スプリング ナンバー ワン
第3話 あの女





玄関のベルの音で目が覚めた。
今日は大学が休みなので寝過ごした。
玄関のベルは、いつまでも鳴り止むことなくガラガラガラガラけたたましく響いている。どうやら、来客がしつこく扉を開けたり閉めたりして意図的に鳴らしているものらしい。
慌ててゾロは飛び起きて、寝巻きの上に袴だけ穿いて客の応対に出ようとした。
だが、金縛りにあったように身体がびくとも動かない。
何かが胴に絡まっている。
その何かには手足がある。
というか、絡まってるのは、その何かの手足だ。
玄関では相変わらずガランガランとベルが鳴りつづけている。絡まる何かの手足をほどけないまま、膝までしか上がらない袴を手で押さえた状態で、ゾロは書生部屋から走り出た。
玄関には若い女がいた。
ゾロを見るなり、女は言った。
「やだ、なんなのソレ、サンジ君!」
赤茶の髪をさらさらと揺らして女は笑う。随分上等そうな洋服を着た女だった。肘にかけた柄の細いパラソルが、左右に振れていた。
ゾロに絡まっていた何かは、サンジだった。
着崩したシャツに、下は下履きのまま、ゾロにしがみついている。
まるでなにかの冗談のように「うーん、むにゃむにゃ」とか言いながら目をあけたサンジは、目の前にうら若き女性がいるのに気付き
「わ!ナミさん、おはよう」
と一気に覚醒し、
「わ!オレったらこんな格好で、ごめんね」
と慌てて部屋に引っ込んだ。
後に残されたゾロは、中途半端な位置に下がった袴を押さえたまま
「どうぞ」
と言って女を受け付けに座らせた。
名前と、あとどんな写真をとりたいのかを大雑把に聞いて、店主に伝えなくてはいけない。
「顔ぐらい洗ってきたら?待っててあげるから」
片眉をあげて、ナミが言う。
「おじさんにはナミが来たって言って頂戴。すぐ分かるから」
「予約してんのか?」
「ええ。それに常連よ、はやく覚えてね。あなたが書生君でしょ、聞いてるわ」
「…………」
ぽんぽんと素早く返してくるナミに、ゾロは口篭もった。
生意気そうな女だ、と思ったが、あきらかにクチでは敵わなそうだった。サンジも口数が多いほうだが、ナミの口調はキレが違う。頭の回転の速さが窺えた。
とっとと退散するに限る、と思い、ゾロは袴を引き摺ったまま、ゼフの居室のある奥へと向かった。



それにしても何故朝からサンジが絡まっていたのか。
いくらなんでもあんまりだろう。
居候のゾロの部屋に居候しているサンジは、ゾロの部屋に我が物顔で自分用の布団を持ち込んでいる。それなのに何故ゾロの布団で眠っていたゾロの体にサンジが絡まっていたのか。

……本当に、一体いつの間にアイツはオレに絡まってたんだ。

店主を呼ぶために歩いているうちに、全身が筋肉痛になっていることに気付いて、無性にムカついてきた。
何でアイツはオレの部屋に居座ってんだ。出ていって欲しい。
だが一応やっかいになってる家の坊ちゃんなので、出ていけとは言えない。
言えないが、布団の中にまで入りこまれるのは耐えがたい。
理不尽だ、と不機嫌が込み上げてきたその勢いのままゼフの部屋の扉をあけたゾロは、
「爺ィ!客だ」
と、眉間のシワに不機嫌丸出しで言い放ったのだった。
それだったら、サンジ相手に「オレの布団で寝るな!」と怒鳴ったほうがマシだったろう。
「店主に対する礼儀を知れねェガキだ」
と、ゲンコツで小突かれた。



女の名前はナミと言って、どうやら年齢はゾロやサンジと同じ程らしい。
いつの間にかきちんと洋服に着替えて来たサンジに
「ぶしつけにレディーの年齢を訊くもんじゃねェ!」
と言われたので、実際の年齢は訊けなかった。まあ別に興味のある事柄では無い。
ゾロは店主の仕事の様子をはじめて間近で見た。
2階のスタジオの、いかにもとってつけたように置いてある椅子にナミが腰掛けると、
「あの黒い板みたいなのを取れ」
「この線をあっちと繋げろ」
「向こうのカーテンを閉めて来い」
「新しい板を持って来い」
などと、矢継ぎ早にあれこれ用事を言いつけられた。
そのたびに、これでいいのか、こっちでいいのか、こうすりゃいいのか、と首を捻りながらあくせく働くゾロを、何が面白いのかサンジは突っ立ってニヤニヤしながら見てる。そうかと思うとわけもなくナミの容姿を絶賛し、「ああ恋よ、この苦しみに耐え切れぬ僕を笑うがいい」とか発言してみてナミを笑わせたりしている。
本当にムカつく。
「あなたたちって、見た目の性質が正反対なのね」
漸く写真を撮り終わって、椅子に腰掛けたままのナミが言った。
「あ?」
ゾロはゼフの後始末を手伝いながら応えた。
ゼフ本人はすぐさまフィルムを暗室に運ぶために隣室へ消えてしまった。
「あなたたちは二人並ぶと日本社会の現在の和洋混在した風俗を分かりやすく現しているようだ、と言ったのよ」
「あ?」
相変わらずコードを巻いたりセットを片付けたりする手を止めずにゾロが応える。コードを小さく巻くのはなかなかむつかしい。ねじれないように丁寧に巻き取らないと、保管用の箱に収まらない。ゾロは不器用なので、何度やっても収まらない。
「アンタはバンカラ書生風で和装、サンジ君はモダンで洋装だから、並んでると面白い、と言ったのよ」
「あ?」
「もういいわ、それさっさと片付けたら?」
「ああ?」
「…………」
階下からはサンジの鼻歌が聞こえる。
サンジは撮影の間はニヤニヤしながら見学していたが、いざ片付けに入ると手伝いもせずに、「ナミさん、お茶飲んでいってね」と台所に引っ込んでしまった。気楽なものである。
ジジイは何も言わねェのか、と思った。
跡取にするつもりの養子が、アテが外れて店の手伝いもしない。
他人の家のことにとやかくするほどの意見は持ち合わせていないが、サンジを気楽な、ちょっと気楽すぎるくらいな男だと思った。
何となく心配になって
「アイツは店の手伝いとかしたことねェのか?」
とナミに尋ねてみた。
「見たことないわね、と言っても私がこの店に通うようになったのはここ2、3年くらいのことだけどね」
「ふうん」
それでよくゼフとの関係がうまくいっているものだ。
あとはもう、やたら長いコードを上手く巻き取ることに専念して、どうにかこうにか箱のフタを閉めたゾロへ、ナミが声をかけた。
「おじさんとサンジ君なら、上手くいってるわよ」
見透かしたようなセリフだった。
「サンジ君て、すっごい大事に育てられたの。心配しなくていいわ」
「……別に」
「どのくらい大切に育てられたかって言うとね、彼、十重二十重の箱入りだもんだから、まだ子供の作り方も知らないくらいなのよ」
「え?」
がちゃん、とゾロが箱を取り落とした。
現像室から、何してやがる、写真機壊したら承知しねェぞ、とゼフが大声で怒鳴る。
ゾロ達の居る撮影室の隣りにあるその部屋へ向かって
「何ともねェ!」
と怒鳴り返してから、ゾロは
「え?」
と再度ナミへ応える。
ナミは唇の端をつりあげて艶然と微笑むと、細長い日傘の柄をまっすぐに引き上げて、肘へ掛け、
「それではご機嫌良う、また来るわ」
真白い洋服の裾飾りで中空に直線を引くほどの軽やかな歩みで出て行った。
「おじさん、またね、サンジ君にも宜しく」
「おー、また写真が出来たころに来な」
「そうね、取りに来るわ」
パタンと扉が閉じられる。
後には狐につままれたような気持ちでゾロが残された。

「マジか?」

バタバタと階段を上る足音がして
「ナミさーん、お茶が入りましたよー」
と、マヌケ面で部屋の中へサンジが入って来た。
「ああ?!なんだよ、ナミさん帰っちまったのか?折角身も心もとろけるような甘くて格調高い香りのする紅茶を入れてきたというのに」
がっくりと項垂れたサンジの黄色い髪が、ひよひよと風にそよぐ。
ナミの言ったことが真実だったとしても不思議は無いようなアホっぽい姿だった。
そしてゾロは今朝しがた自分の布団に入りこんできたサンジのことを思い出した。
腰に巻きつけたまま歩けるほど、細い身体をしていた。
何故か少し、どぎまぎした。
普通に考えて、そんな必要は全く無いのに、うっかりつられてそんな感慨を抱いてしまったあたりが、ゾロの単純なところだった。
だが、そんなふうに考えてしまうのには、少しだけ事情があった。



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04/09/5
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今度はとうとうアホなひとがサンジだけでなく・・・・。(笑)