突然現れて、突然居なくなった。
春の嵐のようだった。




スプリング ナンバー ワン
第1話 天災登場



ゾロが住み込みの書生をしている写真館は、坂を中途までのぼったあたりの横道にある。
坂の下でもなく、上りきった上でもなく、丁度勾配が最もきついあたりに横道が抜けているので、それはまるで坂を上りきることが面倒になった人間が立ち寄る気の抜けた場所のように思えた。
間口は隣り合う商店などと大差ないが、看板建築の正面は、モダンな造作になっていた。
右隣りには全面がわざとらしいほどの水色に塗られた喫茶店。
左隣りには何故か魚屋。
あとは住宅が続いている。
入り口の扉の上には「写真館」とだけあって店名はなく、このあたりではまるで珍しいガラス張りのショーウインドウにはたくさんの写真が貼り付けて飾ってあった。
扉を開けるとガランガランと乱暴なベルの音がする。
ゾロに与えられた書生部屋は入り口をはいってすぐ左に位置するため、来客があれば真っ先に応対に出ることがゾロの主な仕事だった。
一階には受け付け。
二階に撮影室がある。
ゾロはこの春、法科の学生になったばかりで、入学式とほぼ同時くらいでここに下宿し始めた。
まだ勤めはじめて一ヶ月。
覚えていないことのほうが多かった。
が、もとより大して客は来ない。
こんな中途半端な場所にある写真館など、余程注意深い人間でないと気付かない。
たまに書物もめくるが、あとは寝ている。
それがここ最近のゾロの生活であった。

そんな平和な日常を、始まってたかだか一ヶ月目にしてぶちこわしたのは、この写真館の一人息子だという、サンジだった。
サンジは突然訪れた天災みたいな騒々しさで写真館の扉を開けた。
「クソジジイー!帰ったぞ、どこにいやがる!」
ガラガラとベルが鳴ったので、ゾロは部屋から出て、玄関へ顔を出した。
玄関にはゾロと同じくらいの背丈の男が立っており、案内も待たずに靴を脱いで屋内に上がろうとしていた。
細身の身体にすっきりとした洋装。
細いタテジマのはいった白いシャツに青のタイをして、黒いチョッキを着ている。
清潔に襟足の刈り込まれた髪は黄色くてふわふわと柔らかそうだった。
「おい、てめえ」
接客係とも思えぬ態度でゾロは声をかけた。
「何モンだ、客か」
「あ?てめえこそ誰だよ、ジジイどこだ、ジジイ」
ジジイ、ジジイと言いながら、黄色い頭はきょろきょろあたりを見渡してどんどん奥へ入って行こうとする。不法侵入もいいところだ。
それともこの図々しさは知り合いか?
そう思ってゾロは尋ねてみた。
「ジジイって、店主のオッサンのことかよ、オッサンなら今ちょっと出てるが、てめえは?」
「は?オレ?」
「おう、てめえ、オッサンの知り合いかなんかか」
一瞬、黄色頭が複雑そうな顔をしたのをゾロは見逃さなかった。
片方の眉だけを微妙に顰めて、困ったようにしながら
「息子だよ」
と、答えた。
この時初めてゾロは店主のオッサンに息子なんてもんがいたのだと知った。
そんな話は聞かされていなかったのだ。



ゾロと店主のゼフはこの春初めて顔を合わせた。
ゾロはゼフについて、身寄りが無く一人で写真館を経営しているということと、亡くなったゾロの両親と親しかったということだけを聞いていた。
そんなこんなで仲介してくれるひとがあって、とんとん拍子に、学費の面倒を見てもらう代わりに書生として店で働く、という約束が出来上がった。
別に写真に興味は無かったが、経済的に進学が難しいところであったので、とても助かった。
ゾロは地方の出身で、この都会に知り合いなんか、他に一人もいなかった。



「あのオッサン、身寄りはいねえって言ってたが、そうか、息子がいたのか」
「まあ、な。血は繋がってねえけどな」
「養子ってことか」
「ああ、ちっせえころ、ひきとられた……って、どうでもいいんだよ、んなこたァ、ひとのこと根掘り葉掘り、いやらしい奴だな!」
突然罵られて、別にそんなに詳しく聞いたりしてねえ、とゾロは思ったが、なんか相手が煩そうな奴なので言わないでおいた。一度言い争いが始まったら、大変な面倒になりそうな予感がする。
「てめえこそ、何でこの家にいんだよ、書生か」
「ああ」
「えっ、ほんとに書生か?」
「そうだって言ってんだろ」
「住み込みで働いてんのか」
「そうだよ」
「……ッ!」
突然黄色アタマは頬をぱあっと紅潮させると、ゾロの手をがっしり握り、何度もぶんぶんと上下に振り回して、いかにも感激した、というふうに言った。
「……じゃあ、じゃあ、今はてめえがジジイの面倒見てくれてんだな!」
それから、ジジイを頼む、ジジイを頼む、とまるで死にかけの老人を医者に託すみたいな必死さで泣き付かれた。
もう、わけがわからなかった。

あとになってから分かったことだが、この男の名前はサンジと言って、幼い頃にどこからともなくゼフに引き取られてきたのだそうだ。
ゼフには子供が居なかったことから周囲は写真館の跡取としてサンジを育てているのだろうと思っていた。
ところが、長じてサンジは何を思ったか
「料理人になる」
しかも
「船の料理人がいい」
と言い出し、しょっちゅう家を飛び出してはそこいらの船にもぐりこみ、半ば無理矢理厨房で働いたりしている変わり者なのだそうだ。
ゼフももう若くはないし、片足が不自由だ。
写真館と多少の財産はあるものの親戚は一切無く、たった一人の養子は家出を繰り返し跡目を継ぐつもりも見せない。
(……これは)
これは、思ったよりずっと面倒なところに来てしまったのではないか。

相変わらず黄色アタマはジジイを頼む、と言いながらゾロの手を握り締めていた。

(じ、ジジイは頼まないでくれ……)

都会は恐ろしいところなんだ、とゾロはおぼろげに理解し始めていた。







04/08/17
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タイトルは昔ファニエストイングリッシュで「春一番を英語で言ってください」という質問に「すぷりんぐなんばーわん!」て答えたひとがいて凄く面白かったから(笑)。うまいと思ったもの、あれが正解じゃなくてなんなの!(笑) 今はあのコーナーなくなって寂しいなー、からくりてれび。