――光の庭 04




 天井も側面も全て硝子張りになったカフェテラスの硝子は、雨粒に打たれ、しっとりと濡れていた。
適度な室温と湿度の保たれた居心地の良いカフェテラスの中を、イザークは落ちつき無くうろうろしては、どうしようとかこうしようとか、ぶつぶつとつぶやく。
その様子を眺め、ディアッカが溜息をついた。

「おーい、イザーク…どうしたんだよ、落ちつけって。アスランなら、すぐに来るってば」
「違う!俺はそんなことを気にしているんじゃない!」
「じゃぁなんだよ…」

部下である、レイとシン、そしてルナマリアを連れてカフェテラスへやってきたイザークは、先ほどからずっとこの調子だった。
取り付く島もないイザークの調子には、慣れているディアッカである。
溜息をついて肩を竦めると、目の前にあるマフィンを頬張った。

「だいたい…バルトフェルドはどうかしてるんじゃないのか?なんで、怒りもしないんだあいつは…」
「ふーん」
「しかもだぞ?!あいつ、いきなり、シャンプーとリンス、それにボディーソープを買って来いなんて言い出して、整備士をひとり買い物に出したんだぞ?!どういう神経してるんだ?!」
「うーん、やっぱここのマフィン美味いな」
「当たり前だ、ここのケーキは絶品だぞ」
「で、バルトフェルドがどうしたって?」

散々ウロウロした後、イザークはテラスのディアッカの向かいに着席し、注文して届けられたきり手をつけていなかったフルーツとナッツのタルトに手をつけた。
そこへ空かさずディアッカの問い掛けが入り、イザークは蒼い双眸を瞬かせ、ちらりと視線を部下たちへ流した。先ほどまでのうろたえぶりはどこへやら。
後でな、と囁いて紅茶のカップを手に取った。

「ねぇ、今の会話、意味わかった?」

 お気に入りの紅茶のシフォンを食べていたルナマリアが、じっとイザークとディアッカを見つめながら、横に居たシンへ問いかける。シンは無言で首を振った。

「さっすが、大戦時代も共に戦った間柄なだけはあるわよね…」

 感心したようにルナマリアは言うけれど。肝心の戦争をしていた頃ではなく、それ以前、幼い頃からの付き合いゆえに、その扱いを知らず心得ているだけとは、誰も知るまい。





 医務室の寝台の上へ並んで座り、その居た堪れなさから、ラウは視線を足元へ落とし、その横でデュランダルは機嫌も良さそうに小さなボード上に、非の打ち所のないほど詳細に作り上げられた【ルーチェ・ソレッジャード】の経歴を呼び出して眺めていた。

「バルトフェルド主任も良く考えたものだね。だが……一度でも、もし周囲に知られてしまったら…と、考えた事はなかったのだろうか?」
「………」

答えを必要としているようで、けれど必要とされていない、ただ、紡ぎ出されるだけの意味のない言葉。
バルトフェルドの意図などなにも知らない。

ただ、ゆっくりと想い返してみて、―― 一緒にいきたい、と言ったのは自分だったと想う。

プラント本国から、その技術や人望、能力を戦後復興のために貸して欲しい。生活は保証する。そう言われて、一度は断り、けれど、バルトフェルドは行く事を選んだ。

だから、ラウも――選んだのだ。

過去を忘れ、なにもかもを棄てて生きられるはずのないことを知りながら、己の罪を知りながら、それでも生きようと決めた時、その手を引いてくれたのがバルトフェルドだから。

だから、生まれ変わって、初めて自分で決めた。
一緒にいきたい、と。

「考えたからこそ、…こんなものを作り上げたのかな?どう想う?クルーゼ」
「………知らない。わたしは、………」

 想えば、バルトフェルドのことなど、なにも知らない。


 なにが好きなのかとか、なにを考えているのかとか、どんな顔をして笑ったり、語ったり、眠ったり…いっしょに暮らしていれば知っていて当然の事をなにも知らない。
それは、ラウ自身が見ていなかったから。
プラントに一緒に来たのは自分の意思だ。一緒に居たかったからついてきた。けれど、本当にただ一緒に居るだけで、なにも知ろうとしていなかった。

「知らない、か。…知らない事を、わたしは悪いとは想わないが……わたしは、知りたいね…」
「……………?」
「ルーチェ・ソレッジャードではない、…ラウ・ル・クルーゼ…君のことをね」

不思議そうに横に座っているデュランダルを見上げたラウは、意外なほどに優しい眼差しで此方を見る金色がかったオレンジ色の双眸に気付いた。

そっと、瞼にかかる金色の髪を指先にどかされた瞬間に反射で目を閉じると、そのまま優しく口付けられた。ほんの僅か、優しい仕草に心が動いて、緊張に強張っていた肩から力が抜ける。
けれど、優しい仕草とは裏腹に、紡がれた言葉はすぐさまラウの心を冷たく傷つけた。

「もうどのみち、君はわたしに縋るしか道はあるまい。だから、全て見せればいい。真実の君を」
「…っ……いやだ、…おまえは、嫌いだ…」
「けど、もうわたししかいないよ。君は独りだ」

 バルトフェルドを拒絶して、イザークを拒絶して。他に縋るものなんて、なにひとつ持っていない。

心の奥深くから沸き上がる冷たい【声】に肩を震わせ、ラウは視線を伏せた。
横に座っていたデュランダルが、寝台から腰を浮かせるのにも視線をやらず、唇を噛み締めていると、それまで閉ざされていた医務室の扉がいつの間にか開いていた事に気がついて、ラウは顔をあげた。
顔を上げた先にデュランダルがいて、こちらを見下ろしている。
けれど、その横に佇む姿を目にした瞬間、ラウは表情を凍り付かせた。

「独りかどうかはさておき、……」

 デュランダルがラウに語った言葉を聞いていたのだろう。片手に白いビニール袋をぶら下げて、バルトフェルドが苦笑を浮かべていた。

「うん?」
「議長閣下に頼み事がありまして…」

 手にしていたビニール袋を、特に意識するわけでも、意味を持たせるわけでもない、なんでもない調子でラウの膝の上に置いてやって、バルトフェルドは意味ありげに微笑んだ。











 ようやく終わった会議の資料を片付けて、お茶をする約束のカフェテラスへ向かっていたアスランが廊下に見付けたのは、使用頻度の著しく低い医務室の扉にへばりついて神妙な顔をしている、白服の美人だった。
良く良く見てみると、どうも扉に耳をくっつけて中の音を聞いているらしい。

盗み聞き、など、そんな卑怯な手を使う人ではないから、ちょっと気になって、アスランもその横にしゃがみ込んで耳を扉に押し付けてみた。
コーディネイターの聴力は、とても良い。

『………って、アスラン!貴様!なにしている!』

同じ事をしてみただけなのに、当のイザークは物凄い形相でアスランを睨み付けた。だが、囁き声では余り迫力がない。
アスランは唇に人差し指を押し付けて、『しぃー』とイザークに黙るように告げる。いくら聴力が優れていても、すぐ間近で声が聞こえてしまっては、聞こえるものも聞こえない。

『…頼み事?』

 中からデュランダルの声が聞こえてきて、アスランは翡翠色の双眸をパチパチと瞬かせた―――。







 もっと憔悴しているか、あるいは怒りに苛まれているか。それとも、あるいは悔しがるか。
様々なパターンを当初より考えてはいた。

だが、デュランダルにとって、バルトフェルドのこの反応は、考えのうちになく、ただ、穏やかに微笑んでいたのだ。怪訝そうに瞳を細めてデュランダルが首を傾げると、バルトフェルドはひとつきりの瞳を静かにラウへやり、頷いた。

「こうしてあなたにバレてしまった以上、周囲に知れるのは時間の問題かと想いましてね。ただ、幸いなのは、あなたが直接的に…ラウに対して悪意だとかそういうもんを持っていないって事ですか」

 確かに、悪意は持っていない。ルーチェ・ソレッジャードがイコール、ラウ・ル・クルーゼだとしても、それを世間に公表しようとは想ってもおらず、それをネタに脅して楽しむことはあっても、民衆の前に晒すなどはカケラも考えていなかった。
そう。
ただ、デュランダル自身の預かり知らぬ深い部分で、そうしようとは想わず、ただ、繋ぎ止めたいと想っただけだったのだ。
繋ぎ止めておきたい。その為には、手段は選ばない。脅してでも、傍に――。

「それで?なにを頼みたいというのかね?バルトフェルド主任…」
「なに、簡単なことですよ。ラウを護ってください」




 実にあっさりと、いっそ爽やかな微笑みすら浮かべ、バルトフェルドは告げた。
予想出来なかったその申し出に、聞いていたデュランダルも、ラウも、廊下のイザークとアスランも、ただ、呆気にとられた。

「わたしのところよりも、あなたの傍のほうがずっと安全です。あなたには権力がある。いざとなれば、それで護れるでしょう。だから、お願いします」
「なるほど…確かに一介の整備士である君の言い逃れに耳を貸すものはないが、わたしの評議会議長の権限のもとでならば護れると…理には叶っているだろうがね……本当にそれで構わないのかね?」

デュランダルは、ちら、と寝台の上のラウを見た。流石に驚いたのか、声も無く、進められて行く話を聞いているしか出来ていない。

けれど、徐にラウは立ちあがると、伸ばした手でバルトフェルドの胸倉を掴み上げた。

「な、…っ…なんだ、それは!何故そんなことを今更言うのだ!無理は承知だと…」


 無理は承知なのだと、一緒にいきたいと告げた時に言った。
オーブに居るのが一番安全だと、カガリもそう言ったし、バルトフェルドもそう言った。それを振り切って、危険を承知でついてきた。間違っているとは想わない。それを、同じようにバルトフェルドもわかっているのだと、そう想っていたのに。

「議長閣下の傍のほうが、ずっと安全。そのほうが僕も安心だ」
「答えになってない!」
「君は、ひとりで身を護れない。そして僕も、…護ってやれない。それだけだな」

 権力の前に――。
護れない。護ってやれない。


 バルトフェルドの言葉の裏にある意味を汲み取って、ラウは成す術もなく掴み上げていた拳を解いた。
力無く項垂れる様に目をやって、バルトフェルドは僅かに苦い笑みを浮かべる。片方だけの腕が、寝台の足元に落ちたビニール袋を指差した。

「うちに必要なものを取りにくるなら、あれを使ってからきてくれ」

 どこか冷たく、素っ気無く、そうとだけ告げてバルトフェルドはラウに背を向けた。
デュランダルが肩を竦めるようにして、医務室の扉に目をやる。そろそろ執務室に戻らないと部下たちが煩そうだと想いながらも、この惨状は実に面白いなと心中で独りごちた。





「っ、イザーク!」

 アスランが慌てて制止する声がしたが、それで聞くようなヤツでもない。
医務室を出たバルトフェルドには、また、この展開も予想のうちだった。

「バルトフェルド!貴様っ!」

 イザークは容赦無く拳でバルトフェルドの頬を殴り付けていた。怒りで、その拳すらも震える。蒼い瞳が怒りに燃え上がるように輝いて、まるで人事のように、綺麗だな、とバルトフェルドは想う。
アスランが、そっとではあるが、それでもしっかりとイザークの右腕を押さえつけて、それ以上の攻撃を止めさせる。

「イザーク、よせ…」
「煩い!黙っていられるか!バルトフェルド、どういうつもりだ!」

止めたアスランを振り切るようにして、イザークは尚もバルトフェルドに詰め寄る。振り上げた手は、ラウと同じようにバルトフェルドの胸倉を掴み上げ、蒼い瞳が強い力を伴って睨みつけてくる。
大抵の兵士が、これでは恐れを成して萎縮するはずだ。極親しいもの以外には恐れられている、ジュール隊長は、だが、今確実にこれ以上無い怒りを見せていた。

「どうもこうも、聞いていたんだろう?聞いていた通りだ」
「……っ…貴様、隊長はものじゃないんだぞ」

 護れないから?

そんな理由で、どうしてあっさりと手放そうだなんてするのか。

護れないと諦めるまえに、どうして護り通す努力をしないのだ。たった一度護れなかったからって、何故諦める?

蒼い瞳は雄弁に語る。言葉に出さずとも、その瞳を見れば語りたい事は汲み取れた。

これほどまでに一途で、これほどまでに強い意志を持てたなら、――。


「僕は、君ほど強くはないんだよ」

 誰をも魅了する強い輝き。誰もがそんな光を持てるわけじゃない。バルトフェルドはやんわりとイザークの手に己の手を重ねようとした。
離せ、と、そういう意味を込めての仕草は、伝わったわけではないだろうが、触れられることを拒否して、イザークは乱暴にバルトフェルドから手を引いた。

蒼い瞳が逸らされて、俯く。納得いってはいないが、そう言われてしまえば、イザークとてここまでの気性を持てるものが少ない事は理解している。言い返せる言葉がないのは事実だ。
けれど、もう一度、決然と顔をあげ、尚もイザークはバルトフェルドをなじるように言葉を重ねる。

「貴様は卑怯だ。臆病者!」
「イザーク、…」

搾り出すような声に、先ほどの怒りは薄く、変わりにどこか悲哀を秘めていた。そんなイザークの肩をそっと、アスランが叩く。
もういいだろう?と問い掛けるような優しさに、イザークは口を噤んだ。

「…お、俺は…」

 イザークに、そして医務室に背を向けたバルトフェルドの気配に、イザークは消え入りそうな声で、言い訳めいた事を言おうとしている自身に気付き、少しだけ拗ねたような顔をした。
アスランが、最後までその言葉を待つように、薄く笑みを浮かべてその顔を覗き込む。

「ただ、…あいつらに…幸せでいて欲しい、だけで…」
「うん」
「なのにあいつは、何故、諦めたりするんだっ!」

イザークの懸命な顔を覗き込みながら、アスランは少し笑った。そっと片手を持ち上げて、イザークの髪をそっと、幾度も撫でる。

「まだ、バルトフェルドさんは諦めていないように、想えるけどな…」

 暗号のような、もの。
冷静になって紐解けば、繋がる。

その暗号の繋ぎ目を教えるのは、己の役目かもしれないと、アスランはそう想い、もう一度微笑んだ。




 デュランダルも執務の為に医務室を出て行き、イザークも一度執務室に返した後、アスランは医務室の中にひとり残されたラウの前に立った。

一緒に居てまだ二年ほど。けれど、この二年でいろいろな顔を見た気がする。
硬質な仮面にその表情を覆われ、その心が伺えなかったラウ・ル・クルーゼを良く知るアスランにとっては、いっそ、無表情な冷たさよりもずっと、憔悴しきって泣き出しそうな顔のほうが親近感を感じる。
仮面に本心を覆い隠した冷たさよりも、いっそこちらのほうが暖かで、なんだか護ってあげたいと、そう想った。

「ごめん、…全部聞いた」
「あぁ」

 立ち聞きしてしまった事は、謝らねばなるまいと、アスランは苦笑を浮かべながら先にそう伸べた。ラウは、どちらでも良いという様子で首を横に振るだけで、アスランは苦笑を深めながら、さて、と翡翠の双眸を揺らがせた。何から、話そう。

そう考えながら、寝台の足元に落ちたビニール袋を拾い上げ、中を覗き込んだ。
中には、シャンプーとリンス、それからボディーソープ。全て同じ銘柄で、どこにでも売っている。それを眺めながら、アスランはラウ、と声をかけた。

「これ、いつも家で使っているやつか?」
「……何故、そんな事を聞く?…まぁ、…確かにそうだが…」

ラウの蒼い瞳が、怪訝そうにアスランを見る。アスランはいっそにこにこしだしそうな勢いで微笑んだ。

「そう。じゃぁ、これ、使ったらどうかな。……俺も男だしね、…バルトフェルドさんの気持ち、わかるんだ」

 まったく同じ事をするかといえば、Noなのだが。この行動の意味は理解出来る。
これは彼なりの、懸命な自己主張だ。彼に出来る、最大の。

「………わたしには、…わからない…」
「ふぅん……じゃぁ、世間話。――イザークがさ、たまにディアッカのところに外泊してくるだろう?あ、勿論、夜を徹してゲームしているだけなんだけどさ…」

 アスランは、ゲームだとか音楽だとか、そういうものに疎いし、得意ではない。イザークとディアッカは幼い頃からの仲であるし、夜通し新作ゲームの攻略に熱中したり、好きな音楽で論じ合ったりなど珍しくはないのだ。

無論、気にならないわけではないが、それがあのふたりのコミュニケーションなので、アスランはなにも言えない。

「で、イザークが、ディアッカのところでシャワーを使って帰ってきたりとかすると、やっぱり、…ねぇ?」

その意味がわかるだろうかと、曖昧な笑みを浮かべながらラウに目をやると、ラウは尚もわからないという顔をしていた。
人の感情の動きには敏感だけれど、自分の事や、対人関係における感情の理解に乏しい人だから。アスランの笑みは苦笑に変わった。

本当に、…どうしようもない人だね、と、酷く愛おしい気持ちになって、金色の髪を一度、撫でる。

「わからない…教えてくれ、アスラン…。バルトフェルドは、わたしがいらないのか?」
「……」

 デュランダルに触れられた自分が、穢れたと想った。そんな姿を見せたくなくて、デュランダルにすがったけれど、だから、バルトフェルドはもう自分などいらなくなってしまったのだろうか?
だから、デュランダルのもとへ行けなどというのだろうか?
けれど、デュランダルのところへなど行きたくない。あの男は嫌いだ。

 今にも泣き出しそうな顔でアスランを見上げると、アスランはそれまで浮かべていた苦笑を消して、ふいに真剣な眼差しでラウを見詰めた。

髪を撫でていた手を下ろし、その手はラウの肩に触れる。

「…俺は、あなたと過ごした時間のなかで、幾度死を想っただろう。…あの大戦の中でもそうだったし、正直なところ、終戦の後も暫くは考え続けた。けど、…イザークが俺に生きろと言ってくれた」

 まるでその言葉は光のようで。どれほど真摯に、どれほど明るく、どれほど真っ直ぐに届いただろうか。

「イザークは俺を導く光になってくれた。だから、俺は生きている。今度は俺が、イザークを導く光になる。あの頃とは違うんだ。俺もあなたも、自分で生きることを選んだ…」

 今、ここに居る事が、その答え。
生きる事を選んだ。

 いつもいつも微笑む顔ばかりを見せるアスランだが、今は敢えて微笑まなかった。
ただ、真剣な、厳しい眼差しでラウを見詰める。


「あなたは生きている。だから、自分で考えろ――」



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