――光の庭 01
作業効率を理由に格納庫、及び付近の通路は全ては低重力空間にされていた。
機材等を搬入するのにはこの方が便利であることは知っているが、些かこの環境に不慣れであれば、なんとなしの心許無さに双眸は眇められた。ふわりと足元は浮き上がり、通路を進む速度は速い。
そうして進み、通路を曲がろうとしたところで、ふいにその通路の先から、何かが勢い良く飛び出して来るのがわかり、男は驚いて身を強張らせ、己の腕の中に飛び込んで来たそれを、咄嗟に掴まえていた。
「…………」
腕の中で、蒼がこちらを見ている。蒼い、蒼い…まるで、漆黒の宇宙に浮かぶ地球のような透き通る蒼さだ。
柔らかいウェーブを描く金色の髪。言葉を無くし、その美貌に魅入れば、腕の中に捕まっていた青年は、途端にきつい眼差しで男を睨み上げ、乱暴に腕を振り払い、後から追いついて来た、二人の少年の後ろへと逃げるように滑り込んで行った。
「デュランダル議長!」
白い軍服を纏う少年が二人、慌てた顔をして男へ敬礼を向ける。男からすれば、その二人の少年は良く知る者だった。
右側で敬礼をし、背筋を伸ばして佇む濃紺の髪と翡翠の双眸を持つのが、特務隊のアスラン・ザラで、先ほどの金髪の青年を少しだけ背に庇うようにして佇むのが、特殊任務遂行部隊の隊長であるイザーク・ジュールだ。
「大変失礼をいたしました…お怪我は御座いませんか」
きびきびとした口調で問いかけて来るアスランに、ギルバート・デュランダルは曖昧に笑みを浮かべて頷いた。
それから視線を持ち上げ、イザークの背後で此方を伺うように見る青年へ、目を留める。
金色の髪に、蒼い双眸を持つ青年。
――蒼い作業服を着ているところを見ると、技師の一員かと首を傾げるようにして見遣ると、アスランが遮るように一歩前へと出た。
「ところで、議長。このような場所にどのようなご用件ですか。……また、護衛もおつけにならず…」
やんわりと、腹の内が読めない笑みを漏らし、アスランは視線をイザークへやる。
すると、応じたというようにイザークは、青年の腕を取り、来た道を引き返した。
これはまた、随分な待遇ではないか。まるで、身分を隠した姫君を護る、白いナイトが二人居るかのようだ。
「いやなに…バルトフェルドに用事があったのだが……たまにはドックへ赴くのも良いかと思ってね……。今のは?」
「あぁ、バルトフェルド主任に………今のは、と仰いますと?」
現在MS開発、整備責任者という立場にあるバルトフェルドとこのデュランダルに直接的な繋がりは無いはずだが、ギルバート・デュランダルという人物は、ときおりこうして個人の前に現れることのある人物だった。
バルトフェルドが居るだろう開発室へと案内を申し出ながら、アスランは最後に付け足された言葉に、矢張り曖昧な笑みを浮かべて見せて首を傾げた。まるで、今あった事を、なかった事にしたかったかのような調子だ。
「今の金髪の青年だよ。所属と名前を教えて欲しい」
「……議長…」
「なに、先ほどの件を咎めようというわけではない。それとも、…言えぬ人物、というわけでもあるまい?」
デュランダルは薄く笑む。あの金色の髪の青年。その後姿が、誰かに似ているように思えたのは、気のせいだろうか。
アスランは変わらぬ曖昧な表情をしていた。その内心を推し量ろうとするかのように、デュランダルはアスランを見つめる。
「ルーチェ・ソレッジャート…。バルトフェルド主任の副官ですよ」
「ほぅ……あの男に副官が居たか…」
以前、まだ、バルトフェルドが地上常駐部隊として南アフリカにあった頃、傍に置いていたマーチン・ダコスタならば知っている。今は、バルトフェルドに変わり、ジブラルタル基地に勤務しているはずだ。
だが、副官を伴い参加する会議の折にも、ひとりでやってくるあの男に副官があるというのも、不思議なものだ。先ほどのアスランとイザークの態度といい、まるで、隠したいかのようで。
それとも、あれほどの美貌だ。隠しておきたいのかもしれない。バルトフェルドは。
僅か、揶揄するようにデュランダルは笑みを漏らした。金色の髪。蒼い瞳―――。どこか、見覚えがあるような気がしていた。
―――2年ほど前、ZAFT軍は戦争をしていた。
その戦争が激化する以前、まだ、方々での小競り合いを繰り返していた頃。その当時国防委員長の地位にあったパトリック・ザラがどこからか連れてきた青年が居た。
青年は、金色の柔らかなウェーブを描く髪を持ち、白いその面を硬質な銀色の仮面で覆っていた。
その青年は、ZAFT軍に入軍するやいなや、目覚しいほどの戦績を上げ、瞬くうちに白い軍服を纏い、戦艦と大勢の部下を持つに至る。
パトリックとの間に太いパイプを持ち、後にシーゲル・クラインが最高評議会議長の地位を奪われ、パトリックが議長の座についた後は、なにかれと政治面にも口出しをするようになった。
その政治の手腕も、戦闘能力に勝らずとも劣らない。
いつしか、ついた字は【仮面の策士】。モビルスーツのパイロットとしても、政治家としても優秀としか言いようの無かった男の名を、ラウ・ル・クルーゼといった。
だが、ラウ・ル・クルーゼは、戦争の終結と共にその消息を絶って久しい。後に人伝に聞いた話に寄れば、死の際にパトリックが発動させたジェネシスの自爆に巻き込まれ死亡したとされている。
誰もがその話を信じただろう。疑う余地は無い。
ラウが搭乗し、戦闘をしていた最新鋭のモビルスーツ【プロビデンス】は大破していた。コックピットに人が残っていたのならば、跡形も残るまい。
「残っていたのならば、ね…」
資料室の片隅、2年前の戦争に関する最終報告を読み終えた後、デュランダルは小さく呟いた。
資料室といっても、そう広くは無い。
コンピューターが数台置かれ、閲覧用のディスクが並ぶ棚があるだけだ。
その中でも、戦争関係の資料に触れることが赦される人物は極限られている。
特に、上層部による報告書などは、誰かの承認が無ければ閲覧は出来ない。
即座にそれが赦されるのは、最高評議会の議長であるデュランダルくらいなものだろう。
あの戦争から2年―――。
ZAFTを離反し、ZAFT軍に砲火を向けた者も存在する。
今、ZAFTの核を担うバルトフェルドやアスランはその代表だ。
彼等は最終的には恩赦により軍務復帰を赦されるに至っているが、最後までZAFT軍に残り戦った、イザークやラウを、人々は英雄と仕立て上げた。
思えば、離反していたバルトフェルド、アスラン、そしてディアッカの帰国を評議会に促したのはイザークだったかと思い至る。
ZAFTに戻って来たバルトフェルド、アスラン、ディアッカ。そのバルトフェルドが連れる、ルーチェと名乗る青年。イザークとアスランが必要以上に庇う様子が、なにかを隠しているように見えてしょうがない。
「やれやれ……一体何を隠しているのやら…」
否、そうは言いながらも、うすらとその隠されているものがなんであるのか、理解出来る気もする。
キィボードを操作し、デュランダルはディスプレイの上へ、ルーチェ・ソレッジャートなる人物のデーターを呼び起こした。特に特殊なガードがあるわけでもなく、データーは呼び起こされ、これまでの経歴が並べられる。
極普通に、オーブで生まれ育ち、モビルスーツなどの開発や整備関係を学び、戦後オーブからプラントへ移住。バルトフェルドの副官として現在の地位にある。
彼の有名なフラガ家と血縁関係にあり、現在MSテストパイロットであるムウ・ラ・フラガとは遠い親戚に当たる。
両親はナチュラル。第一世代のコーディネイター。
どこにでもある出生と経歴だ。本当に、どこにでもある。それが益々デュランダルの疑問を大きくさせた。
すぐに再びキィボードを操作して呼び起こしたのは、仮面の策士の個人データー。以前にも一度目を通したことのあるそれは、名前と簡単なプロフィールは登録されているのだが、パトリックの権限により、詳細が存在していなかった。
不自然にデーターの存在しないラウと、極当たり前のデーターしか存在しないルーチェ。
「……ルーチェ…【光】か……確かに…光のような髪をしている…」
まさに、ラウが持っていたのと同じ、鮮やかな光を弾く髪。
こうしてデーター上の写真を並べて見れば、まったくうりふたつと言えるだろう外見。
最も、ラウはその顔の半分を仮面で覆い隠してしまっているため、確証は無い。だが、この仮面を剥ぎ取ったその下の素顔は、まさにルーチェのそれと重なるような気がして、デュランダルは溜息をついた。
その時だ、出入り口のほうで軽く、ドアが開く音がする。
誰か入って来たのかと顔を上げた時、目の前で揺れた金髪に、デュランダルは双眸を細めた。
柔らかな波を描く金糸に、蒼い双眸。射抜くほどに鋭い視線が、一瞬デュランダルを視界に入れ、即座に逸らされる。この間と同じ。物も言わず、彼はデュランダルに背を向け、逃れてゆこうとする。
「クルーゼ!」
その背に呼びかけて、デュランダルは些か乱暴にその腕を捕らえ上げ、背の高い資料棚の側面へと押しつけた。
青年の背へ、感じられるだろう強い衝撃。だが、蒼い双眸は即座にデュランダルをきつく睨み上げた。
「それは、死人の名だ」
蒼い双眸に怒りが宿る。だが、デュランダルはその瞬間に確信した。艶やかで、どこか少しだけ甘味を帯びる声。その外見が似て見え、尚且つ声まで似ている存在が、別人であるものかという、確信。
「いいや、君の名だ…ラウ・ル・クルーゼ」
「…わたしの名は…」
再び名を告げれば、わずかな躊躇いがその語調に感じられた。深まる確信に、強い調子を込め、強引に片手でその口元を塞ぎ、言葉を封じる。
「ラウ・ル・クルーゼだ……それが君の名前だ。忘れてしまったのか…それとも……なにか他に理由でもあるのか…どちらだろうか?」
拘束した腕の中で僅かに震える身と、息を呑む仕草が口元を押さえる掌に伝わる。それすらも、最早、己の結論を確信づけるものでしかなく、デュランダルは皮肉気な笑みを唇に乗せながら、その耳元へ囁いた。
「バルトフェルド主任の立場を慮れば、…君に選択の余地はあるまいと…告げておくことにしよう」
「?!」
蒼い双眸が見開かれる。
脅迫――になるだろう。
だが、この青年を、そして、バルトフェルドを法廷の真ん中になど引きずり出すつもりは無い。ただ、この青年が、ラウ・ル・クルーゼであるという確証さえ、得ることが出来ればそれで良いのだ。
「わたしは君がどうして、名前を偽りここにいるかを知りたいんだよ。だが、君がその口を閉ざすのならば……わかるね?」
子供を宥めすかすように、甘く囁いてその耳元に声を落とす。その口で、その声で、はっきりとYESの言葉を聞く為に口を押さえていた手を離すと、その唇は、「わかった」と、掠れた声で告げた。
その返事に満足気な笑みを漏らす。
けれど、言葉では従順に応じたが、その蒼い双眸は変わらずにデュランダルを睨みつけていた。
仮面が存在しない事で顕著にわかるその表情。
嘗て、評議会議長であったシーゲル・クラインの背後に控えていた己へと、彼はいつもどのような視線を投げ掛けていたのだろう。
けれど、鋭いのは双眸ばかり。整備服に身を包む細い肩は、微かに震えていた。
その肩を、僅か包み込むように抱き、デュランダルは戯れに襟元に零れ落ちてきている金糸へ指を伸ばす。
「ところで、先日…わたしにぶつかってきたとき、君は何をしていたんだ?」
「……ア、…アスランと、…イザークと……鬼事…を…」
髪を揺らした指は、静かに整備服の襟元を開き、白い首をあらわにさせた。
デュランダルは、答えられた言葉に思わず喉を鳴らして笑みをこぼす。鬼事とは、随分と可愛らしい事をしていたものだという想いと、素直にしゃべった事へ。あの脅しが、相当に効いているらしい。
「わたしが鬼だ。わたしを捕まえたものは……」
「…君を捕まえたのは、わたしだったな」
「………」
どちらかといえば、ゲームに割り込んだ、ようなものだろうが。それでもあの通路で、飛び出して来たのを腕の中に捕らえたのはデュランダルだ。
整備服の襟元を、ゆったりと開いて行くと、息を呑む。言葉にまだ続きがある事を悟り、促すようにしせ視線をやると、息をもう一度飲み込んだ後に口を開いた。
「……捕まえたものの言う事を、ひとつ聞いてやると約束した……」
「ほぅ…」
無重力空間に措いて、ルーチェに敵うものは無いと、整備士たちは皆笑う。
重力の存在しない世界で、彼は実に身軽で、そう簡単に捕まえる事も出来ない。
もともとは、無重力や低重力空間に馴染みの薄かった面々を鍛える為にラウが考え付いた『追いかけっこ』だったが、誰一人として、捕まえる事は出来なかった。
それを、初めて捕らえた腕。
今、その腕の中に再び、捕らえられている―――。
「それならば……」
「…っ…」
デュランダルの腕の中で、柔らかくも細い身がびくりと揺れる。
襟元に隠れる位置にふいに生まれた赤い花びらの口付けに、一層肩の震えは明確なものになった。
「君はわたしの言う事を聞かなくてはならないね……クルーゼ……いや、…ルーチェ?」
どちらで呼ばれる事をお好みだろうか。確認するようにその顔を覗き見れば、躊躇いと怯えと、確かな怒りに満ちる蒼い双眸があった。
「なにを、……すれば良い」
「……それほど、バルトフェルド主任が大事か…」
「…バルトフェルドは関係ないッ!」
素直過ぎるその反応に笑みが漏れる。
この二人がどういう関係であるかは知らないが、大方、アスランとイザーク辺りが知っているだろう。
バルトフェルドとラウの関係を本人に語らせたところで面白いわけがなく、そこはあの二人に語ってもらうこととしようと算段し、デュランダルは静かに眼差しを目の前のラウへとやった。
「明日、わたしのところへ来なさい……ひとりで、ね」
そうとだけ告げれば、デュランダルの手はあっさりと離れて行く。身体を解放されてゆく感覚に、ラウは双眸を細めた。同時に、気付かれてしまったという恐怖に背筋が震える。
こんな風に姿を晒し、嘗て指揮を取っていた軍内部に居て気づかれない筈が無いと知りながら、それでもZAFT軍への復帰を強く望まれたバルトフェルドの傍にあることを願いついてきた。
ZAFT軍内部は内部改革もあって、だいぶ人事移動があり、ラウの姿と名前を一致させることが出来るものは少ないが、それでも知る者は居る。そして、最も知られてはならぬものに知られてしまった。
「…………っ」
シュン、と軽い音がして扉が開閉する。デュランダルの背が扉を潜り抜けて、消えて行くのを射殺すほどに睨みつけ、ラウはきつく拳を握り締めた。
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