スプリング ナンバー ワン
第7話 芽生えた






近頃ゾロは困っていた。
寝てる間に決まってサンジが布団に潜り込んでくるのだ。その上、絡まっている。朝起きると、何故かサンジの手足がゾロの胴体に絡まっている。
今に始まったことではないが、しかも本来ゾロは他人の侵入に対して神経質なほうではないが、それにしたって毎晩というのはどうかと思うのだ。



困ったことは、単純にサンジが布団に潜り込んでくることだけではない。
近頃目が覚めると、当たり前のように股間が膨らんでいることも、ゾロにとっては心底困ったことであった。
ちょっとやそっと勃ってるかな、というくらいなら、若さ故と思って用足しにでも行けばおさまるものだが、近頃の朝立ちは朝立ちの域を越えて、「朝っぱらからなんだが、今すぐヤりたい」と感じるような朝立ちぶりなのだ。そんなのは困る。サンジが密着した状態だというのに、困る。もしもサンジに「何故陰茎は勃起することがあるのか」などと質問されたら、どう答えてやればいいと言うのか。



そんなこんなで近頃のゾロは毎朝自らの勃起と戦う苦心を負わされていた。
何でまた自分がこんな苦労をしなければならないのかと思うと、理不尽を感じないでもなかったが、一度サンジの純情を守ってやろうと心に決めた以上、やり通すのがゾロ流だ。
朝はなるべくサンジより早く目を覚ますようにし、どうにかこうにか絡まるサンジをほどいて、用足しついでに抜く。
ところが、そうやって抜くときには大抵サンジの髪の匂いなんかが身体にうつっているので、どうやらそれが習慣になってしまったらしい。目覚めて、お、今朝は勃ってるってほどでもねえな、とホッとする日でも、サンジの洗い髪の匂いなんかが鼻先を掠めると、たまらなかった。
それはここ暫くのゾロにとっては朝の匂いで、すなわち、朝立ちのもやもやを想起させる匂いだった。



それとは別に、ナミにサンジの話を聞かされて以来、ゾロはサンジの行動の一々がやけに気になるようになった。
当たり前のようにゾロの部屋に居座るのも、ゾロの学校へ来たがるのも、食事の感想を聞きたがるのも、全てサンジがゾロを気に入っている証拠のように思えてきた。
そして
「ついてくんなよ」
とか
「うるせェな」
などと、彼を拒絶するような言葉が言いにくくなった。
ジジイとケンカしてるサンジを見かけると、もの凄くクチが悪いにも関わらず、健気なようにすら見えてしまう。
(そりゃやベえだろ……)
自分でも頭を抱えるが、どうにもならない。
サンジは、ゾロにとって悉く「こういうのには弱い」という項目にあてはまる人物だった。
自分はサンジには弱い。
ヤバい、ヤバいと思いながらも、否定出来ないほどにはっきりと、その自覚は育っていった。
ナミの言葉に流されたようで、そのことだけは癪に障ったが、概ねおおらかに出来ているゾロの神経は、仕方ねえ、の一語に感慨を尽くしてしまった。
ゾロはサンジに弱いし、サンジの髪の匂いがすると勃起する。それは仕方のないことなのだ。



今日もゾロは真面目に登校していた。
きちんと学校を出ることは野望のひとつなので、勉学も怠らない。
だが今日は先生の仕事を手伝わされたために昼休みがつぶれてしまい、写真館へ昼飯を食べに戻る時間が無かった。またこの間と同じように、構内の池のほとりに腰掛けて、ウソップから貰った饅頭を食べた。ウソップは今日は忙しいとかで、すぐにどこかへ走り去ってしまったが……
「…………」
貰っておいてなんだが、正直甘いものは苦手だった。
それでもまあ、本来食べ物に頓着しない性質なので、饅頭の白い生地をクチに押し込みながら、教科書を開く。ドイツ語の教師はやけにゾロが気に入りらしく、しょっちゅう音読させられるので気が抜けない。
ドイツ語教師は、日本人のくせに色が白く、くせっ毛で、女みたいな手つきをしている。
やたらゾロに構うので男色家なんじゃないかと案じていたが、先日不釣り合いなほど可愛いらしい奥方を連れて、やにさがっているのを見かけたので、内心胸を撫で下ろしたところだ。ゾロは男なんかと懇ろになりたくない。ああいう、男のくせになよなよした白い手とか、物凄く気色が悪い。そういえばサンジもやけに色が白い。でもサンジは別だ。サンジは嫌いではない。嫌いというよりむしろ……
いや。
やべえ、やべえ。
うっかりとんでもないことを考えついてしまいそうな予感がしたので、ゾロは慌てて手許の教科書と白い饅頭に思考を戻した。
それにしても、饅頭は甘い。
サンジの作るお菓子は甘くても旨いのに、と思うと、ますますあの写真館のメシが恋しくなる。
何だかドイツ語教師に憎しみが湧いてきた。
クソ、すぐ近所にあの下宿があるっていうのに、何で帰る時間が微妙に足りねえんだ。
いつもゾロは大学の前を通る大通りをまっすぐ歩き、追分の先の坂道をまっすぐ下る、単純な通学路を利用していたが、ひょっとしたら近道があって、もっと早く写真館まで戻れるんじゃないかとも考えた。しかし道に迷わない自信が無い。
今朝出掛けに、サンジに昼飯はてめえの好きな芋煮たやつだぞ、と言われた。
食いに帰らなければ、あいつはがっかりするだろう。
多分、北側の出口のどっかから出て、こないだ行った神社のほうに抜けたら、近いはずだ。
まあものは試しなんじゃねえの、と非常に危険な挑戦に出ようとしていた矢先、遠くから、ゾロの名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
サンジだった。
手には弁当箱を持っている。
嬉しそうに駆けてくる様を見ると、やはりゾロは「かなわない」と思う。何だか、わけもなく弱ってしまうのだ。

サンジは当然のようにゾロの隣りに腰掛け、弁当箱を手渡し、
「食え」
と勧めてくれた。
いつも洗いたてのようないい匂いのする髪が、ボサボサに乱れていた。随分走ったのではないだろうか。考えてみれば、構内はとんでもなく広い。
「よくここが分かったな、探したのか」
思わず心配して尋ねたが、サンジは事も無さげに外人のように肩を竦めた。
「どってことねえよ、そこらじゅうでオマエの名前呼びまわってたら、皆が教えてくれた」
「…………そこらじゅう?」
「あっちで見た、こっちで見たって色々言われたから、まあ多少探したけどな、大したこっちゃねえ」
「そりゃ……迷惑かけたな」
学内の連中に、と言いかけて、飲み込んだ。
どう考えてもサンジには敵わない。



芋を煮たやつは、とても旨かった。
ゾロが食べてる間、サンジはきょろきょろあたりを見渡したり、足をぶらぶらさせたりしていた。
早くかまって欲しいのだろう。
最早そんなふうにしか見えなかった。
なるべく急いで弁当をかきこんで、「ごちそうさん」と弁当箱を渡したら、サンジはそれを風呂敷に仕舞う間もなく早速話し掛けてきた。
矢張り、ゾロに早くかまって欲しかったのだ。そんなふうに思えた。
「今日は何時に戻りやがるよ、てめえ」
「ジジイが今日は忙しいって言ってた」
「なんだよ、気楽な仕事の仕方しやがって」
「晩飯は何か食いてえもんあるか」
「なあ、大学って楽しいのか?」
口を開くと、矢継ぎ早だった。
「…………」
退屈してんなら、ちったあジジイを手伝ってやれよ、と思ったが、きっと何一つ手伝わないことがサンジなりの気遣いなんだろう。
あの写真館のことに手出しするのを、躊躇してんのか。
そう考えると、やっぱり目の前の黄色いアタマをいじらしく思ったりする。
(いや、アホかオレは)
いくらなんでも流されすぎだった。
あまり深く考えると取り返しのつかないことになりそうなので、とっとと講義にでも行くかと考えた。
さわさわと、池のほうから、生暖かい風が吹いていた。
「てめえは、ちっとも書生っぽくねえなあ」
「あ?」
小脇に抱えてる教科書が目に入んねえのかコイツは、と思いながら睨みつけると
「書生ってのはさ、もっと、こう、なんか、金色夜叉みたいな……ひっそり寄り添うみてえな……」
サンジが夢見がちな瞳で訴えてくる。
訴えられても困る。
「いや、どんな夢見てんだよ」
「そんで書生が家の後継ぎになってジジイの面倒見てくれたらいいのにな……。カンイチみたいにさー」
「またそれかよ、てゆうか金色夜叉のオチ全然違うだろ」
「うっせェな、夢くらい見させろよ」
「そういうの、夢って言わねェだろうが。生々しいんだよ」
ちえ、とサンジは唇を尖らせた。
だが別段気分を害したようでもなく、考え込むように池の水面を眺めていた。
青い眼に、緑の水面の光が映る。
「おい、オレぁもう講義に行くからな」
「ア?百年早ェよ」
「いやもう5分遅ェんだよ」
「…………」
サンジはまた俯いて、両足をぶらぶらさせた。
それもまた、ゾロには「行かないで欲しい」という意思表示のように見えてしまう。まるで暗示にかかったように、最近、サンジの行動のあれこれが、全て彼のいじらしさに解釈される。ナミの言うことが正しいとすれば、サンジはやはり自分のことを特別に気に入ってくれているのだろうか。それとも騙されているのか、あの女に。
サンジは黙ったままだ。
この沈黙には弱い。
ゾロは困って足を止めた。

「ジジイが、心配なんだよ……」

ぽつんと、サンジが呟いた。
ゾロは思い切り顔をしかめると、苦りきって、頭をガシガシ掻いた。
(どうしろッつーんだよ)
心底弱った。
サンジのことがとても可愛く思えて、何かこいつの役に立ってやりてえ、という思いが湧いてきた。サンジはジジイが心配で、ジジイを一人にしたくない。それなのに船乗りになって遠くへ行きたい。両方いっぺんにどうにかすることは、出来ない。
「心配なら、ジジイの面倒見てやりゃいいだろうが、船なんか乗らねえで」
思わず、ゾロはそう言ってしまった。しまったと思ったがもう遅い。
「そりゃ出来ねえ」
きっぱりとサンジが答えた。
「オレは世界中のひとにオレのつくるメシ食ってもらうのが夢なんだ。料理は」
サンジは適当に放り込んだせいで縒れた紙巻煙草をポケットから出して、火を点けた。
マッチの火薬の匂いが微かにした。
「料理は誰にでも必要とされるから」
ふう、と退屈そうにサンジはケムリを吸って、吐いた。
「オレにとって必要な仕事だ」
サンジはゾロの方を見ずに立ち上がると、「なんてな」と言いながら歩き出した。
まるで逃げるようだった。
逃がすかよ、とゾロは思った。
「おい、サンジ」
「あ?」
サンジが振り向いた。
誰かに必要とされるとかされないとか、そういういじけた考え方を彼にさせたくなかったので、ゾロは決断した。
「あの写真館にな、オレがずっと住んでやる」
「……え?なんで?」
さんざんずっと住んでろと暗に陽に主張していたわりに、サンジは呆気にとられていた。
「惚れてる」
「は?」
「多分てめえに、惚れてんだ、オレは……」
池の周囲は静かだった。
授業が始まったせいか。
「オレには家族も居ねえし、もう田舎に帰るつもりもねえし」
ゾロは呆気にとられたサンジを相手に一方的に話しながら、こりゃもう引っ込みつかねえな、と内心微妙に後悔しなくもなかった。
それでも
「ええと……」
ぎゅ、と向かいあって座るサンジの手をとって握り締めながら
「子供できるようなことは、しねえから」
と約束してやった。
以前見た夢を思い出した。
夢の中で
「オレ、子供のつくりかた知らねえんだ」
と言うサンジにゾロは
「心配すんな、オレはもう大人だし、てめえを嫁にしてやれるから、てめえはそんなこと知らなくていい」
と答えたのだった。
(何も問題ねえじゃねえか)
と、ゾロは思った。あの時の夢の通りで良い。別にゾロの「野望」はあの写真館に住んでて叶わないという種類のものではない。真面目に学校を卒業して、頑張って剣術の達人になるだけだ。その他の部分で何をしようが関係無い。
「オレがあの写真館にずっと住んでてやる。てめえは……」
海でも世界でも気が済むまで行ってこい、と言ってやるつもりだった。
だが最後まで言葉を紡ぐことは出来なかった。
コブシをわなわなと震わせたサンジが

「アホかァ!」

という怒声とともに気合一閃、鋭い蹴りを繰り出してきた。
「おあッ!」
ギリギリでそれをかわし、
「てめえ!どういうつもりだ!」
ゾロも怒鳴り返す。
こう言ってはなんだが、ゾロは村では一番強かった。
剣術だって結構な腕前だったし、それに見合った自負心も持っていた。
それにしたってサンジの蹴りは凄かった。
自分じゃなかったら死んだんじゃねえかと思うような勢いだった。
というか、本気の殺意を感じた。
「どういうもこういうも……な、な、なんなんだよ、てめえは!」
「何なんだって……何だ、何が聞きてえんだ」
「ほ、惚れてるって、あれか、す、好きなのか、オレを」
「あー」
ゾロは首の後ろへ手をやった。
「好きなんだろ、多分」
あらためてそう言われてみると、それで間違いが無かったように感じた。
矢張り、ナミが言う通り、ゾロはサンジのことを、好きなのだ。
サンジを安心させてやりたいし、朝っぱらからヤりたくて仕方ないほど勃起するし、アホで煩いと思いながらもサンジの顔が見られないとつまらない。

「あ……」

よろけるように、サンジが後退った。
目が潤んで、頬は耳まで紅潮していた。
「おい」
大丈夫か、と言おうとしたゾロを振り払い、弾かれたようにサンジは身を離した。そしてくるりと後ろを向くと、あとは一目散、先刻来た方角へ向かって駆け出した。
「この、クソ馬鹿野郎ッ!ちょーしこくなよ!おぼえてやがれ!」
と、捨て台詞を残して。

(いや……)

残されたゾロは思った。

今のは、捨て台詞吐かれるような場面じゃなかっただろ、と。



あれは何なんだ、オレは結局フラれたとかそういうことなのか、と首を捻りながらその日は夜分遅くに帰宅したゾロであったが。
「…………」
相変わらずぴったりとくっつけて敷かれた二人分の布団と、そのうちの片方で安らかに寝ているサンジを見るにつけ、深い溜め息が漏れてしまうのを禁じ得なかった。
……今日も、絡まれるのか。
だが昼間惚れているとまで言われているのに、そしてそれをあれだけ拒絶しておきながらの、この無防備ぶり。
やっぱりこいつは何も知らねえで、純粋にこうしてるんだ、と考え、ゾロはサンジを可愛いな、と思った。既に取り返しのつかないほどサンジに対する判断力が低下していた。小唄にもあるように、恋は曲者なのだ。



そして深夜。
一度眠れば朝まで起きないゾロのイビキを聞きながら。
サンジは暗闇の中起き上がり、何事か深く考えこんでいるのであった。




← →



04/12/10
TEXTtop


また迷走してる……。過程追いものは苦手です……。次回はサンジ視点。
すみません、11月15日にアップしていたものを書き直し致しました。