スプリング ナンバー ワン
第2話 家庭の事情



初対面のあの日以来、サンジは毎日ゾロの部屋に入り浸っている。
それはもう入り浸るにもホドがあるってくらいに入り浸っている。
最早ゾロの書生部屋はサンジの部屋と言っても過言ではないくらいだ。
なにしろ、この写真館の中に、何故かサンジの部屋はない。
「てめえみたいな放蕩息子の部屋なんか、この狭ェ屋敷ん中にとっておけるか!」
というのが、あの日帰宅するなりサンジと掴み合いの親子喧嘩をかましていたゼフの言い分だった。
サンジとゼフは朝から晩まで罵り合っている。
相当人間関係が円滑でない状態だ。
そのくせサンジは朝はいつでも早起きして、3人分の朝食を、それはそれは丁寧に作る。ゾロは今までこんなにウマい飯は喰ったことがねえ、とまで思った。
ジジイの好みは塩味のきいたものらしい。
サンジがそんな味付けばかりするので、だんだん分かってきた。
ゼフもゼフで、苦虫を噛み潰したような顔をしながらもサンジにオカワリの茶碗を差し出す。差し出すだけでサンジには、彼があとどのくらい飯を食べたいのかが分かるらしい。
(親子ってのは、こんなもんなのか?)
確か中学にあがるころまではゾロにも親があった筈だが、この二人とはまるで違っていたと思う。
だがどこがどう違うのかと問われれば、やはり、どこがどう違うとも言えないような気がして、
(こんなもんだったかも知れない)
と、思われてくるのだった。
要するにゾロはわりと大雑把なタチだった。



縁側で爪を切っていたら、サンジがやってきて、横に座った。
茶の間の奥は暗くてよく見えないが、良い匂いが漂ってくる。何か昼食を作ってくれたらしい。サンジが食事を作るようになってから、ゾロは昼食時には大学から写真館へ、わざわざ帰って昼食をとるようになった。学校と写真館はすぐ近所だが、途中いくらでも学生向けに安い値段で飯を食わせる店があるというのに、奇特なことだろう。
「メシ」
庭へ足を投げ出すように座ると、ゾロをニヤニヤと覗き込んで、サンジが言った。
「できた」
「……おう」
「へへ」
サンジがあからさまな愛想笑いをする。
愛想笑いをしながら縁側に投げ出した足をぶらぶらさせている。
この男はいつ見ても、すごく落ち着きが無い。
「もうこの町には慣れたかよ」
「あ?」
「いい町だろ?」
「あー……」
「い、い、ま、ち、だ、ろ?」
「…………」
(いやソレ怖ェだろ……)
ここ数日、サンジはゾロの懐柔策に出ているようだった。
この町はすごくいい町だと主張したり、旨いメシを作ってくれたりして、ついでのように「ずっとここに居たいよな?」と脅迫する。
「おいー!クソナスがぁ!学生いびってんじゃねえ、こっちきててめえも喰いやがれ鬱陶しい」
茶の間から、ゼフの怒鳴り声が届く。
「ナスじゃねえっつってんだろ、クソジジイが!てめえこそかわいげねえと折角の学生が逃げちまうだろうがそしたら誰がてめえの老後を一緒に暮らしてくれんだよアホーッ!」
「おい、オレぁ、卒業したら出てくぞ」
「はッ!てめえらみてえな煩ェガキと一緒じゃあおちおちモウロクもしてらんねェ、こっちぁ静かに暮らしてェんだ、とっとと出てけ!」
「おい、オレぁ、卒業したら出てくからな」
「なにィ!オレに出てかないでくれってなきついたのは何処のどいつだ!」
「出てくなたぁ言ってねェだろ、ヨソ様に迷惑かけんじゃねえって言っただけだ毎回毎回無理矢理あちこちの船に乗りくさって」
「うっせえ、働いてんだよ、迷惑ってなんだよ」
「おまえらオレの言うことぜんぜん聞いてねェな……」
「てめェみたいなガキが役に立つわけねえだろ迷惑に決まってる、なにが働くだ、クソガキがいっちょまえに」
「言わせておけば」

「おい」

ぱちん、と爪切りを終えてゾロがサンジのほうへ向き直った。
「……メシ、できてんのか?」
足だけ縁側の外に残したまま身体をねじり、殆ど腹這いになって茶の間へ怒鳴り返していたサンジが、途端に、ぐりん、とゾロを見た。
「おう、出来てっぜ」
何が楽しいのか、二ヤッと笑って立ち上がった。
それからスタスタ茶の間にあがって細い背中が屋内の暗がりへ沈み、どうやらゾロのために給仕をしてくれているようだった。
「ジジイッ!てめえ塩分とり過ぎんなっつってんのになに漬け物に醤油かけてんだよ!」
「ぶはッ」
ごちッ、とシャモジで暴力が振るわれる音がして、ジジイが何かを噴き出した。
全くもって心の休まらない家庭だった。
だがゾロはもともとあまり物事を深く考えないほうなので、メシが旨いからまあいいや、と思っていた。それに、ガッコウにも通わせて貰っている。
きちんと大学を出る、ということは、剣術の達人になりたい、というのと並んで幼い頃からのゾロの目標だった。
食卓につくと、今日はサバの味噌煮だった。
目の前へ、ことんと箸が置かれる。
紺色に塗られた箸が、この家でのゾロの箸だ。
先に食事を終えたジイさんが茶を飲みだすのを見届けて、サンジはジイさんの分の食器の片付けを始めた。ゾロが喰い終えて、その食器を流しへ下げてから、ようやく自分が食べ出すのだろう。なんだかんだとクチは悪いが、この黄色アタマは片時も休まず良く働く。きっと船の上でもこんなふうに、よく気を配ってまめまめしく働いているんだろう。
それならきっと、船の連中にも気に入られてる。
柔らかく煮てある魚の身を崩すと、うまそうな匂いがした。
大口をあけて食いついていたら
「お、なんだなんだ、てめえ、書生のくせにサバの味噌煮を食うのか!」
と言ってサンジがひとりでうけて笑ってた。
「書生とサバとなんか関係あんのか?」
皿ごと魚を持ち上げて、はふはふと食う手を止めずに尋ねたら
「学生サンはサバの味噌煮が食えなくて美女を手に入れそこねるもんだろー」
そう言って夢見る乙女みたいな目つきで、うっとりされた。
「いいな、学生、ロマンだぜ!」
次の瞬間にはオヤジみたいにガハハと笑って食事中のゾロの背中をばんばん叩いた。
騒々しい男だ。
「おい学生、てめえ、午後はガッコウか」
茶を啜りながらゼフが言う。
「おう」
「そうか、そりゃ仕方ねェな」
「なんか用だったのか」
ゾロの受け答えは少しも世話になっている書生っぽくないが、ゼフは今更そんなことを気にしたりはしないので、たいしたことじゃないんだが、と話を続けた。
「午後から客が来るんでな、そろそろてめえも仕事に慣れたことだし撮影の助手も覚えてもらおうと思ったんだが」
「へえ」
ゾロは一旦箸を置くと、首を捻って思案した。
確かに今日はこれから授業があるが、午後はドイツ語の講義だけで、あとは何も予定がないので三時前には戻れる。急げばもっと早く戻れるかも知れない。客が来るというのは一体何時のことだろう。
世話になっている以上、可能なかぎり労働しなければならない、と考えたゾロは、来客の時刻を訊こうとした。
だがゼフは最早ゾロのほうを見ていなかった。
台所の方をそわそわ眺めていた。
「おい、チビナス、今日のおやつはなんだ」
台所ではいつの間にかサンジが何やら調理をしているようだった。
たまにああやってサンジはおやつを作ってくれる。
微かに小麦粉の甘い匂いが漂ってきた。
「今日はケーキだ。つってもここにはオーブンがねえから、オナベで簡単偽ケーキだ」
ケーキって何だろう、とゾロは思った。洋菓子のことはさっぱり知らない。というか、ゾロの住んでいた村では、普段の日に甘いおやつを作って食べることなんか無かった。
いいとこに下宿したな、とゾロは思った。
ジジイは相変わらず苦虫を噛み潰したような顔をしているが、内心うきうきしていることが気持ち上がり加減になった肩の角度で分かった。
「おい」
オレも三時には戻るからな、と言おうとして声をかけたら、丁度台所からサンジが顔を出した。
「あ?なんだ、お茶か?もうメシは食い終わったか?」
「いや……」
その時、縁側の外へ視線をやったサンジの目が、きらりと光った。
どこからか
「ドロボー!」
と、おっさんの叫びが聞こえた。
庭の生垣のあたりには、やけに毛羽立ったブチ猫がいた。
一見して人相(?)の悪いその猫は、海のものらしいギラついた銀色の魚を咥えていた。
隣りの魚屋からくすねてきた魚か。
猫は、サンジと目が合うと、びくり、と背筋を逆立てた。
嵐か、春雷か。
あっという間にサンジはもの凄い勢いで走り出し、裸足のまんまで庭まで踊り出ると死に物狂いで遁走する猫を追いかけて庭中を駆け巡り、猫が隣家の塀へ移ると自分もそれを追って跳躍した。そしてその塀の向こうへ、一人と一匹のすさまじい足音が響いて、遠ざかって行った。
「わはは、まてー!泥棒猫!」
あとにはもう楽しそうなサンジの怒声が遠くから聞こえてくるだけだった。

サンジがお魚を咥えたドラ猫を追いかけて裸足で駆けていってしまったので、ゾロはサンジに自分の分のおやつも作って欲しい旨を伝えそびれた。
次からは思ったことはもっと早めに言っておこう、と決意した。



← →



04/08/27
TEXTtop

ゾロがむつかしいです。
サバの味噌煮の元ネタは森鴎外の『雁』です。有名な作品ですけど、これからもしばしばモチーフを拝借するので、どこかであらすじ紹介したほうがいいのかなと迷ってます。あと「おう」の字が正確に出ないよパソコン……。