満開佐倉文庫情報大賞

 この賞は、その年、満開佐倉文庫に寄せられた佐倉本情報、佐倉情報、佐倉の自然情報の中で、私たちに一番感動を与えた情報に送るものです。
 第3回(平成18年)満開佐倉文庫情報大賞選考は平成18年11月30日までにノミネートされた10作品を、12月10日の選考会に集まった司書さんに得票していただき、その中から一番得票数の多かった作品を大賞としました。また館主の判断で特別賞として「情報力賞」を選びました。
 当日、選考会に集まった司書さんは10名でした(うち1名 委任)。


  第3回(平成18年)満開佐倉文庫情報大賞

  「堀田正睦の暗殺計画」
  ホームページ掲載日 平成18年6月1日
  情報提供者  銀狐さん 

  [メール]
 堀田正睦暗殺情報について。まず、一番分かりやすく話が構築されて、世間的に多くの目に触れる可能性のある情報発信源ですが、司馬遼太郎が江藤新平を描いた『歳月』という小説に次のような件がありました。
 「藩士深川亮蔵という者がかって幕府の老中堀田備中守を暗殺しようとして事成らず捕縛された」と。つまり肥前佐賀の上士の深川亮蔵が暗殺を計画し藩に捕まったというのです。
 著名な作家の作品ですから、このあたりが噂の原点かもしれませんね。
 この点は、単に司馬遼太郎の作文かとも思ったのですが、西日本新聞社が刊行した『大隈重信』(大園隆二郎著)の中で、大隈が後年語った「深川が安政5年、堀田備中守が上京して条約の批准を奏詣し、かつ、勢い猛烈であった京都の攘夷論者を圧迫しようとした時、堀田を刺そうとして岩倉などに会見した」と述べたとされていることを発見しました。
 深川亮蔵は実在の人物でどうも八街の開拓にまで関係のある面白い人物のようです。水戸藩の隠密の件もあり、幕末の佐倉周辺はヤッパリ大変面白いと再認識いたしました。
 [講評]
 佐倉では語られない話です。それだけ、他藩にとっては重要な人物と見られていた証ですね。
 佐倉や佐倉ゆかりの人物について、私たちの知らない他地域で誰かが語っていることがあります。佐倉本探しというのは、地元のつながりや故人のつながりからでは発見できないような本を、「佐倉」という言葉をキーワードにして全国の資料を手に入れようとするところに一つの「ねらい」があります。
 他地域の人が書いた佐倉の評価は客観的であったり、批判的であったりしますが、そのような資料もあってこそ佐倉の実像が見えてくるのではないかと考えています。本候補は、佐倉本探しの成果を具体的に示す好例です。



 2位「シューベルツというフォークグループが佐倉駅で写真撮影」

 ホームページ掲載日 平成18年5月18日
 情報提供者  TONGさん 


[メール]
 はしだのりひことシューベルツというフォークグループが、かなり前にレコードを出しましたが、ジャケットの写真は旧国鉄佐倉駅の機関区で撮られたものです。

 [講評]
 これからしばらく話が盛り上がりましたね。これも「情報の魅力」があったればこそであり、そこが推薦理由です。「情報の魅力」というのは、これまでの判断基準になかったのですが、情報力とでもいうのでしょうか、情報の波及効果も考慮したいですね。



 3位「山車を牛が引く」

 ホームページ掲載日 平成18年9月21日
 情報提供者  七つの子さん 

  [メール]
 さきごろ開催された国立歴史民俗博物館の企画展「佐倉連隊にみる戦争の時代」で、山車の写真をご覧になったでしょうか?
 『日清戦争の招魂祭』と題された一枚です。図録では43ページに掲載されています。この写真に、麻賀多神社祭礼の7本の山車が写っています。私が知る限り、最も古い山車の写真だと思うのですが、如何でしょうか。
 祭り好きな私の仲間うちでは、この写真をめぐって「ちょっとした大騒ぎ」になっています(笑)上町の「日本武尊」の山車が後ろに傾いているのは、この山車が二輪で、牛に曳かせていたものだという何よりの証拠だそうです。

 <返信>
 私も図録を買いましたが、まさか日清戦争で「祭り」の山車とは気づきませんでした。私の知る限りでは、現在、山車が写ったものとしては、一番古い写真だと思います。
 山車が傾いているから牛に曳かせていた証拠とは、おそれいりました。こだわって見ていると、見えてくるものですね。祭りが近くなってきましたから、大いに盛り上がってください。
 [講評]
  佐倉に伝わる山車が牛に引かれていた、あるいはそのような構造になっているとは知りませんでした。



 4位「小林旭と宍戸錠が佐倉で映画ロケ」

 ホームページ掲載日 平成18年6月5日
 情報提供者   fukikohassyさん 

[メール]
 古い新聞に小林旭と宍戸錠が佐倉市六崎地区(国鉄駅引き込み線)で格闘シーンがあったという記事を見つけました。
 昭和43年9月8日付、千葉日報に出ています。「先月2日、小林旭は既報のとおり小編成のロケ班とともに千葉市へ早朝到着。千葉刑務所を舞台に出所するシーンを撮影。
 続いて午前11時から佐倉市六崎地区(国鉄駅引き込み線)で宍戸錠とのからみで格闘シーンを撮影、紅一点のニューフェース久本由紀も加わって、炎天下、勇ましいロケを行なった」
 映画の題名は「縄張(シマ)はもらった」で、10月に千葉日活で封切られたそうです。
 [講評]
 古い新聞を捜すという探索力に脱帽です。



  5位「印旛沼の河童」

 ホームページ掲載日 平成18年2月10日
  情報提供者   ギムリさん 



[メール]
印旛沼にまつわる民話を調べていたら、小川芋銭の「河童百図」の中に「印旛沼の一本足」という河童の絵があることを知り、河童についての話がないかと『県別河童事典』(河童文庫)を県立図書館から取り寄せてみました。
 河童の伝説はなかったのですが、村上元三著『河童将軍』(昭和25年)が紹介されていました。臼井城の原氏に仕えていた侍が、印旛沼の河童族の頭となって、利根川から侵略してきた水虎族と戦う話です。古い作品なのでご存知かとも思いましたが、お知らせします。

 <返信>
 小川芋銭の「河童百図」、村上元三著『河童将軍』は知りませんでした。特に村上元三著『河童将軍』は、ものすごい話ですね。もうギムリさんの解説を見ただけでもわくわくしてきます。
 印旛沼の河童の話は、小説ですが泉鏡花の「貝の穴に河童の居る事」という短編が『鏡花全集』巻23にあります。この河童は印旛沼、手賀沼の一族だそうです。  それにしても、やりましたね。情報大賞候補です。

[講評]
  印旛沼の河童。「そうか、河童か」。印旛沼で何か忘れていたものを思い出させてくれました。もう素直に「いいなぁ!」でした。




   特別賞「情報力賞」
「シューベルツというフォークグループが佐倉駅で写真撮影」


  ホームページ掲載日 平成18年5月18日
  情報提供者  TONGさん 


[講評]
 前にも述べましたが、この情報は5月にいただきながら、12月になっても関連の情報が寄せられています。「佐倉の再発見」という観点では大賞にはなりませんでしたが、半年以上も関連した情報が寄せられるということは、この情報に人を引きつける魅力と深さがあるのだと思います。そのようなことで「情報力賞」を送ります。

   




 第3回(平成18年)情報大賞候補作品 
 平成17年12月1日〜平成18年11月30日までに、みなさんから寄せられた情報の中から館主と司書さんで、すぐれた情報を10点選ばさせていただきました。これを第3回情報大賞候補としてノミネートさせていただきます。(平成18年11月30日)
情報大賞の選考会は平成18年12月10日に行いました。その結果は、上記の通りです。


 ☆☆☆☆☆

候補1「佐倉という漢字が、佐久良、佐久羅と記される」
 11月16日
 樋口雄彦「資料紹介 『さくら』『千葉連隊区将校団報』『五七』の総目次」『国立歴史民俗博物館研究報告』第131集 所収(2006年3月 国立歴史民俗博物館)
 戦前、佐倉には連隊が駐屯していました。『さくら』は、佐倉連隊区司令部が発行した在郷軍人会向けの雑誌。『千葉連隊区将校団報』は「戦術の研究」を連載し、専門的な内容。『五七』は、歩兵第五十七連隊発行の雑誌。その目次紹介です。
 『さくら』の題字は、最初、「佐久良」とあり、後、「佐久羅」とも表記された。佐倉という漢字がどのように記されるのか、ということを調べるのも面白そうだ。
 推薦理由  佐倉という漢字をあてるのに「佐久羅」があるとは知りませんでした。

 候補2「山車を牛が引く」
 9月21日
 七つの子さんからメールあり。
 ご無沙汰しています。さきごろ開催された国立歴史民俗博物館の企画展「佐倉連隊にみる戦争の時代」で、山車の写真をご覧になったでしょうか?
 『日清戦争の招魂祭』と題された一枚です。図録では43ページに掲載されています。この写真に、麻賀多神社祭礼の7本の山車が写っています。私が知る限り、最も古い山車の写真だと思うのですが、如何でしょうか。
 祭り好きな私の仲間うちでは、この写真をめぐって「ちょっとした大騒ぎ」になっています(笑)上町の「日本武尊」の山車が後ろに傾いているのは、この山車が二輪で、牛に曳かせていたものだという何よりの証拠だそうです。

 <返信>
 私も図録を買いましたが、まさか日清戦争で「祭り」の山車とは気づきませんでした。私の知る限りでは、現在、山車が写ったものとしては、一番古い写真だと思います。
 山車が傾いているから牛に曳かせていた証拠とは、おそれいりました。こだわって見ていると、見えてくるものですね。祭りが近くなってきましたから、大いに盛り上がってください。
 推薦理由  佐倉に伝わる山車が牛に引かれていた、あるいはそのような構造になっているとは知りませんでした。

 候補3「佐倉と名前のついた朝顔」
 7月29日
 中央公民館で、朝顔の展示会が開かれました。中には「佐倉」と名前のついた朝顔がいくつかありましたので、主催者の了解をいただき紹介します。なお、佐倉とつけられた由来はわかならいということでした。
 推薦理由  佐倉という名前がつけられた由来を探せる楽しみが増えました。

 候補4「佐倉の音」
 6月11日
 N・Mさんから「佐倉の音」はどうですか?という話がありました。
 見せられたものは、LPレコード「関東SLの旅」(1972年 キングレコード)で、@佐倉駅構内入換(「ハチロク」の音) A総武線の音、その他の鉄道の音が収録されています。
 私は驚いてしまいました。へぇー、「音」もいいものだな。
 推薦理由  とにかくユニーク。音をレコードにするなんて面白い発想の人がいたんですね。

 候補5「小林旭と宍戸錠が佐倉で映画ロケ」
 6月5日
 fukikohassyさんから佐倉情報あり。
 古い新聞に小林旭と宍戸錠が佐倉市六崎地区(国鉄駅引き込み線)で格闘シーンがあったという記事を見つけました。
 昭和43年9月8日付、千葉日報に出ています。「先月2日、小林旭は既報のとおり小編成のロケ班とともに千葉市へ早朝到着。千葉刑務所を舞台に出所するシーンを撮影。
 続いて午前11時から佐倉市六崎地区(国鉄駅引き込み線)で宍戸錠とのからみで格闘シーンを撮影、紅一点のニューフェース久本由紀も加わって、炎天下、勇ましいロケを行なった」
 映画の題名は「縄張(シマ)はもらった」で、10月に千葉日活で封切られたそうです。
 推薦理由  古い新聞を捜すという探索力に脱帽です。

 候補6「建築家吉村順三氏の処女作品は、佐倉厚生園サナトリウム
 6月3日
 なっちゃんから佐倉本情報のメールあり。
 永橋爲成監修『建築家 吉村順三のことば100 建築は詩』(2005年10月 彰国社刊)吉村順三氏のプロフィールに、「1941年 12月8日 建築事務所開設独立後の処女作品は、佐倉厚生園サナトリウム。」と書いてありました。
 吉村順三さんのことはほとんど知らなかったのですが、書店で何気なく手にとってパラパラとめくっていたら佐倉厚生園の文字が目にとびこんできて、即買ってしまいました。
 佐倉厚生園にサナトリウムがあったこと、名建築家といわれる吉村氏の独立後の処女作品が佐倉であること、初めて知りました。
 推薦理由  有名な建築家の処女作品が佐倉厚生園にサナトリウムだそうです。残っていれば、さらによかったと思いました。

 候補7「堀田正睦の暗殺計画」
 6月1日
 銀狐さんからメールあり。
 堀田正睦暗殺情報について。まず、一番分かりやすく話が構築されて、世間的に多くの目に触れる可能性のある情報発信源ですが、司馬遼太郎が江藤新平を描いた『歳月』という小説に次のような件がありました。
 「藩士深川亮蔵という者がかって幕府の老中堀田備中守を暗殺しようとして事成らず捕縛された」と。つまり肥前佐賀の上士の深川亮蔵が暗殺を計画し藩に捕まったというのです。
 著名な作家の作品ですから、このあたりが噂の原点かもしれませんね。
 この点は、単に司馬遼太郎の作文かとも思ったのですが、西日本新聞社が刊行した『大隈重信』(大園隆二郎著)の中で、大隈が後年語った「深川が安政5年、堀田備中守が上京して条約の批准を奏詣し、かつ、勢い猛烈であった京都の攘夷論者を圧迫しようとした時、堀田を刺そうとして岩倉などに会見した」と述べたとされていることを発見しました。
 深川亮蔵は実在の人物でどうも八街の開拓にまで関係のある面白い人物のようです。水戸藩の隠密の件もあり、幕末の佐倉周辺はヤッパリ大変面白いと再認識いたしました。
 推薦理由  佐倉では語られない話です。それだけ、他藩にとっては重要な人物と見られていた証ですね。
 佐倉や佐倉ゆかりの人物について、私たちの知らない他地域で誰かが語っていることがあります。佐倉本探しというのは、地元のつながりや故人のつながりからでは発見できないような本を、「佐倉」という言葉をキーワードにして全国の資料を手に入れようとするところに一つの「ねらい」があります。
 他地域の人が書いた佐倉の評価は客観的であったり、批判的であったりしますが、そのような資料もあってこそ佐倉の実像が見えてくるのではないかと考えています。本候補は、佐倉本探しの成果を具体的に示す好例です。


 候補8「シューベルツというフォークグループが佐倉駅で写真撮影」
 5月18日
 TONGさんから佐倉情報
 はしだのりひことシューベルツというフォークグループが、かなり前にレコードを出しましたが、ジャケットの写真は旧国鉄佐倉駅の機関区で撮られたものです。
 推薦理由  これからしばらく話が盛り上がりましたね。これも「情報の魅力」があったればこそであり、そこが推薦理由です。「情報の魅力」というのは、これまでの判断基準になかったのですが、情報力とでもいうのでしょうか、情報の波及効果も考慮したいですね。

 候補9「映画NANの一場面が佐倉ロケ」
 2月25日
 ギムリさんから、映画情報。
 ところで、映画「NANA」(残念ながら私は見てないのですが)のロケが上座であったそうです。インターネットで「CMロケ地写真館」というホームページに載っていました。佐倉の映画情報です。
 推薦理由  映画「NANA」が佐倉でロケされたと断定するまでの追及がすごいですね。

 候補10「印旛沼の河童」
 2月10日
 ギムリさんから佐倉本情報。
 印旛沼にまつわる民話を調べていたら、小川芋銭の「河童百図」の中に「印旛沼の一本足」という河童の絵があることを知り、河童についての話がないかと『県別河童事典』(河童文庫)を県立図書館から取り寄せてみました。
 河童の伝説はなかったのですが、村上元三著『河童将軍』(昭和25年)が紹介されていました。臼井城の原氏に仕えていた侍が、印旛沼の河童族の頭となって、利根川から侵略してきた水虎族と戦う話です。古い作品なのでご存知かとも思いましたが、お知らせします。

 <返信>
 小川芋銭の「河童百図」、村上元三著『河童将軍』は知りませんでした。特に村上元三著『河童将軍』は、ものすごい話ですね。もうギムリさんの解説を見ただけでもわくわくしてきます。
 印旛沼の河童の話は、小説ですが泉鏡花の「貝の穴に河童の居る事」という短編が『鏡花全集』巻23にあります。この河童は印旛沼、手賀沼の一族だそうです。  それにしても、やりましたね。情報大賞候補です。
 推薦理由  印旛沼の河童。「そうか、河童か」。印旛沼で何か忘れていたものを思い出させてくれました。もう素直に「いいなぁ!」でした。

 
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