佐倉の鉄道噺」と「テッチャンコーナー」に収納したと勘違いしていました。さっそく、掲載しました。
 『幕末閣僚伝』、ありがとうございました。
 祭りも賑やかでしたね。そういえば、七つの子さんを横町の山車の脇で見かけました。えりっぷさんはテレビで見ましたとメールをいただきました。来年は、祭りのときにオフ会でもやりましょうか。

 10月13日
 晴れ。佐倉の秋祭り開催。

 10月12日
 黒田碧さんの連載小説『城下町慕情』21を掲載しました。ご覧ください。

 10月7日
 本日は、サイトのメンテナンスを行う。
 サイト内のリンク接続状況を点検。量が多いので、すべてというわけではないが主なページをチェック。誤字を見つけ、修正。別なページでは、文章を現在の考え方に合わせて修正した。

 10月6日
 ホームタウン佐倉さんからメールあり
 長く当地を走っていた113系電車の大半が211系電車に代わることになりましたので、お知らせします。
 既に試運転列車が走っていますから、ご存知かとも思いますが、211系電車70両14編成が現在千葉以東を走っている113系電車と近く置き換えになります。
 10月21日から営業開始予定ですが、5両編成が基本ですから現在の113系電車6両編成と比較すると1両減少と言うことになります。もっともJR側の説明では定員は5両でも211系の方が多いそうですが、座席は現在のセミクロスシートからすべてロングシートに変りますから、確実に着席の機会は少なくなります。
 首都圏では座ることより詰め込む方がサービスと考えているようなので、「厭なら乗るな」「座りたければ特急でどうぞ」なのでしょう。サービスダウンなので公式にはまだ何の発表もされていません。
 車輌は新車ではなく、高崎線からのお古です。しかも総武本線、成田線列車の7割を置き換えて、残りは内房、外房、東金線を置き換えるというのですから、新型特急への置き換えが1年以上遅れたのとは逆にサービスダウンの方は、やはりこちらが先で、JRの千葉ー銚子間軽視は改まりません。沿線地方自治体や議会からの陳情や決議であれば影響もあるでしょうが、乗客はいくら不満を持っていても無視され続けているのが現状でしょう。
 ・・・
 10月1日〜3日から来年春から架け替え工事が始まる山陰本線餘部橋梁の撮影に行って来ました。完成は5年後とのことで、並行してコンクリート橋梁が建設されるそうです。
 そのため最近は訪問する鉄ちゃんが多く、餘部駅脇の山の中腹にある撮影場所には、私の訪問した日にも40人くらいが集まり、小さな場所から人がこぼれそう落ちそうでした。ただし半数は餘部鉄橋ブームのにわか鉄チャン(高齢者グループが多く、女性カメラマンが多いのにも驚きました)で、2本の列車を撮っただけで、さっさと帰っていきました。
 もっとも一日粘っていても10本程度の列車しか撮影できないのですが…。佐倉のはるか区域外ですが、駄作を2枚添付しました。

 山陰本線餘部橋梁1 山陰本線餘部橋梁2

<返信>
 私も若いころに山陰を旅行したことがあり、この橋梁から見た景色を覚えています。写真、すばらしいですね。橋梁の上と下からですから、かなり歩かれたことと思います。ごくろうさまでした。
 また、心が癒されます。これからも、鉄道の写真を見せてください。

 10月4日
 亀田雄岳「日本の中の佐倉紀行 第1話 旭川市」を「執筆中の電子本」項目(右欄)に掲載しました。

 10月3日
 若き日に、日本の中にある佐倉(人)ゆかりの地を、いくつか訪れたことがある。それをミニコミ紙に発表していた。そして、発表した紙面は切り取ってスクラップしていた。
 今となっては懐かしい文章なので、ホームページに再掲載しようとスクラップを探したが、肝心の1冊目が見当たらない。2冊目は、平成5年4月18日号、第34回に始まる。
 ミニコミ紙は月1回の発行だから、およそ3年前の平成2年ごろから書き始めたようだ。1冊目の内容が思い出せないが、現地を訪れたのは昭和時代であった。
 北海道の士幌町のことも書いてあったが、見当たらない。士幌町のことを書かずに進めるというのも気が引けるが仕方ない。おいそれとは士幌町に行けるほど近い距離ではない。
 また、当時と風景や交通機関が変わってしまったところもあるだろうが、いちいち確かめることはしない。時代は、昭和末期から平成初期である。それから、執筆中に佐倉にゆかりのある地を訪ねて、訪問地を加えることもあるかと思う。
 前口上はこれくらいにして、今後、不定期に原稿を書いていきます(フロッピーも、どこかにいってしまっている)。題は「日本の中の佐倉紀行」です。

 10月1日
 9月の訪問者(アクセス)数、1370人  1日平均 45・7人

 えりっぷさんからメールあり
 『まちづくりマガジン すたっと』に掲載された館主さまの記事を読ませていただきました。さぞかし書き足りなく思われたのでは?語りつくせないものがありますよね。
 表紙が「お面」で恐いのですが。山車「石橋」の面なんですね。祭りです!楽しみにしています。

 <返信>
 ご覧いただきまして、ありがとうございます。少しずつ、満開佐倉文庫が知られていきますね。

 9月30日
 無料情報紙『まちづくりマガジン すたっと』(2006年10・11月号 高千穂ネットワーク)
 特集「本と映画に見る佐倉」に、館主が満開佐倉文庫の話をしています。佐倉にゆかりのある映画は、ほとんどみなさまから教えていただいたものでした。本紙は、いろいろな施設に置いてありますので、ご覧ください。

 9月29日
 Kさんからメールあり
 今、岩波文庫『きけ わだつみのこえ』を開いていて、ふと、これも佐倉本かなと考えました。巻末に手記を残された方の略歴が出ていて、そこに佐倉、または57連隊と書いたものはないかと思ったのですが、はっきり書かれたものはありませんでした。
 ご遺族の住所が佐倉市であるのが1名、P377にあります。ただこれはプライバシーの問題で不可。そうではないかと思ったのは、P382に千葉県出身のF氏、昭和20年2月10日ブーゲンビル島にて戦死、とあります。
 私はここのところ、よく知らないのですが、千葉県出身者は佐倉に入営することになっていたのでしょうか?習志野ということもあるのでしょうか?本文57ページから氏の手記が載せられていますが、「ラ隊」とか「聯隊」という言葉がよく出てきます。
 また、千葉県外から佐倉連隊に入隊した方もいるのでしょうか?お教え願えれば幸いです。

 <返信>
 千葉県出身の人は、すべて佐倉連隊には入隊していません。詳しくはわかりませんが、軍の要請によって入隊先が決められていたようです。千葉県の人が、東京の麻布3連隊に入隊した人もいたと記憶しています(あくまでも記憶です)。
 逆に、東京の人が佐倉に入隊したという話も聞きます。松本清張の『遠い接近』という小説、青木玉の『小石川の家』 には、東京の人が佐倉に入隊したという話です。
 佐倉に駐屯していた歩兵第57連隊は、レイテ島とグアム島に行きましたが、ブーゲンビル島に行っていません。ですから、F氏は佐倉連隊ではなかったと考えられます。

 「ラ隊」とは、わかりません。
 「聯隊」ですが、、当時は歩兵第57聯隊と書いていましたが、現在は略して歩兵第57連隊と書かれる方が多いようです。意味は同じです。

 9月28日
 本日、秋晴れ。暑さを感ずるが、さわやかだ。

 新町を歩くと、提灯を飾り始めた町内がある。山車の準備を終わったところもある。七つの子さんのホームページには、横町山車の車軸周りの補修が完成したとあった。
 まもなく祭囃子の笛が聞こえたり、各町内の提灯が連なり、祭り気分が盛り上がっていくことだろう。
 例年、見慣れた風景であるが「もう、祭りの時期になったか」と、祭りで一年の区切りを考える。

 9月27日
 えりっぷさんからメールあり
 いつも丁寧な返信ありがとうございます。最近佐倉の祭りで頭一杯です。どのように紹介しようか。写真の使えるのはとか。
 今日「わが街の電話帳」が届いたのですが、去年のはもういらないかと整理しようとしたところ表紙の写真がなんと佐倉の秋まつりではないですか。去年はまったく興味なかったので気にもとめてなかったんですね。
 金ぴかの御輿の写真です!(多分ご存知でしょうが)思いは通じるんだなと感激しました!

 <返信>
 そういえば、電話帳の表紙も佐倉ですね。
 皆さんも、一度「佐倉を探す読み方」を覚えてしまうと、頭から離れなくなってしまうと笑いながら話してくれます。これからも、本を読んだり、周囲を見回しながら「佐倉再発見」をしていきましょう。

 駕篭舁さんからメールあり
 あんな原稿でよければ構いません。実は今日の午前中、八千代の研究会の仲間たちと小柴宣雄と小次郎らの墓碑の拓本取りをしてきたところです。
 天気が良すぎて湿らせてもすぐに乾いてしまうので、少し苦労をしましたが、なんとか取ることができました。文化祭に展示を予定しています。

 <返信>
 それでは、よろしくお願いします。

 9月26日
 駕篭舁さんからメールあり
 こんにちは お世話になります。八千代市郷土歴史研究会では毎年『史談八千代』という機関紙を発行しておりますが、今年と来年は大和田新田の特集記事を書くことになっています。
 そこで例の小次郎関連・小柴宣雄の墓碑について、私が調査発表することとなり原稿をまとめてみました。
 館長さんの著書からも引用させていただきましたので、拙稿をご覧頂き何か気付いた点などございましたらお知らせくだされば幸甚に存じます。
 これについては11月18・19日の八千代市文化祭で展示発表し、同日に機関紙を発行する段取りになっています。よろしくお願いいたします。

 <返信>
 こんばんは。拝読させていただきました。私の知らないところが、いろいろ調査されており参考となります。
 特に、子供のことなど、よく知りませんでした。私もこれから引用させていただきたいと思います。これをきっかけとして、小柴小次郎のことが広く知られて、研究されることを願っています。
 なお、機関紙に発表後、満開佐倉文庫にも論文を掲載させていただけませんか。文庫に「論文集」の項目をつくります。そして、佐倉を研究している人の論文が掲載できるといいなあと思っています。

 9月24日
 ホームタウン佐倉さんからメールあり
 ご無沙汰しているうちに初秋になってしまいました。ホームページでご活躍はいつも拝見していますが、お元気なご様子で何よりです。
 sendagi様がご指摘の映画「指導物語」ロケ地のことなど思いつくままに書いてみましたので、「佐倉の鉄道噺」「鉄ちゃんコーナー」へでもご採用くだされば幸いです。

 <返信>
 ホームタウン佐倉さんの原稿につきましては、「佐倉の鉄道噺」と「鉄ちゃんコーナー」に掲載しました。「佐倉の鉄道噺」は、ホームタウン佐倉さんの著作としてまとめていただくように、また、「鉄ちゃんコーナー」では、みなさまの意見で広がるものと思います。

 *このような一つの文章で、いくつかの項目に関連する文章を、「ツリー情報」と称することにします。一昨日、七つの子さんからもらった話題も、「佐倉本情報」と「佐倉発見本」に収納しました。

   9月23日
 ホームタウン佐倉さんから電話あり。
 ホ「パソコンがウイルスでやられたというので、メールを3回ほど送ったんですが、連絡がないので電話しました」
 館「えっ、まだ届いていません」
 ホ「以前、館主とやりとりをしていたアドレスに送ったんですが・・・」
 館「そういえば、以前、別な人からもそのようなことを言われたことがあります。それで、私はホームページにある〔館主へのメール〕から送ってみてください、と話したことがあります。自分でも確かめましたので、このアドレスなら大丈夫です」
 ホ「それでは、送ってみます」

 ホームタウン佐倉さんからメールあり
 今朝、お電話申し上げたようにメールを9月12日、19日、20日に三回送信しましたが、未着のようですから、試験的にお送りします。12日は「鉄道噺」または「鉄ちゃん」用の話で、あとの二回は到着しているかどうかの照会です。
 このメールが到着すれば、12日のものを再送させていただきますので、メールが届いたか、お手数でもご連絡くだされば幸いです。

 <状況判断>
 7月10日以前まで、みなさんが館主のアドレスとして使っていたものは、連絡不能となっています(理由はわかりません)。再度、私のホームページにある〔館主へのメール〕からメールを送ってください(同じアドレスなんですけどね)。
 なお、7月10日以降、館主と連絡のとれている人は問題がありません。

 えりっぷさんからメールあり。
 ホームページ見ました。感激です。7本の山車の写真があったんですね!今朝早く佐倉界隈をうろついてみました。
 神社も確認してきました。祭りという感じはまだありませんでした。野口屋さんが工事してたのはなにか祭りとの関係?くらいです。
 ネットでみたポスタ−も、貼ってある店と、ない店ありましたし。観光協会で聞いてみたら特に祭りについてのビラは交通規制のビラのみだそうで。志津図書館で祭りのビデオを借りて見てみました。いってみたくなりましたよ。

   <返信>
 提灯が軒先につながらないと、雰囲気は出ないですね。10月に入ってからでしょう。それから、当日の夜ですね。13日(金)、15日(日)の夜は麻賀多神社の神輿がすごいです。14日(土)は、山車の競演が、野口屋前あたりであると思います。
 人出はすごいです。ぜひ、お越しください。

 9月22日
 房総千葉文庫は、構想が壮大すぎて、ホームページをつくって、わずか3日間で挫折してしまいました。あのような集め方には無理がある(とても維持・運営できない)ということに、作って気づきました。作る前に気づけばよかったのですが・・・。

 9月20日
 Kさんからメールあり。  ホームページを見ました。フォルダの階層を少し変えたため、つながらなくなってしまいました。今から直そうと思いますが、一日以上かかってしまうかも知れません。すみません。
 それから、最近読んだ本で、印旛沼が出てきたものがあります。
 9月19日
 Kさんへ連絡。
 リンクが切れています。確認をお願いします。
 本来ならメールを送るところですが、私のパソコンがウィルスにやられてしまったため、Kさんのアドレスが削除されてしまいました。そのようなわけで、このような連絡となってしまいました。よろしくお願いします。

 9月18日
 漠然と考えていることがある。
 「房総千葉文庫」というものである。満開佐倉文庫のように「千葉県」が出てくるものを、すべて集めようとは考えていないが、「県内の風景、特産品・特産物」が出てくる小説・エッセイと特定し、探してみるのも面白いのではないかと思う。
 どのような方法でやるかまでは考えていない。ただ漠然と。

 9月16日
 えりっぷさんからメールあり。
 こんにちは!久しぶりのメールです。「佐倉の秋祭り」についての本をご存知ですか。佐倉在住22年目にして始めて祭りの歴史に興味をもちました。

 <返信> 
 「佐倉の秋祭り」とは、近年、言われ始めたもので、佐倉にある麻賀多神社、愛宕神社、八幡神社、神明神社の祭礼や、イベントも加わった行事の総称です。
 ですから、「佐倉の秋祭り」についての本は、ないと思います。
 〔参考までに〕
 麻賀多神社の祭礼は『佐倉市史 民俗編』
 市の指定文化財になっている神輿は『佐倉細見』
 江戸時代に行われていた、麻賀多神社の祭礼は『古今佐倉真佐子』
 城下町の祭礼は『ふるさと歴史読本 近世の佐倉』
 佐倉囃子は『佐倉市の指定文化財』
 仲町の山車は『佐倉市史研究』第18号
 仲町の山車人形「関羽」については『人形師 「原舟月」三代の記』

 これらの本が、一般の方が手に取れる本かと思います。思いつくままに。
 なお、詳しく知りたかったら、祭り見学をすることかと思います。迫力があります。

 9月11日
【おしらせ】
「佐倉藩幕末軍装図展」
 軍装図は、愛知県西尾市の岩瀬文庫に所蔵されていたもので、佐倉藩の藩政(兵制)近代化を裏づけるとともに、いまだ明確ではなかった和洋折衷時代の幕僚から兵卒までの軍装について記録された全国的にも貴重な資料と思われるものです。
 期 間 9月26日(火)〜10月9日(月)
 午前10時から午後6時 (入場無料)休館日10/2(月)
 会 場  佐倉市立美術館 エントランスホール
 主 催 (財)佐倉国際交流基金・佐倉地区商店会連合会・
     佐倉建設コンシェルジェ協議会
 照会先 043-464-3348 小坂

 9月8日
 黒田碧さんの連載小説「城下町慕情」を(3)に掲載しました。ストーリーが、いよいよ佳境に入ってきました。ご覧ください。
 黒田さんから原稿をいただきながら、しばし雑談。連載を始めて2年も経ってしまったことに、月日の早さを感じました。
 そして、満開佐倉文庫が、みなさまのご協力でここまで来れたことに感謝いたします。

 9月3日
 えりっぷさんに、司書にさんになっていただきました。現在の司書さんは35名です。よろしくお願いします。

 9月2日
 【おしらせ】
行事名 市立図書館30周年記念事業 NHK週刊ブックレビュ
   ー公開録画 観覧募集

開催場所 市民音楽ホール
内容  特集ゲストは小川洋子(芥川賞作家)。「博士の愛し
   た数式」は第1回本屋大賞を受賞、映画にもなった。演題は『最新長編小説「ミーナの行進」を語る』。
 司会は児玉清、中江有里。書評ゲストは神田紅(講談師)、鷲田清一(大阪大学副学長)、永江朗(フリーライター)
開催日時 9月16日(土)午後2時〜4時30分
申込方法 往復はがき(1枚で2人入場可。1歳以上入場整理
   券必要)に、住所・氏名・電話番号・返信先の宛名を
   記入し、下記の宛先まで。

 *観覧には、入場整理券が必要となります。ふるってお申し込みください。
申込先 〒285-0023 佐倉市新町189-1 佐倉図書館「NHK週刊
   ブックレビュー」観覧係

問合先 佐倉図書館 043-485-0106(午前9時〜午後5時)

 9月1日
 8月の訪問者(アクセス)数 1248人 一日平均 40.3人

 8月29日
 「印旛沼情報ライブラリー」のコーナーをつくりました。そのため、印旛沼の項目を、このコーナーに移動しました。

 8月25日
 虐ハンドルさんから新聞情報。
 朝日新聞 2006年8月25日夕刊 3版18面「故吉村昭さん自ら死選ぶ」
 お別れの会で奥様が明かした内容によると、吉村さんは術後自宅で療養していたが、最期は自ら点滴・カテーテルを外し死を選んだそうです。
 この記事の最後に
 「吉村昭さんが最後まで気にかけていたのが、文芸誌(「新潮」10月号らしいです)に書いた遺稿の小説「死顔」(兄の死を描いた私小説とのこと)だった。
 その中では、自らの死期を知った幕末の医師佐藤泰然が高額の医薬品を拒み、食べ物もとらずに亡くなった姿が描かれていた。」とあります。早く読んでみたく思います。
 最後に、佐倉ゆかりの人を数々の小説に採り上げていただいた吉村さんのご冥福を改めて祈ります。

 駕篭舁さんから新聞情報。
 先月なくなった吉村昭氏の遺作が、来月7日発売の「新潮」10月号に掲載されるそうです。タイトルは「死顔」で、自らの死を悟って終末医療を拒んだ幕末の蘭方医佐藤泰然の例を引いた内容とのことです。今朝の読売新聞の記事です。

 <返信>
 吉村さんには、佐倉にゆかりのある人を取り上げてくれた作品が、いろいろあります。
 『黒船』で堀田正睦・木村軍太郎・手塚節蔵
 『落日の宴』で堀田雅睦
 『長英逃亡』で佐藤泰然
 『夜明けの雷鳴』で松本良順
 『天狗争乱』で佐倉藩
 『白い航跡』で堀田正倫・佐藤尚中・手塚律蔵・佐藤進
 『日本医家伝』で松本良順
 『仮釈放』で殺人容疑者の故郷が佐倉
 『関東大震災』で歩兵第57連隊

 氏が、佐倉ゆかりの人物をこれほど描いてくれたことに感謝します。
 なお、佐藤泰然の死期とは、泰然の看病をしていた佐藤尚中(順天堂 第二代堂主)が、佐倉の岡本道庵(後に舜海と改名し、佐倉の順天堂を継いだ)に送った手紙の中に、書かれていた話です。
 泰然は、「天の道に順(したが)う」という「順天」精神で医療を施してきており、それは、どのような医療を施しても治らないときには天の道にしたがうということであり、その病気が自身に迫ったときに、身をもって尚中に伝えたのでしょう。
 一方、「願わくは起死回生の術」と、最後まで患者の命を救いたいという精神のもとに医療を施した医師が紀州の華岡青洲でした。ただ泰然と青洲は一世代ほどずれていますので
 泰然が蘭医として活躍するころには青洲は没しており、青洲の意志を継いだ一門が、まだ医療として確立していない麻酔治療を施していたということになります。
 泰然の話が出てきて、そんなことを思い出しました。氏のご冥福をお祈りします。

8月22日
  えりっぷさんから佐倉情報のメールをいただきました。しばらく、私がホームページの更新をしていなかったため、情報が溜まってしまいました。失礼しました。

 情報B
  こんにちは。3回目のメールです。機関車のことを調べてみましたら、図説蒸気機関車全史Aという本に出会いました。2006年4月30日発行の学研の本で図書館にありました。
 そのなかに@付録に昭和35年3月31日現在の各機関区のSL配置がのってます。無論佐倉機関区のも型番からのっていました。A「回想機関区めぐる思い出に」という項目に佐倉機関区のことがのってます。
B終焉期国鉄蒸気の記録のところに昭和47年10月に鉄道100周年記念で運行されたC51の写真が載ってました。(物井〜佐倉間)
映画で主演された丸山定夫さんのことで自分的にショックだったので、お知らせしておきます。(ご存知でしょうが)移動演劇隊に所属されて、広島の原爆をうけられ命をおとされたそうですね。
その隊の名がさくら隊というのになにか因縁めいたものを感じました。さくら隊8月6日 新藤兼人著 岩波ブックレットにありました。
以上これで自分なりに納得するところまでしらべられたので、しばし休みます。

<情報B 返信>
知りませんでした。
ありがとうございます。
また何か情報がありましたらお知らせください。

 情報A
 指導物語 続編です。「写真に見る佐倉」に映画関係者の記念写真をみつけたのですが、この映画にでてくる汽車の写真がどうしても見たくなりました。
ネットで検索したところ、2004年の2月7日鉄道映像フェスティバルというので上映されたそうです。鉄道ファンには、必見の映像のようです。
インターネットで図書館の本の予約ができるようになったので、ネットで調べた本で所蔵しているものを予約する日々です。館主さまの本でエキストラに57連隊がでていると書かれていたので、佐倉連隊の写真もみてしまいました。
文章だけでなく写真をみると本当に生きていた人たちの生活に触れた思いがしました。感激です。

<情報A 返信>
佐倉を、お調べになっている熱意が伝わってきます。
また、お知らせください。楽しみにしています。

  情報@
 近くの図書館脇にある遭難者の碑をしらべているうち佐倉の歴史にはまりました。近くに湧き水があるというので高校生の娘と激写してきました。日々佐倉の図書館で本をしらべてる日々です。
こうほう佐倉というのが佐倉市政だよりのときから製本されて所蔵されていてあなどれがたい資料におもえます。いま「指導物語」をしらべています。図書館では2種類の本の所蔵とビデオ(南図書館のみの貸し出し)があります。
南はとおくていけません。本のみとりあえず読んでみようと思っています。がんばって資料整理してください。

<情報@ 返信>
えりっぷ様は、佐倉の歴史を調べているとのこと。新しい発見を期待しております。
何かありましたら教えてください。
よろしくお願いします。

 8月16日
 なんというか、もしかするとと考えて、佐倉市立図書館のホームページを開きました。
 そして、「詳細検索」から論文の著者を検索をしたら、著者検索ができてしまいました。
 また「かんたん検索」に歴史人物を入力したところ、人物が掲載されている本が検索ができてしまったのです。う〜ん、と唸ってしまいました。
 7月の作業は何であったのかと、がっかりしてしまったところです。

 もっとも、それは図書館で所蔵している本、雑誌についての話であり、それ以外の本については含まれていません。
 ま、そこが満開佐倉文庫の収集どころです。といって、図書館と張り合うつもりはさらさらありません。成り行きまかせです。
 たぶん、図書館の検索との違いは、図書館の場合、著者を知っているという前提が必要ですが、満開佐倉文庫の場合、著者を知らなくても、ざっと見渡して、このような著者もいるのかと思うことができるということでしょうか。
 言ってみれば、本屋の本棚を眺めるように著者一覧をみることができるということでしょう。
 それから、図書館の検索でできないことをすることですね。それは内容検索をつくることだろうと思います。それをいつ作るかって?まだ、これまでの作業が終わったばかりですから、当分、先の話ですがね。

 8月4日
 半年分の情報整理を終えたので、少し息抜きをします。

 8月2日
 【佐倉本探索日記】の著者検索を更新。郷土資料・著者検索を新設しました。
 【佐倉本新刊案内】の著者検索を更新しました。この作業で、半年間の佐倉本情報を整理し終えました。どうぞご利用ください。次回は、半年後に整理予定です。

 8月1日
 情報整理中。
 7月の訪問者(アクセス)数、1165人。1日平均 37.5人。

 7月31日
 情報整理中。

 館主語録。
 今日のできごとも、明日には歴史になる。
 今日出版された本を集め続ければ、それも一つのデータになると思う。
 広く捉えれば、今の佐倉を集めるということなんだな。そこから、私たちの生きた時代は、佐倉がどのように描かれ、どのような人が活躍し、何に感動していたのか、なんてことが見えてくるのではないかと思う。

 7月30日
 【雑誌・冊子・論文・資料紹介】の平成18年を入力。著者検索、研究雑誌検索、一般雑誌検索を更新。【図録・報告書】を更新しました。ご利用ください。本日は、かなり疲れました。

 7月29日
 中央公民館で、朝顔の展示会が開かれました。中には「佐倉」と名前のついた朝顔がいくつかありましたので、主催者の了解をいただき紹介します。なお、佐倉とつけられた由来はわかならいということでした。

 佐倉の清衣  佐倉の桃  佐倉の紫  佐倉の舞姫
 佐倉の翁

 7月28日
 トップページをいろいろと直しましたが、行間を広くすると字間も広くなり、行数が増えてしまいましたので、「テーマ別情報」の行間は広げ、そのほかの行間は従来どおりとしました。ちょっと無駄な作業になりました。

 新聞情報。
 〔高橋真琴・少女マンガ〕
 藤本由香里氏は、少女マンガの起源を、高橋真琴氏(佐倉市在住)だと述べています。(2006年7月26日付 読売新聞夕刊 本よみうり堂 コミック館)

 7月27日
 情報整理中。
 トップページ、整理中。「テーマ別情報」の行間を若干、広げたのがわかりますか。ほかは従来の行間であったり(狭い)、「執筆中の電子本」は改行して広すぎたりしています。

 7月26日
 情報整理中。

 7月25日
 「佐倉本新刊案内」平成13年、14年、17年更新。平成18年、入力終了。

 7月24日
 みなさんからいただいた情報を整理しようとした矢先、パソコンが壊れてしまい、修理をしたり、ソフトを入れなおしていました。気力も若干、萎えていました。
 ようやくパソコンが落ち着き、気力ももどってきましたので今年半年間の情報を整理し始めます。
 これまた地味な作業ですが、みなさまからいただいた情報は、日記で紹介しているだけですから、データとしては使えないんですね(情報が多くて、どこに書いてあるか検索できない)。これを均一に整理して初めてデータとして使えるようになります(利用しやすくなります)。

 7月20日
 パソコン、復調。

 7月18日
 フロッピーデスクを使おうとしたら作動しない。
 「あれ、まだ壊れている部分がある」と気づき、再び、がっかりする。もう一度、パソコンを入院させないとならないかも知れない。

 7月12日
 【佐倉市民本新刊案内】、「平成17年」更新。「平成18年」入力。「著者検索」更新。

 昨月あたりから、佐倉が出てくる新聞切り抜きをいただくようになった。そういえば、以前、駕篭舁さんからも長嶋さんが読売新聞に連載されるという情報をいただいたことがありました。
 新聞も一つの情報源ですね。そのようなことで、新聞切り抜きも掲載することにしました。ただし、新聞情報は扱い方がむずかしいので、あくまでも館主の掲載方針で掲載、否掲載を判断することにします。
 掲載できるものは、明るい佐倉の話題、歴史の話題、記録に残りそうな話題、なるほど佐倉と思う話題など、佐倉にとってプラスイメージの記事に留めておきます。
 事件や事故、個人の話題、疑わしい内容などの記事は掲載しません。
 それから、新聞には著作権がありますので、「見出し」そのものの題はつけられません。そのようなことに配慮しながら掲載をしていきますので、みなさまの情報をお待ちしています。

 7月11日
 データの確認作業と修復作業、および更新作業をしています。

 7月10日
 メールが受信できるようになりました。

 ハードディスクが破壊されたため、これまでみなさまからいただいたメールは、すべて消滅してしまいました。
 でもいただいた情報は、すでにホームページに掲載しているので実質的な被害はないと思います。
 ただメールアドレスも消滅してしまいましたので、こちらからみなさまにメールを送ることはできません。みなさまからメールをいただき、それでアドレスをつくりたいと思います。

 ネット環境の再構築を進めています。

 7月9日
 わがパソコンがウィルスにやられまして、ハードディスクが破壊されてしまいました。
 原因不明です。4日、パソコンが立ち上がらなくなってしまいました。何がどうしたのか理解できませんでしたが、とにかく私のパソコンを作ってくれた店にハードディスクを持って行きました。
 途中、もしかしてウィルスか、ということが思い浮かびましたが、やはり店でも、同じような判断でした。そのまま入院し、本日、引き取ってきたところです。でも店で作ってくれたパソコンだから、これくらいの日数で復旧できたのだと思います。メーカーに送ったら、1ヶ月ぐらいかかったでしょう。

 そのようなわけで、みなさまからいただいた情報を整理するどころの話でなく、破壊されたソフトを再度インストールしたり、データを再構築したりしなければならなくなりました。どっと疲れが出ています。
 ただホームページのデータなど、いくつかのデータは大丈夫であったのが救いです。

 それから司書さんのアドレスが消えてしまいましたので、申し訳ありませんが再度、メールください。そうでないとこちらから連絡ができません。
 また、4日〜8日にかけて館主あてにメールを送った方がおりましたら、そのメールを再度送ってください。→ まだメールがうまく受信できませんので、送らないでください。

 7月3日
 今回の作業内容。みなさまからいただいた半年間の情報を
 1、「佐倉本探索日記の著者検索」
      → 「あ」〜「わ」に振り分ける。
 2、「佐倉本新刊案内」
      →「平成13年」〜「平成18年」に振り分ける。
 3、「佐倉本新刊案内の著者検索」
      →「あ」〜「わ」に振り分ける。
 4、「佐倉市民本新刊案内」
      →「平成15年」〜「平成18年に振り分ける。
 5、「佐倉市民本新刊案内の著者検索」
      →「あ」〜「わ」に振り分ける。
 6、「図録・報告書」
      →更新
 7、「雑誌・冊子・論文・資料紹介」
      →「平成15年」〜「平成18年」に振り分ける。
 8、「雑誌・冊子・論文・資料紹介の著者検索」
      →「あ」〜「わ」に振り分ける。

 そのようなわけで、しばらく更新作業を行なっていますので、「満開佐倉文庫だより」は内容がありません。

 7月2日
 6月の訪問者(アクセス)数は 1384人。 1日平均 46.1人でした。

 今月から、これまでいただいた半年間の情報を整理して行きます。

  6月30日
 えっ、6月がもう終わりか、と驚いています。早いもので、もう1年の半分が経ってしまいました。今年は、春先よりホームページ全体の整理をしてきました。
 大きな変更点としては、フォントの設定をfontタグからスタイルシートで設定するようにして、従来のページをつくり直してきました。
 画面で見ると、その違いはわからないかもしれませんが、数ヶ月かけて変更してきました。

 次に行間を広げる作業をしてきました。普通、ホームページを書くにあたっては通常の行間が設定されていますので、行間を気にせずに文章を書いています。この行間が、私には狭いと感じていました。少し、老眼になったのでしょう。
 文字は大きくしていましたが、行間の狭さには不満を持っていました。そこで、行間を広げる作業をすることにしました。早い話、全ページの各項目、各条に「行間を広げるコマンド」を設定していくという作業です。これがたいへんな作業となりました。とにかく、よくも書いてあったなと感心をしてしまうくらい書いてありました。

 行間の差は、当該「満開佐倉文庫だより」の行間と、両脇にある少し小文字の「項目」では、見た目でも違いがあることがわかると思います。

 このような作業をしていたため、佐倉本や新刊案内などの整理をすることを怠っていました。
 しかし、いただいた情報は整理して均一に、また読みやすくしないと情報として使えないので、7月なったら、整理作業に入りたいと思います。

 6月28日
 当ホームページが成田市立図書館のホームページにある「電子情報(リンク)」→「地域情報」にリンクされていました。
 http://www.library.narita.chiba.jp/

 また佐倉市立図書館のホームページには、「電子郷土資料室(リンク集)」→「佐倉本データベース(満開佐倉文庫提供)」として、「佐倉本2006」の情報を提供しています。
 http://www.library.city.sakura.lg.jp/

 6月27日
 訪問者からメールをいただく。
 こちらのHP、とても充実していてびっくりしました。たくさんの司書の方がいらっしゃるんですね。
 特に興味深かったのが、佐倉ゆかりのいろいろ検索です。様々な映画や本に佐倉が登場していて、是非チェックしたいと思います。

 <返信>
 当ホームページをご覧いただきましてありがとうございます。これからも、お越しください。また佐倉本についての情報がありましたら、教えてください。

   6月24日
 友人と満開佐倉文庫の話をしていたとき、当ホームページはブログのようですね(嫌みではありません)、といわれました。
 そう、外見、機能ともにほとんどブログ状態となっています。初めてサイトを訪れた人はブログと勘違いをするのではないでしょうか。
 ブログとは今流行の簡易ホームページで、日記程度の内容なら呪文のようなHTMLで文章を作成することもなく、気軽に作成できます。そのために、近ごろブログに人気があります。画面は日記が中心に構成され(「満開佐倉文庫だより」と同じ)、日記の下段や、脇の欄にはカレンダー、コメント、トラックバック、過去の日記などという項目(「佐倉情報ライブラリー」と同じような項目)があります。
 そのようなことで、トップ画面を見るかぎり、当ホームページはブログに見えます。が、似て非なるものですし、ブログを真似して構築したものではありません。
 当ホームページは、当初「印旛沼フォトギャラリー」でありました。しかし、題名を「佐倉と印旛沼」に変えた時から基本的には日記風のホームページになっていたのです。
 そして、情報を集めるのに最適、かつ情報を整理して項目ごとに見やすくする形を追求したらブログ風であったというところです。その段階的な変遷は、みなさんがご承知のことと思います。
 ただ、ブログではコメント(項目)の集約などは自動的に束ねられるのでしょうが(よくわかりませんが)、当ホームページの場合、館主が手動で整理しているところが辛いといえば辛いです。
 それから、第二層に飛べば、画面の構築に、少々、凝ったページがありますからホームページとわかると思います。

  6月21日
 スナフキンさんから、お礼のメールあり。
 早速、入手できるものから、中身をあたって見てみます。
 さすが、電子図書館ですね。皆さんの頭の中にある情報も共有できる場があることは、本当に、ありがたいことです。

 <返信>
 満開佐倉文庫は建物がありませんが、みなさんが共有する情報はあります。この情報を共有するだけでも充分に役立つことが証明されて、文庫の存立意味が確認されたのではないかと思います。
 これからも利用ください。

 〔館主語録〕
 情報を共有する絆は、文庫の運営が誠実であることと、司書さんとの信頼関係にあると思います。その意味でオフ会を行い、文庫の運営を報告したり、司書さんとの親睦を深めることが重要です。

 6月20日
 駕篭舁さんからメールあり。
 堀田家江戸屋敷の変遷については、佐倉市史巻2のp401に載っています。それによると上屋敷だけでも、寛文10年の正俊の時代から明治4年の廃藩までの間に20回も変わっています。
 前に安政大地震後浜町に移ったと書きましたが、市史によると、浜町に移る前に、安政2年10月の地震直後、麹町の宝田町(東京鎮台営)に移っていました。
 このことは、ホームページ「1855安政江戸地震」でも確かめられます。(URLのアドレスが長すぎるので、名前で検索してみてください)
 HPによりますと、「上屋敷を上地した堀田備中守は、松平伊賀守とその隣地松平玄蕃頭屋敷を拝領した」(pdf 36ページ)とあり、多分ここが、その宝田町ではないかと思います。
 地震で壊滅したので、上地となり、代りの屋敷をすぐに与えられたようです。また31ページには、小川町の上屋敷が壊滅同然となり、しかも焼失して死者41人が出たことや、正睦が、火事装束をつけて登城し、緊急事態に対応するため老中首座に任命されたことなどが書かれていて興味深いです。
 因みに宝田町から浜町へ移ったのは安政5年9月とのことです。
 本は近々中にお持ちします。以上

   <返信>
 情報をありがとうございました。さっそくスナフキンさんにメールを送ります。

 6月19日
 スナフキンさんからメールあり。
 5月25日の駕篭舁さんのメールを読みました。堀田家の上屋敷に関する資料がないでしょうか。
 また、聞いた話ですが、堀田家の下屋敷のあった場所、現在渋谷にある日赤医療センター周辺は開発対象になっているため、「掘田坂」等、昔からの由来のある地名や由緒ある地域が無くなってしまうのではないでしょうかと言われました。

 〔駕篭舁さんのメールを再掲〕
 『広重の大江戸名所百景散歩』(1996年4月 叶l文社)嘉永・安政・江戸の風景百十九の中に「みつまたわかれの淵」という絵があります。
 その解説記事の中に隅田川の左岸から中州越しに箱崎と、右岸の大名屋敷を望んでいる。赤い門のあるのは堀田備中守(正睦)の上屋敷である。・・・
「この絵は広重の最晩年、安政3年から5年にかけて描いた傑作である」とあります。
 解説文で堀田家上屋敷として特定しているの点に価値があります。切絵図もこれに符合していますし、安政地震の後、上屋敷は実際に浜町へ移っています。


 <返信>
 私も堀田家の上屋敷の資料は知りません。また、佐倉にゆかりのある「堀田坂」が消えるのはさびしいですね。以前、写真を撮りに行ったことがあります。ホームページに掲載しようとしたのですが自宅内行方不明となってしまいました。また行ってみましょう。

 <駕篭舁さんへ>
 今度、その本を見せてもらうことが出来ますか?

   6月18日
 佐倉にゆかりのある依田学海は、明治31年、那須の塩原に出かけています。そして、升屋の主人と戊辰戦争の話をしています。
 このとき、学海は元佐倉藩士であった小柴小次郎が、山を越えた藤原(鬼怒川)の戦いで傷を負ったことを話し、そのことを『墨水別墅雑録』に記しています。
 私は、いつかその場所を訪れたいと思っていましたが、今回、学海が訪れた宿や寺などをたずねてきました。紀行文は後日掲載します。

 6月16日
 〔館主語録〕
 満開佐倉文庫は建物がないけれど
 なくても平気
 多くの司書さん、友人がいるんだから
 目標があるんだから


  6月15日
 地域情報紙からメールあり。
 満開佐倉文庫を取材して、本サイトと館主を地域に紹介したいとのこと。
 満開佐倉文庫が紹介されるのは良いのですが、館主の写真が載るのは遠慮したいと伝えました。

〔館主語録〕
 満開佐倉文庫は
 今を集め
 今を整理し
 今を伝える


 6月11日
 オフ会のとき、N・Mさんから「佐倉の音」はどうですか?という話がありました。
 見せられたものは、LPレコード「関東SLの旅」(1972年 キングレコード)で、@佐倉駅構内入換(「ハチロク」の音) A総武線の音、その他の鉄道の音が収録されています。
 私は驚いてしまいました。へぇー、「音」もいいものだな。そこで、「佐倉の音」も収集範囲とすることにしました。収集範囲が広がっていきます。

 オフ会の話2
 小林旭が国鉄の引込み線でロケしたという話題について、ホームタウン佐倉さんが当日、謎解きをしてくれました。実は、この前日、自宅にビデオが届いておりまして、おおよその見当はついていました。
 でも、それでは、せっかく謎解きをしてくれるホームタウン佐倉さんに申し訳ないと思い、ビデオの話をしないで謎解きを聞くことにしました。
 ところが、ホームタウン佐倉さんはビデオを見ていないにもかかわらず、撮影年と列車の運行状況からロケ場所を当ててしまったのです。これにも驚きました。
 その後、ビデオを見て確認したしだいです。ホームタウン佐倉さんに限らず、鉄ちゃんたちは昭和43年当時、廃線になったレールに貨車が置かれていた状況も記憶していました。

 6月10日
 満開佐倉文庫開設6周年記念のオフ会を中央公民館で行ないました。当日の参加者は5人でした。まず、昨年の満開佐倉文庫の活動について、「年報」から説明をしました。
 続いて、ホームページで話題となっていた鉄道の話に移りました。
 @はしだのりひことシューベルツのレコード・ジャケットが国鉄時代の佐倉機関区で撮られたということについては、「蒸気機関車に付けられたプレート番号から佐倉機関区であった」と、全員一致で確認しました。
 A小林旭・宍戸錠が佐倉駅の引き込み線でロケしたという映画「縄張(しま)はもらった」についてはビデオを確認し、全員一致で「現在、法務局近くにあった引込み線近くである」という結論になりました。
 会議終了後、現地視察を行い、「だいたいこの辺であっただろう」という確認をしました。
 その後、2次会の中で、各人の「鉄道こだわり歴」に花が咲きました。そして、次回は各人の「鉄道お宝品」を持ち寄って話をしようということになりました。
 どのような「お宝」が出てくるのか、わくわくします。もちろん、館主としても、相手の「お宝」に対して、どのような「こ宝」を出そうかと、あれこれ悩むことになります。でも、この時間が楽しいんですね。コレクターとしては。

 6月7日
 黒田碧さんから、今月の連載小説は休ませて欲しいと連絡をいただきました。わざわざ連絡くださり、恐縮しています。書けるときに書くだけで結構です。

  6月5日
 fukikohassyさんから佐倉情報あり。
 館主さま。
 ごぶさたしています。古い新聞に小林旭と宍戸錠が佐倉市六崎地区(国鉄駅引き込み線)で格闘シーンがあったという記事を見つけました。
 昭和43年9月8日付、千葉日報に出ています。「先月2日、小林旭は既報のとおり小編成のロケ班とともに千葉市へ早朝到着。千葉刑務所を舞台に出所するシーンを撮影。
 続いて午前11時から佐倉市六崎地区(国鉄駅引き込み線)で宍戸錠とのからみで格闘シーンを撮影、紅一点のニューフェース久本由紀も加わって、炎天下、勇ましいロケを行なった」
 映画の題名は「縄張(シマ)はもらった」で、10月に千葉日活で封切られたそうです。

 <返信>
 知りませんでした。また新しい発見ですね。さっそくDVDがあるかどうか探したのですが見つかりませんでした。まだDVDになっていないようです。残念。
 「渡り鳥シリーズ」だとDVDになっているものがあるんですが・・・。

 ☆☆☆
 そのようなわけで、「鉄ちゃんクラブ」のみなさま、今週のオフ会には、これも話題にしたいと思います。
 鉄道雑誌などに紹介されていないでしょうか。
 『近代映画』という雑誌があったと思いますが、この辺からもアプローチしてみましょうか。

  6月4日
 某所で、「小説・エッセイに描かれた佐倉」の話をする。司会者が満開佐倉文庫の紹介もしてくれました。

 6月3日
 「はねいガーデン」の園主から「バラの花が咲いています」というお誘いを受けましたので、満開佐倉文庫の仲間たちを誘ってお邪魔しました。
 庭はイングリッシュ・ガーデンで、さりげなくバラや季節の花が咲いていました。このような場所で満開佐倉文庫のオフ会を行なうものいいなあと思いました。

 6月2日
「佐倉情報ライブラリー」の中に「鉄ちゃんクラブ」という項目をつくりました。佐倉の鉄道の話をして、盛り上がってください。

6月1日
 5月の訪問者(アクセス)数。 1,114人  1日平均 35.9人

   本日、開設6周年を迎えました。
 これもみなさまのおかげです。ありがとうございました。

  5月29日
  Mさんから、5月21日、佐倉で行なわれたNHKのラジオ体操を録音しておいたというので、そのテープをいただく。著作権があるので公開はしませんが、満開佐倉文庫のコレクションとして大切に保管します。

  5月25日
 駕篭舁さんからメールあり。
 地図は佐倉本の対象外だと思いますが、次の絵と文を合わせて対象にはなりませんか。
 『広重の大江戸名所百景散歩』(1996年4月 叶l文社)嘉永・安政・江戸の風景百十九の中に「みつまたわかれの淵」という絵があります。
 その解説記事の中に隅田川の左岸から中州越しに箱崎と、右岸の大名屋敷を望んでいる。赤い門のあるのは堀田備中守(正睦)の上屋敷である。・・・
「この絵は広重の最晩年、安政3年から5年にかけて描いた傑作である」とあります。
 解説文で堀田家上屋敷として特定しているの点に価値があります。切絵図もこれに符合していますし、安政地震の後、上屋敷は実際に浜町へ移っています。

 <返信>
 OKです。
 私は地図情報も集めています。江戸時代のものは少ないのですが、明治以降のもので「佐倉」と記載された地図は、いくつかの情報があります。
 江戸時代のものも、切り絵図の本がありましたね。今、確認をしようとしたら家の中で行方不明です。
 これから地図情報も掲載していくことにしましょう。満開佐倉文庫に新しい項目ができます。ありがとうございました。

 5月20日
 はしだのりひことシューベルツのレコードをオークションで発見。ドーナツ盤、LP盤、CDがあり、それぞれ機関車の角度が違っています。
 オークションの写真が小さいので、これが旧国鉄佐倉駅の機関区かどうかわかりません。とにかく手に入れたいと思います。

 5月19日
 本日も雨。どうもこのところ雨模様の日が続いています。
 もっとも花にとっては恵みの雨で、若葉が伸び伸びとしています。
 一方、まんさく家庭果樹園主として考えると、この雨でブルーベリーの実、スモモの実、桃の実が早く大きくなるのではないかと期待します。
 物事を良くとるも悪くとるも、考え方一つですね。

   5月18日
 TONGさんから佐倉情報
 はしだのりひことシューベルツというフォークグループが、かなり前にレコードを出しましたが、ジャケットの写真は旧国鉄佐倉駅の機関区で撮られたものです。

 <返信>
 ありがとうございました。さっそく、探してみます。

 5月15日
 某大学の通信教育の本、『専門資料編』を読んでいたら、現代の図書館についての記載がありました。
 「図書館は、歴史・文化・芸術・科学技術などの記録を大量に集め、保管する知識の共同利用センターなのである」

 「今日の図書館サービスは、資料の保存よりも貸出冊数・利用登録者、レファレンスや相互貸借といった多様なカウンターサービスの充実という質の面が問題とされる。
 要するに、図書館は書籍類などの資料の保存する場所というよりは、大量かつ各種の情報を一定の場所(図書館)に集めて総合的に共有・運用する情報資源センター的な役割を果たすようになってきている

 「たとえば、パソコン通信の新聞記事検索サービスを用いると、過去数年間の新聞記事を、目的の言葉だけを頼りにして、簡単に引き出すことができる。(略)今後、パソコン通信を利用するデータベース・サービスはさらに発展するであろう」とありました。

 満開佐倉文庫は本の貸出しをやっていませんが、情報の共有という点では図書館的な活動をおこなっているといえますね。本日は納得。

   5月10日
 司書さん・友人のみなさまへ、
 満開佐倉文庫開設6周年記念オフ会のお知らせ
 日時 6月10日(土) 午後2時〜4時
 場所 佐倉市立中央公民館
 内容 昨年の活動報告
 参加希望者は、メールで連絡ください。

 5月9日
 ここ数日、佐倉本の分類などについて考えていました。そして、何でこんなことを考えるのだろうかと自問していたら、良いヒントがありました。それは図書館学の5法則というものです。
 これは、司書資格をとろうとする人が学ぶ図書館概論という本に出てくるもので、図書館とは5つの本質がある、ということなのです。そして、この5つの本質を鏡として図書館をチェックせよということでもあります。
 これを満開佐倉文庫に当てはめてみると、私がやっていることが少し理解できるようになりました。

  図書館学の5法則
  第1法則 図書は利用するためのものである。
  満開佐倉文庫では、情報を利用できるように公開しています。

  第2法則 いずれの読者にもすべて、その人の図書を。
      *これは、利用者に対してサービスの平等を述
       べています。

  満開佐倉文庫では、インターネットで公開していますから、サービスは平等です。

  第3法則 いずれの図書にもすべて、その読者を。
      *これは、本に出会える方法や本を探すための
      手段として、分類、目録、書誌を整備し、書架
      設置を考えることとあります。

 私が今やっていることは「これだ」と思いました。そして、佐倉本という新しい分類項目をつくったので、その区分けに少々苦労しているということなのだろうと思いました。

  第4法則 図書館利用者の時間を節約せよ。
      *第3の法則を満たしたら、さらに読者が
      資料に出会う時間を短縮するようにサービス向
      上を図りなさいということです。

   これも、私は検索時間を短縮するために、時系列の検索と著者検索を並列しました。

 第5法則 図書館は成長する有機体である。
      *図書館の成長は資料の増加にあり、それに伴
      って利用者、職員が増え、建物が大きくなって
      いく。逆に成長をやめた図書館は消滅するとい
      うものです。

   満開佐倉文庫は佐倉本の情報をたえず頂いていますので、成長していると思います。そして、資料が増えたために佐倉本から佐倉市民本を独立させたりしてきました。その意味で、満開佐倉文庫は増殖中といえます。

 少し、自分ながら納得しました。これからも時々、図書館学の5法則を照らし合わせていきたいと思います。

 5月8日
 本を集めるにつれ、佐倉本に対する考え方が整理されてきました。そこで、右欄の満開佐倉文庫にある「捉え方」に、経年の変化を記しておきます。

 5月7日
 私が収集している資料の呼称について。
 先日から、いろいろと考えている。途中経過。

 T類 集めることで何かを論じたい佐倉本(狭義)
     小説・エッセイ・ノンフィクションなど
 U類 収集対象としての佐倉本(広義の佐倉本)
     佐倉市民本、漫画、一般雑誌
 V類 郷土資料
     学術雑誌・論文・資料紹介
     調査報告書・図録、冊子
 W類 佐倉コレクション
     CD・映画・テレビ情報・切手・記念キップ

 結局、私がコレクションとして収集の対象とする佐倉本と、「小説に描かれる町はすばらしい」ということを実証するために集めている佐倉本があるということですね。

 5月6日
 黒田碧さんの連載小説「城下町慕情」19を掲載しました。ご覧ください。

 5月5日
 <佐倉市立美術館から展示会のおしらせ>
 ちょっと佐倉学―美術にみる佐倉学入門
 佐倉学の一環として、近代日本美術史上に大きな足跡を残した佐倉ゆかりの作家―浅井忠、香取秀真、津田信夫―の作品を展示し、佐倉との関わりを中心に紹介する小企画。
 1階ロビーに、浅井忠4点 津田信夫2点 香取秀真2点を展示しています。

 平成18年4月25日(火)〜7月17日(月・祝)
 10:00〜18:00(入館は17:30まで)
 月曜休館(7月17日は開館)、入館・観覧とも無料
 佐倉市立美術館 1階ロビー
 主催:佐倉市立美術館
 〒285-0023 千葉県佐倉市新町210
 TEL:043-485-7851/FAX:043-485-9892

 5月2日
 <講演会のおしらせ>
 佐倉学総合講座記念講演会
 テーマ
 江戸勤番藩士の見た巨大都市江戸
 〜八戸藩士の日記などを素材に〜
 ************************
 日時 5月20日(土)午後2時〜4時
 場所 国立歴史民俗博物館
 講師 岩淵令治先生
 定員 200人
 申し込み 生涯学習課
 п@043−484−6189

 江戸時代、地方から出てきた人は江戸をどのように見たのでしょうか。たいへんに興味のあるテーマです。どうぞご参加ください。

 5月1日
 訪問者(アクセス)数、更新。
 4月の訪問者 1269人。1日平均 42.3人。

 <考えていること>
 トップページの佐倉本検索項目を整理できないかと思っています。それは、資料が集まるにつれ、佐倉本を分類していったのだが、まず満開佐倉文庫には、どのような分類項目があるのかを示す必要があると考えている。
 たとえば、
 T類 小説・エッセイ
    ・・・・・狭義(何かを論ずる時)の佐倉本
 U類 佐倉市民本
 V類 学術雑誌・論文・資料紹介
 W類 調査報告書・図録
 X類 児童書・漫画
 Y類 一般雑誌・冊子
    ・・・上記が広義(集める対象として)の佐倉本

 Z類 CD・映画・テレビ情報・切手・記念キップ
 [類 佐倉にゆかりのある人を探す辞典

 などという分類をし、その検索は「こちら」という表示をすることになる。あれこれ考えるが、いつも館主は「いかに検索しやすくなるか」ということを考えなければならないと思うのです。

 4月27日
 ここ10数日、年報を作成したり、著者検索をつくったりして、つまらない日記が続いています。ま、日記の内容はつまらないのですが、満開佐倉文庫としては大事な作業ですね。
 1年に1回は満開佐倉文庫のやってきたことを整理しておかないと、いずれ何をやっているのかわからなくなってしまうでしょう。
 年報を読んでみると、1年間でいろいろなことをやってきたなあと思います。また数年前にやったのではないかと思っていたことが、昨年やったのか、などと少々がっかりもしています。
 著者検索の整理作業は億劫でした。でもこの作業は、まだ道半ばです。これまでの作業は「佐倉本 2007」を作るための下作業でした。これからが本当の作業といえるでしょう。
 みなさんからいただいた佐倉本情報は、ただホームページに掲載するだけでなく、「佐倉本 2007」をつくって利用できるようにしたいと考えています。これからも、みなさまの情報を期待しています。

 4月26日
 ようやく「佐倉本探索日記」の著者検索終了しました。ご利用ください。
 私が昨年までに把握した佐倉本は、この著者検索とデータファイル「佐倉本 2006」にすべて記されていることになります。
 しかし、「佐倉本 2006」は時代別に紹介してあり、この著者検索は著者別に紹介してあるので使い勝手が悪いです。「佐倉本 2007」ができるまでご不便をおかけします。
 また、この著者検索ができましたので、司書のみなさまにおかれましては、「私のおすすめ佐倉本」を紹介しやすくなったことと思います。それぞれ、自分のテーマに合った佐倉本を数冊紹介していただけるとありがたいです。

 4月25日
 「佐倉本探索日記」の著者検索作成中。
 まもなく終了予定。

 4月24日
 「佐倉本探索日記」の著者検索作成中。

 4月23日
 「佐倉本探索日記」の著者検索作成中。

 N・Mさんから京成電鉄発行のパスネット「佐倉ふるさと広場 〜風車「リーフデ」とチューリップ〜」をいただく。
 ありがとうございました。

 4月22日
 「佐倉本探索日記」の著者検索作成中。

 4月21日
 「佐倉本探索日記」の著者検索作成中。

 4月20日
 いよいよ最大の懸案であった「佐倉本探索日記」の著者検索作成作業に入りました。佐倉情報ライブラリー(左欄)の中に、「佐倉本新刊案内」があり、その著者検索がありますが、これは近年発行された佐倉本の著者検索であり、司書のみなさまからご教示のあった過去の佐倉本は紹介されていませんでした。
 そこで、記録をとり始めた2003年から紹介のあった過去の佐倉本を含めて、著者をアイウエオ順に並べようという作業です。
 考えただけで気が遠くなりそうですが、この作業をやらないとファイル「佐倉本データベース 2006」と資料がつながらないのです。
 しかし、この作業を終えても、さらに「佐倉本2006」に、時代別に入力するという作業が残っています。

 4月18日
 年報2005年版の印刷OKです。

 4月17日
 年報のテスト版を掲載しました。右、下段の「電子出版」をご覧ください。まだ正式の発行というのではなく、しばらく掲載してからの発行とします。なお、印刷すると端が切れてしまいますので、後日、修正します。

 4月16日
 まもなく年報のテスト版が完成します。

 4月15日
 年報作成中
 みなさんからいただいた1年間の佐倉本情報を整理し、満開佐倉文庫がどのような歩みをしたのか振り返っている。ただそれを活字にするとなると、単に文字を打つだけの時間では終わらない。

 4月14日
 年報作成中

 4月12日
 年報作成中

 4月11日
 年報作成中

 4月10日
 年報作成中

  4月9日
 昨日は、JR東日本主催の「駅からハイキング」が佐倉で行われ、大勢の人が佐倉の桜を楽しんでいきました。また来年もどうぞお越しください。

  4月7日
 <佐倉市立美術館の展覧会>
 佐倉市立美術館では、佐倉や房総にゆかりのある作家の作品及び資料の収集をおこなっています。現在、「佐倉・房総ゆかりの作家たち」展が開催されており、新たに収集した作品を中心に紹介しています。
 期間は平成18年3月11日(土曜日)〜4月23日(日曜日) 観覧無料
 内容「浅井忠の図案と杉林古香」
 佐倉ゆかりの洋画家:浅井忠(1856-1907)は、日本近代洋画の先駆者として知られていますが、近年、晩年の図案家としての活動が注目されています。
 また、蒔絵師の杉林古香(1881-1913)は、浅井忠の図案の多くを漆器作品に仕上げ、浅井の図案を語る上で欠かせない存在です。そして、杉林の交友関係は、明治末の京都における図案と工芸の状況を伝えてくれます。
 美術館では浅井忠と杉林古香の図案活動に関係する作品と資料を多数収集しており、それらの資料は単に浅井の晩年の活動を知るだけでなく、西洋流のデザイン観を日本がどのように受け入れてきたのかなど、日本デザインの黎明期を知る上で大変貴重なものです。今回は、それらの作品と資料を次のカテゴリーに分けて紹介します。
  @ アール・ヌーヴォーとの出会い
  A 日本の伝統的表現様式の再評価
  B 杉林古香と京都の図案

 また、本市出身の洋画家で、日展を中心に活躍している櫻井慶治氏が美術館館に寄贈した作品も紹介しています。
詳しくは
http://www.city.sakura.lg.jp/museum/

 4月6日
 3月の訪問者(アクセス)数を掲載しました。3月は1510人の訪問者があり、一日平均48.7人でした。
  今月からカレンダー風に画面をつくってありますから、カレンダーとしても使えます。

 4月5日
 昨日、飛鳥さんから面白い提案をいただきました。内容は「司書の窓」に掲載しますが、飛鳥さんからいただいた提案をヒントとしてホームページに「私のおすすめ佐倉本」などという推薦コーナーを作りたいと考えました。
 司書さんが、これまで紹介された佐倉本の中から自分の好みに合わせて佐倉本を10冊(目安)紹介するというものです。順天堂ならこの10冊、佐倉連隊ならこの10冊、佐倉が描かれた本ならこの10冊とかいうものです。
 司書さんの思いによって、いろいろなテーマの10冊が紹介されるのではないかと思います。そして、それぞれの10冊を紹介していくことが佐倉を理解していくということにつながっていくのではないかと思います。
 10冊探せなかったら5冊でもいいですから、とりあえず紹介していただけるとありがたいです。どのように紹介していただくかについては、少し考えてみます。それまで司書のみなさま、本を選んでおいてください。

 4月4日
 飛鳥さんからメールあり。
 原稿が遅くなって申し訳ありません。桜の花に見とれている場合ではありませんでした。遅れましたが、お送りします。
 先日、原稿締め切りも忘れて掛川城へ行ってきました。大河ドラマで注目されている掛川城はすごい人でした。
 木造で再建された城として見てみたかった城は予想以上に良く、城近くの銀行などの店舗も漆喰を使った日本家屋の建物にし、町並みがまとまっていました。佐倉も、新しいものと古いものがうまく調和できるような町になるといいですね。

 <返信>
 原稿、拝読させていただきました。佐倉本への面白い提案をありがとうございます。考えてみましょう。
 今度、掛川の話を聞かせてください。

 4月3日
 黒田碧さんの連載小説「城下町慕情」18を掲載しました。ご覧ください。

 4月2日
 なっちゃんからメールあり。
 館主さま
 お忙しい毎日をお過ごしのことと思います。大変遅くなってすみません。「司書の窓」についての原稿をお送りします。
 「満開佐倉文庫」の今後の運営の参考になるようなものを・・・ということだったと思うのですが、『京町家の四季』を紹介しながら、「満開佐倉文庫」への自分の思いを書いたものになりました。取り急ぎお送りします。

 <返信>
 こんばんは。  原稿、拝読させていただきました。佐倉本に出会った喜びが伝わってきます。ありがとうございました。
 5月か、6月にオフ会を行ないますので楽しみにしていてください。

 3月31日
 ただ今、夜桜見物から帰宅したところ。見物といっても、宴会。ブルーシートをひいて、おでん鍋を囲んで9人が輪になる。ライトアップされた桜は満開。満開桜である。
 ところが、寒い(さみい)のなんのって、ありゃしない。ふるえる。車座の中から時々、人が抜け出て屈伸運動などをする。そうしないといられない。おでん鍋が凍るのではないかと思う冷たさである。しかも、飲みものは冷えたビール。
 そんなに寒いのならやめればいいのにと思う。そう思うが話は弾む。弾みながら屈伸運動が入る。そうこうして3時間。飲んだというより、よくも我慢したと思う。
 とても楽しい夜桜見物でした。

 3月30日
 霜が降りた。桜が3分から5分咲きという時期に、です。寒のもどりだという。おかげで桜の開花期間も若干延びるという。
 だから今年は例年より数日長く桜を楽しめるということになる。それを聞いただけで楽しくなる。楽しみは、自分の心しだいですね。

 3月29日
 今年注目すべきポスターと、パンフレットが出た。
 ポスターは「さくらのれきはくとおぼえてください」という国立歴史民俗博物館のものであり、パンフレットは「(財)日本城郭協会選定『日本100名城』佐倉城址公園ガイド」という佐倉市観光協会でつくったものです。

 歴博のポスターは催物のお知らせでなく、単に「佐倉の歴博」という呼び方を定着させようというポスターということになる。今まで佐倉関係のポスターを集めてきたが、このようなポスターは初めて見た。歴博が佐倉を意識したということであり、このポスターによって佐倉が宣伝されていくことだろう。
 私たちも「歴博のある町」として大いに語り、また佐倉を訪れた人には親切にしたいと思う。
 余談ながら、佐倉関係のポスターも収集しています。ユニークなポスターを見かけたら教えてください。

 佐倉市観光協会がつくったパンフレットには、(財)日本城郭協会選定「日本100名城」という付記があった。詳細を知りたいので、どなたか選定資料を教えてください。
 パンフレットを開くと、城址公園に咲く桜の種類が紹介されていた。私はこれまで「染井吉野」「八重(?)桜」「カワヅザクラ」ぐらいかと思っていたが、何と23種類もあるそうです。種類の多さに驚きましたが、下から見てわかるかなあと思いました。
 ちょうど今、桜が咲いています。散策しながら桜の違いを確かめてみましょう。

 3月28日
 ギムリさんからメールあり。
 遅くなりました。「司書の窓」の原稿です。あまりまとまらなくてすみません。適当に直してください。

  <返信>
 原稿いただきました。ありがとうございます。開設記念オフ会を楽しみにしていてください。

 3月27日
 駕篭舁さんからメールあり。
 遅くなりましたが、「司書の窓」への投稿文を送りますので宜しくお願いします。

 <返信>
 原稿、いただきました。ありがとうございます。年報作成中です。
 5月か6月に開設記念オフ会を開催しますので、楽しみにしていてください。

 3月25日
 市内の土産店に入ったら、JR東日本主催の「駅からハイキング」パンフレットが置いてありました。佐倉では4月8日(土)に行なわれる「城下町お花見ハイキング」の内容が掲載されています。
 このパンフレットには、すでに終わった「成東町いちごの里ハイキング」のことも掲載されていました。そういえば、先日、成東町を訪れた日が、たまたまこのハイキング実施日で大勢の人が散策をしていました。
 しばらくパンフレットを見ながらそのことを思い出していたら、店員は私を観光客と間違えたのでしょうか、親切に佐倉の町や歴史を話し始めました。
 ありがたいですね。このように熱っぽく観光客に話をしていただけると、佐倉を好きになる人が増えることでしょう。落花生を買い求め、店を出ました。

  3月16日
  夕方から雨。
 日曜日に植えたばかりの花にとっては恵みの雨だ。一足一足、春が近づいている。

 Yさんから初メールあり。
 新撰組の土方副長が大好きで大好きで、その流れで依田学海先生のことを知りたいと思っていましたが、貴サイトで貴重な情報をたくさんいただきました。ありがとうございました。
 まずは御礼まで…。

  <返信>
 はじめまして。
 満開佐倉文庫を運営している亀田雄岳と申します。Y様のご研究に少しでもお役に立てて幸いです。これからも、よろしくお願いします。
 なお、日野市に新選組の資料館があります。ここでは土方歳三が着ていたような洋服を借り、鉢巻きをし、刀をさして写真を撮ることができます。もう気分は、すっかり土方です。
 私も写真を撮りましたが、「いい歳をして」と思われるのでホームページには掲載しません。(笑)

 3月14日
 成東町に住む司書さんからメールあり。
 一昨日は、JRの「駅からハイキング」というイベントがあったため、町がにぎやかでした。
 次回はぜひ食虫植物群落の見学においで下さいますよう、お待ちしています。

  <返信>
 食虫植物群落、ぜひ見たいです。満開佐倉文庫の司書さんとうかがいますので、花の咲く時期の1ヶ月前ぐらいに教えてください。

 3月13日
 仕事をやめる知人と、県内を旅行してきました。途中、成東町の歴史民俗資料館で、成東町に住む満開佐倉文庫の司書さんとお会いできました。
 いろいろと町の説明をいただきましてありがとうございます。
 浪切り不動で一句「別れゆく人が眼に止む山椿」
                   雄岳
 「佐倉情報ライブラリー」の中に「テレビ情報 2004年〜」を掲載しました。ご覧ください。

 3月10日
 郵便局で、「文化功労者顕彰記念 長嶋茂雄写真付き切手」の申込書を確認しました。

 満開佐倉文庫司書のみなさまへ。大学の通信教育で司書資格が1年で取れます。本物の司書資格を取りませんか?興味のある方は館主までメールください。

 3月9日
 「佐倉情報ライブラリー」にある「佐倉本探索日記」→「こちら」の第3層を整理しました。文字を大きくし、行間を開けました。読みやすくなったと思います。

 3月3日
 黒田碧さんの連載小説『城下町慕情』17を掲載しました。ご覧ください。
 現在、ホームページの第2層、第3層の文字を整理しています。八谷衣人さんの『さくら・しゃべくる・くろにくる』、ホームタウン佐倉さんの『佐倉の鉄道噺』、黒田碧さんの『城下町慕情』、また「創作の本棚」の中にある水沢雪子さんの『柳 暗 花 明』『御くら花』を整理しました。
 読みやすくなりましたので、ご覧ください。

 3月2日
 2月に当ホームページを訪れてくれた人は1224人で、一日平均43・7人でした。では、43・7人は何時ごろ訪れてくれるのかということに興味を覚えます。
 それは、新鮮な情報を多くの人が訪れる時間帯に掲載したいということです。でも、当ホームページには時間帯をカウントをする機能がありません。そこで、普段感じているところで話してみたいと思います。
 私がインターネットを開くのは午後6時ごろです。メールをチェックし、訪問者数を確認します。そして、いったんパソコンを離れます。
 ホームページを更新し、メールの返信を送る時間は、だいたい午後の8時〜10時ぐらいです。まずはメールの返信をし、再び訪問者数を確認します。この時の数字を本日の訪問者数としています。それから、「満開佐倉文庫だより」を更新しています。また、書き足りないことや、新しく思いついたこと、書きすぎたと思うことがあり、夜中に更新をすることがあります。このようなときに漠然と数字を捉えることがありました。
 そのような不正確さで訪問者の時間帯を捉えてみます。
 1日平均40人が訪れたとしますと、
  午後8時〜午前2時までが15人前後
  午前2時〜午後6時までが10人前後
  午後6時〜午後8時までが15人前後
 これくらいの人数になります。・・・あまり意味がなかったかなあ・・・

  3月1日
 飛鳥さんからメールあり
 2月26日付けの「司書の皆様へ」の件、了解しました。

  2月28日
 2月の訪問者(アクセス)数をアップしました。訪問者は1224人。一日平均43.7人でした。
 ありがとうございます。

  2月27日
 本日、当ホームページへの訪問者(アクセス)数が50,000を超えました。厚く御礼申し上げます。これからさらに佐倉本探しを充実させていきますので、ご協力のほどよろしくお願いします。
 天候が定まりませんが、梅の蕾も膨らみ、日一日と春が近づいてきていることを感じます。季節の変わり目ですので、健康に留意されてお過ごしください。


 2月26日
   司書のみなさまへ。
 『満開佐倉文庫年報 −平成17年(2005)版ー』を5月の総会に発行する予定です。年報には「司書の窓」というコーナーがあり、司書のみなさまが日ごろ満開佐倉文庫について思っていることを書くことができます。
 満開佐倉文庫について考えたことなどをお聞かせいただき、これからの運営に参考とさせていただきたいと思いますので投稿をお待ちしています。
 字数は、35字程度 × 10〜20行でお願いします。
 締め切りは、3月31日
 館主までメールで送ってください。
 特に情報大賞をとったsendagiさん、次点のなっちゃん、松本良順を追っている飛鳥さんの投稿をお願いします。また新しく司書となった感想を駕篭舁さん、ギムリさんにお願います。
 もちろん、そのほかの司書さんからの投稿もお待ちしています。夢をお聞かせください。

     2月25日
 ギムリさんからメールあり。
 前日の佐倉本探しは、「集める」から「整理する・分類する」という段階に入ったといえますを受けて、佐倉本情報もいろいろに進化していくと思います。図書館は「成長する有機体」ですから。という励ましの言葉をいただきました。

 2月24日
 みなさんのご協力により、近ごろ佐倉本の情報が膨大になってきました。うれしい悲鳴です。
 ところで佐倉本を集めていると、それらの本の中で面白い括り方ができる本があるのではないかと思うようになってきました。その一つが昨日書いた「創作に富んだ面白い本」を集めて「満開佐倉文庫推薦図書」を選定したいということです。
 それから研究書ではありませんが、佐倉を発見する、あるいは佐倉を語る上で必要な本、という括り方ができる本もあるのではないかと考えるようになってきました。それはどういう本かというと、昨年度、情報大賞候補になった、なっちゃんの紹介してくれた杉本節子著『京町屋の四季』という本がヒントとなりました。
 この本はエッセイですが、以前、佐倉にあった奈良屋をたどれる本です。そのような本は、一つの括りとしておいたほうが便利であろうと考えます。そのような括り方、それを「(仮)佐倉発見本」とすることにしました。
 とにかく佐倉本情報が増えてきましたので、それらの本を大雑把に分類しておいた方がわかりやすいということです。しかし、分類といっても館主が考える基準で分けるのですからいい加減です。ま、これも佐倉本の楽しみ方と考えていただけば結構です。
 佐倉本探しは、「集める」から「整理する・分類する」という段階に入ったといえます。

  2月23日
 先日、村上元三の『河童将軍』は印旛沼が舞台であったことに驚いた。そこで、このような種の本を集めて満開佐倉文庫の推薦図書でもつくろうかと考えた。
 もちろん佐倉本で読んでほしい推薦書といえば、真っ先に司馬遼太郎の『胡蝶の夢』とか島尾敏雄の『死の棘』などを揚げるだろう。しかし、それは誰でも考えることで少しも面白くない。
 そうではなく、あまりにも創作に富んだ作品を選ぶという「遊び」があっても良いのではないかと思う。要は、「佐倉を描いたこんな面白い本があります。だかどうぞお読みください」という選定である。
 数冊も選べれば良い。そのようなことをしながら佐倉本探しが楽しくなれば良いのだから。そしてそれは読書を楽しむことにつながるのですから。


  2月20日
 私の加入しているプロバイダーから、ウィルスチェックのサービスがあるという知らせをいただく。
 私はウィルスバスターを入れていますというと、最近ではウィルスバスターでは通用しないウィルスも出て被害にあっている人がいるという。ウィルスバスターは、あくまでも処方箋で、プロバイダーのウィルスチェックは玄関の鍵をかけることだそうです。
 ホームページを運営していると自分のアドレスを公開してしまいますから、できるだけ安全対策をしなければなりませんね。

 2月19日
 トップページを少しリニューアルしました。

  2月17日
 トップページを少しリニューアルしました。今回のトップページ、リニューアルはここまでです(と思います)。
 トップページの大きなリニューアルは、開設以来、4回目となります。せっかくリニューアルしたのに1年以上やっていると掲載項目が増え、レイアウトに満足できなくなってしまいます。そこでついつい変更したくなってしまうのです。

 2月16日
 トップページを少しリニューアルしました。

 2月15日
 トップページを少しリニューアルしました。

  本日は暖かな一日でしたが、明日からは寒くなるとのこと。体調に留意してください。

 2月9日
 トップページをリニューアルしました。真冬なのに、夏の清々しさを出してみました。・・・?

 2月6日
 このごろの寒さは、半端じゃないですね。
 我が家では、まだ先日降った雪が溶けません。雪を集めて山にしていたのですが、これが溶けないんですね。山を崩して、いくつかの塊にし、庭にまいたのですが、溶けずに塊のまま一日たってしまいました。
 天気予報を見たら、今夜からまた雪が降るかもしれないと言っていました。がっかりです。

  2月1日
 月別集計「訪問者(アクセス)数」、1月分を掲載しました。1月の訪問者数、1240人。1日平均 40人でした。
 ありがとうございます。

 1月29日
 先週の土曜日に雪が降って1週間が過ぎたのに、建物の北側にはまだ雪が残っている。寒さが続いているのだ。

 黒田碧さんの連載小説「城下町慕情」第16回を掲載しました。ご覧ください。

 1月28日
 昨日は、モーツァルトが生まれた日。生誕250周年記念のコンサート「深澤亮子ピアノ演奏会」にいってきました。
 心が安らぐメロディー。たまにはクラシックも良いものですね。

 1月26日
 佐倉情報ライブラリーのデータ入力作業、第1段階終了。主に著者検索ができるようにしました。
 第2段階のデータ入力は、一息ついてから始めます。

  1月23日
 佐倉情報ライブラリーのデータ入力作業中。

 1月22日
 佐倉情報ライブラリーのデータ入力作業中。

 1月21日
 佐倉情報ライブラリーのデータ入力作業中。

 1月20日
 佐倉情報ライブラリーのデータ入力作業中。

 1月19日
 佐倉情報ライブラリーのデータ入力作業中。

 1月18日
 佐倉情報ライブラリーのコーナーに、【歴史・自然に関する論文、資料紹介】と【佐倉に関する雑誌・冊子記事】の項目を追加する。これから少しずつ整理していこう。

 1月8日
 寒い。とにかく寒い。少し風邪気味になってしまった。

 トップページを整理する。今年は佐倉情報ライブラリーを充実させたいと思っているので、ここの見栄えがよくなるように整理した。

 1月4日
 今年は佐倉情報ライブラリーのコーナーを充実させます。
 特に
   1)、佐倉と印旛沼の基礎データ
   2)、知っていそうで知らない佐倉雑学
   3)、佐倉の「へえ〜」と思うような情報
 そこで、まずは司書さん、友人で、「このような佐倉のデータがあったら便利だなあ」と思う項目がありましたら連絡ください。採用された項目は、みなさんで調べましょう。

2006年1月1日
 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

 ・黒田碧さんの連載小説『城下町慕情』15を掲載しました。
 ・新刊案内、平成14年、平成17年を更新しました。
 ・平成17年の「満開佐倉文庫だより」の記録は、佐倉情報ライブラリーのコーナーに収納しました。
 ・佐倉情報ライブラリーにある映画、漫画本、CD、切手、記念キップの内容を整理しました。
 ・12月の訪問者(アクセス)数は 1175人。
 一日平均37.9人。
 また平成17年の年間訪問者数は16,274人。
 一日平均44.5人でした。
 今年は、47,592からカウントしていきます。

   

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