55・フィンセントゴッホ一番!二人の椅子

二人の椅子


二人の椅子

 この二つの椅子は、ゴーギャンがアルルからいなくなった後の、12月に描かれています。二つの椅子を同時に観ることはできません。ゴッホの椅子(油絵・キャンバス・93×73.5cm)は、ロンドン・ナショナル・ギャラリーにあって、ゴーギャンの椅子(油絵・キャンバス・90.5×72.5cm)は、アムステルダムのゴッホ美術館ににあるからです。勿論、向って左側がゴッホの椅子で、右側がゴーギャンの椅子です。


 私は、夏の旅行で、この二つの椅子を観ることができました。大きさもほとんど変わらない、二つの絵は、かなり違います。それぞれが、自分の人柄を現しているようです。ゴッホ椅子は質素で、座る部分にパイプが置かれてます。四本の足のうち、手前の向かって左の足はねじれてます。この椅子は、本当に座れるのでしょうか?床もタイルで質素です。面白いのは、奥の箱に入ったタマネギです。箱には、『Vincent』と、ゴッホのサインが入ってます。やはり、生命の息吹を感じます。


 一方、ゴーギャンの椅子には、肘掛もついて豪華です。椅子にキャンドルが置かれ、ロウソクが二本さされていて、一本だけ火がついてます。このことは、アルルに残ったゴッホを暗示するのでしょうか?本が二冊置かれています。壁にも明かりをしめすものがあるので、夜でしょう。床には、絨毯がひかれているのでしょうか?私は、ゴーギャンの作品を沢山観たわけではありませんが、彼の絵に似ている気がします。同じ明るい色を使うにも、ゴッホはモネのように混ぜ合わし、ゴーギャンはマネのように、べっとりと塗るように思われます。

 

 いまさらかもしれませんが、二人が共同生活をするようになった経緯を簡単に紹介しておきます。1888年2月にアルルに先に入った、ゴッホはゴーギャンが来ることを待ち望みます。理想郷をアルルにもとめ、ゴーギャンが来たあとに、他の印象派の画家が来ることも望んだわけです。ゴーギャンは、自分の理想をタヒチに求めながらも、お金がなく、ゴッホの弟テオの援助を受けてました。ゴッホは苗字で、フルネームはフィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホです。弟の名前は、テオドラスで、愛称がテオです。ゴッホより、4歳下になります。


 テオは大変優秀な画商で、ゴッホ一家を支えていたのは、彼です。彼の申し入れがなかったら、ゴッホとゴーギャンの共同生活は実現しなかったのです。ゴッホ(フィンセント)は、10年の間、絵を描き続けれたのは、テオのお陰なのです。私が読んだ書物の中の知識で、ゴッホが社会に順応できたのは、画商見習いをしていた、わずかな期間だけです。それも、ロンドンに行って恋をしてからおかしくなってしまいます。


 社会に溶け込むためには、どうしても妥協が必要になります。それが、ゴッホにはできなかったのです。ただ、勘違いしないで欲しいのは、テオが兄を援助したのは、兄の絵は今は売れていないけど、必ず売れる時が来る、と思っていたからです。誰よりも先見の目があったのは、弟のテオだったのです。


 ゴッホの人生は不幸だったと言われてますが、身近に理解者がいたことはラッキーだったと思います。もし、テオがいなかったら、ゴッホは寂しく死んでしまうしかなかったと思います。


 ゴーギャンは、1888年の10月にやって来ます。二人の共同生活は、ゴッホが耳を切るという最悪の結果で終ります。切ったのは、右耳です。どういう経緯だったかは、明らかになっているようで、なっていません。逃げるようにゴーギャンは、アルルを離れたので、ひょっとしたら、ゴーギャンにもやましいことがあったのかもしれません。


 ただ、私が思うには、ゴッホという人物に共同生活は不可能だと思います。普通は我慢して合わせないといけないことが彼には、できないということです。しかし、逆にそのことが、凄いパワーで絵を描けたのではないでしょうか?

この二つの椅子は、出会うことはないのでしょうか?

一度、同時に並べてみたいものです。

(2004年6月7日作成)

次は、オルセー美術館の作品について述べたいと思います。