――光の庭 03



 彼の人は、ただいつも…国防総省パトリック・ザラの背後に佇み、静かにパトリックと評議会議長であるシーゲルの会話を聞いていた。
その表情は決して伺う事は出来ない。その面は常に銀色の硬質な仮面に覆われていた。

 ペルソナ―――。
思い浮かんだのは異国の単語。仮面でその顔を隠すのと同時、彼は自分自身、その心すら覆い隠していた。
【仮面の策士 ラウ・ル・クルーゼ】の仮面で、その全てを。




「鬼は、誰かに捕まったら、どうなる?」
囁くように落ちてきた声に、ただ無意識に反応して視線を向けた。差し込む光を浴びて窓際に佇み、静かにソファを振り返っているデュランダルの無表情を見遣り、ラウはぼんやりと問い掛けを反芻させた。
「捕まえた、…ものが……鬼、……だ」
返事をするのが億劫だ。このまま眠ってしまいたい。身体が痛い。喉も、目じりも…頭も………心、も?

以前であれば、こんなことくらいで心は痛みもしなかった。ただの行為。生きていく、生き抜いて、来るべき日の為に必要である行為。そう捉えていた。
けれど、今はどうしてこんなにも胸が酷く痛むのだろう。
きりきりと…痛みに呼吸すらも奪われるようだった。

「そうか。それならば……次の鬼はまた君だよ……クルーゼ」
「……………」


 囚われたのだと、彼は静かにそう言った。

 何かを語る声が聞こえたけれど、それを理解するよりも先に、意識は淡く、けれど漆黒に包まれた世界へと落下していった。なにも見えない。なにも見たくない。ただ、暗き眠りのうちへ。














「カフェテラスで、アスランと3時のお茶をする予定なんだが、おまえも来るか?」
書類の束をヒラヒラと揺らしながら少しだけ早いペースで廊下を進むのは、約束の時間が迫っているからでもあった。
几帳面に時間を護る性格であると見せかけてみつつ、実際は恋人に逢えるのが嬉しい事が伺える。
己の三歩後ろを歩むレイに声をかけるイザークは、どことなく楽しげな調子だ。
「ご一緒してしまって宜しいのですか?」
いつもと変わらぬ静かな物言いで首を傾げるレイに、イザークは機嫌良さげな顔を向け、少しだけ蒼い双眸を細めて見せる。

こと、仕事の事となれば、厳しい面ばかりが出勝ちなイザークだ。
他の隊員からは恐れられている事が多い。
その見目は、白く高潔。美しく整った容姿であるから、密やかに憧れる隊員も居るが、口を開けば怒声か、高圧的な言葉ばかりが発される。
それゆえに、僅かにでもこんな緩んだ顔をされると、自然相手の緊張も和らぐものだった。

レイは、僅かに笑みを返しながら、イザークのその表情を眺める。
「ああ、構わん。どうせ、バルトフェルド達も一緒だしな。ルナマリアとシンにも声をかけて一緒に来ると良い」
「ありがとうございます」

アスランとイザークのおしどり夫婦ぶりは有名だが、それと同じくらいに、バルトフェルドとルーチェ、そしてムウ・ラ・フラガとキラ・ヤマトたちとの仲睦まじさぶりも有名だ。
2年前の大戦の折からの付き合いのせいだろうが、所属する部署はまったく違う分野であるのに、なにかと共に過ごしている事は多くあった。


さて、シンやルナマリアはどこに居るだろうかと考えながら歩いていると、唐突にイザークが歩みを止めるので、レイもその場に急停止することとなった。

「た、隊長?」
「レイ!すぐにカフェテラスに行って、バルトフェルドを探して来い!!」

言うなりイザークは走り出した。何事かとイザークを見遣るレイの視界に入ったのは、上官の腕に抱き起こされる、見知った人物の姿だった。

柔らかな波を描く金色の髪が、イザークの白い軍服の上で陽射しを受けて輝くのに一瞬だけ見惚れ、緩く瞬きをした後、レイはイザークに命じられた通り、すぐさま身を翻してカフェテラスへと走った――。
走り出しながら、ふと想う。この廊下の先にある一室。

あの廊下を真っ直ぐ進んで行けば、エレベーターホールに出るはずだった。軍本部ビル最上階にある評議会議長の執務室への直通エレベーターと、本部各階へ止まる通常エレベーターの二つが通る。

(まさか、な…)

一介の整備士が、まさか直通エレベーターで階上から降りて来たとは想えない。
が、なんとはなしに引っ掛かりを覚えるレイは、僅かにだけ背後を振り返った。
しかし、振り返ったのも一瞬。なにも無かった様子で、レイは再び前を見る。なんであっても、本人に問い質せば済む事だ。




 抱き起こした身体は、冷たくて、一瞬イザークは息を呑んだ。
どうして、こんなところに…と、一気に午後のティータイムを仲間と過ごせる喜びは、不安と焦燥に変わった。
昼から姿が見えなかったラウを、バルトフェルドはとっくに見つけていると思っていた。
なにか、あったのだろうか。イザークは、ともすれば震え出しそうになる自身を叱咤して、ひとつ、深呼吸をした。

「隊長!…クルーゼ隊長!」

いつものように偽名で呼ぶ事も忘れ、イザークは力無く、意識もない身体を軽く揺らした。

ラウが、最早嘗てのZAFT軍きっての策士であり、パイロットではなくても、イザークにとってラウ・ル・クルーゼという存在は絶対だった。
今でも尊敬すべき、護るべき人であると信じて疑わない。
そして、出来る事ならば、己の手で護りたい人でもあった。

バルトフェルドがいなかったなら、絶対に己が傍に居たに違いあるまい。
バルトフェルドが何に変えても護るというから、その言葉を信じたというのに。

「隊長!」
「………イ、…ザーク…」

イザークの必死の呼び掛けに、薄らと開かれる蒼い瞳。その瞳が、イザークを見つめて少しだけ微笑んだ。
向けられる笑みに、ほっと息をつく。
そっと、その身を膝の上に抱き上げるようにして、上半身を支え、額にかかる金糸を避けてやりながら、イザークも笑みを返す。

「良かった。一体、どうなさったんです。すぐに…バルトフェルドが来ます、から…」

昨日から、ずっと様子が可笑しいと想っていた。アスランもそれに気付いていたし、ラウと感覚を共有するムウは更に顕著にそれを感じていた。なんだかわからないが、不安に苛まれていると、そうぼやいていたが、ラウ自身は何も言おうとはせず、今に至る。

何が起きているのか、理解に乏しい様子で、ラウはぼんやりとイザークの言葉に聞き入っていたが、ふいに出るバルトフェルドの名前に、表情を固くして、イザークの腕へ縋りついて首を振った。

「た、いちょう?」
「いい!バルトフェルドには知らせるなッ!」

知らせるな、と、そう言われても、知らせはやってしまった後だった。
それに、この状態で知らせないわけにも行くまい。
原因はわからないが、倒れていたのであれば、どこかが不調である事は確かだ。
昨日からの事も合わせて気になれば、このままバルトフェルドと共に医務室で診断してもらうのが一番良いとイザークは考える。

どこか怯えてでも居るかのような様子に、矢張りどこか具合が悪いのだろうと想い、宥めるように背を撫でた。

「大丈夫ですから、落ちついてください、隊長…。本当にすぐにバルトフェルドが来ますから…一緒に医務室に…」
「いいと言っている!」

宥めるように撫でられる背。けれど、その手の動きはともかくも、告げられる言葉は不安を増長させるものだった。
その手を振り解き、ラウはイザークからも逃れようとする。壁に縋るようにして立ちあがり、首を振った。

「なんでもない。わたしに構わないでくれ…っ」

尚も拒絶を繰り返し、ラウはイザークから少しでも離れようとする。いつもとは明らかに違うその様子と、怯えた瞳に、イザークはどうして良いかわからずに困惑した。
なんでもないといわれて、そうですか、と言えるほど、大丈夫であるようには見えない。

それ以上に、ラウがバルトフェルドを拒否する事に、驚いた。
どんなに不機嫌でも、どんな時でも、ラウはバルトフェルドにだけは信頼を注ぎ、すべてを預けてきた。だからこそ、偽造のIDと偽名を使ってまでプラントで過ごしている。
それを、彼には知らせるなと、拒否する様には、何かがあったとしか想えない。
己の知らぬところで、恐らくはバルトフェルドも知らぬところで、なにかがあったのだ。

「しかし、隊長…」
「隊長と呼ぶなと言ったはずだ!!」

悲鳴に近い声は、いつにない怒りと焦りが滲む。

以前から幾度か、同じことを言われたが、イザークがそう呼ばないことは無かった。
ルーチェという偽名で呼ぶのは、人前である時だけで、それ以外では決して隊長、と役職をつけて呼び続ける。
それを、今までラウは見過ごしていたが、今はそれを許容する余裕がラウに無かった。

珍しく怒鳴りつけられ、イザークの肩がびくりと竦む。
そして、怒鳴ったラウの双眸に目をやった瞬間に、イザークは息を飲み眉を寄せた。


まるで…2年前の彼をそこに見ているようで、遣る瀬無い。生きる事を拒否し、差し伸べられる手をも拒否して、尚も死へ向かおうとしていた彼を、引き止め、掬い上げるのにどれほど皆が駆けずり回っただろうか?


「くそ…っ…なんで、こんなっ…」
一体、何があったというのか。誰も知らぬところで、一体なにが。誰が、ラウを再びそこまで追い詰めたのか。

イザークは悔しげに唇を噛み締める。そこへ、背後から足音が二つ聞こえた。振り返るまでもない、レイと、レイに釣れられてやってきたバルトフェルドである事は明白だ。
足音に反応して視線をやったラウの表情から、それはすぐにわかった。

「ラウ!」

呼びかけられる声に、ラウの肩はびくんと震えた。
以前にも似たような事があったなと、ぼんやりと、僅かにだけイザークは考えた。
まさに、2年前をここで再現しているかのようだ。そして最早、所謂部外者であるレイが居る目の前で、本名と偽名の呼び分けをする余裕すら、今は誰にもあるまい。

独り、怪訝そうにレイがイザークとバルトフェルドを見るが、その視線に気付いたものはいなかった。
ラウへ近づいたバルトフェルドが、矢張りイザーク同様、すぐに異変に気付く。
近づき過ぎれば逃げ出して行きそうな雰囲気に、バルトフェルドはそれ以上距離は詰めずに、眉を寄せてラウの様子を見つめた。

「どうした、こっちへ来い」
「嫌だ!」

おいで、と差し伸べられるバルトフェルドの手にも、ラウは首を振る。
その様子に、バルトフェルドは小さくため息をつくと、そのまま、ゆっくりとラウへ近づいていった。
怯えた様子で、ラウは数歩後ろへと下がるが、バルトフェルドが近づく速度のほうが、それでも速い。
伸ばしたその手が、ラウの腕へ触れそうなくらいに近づく頃、ラウは逃げ場を探して、視線を移ろわせていた。

 瞬間、それまでじっと事態を見詰めていたレイが、片腕を持ち上げて敬礼の形を取る。

「なんの騒ぎだ?」

 問いかけに、ぎょっとしてイザークも片腕を上げた。
それは最早反射に近い。
イザークとレイの敬礼に笑みを返した、突如の介入者は、目の前の出来事に大した興味も無い様子で首を傾げる。一瞬、事態に静けさが宿り、廊下はただ、シン…とした。

 次の瞬間に動いたのは、ラウだった。バルトフェルドから逃れるように身を翻すが早いか、どこか含んだような笑みを浮かべるデュランダルの腕の中へ、言葉も無く飛び込んで行く。
不意打ちのように腕の中に飛び込んで来たラウの身を、僅かに胸を揺らして受けとめたデュランダルは、不思議そうな顔をした後に、どこか楽しげに笑みを漏らした。

「おやおや…これはまた、どうした事やら……」

デュランダルにしがみ付いたラウの肩の震えは、一層大きくなった。最早、縋りついて立っているのがやっとなその状態に、デュランダルは尚も笑みを深める。
そっと、その背を宥めるように撫でてやり、瞳を細めてラウの耳元へ囁いた。

「なにも心配はいらないよ…クルーゼ」

 その囁きに、確かに安全を保障されたような気がして、僅かに力が抜ける。けれど同時、背後のバルトフェルドとイザークから注がれているであろう視線の存在を想えば、それもまた恐ろしくてもう顔を上げる事は出来なかった。
だから、一層強く、デュランダルに縋りつく以外無い。今、助けてくれるのはこの男しかいないのだと、そう想った。

「さて…バルトフェルド主任…君の副官だそうだが……どうしたことだろうね、これは」

わざとらしいまでに、事情が飲み込めないという顔をして、デュランダルは困ったような笑みを漏らす。
バルトフェルドはただじっと、ラウとデュランダルを見ていた。
横に佇んでいたイザークは、ただ、怒ってもいない、笑ってもいない真顔のバルトフェルドがむしろ怖くもあり、口が挟めなかった。

「い、医務室に、…連れていってくれ!!」
「わたしが?」
「そうだ…」

 その緊張状態を打ち切るのは、震えたラウの声。
やはり、不思議そうに応じるデュランダルに尚もしがみ付くようにして訴えるラウに、デュランダルはわかった、と短く返すが早いか、ラウの身を横抱きに抱え上げた。

「しょうがない。お運びしよう、お姫様…」

その様子すらもただ見つめ続けるバルトフェルドは、矢張り口を挟む気配もない。
その横を、ラウを両腕に抱えたデュランダルが通り抜ける時に、ちらりと気遣わしげにラウへ視線をやったが、ラウは頑なにその視線を拒み続けた。

デュランダルへもう一度、レイが敬礼を向け、まるでイザークの指示を待つかのように視線を向けて来る。だが、イザークは余りのことに、次の命令など出す余裕もなかった。

「バルトフェルド!お、おまえ!良いのか?!なぁ!」
いつになくうろたえた様子でバルトフェルドに掴みかかるイザークの剣幕に、バルトフェルドは初めてイザークの方を見た。

ラウを抱えたデュランダルの背が、エレベーターホールの方へと消えていく。それをもう一度見遣ったバルトフェルドは、ただ、イザークの様子に苦笑をもらした。
イザークは、今にも泣き出しそうな顔で、必死にバルトフェルドにしがみ付いていたのだ。

「君がそんな顔をするとは想わなかったな…」
「馬鹿野郎!そんなのんきな!!」
「すまん、…何も言うな」

わかっている、とバルトフェルドは視線を伏せた。わかっている、というべきか、否、今は何も言うなというべきか。
ただ、緊張が解けたように、バルトフェルドはひとつ大きく息を吐き出した。

「それより、自分の部下に指示を出すほうが先なんじゃないかね?」
「あ…あぁ……」
流石に、取り乱してしまった事は失態であったと想いなおして、イザークは黙ってそこに佇むレイを見た。
些か、気まずいところを見られた気がして、かといって、医務室の様子を見て来いとも言えない。やや考えて、イザークは、今見たことは誰にも言うな、としか言えなかった。





「やれやれ…もっと普通には振る舞えんのかね、君は…」
エレベーターの中で、デュランダルは溜息をついた。
その腕の中で変わらずに大人しいラウは、その溜息にも視線のひとつやらず、ただ、俯いていた。自分自身でも、説明ができない。
だが、あの瞬間。イザークの口からバルトフェルドの名前が出た瞬間に一番最初に想ったのは、彼に嫌われてしまうのではないかという事だった。
拒絶されるかもしれない恐怖。
それを想うと、恐ろしくてなにも考えられなくなった。愚かな事だと、心の内で知らぬ誰かの声が聞こえる。唯一だと想う者など作るから――。

「まぁ、こうして君がわたしの手の中に居てくれる事は好都合だが?」
「……………」
「構わんさ。好きなだけ、わたしに縋れば良い」

 デュランダルは嘲笑う。自らの意思でラウが傍に居てくれるのならば好都合。
なにも、再三バルトフェルドとラウの立場を脅しに使わずに済む。
しかしながら、どうして好都合であると、そう想うのかまでは、いまだデュランダルの知るところではなかった。

 柔らかに輝いて居た空は、俄かに曇る。ランダムに気候を生み出す気象システムは、これから先を雨に定めたらしい。
陽射しを振り撒いていた陽光はその姿を隠し、雨が、ぽつぽつと地表を濡らし始めていた。



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