スプリング ナンバー ワン
第16話 帰り道






ゾロは方向音痴でよく道に迷う。
だからナミの家から写真館へ戻る道すがら、ずっとサンジの後ろを追うように歩いた。
まだ辺りはまるで暗闇だったが、そろそろ夜明けが近いはずだった。
サンジがひょいと細い路地を曲がる時、角にある佃煮屋の換気窓から佃煮の匂いがした。もう起きている人間も居るらしい。
赤い鳥居をくぐり、神社の境内に入る。
あとはここの境内を抜けて裏の坂道を上れば写真館に辿り着くはずだ。さすがのゾロにもそのくらいの道順は分かった。
楼門の前まで来るとサンジは足を止めた。
そして
「やだな」
と言った。
いきなり否定的な単語が出て来たので何となくゾロは身構えたが、
「やだな、夜の神社とかってさー、不気味じゃねえ?」
と、サンジは続けた。
行きがけには口論の中途のまま、この参道を無言で歩いた。あの時は勢いで進んだ道だが、改めて見渡せば不気味と言えなくもない。だがゾロは無頓着な性質であまり不気味とか気味が悪いとかを感じ取ることがない。
そのため返事も素っ気無くなった。
「そうか?」
サンジはその言い草に不満だったようだ。
「いや不気味だろ。なんかさー、あの門の中においてある随身像とかさー、夜中になると目が光ったり境内走ったりしそうだろ、しかもなんかニタニタ笑いながら走ったりとかしそうだぜ、こえー」
「しねーよ」
アホか、とゾロは呆れた。だがサンジのお天気が元に戻ったようで安心した。
楼門の脇を真っ直ぐ裏門へ抜ける道ではなく、サンジは稲荷のある方へ抜ける細い坂道を上がっていった。鬱蒼と藪が茂っているが、そのすぐ先に写真館の屋根らしき影が見えた。こちらが近道らしい。
「あー、駄目だ、こっちのが早く帰れると思ったけどこっちのが一層無気味じゃねえか、クソ」
獣道みたいな細い道を上りながらサンジがぼやいた。
「でもあれだな、夜道を怖がるオレはちょっと可愛いんじゃねえか、おい、抱きしめて宥めろ、書生」
「しねーよ」
アホか、とゾロはまた呆れたが、サンジの手を引き、振り返らせた。
言っておかなければいけないことがあった。
「あんな……2年したら、ちゃんと戻る」
振り向いたサンジは、案外真顔でゾロの言葉を聞いた。
「うん……」
サンジの答える声は平静でしかも無表情であったので、ゾロはサンジの心情を量りかねた。
ゾロは一歩踏み出して、サンジの唇を吸った。
狭い道の両脇に生えた笹の葉が、二人の肩に触れてさらさら鳴った。
サンジは素直に唇を合わせてきた。
「……舞姫と、浮気すんなよ」
喉の奥まで舌を入れられたので違和感があるのか、微妙な顔でクチをむにゃむにゃさせながらサンジは、仕方が無い、という顔をしていた。
「しねーよ」
アホか、とゾロは思った。
「2年でイヤでも帰らなきゃいけねんだから、そんな心配する必要ねえだろ」
「馬鹿か、テメエが2年の遊びのつもりで玩んだ相手の舞姫ちゃんが本気になって、ついてきちゃったらどうするつもりだよ」
「微妙に違うだろ、その話」
「クソ、結構読んでやがんな書生……」
「オマエは記憶が結構あやふやだな……」
少し傾斜面を歩くとすぐに写真館の裏手の庭にたどり着いた。境内と私有地を分ける垣根をゾロは一跨ぎで越えた。竹を並べて打ち付けただけの、腰ほどの高さの垣根だ。
サンジは雪駄を履いていたために斜面で足が滑るようだった。
垣越しに手を差し伸べると、見上げてきたサンジは、先刻唇を合わせたあとの表情に似た無表情をしていた。
「テメエには」
差し伸べられた手を掴み、近所迷惑にならないようにサンジは声を潜めて言った。
「テメエの都合があるんだろ。新しい場所に行けば、新しい目標と出会うかも知んねえけど、オレはそれでいいと思う」
オレはテメエが羨ましいよ、とサンジは、仕方無い、という顔で呟いた。
垣根の内側と外側で向かい合い、掴まれた片方の手だけに体重をかけてサンジは斜面に立ったままだった。その背後の、徐々に下ってゆく雑木の葉先の向こうには、青緑の神社の屋根が見えていた。辺りはいつの間にか薄明にほんのりと、色彩を取り戻しつつあった。空気は澄んで、ひやりと涼しかった。
「オマエは、船には乗らねえのか」
ゾロは尋ねた。
「乗らねえよ」
サンジは答えた。
(乗れよ……)
ゾロは思った。だがクチには出さなかった。
ああ恋よこの苦しみに耐え切れぬ僕を笑うがいい、とサンジはナミへ向かっておどけて見せた。
それだって、耐え切れないほど苦しいんならもう恋もなにもねえだろ、とゾロは思うが、サンジは苦しくても一人一人を大切にするだろうと思う。
誰もサンジが自分を犠牲にすることなんか望んでいない。
それでもサンジは、誰かから必要とされるために、自分のことなんか後回しにしつづけるだろう。
無駄な苦心だ、とゾロは思うが、サンジにとっては無駄ではない。
サンジの考えを知り取ることは、munterの意味を理解することに似ている。
新しい言葉として覚えるしかない。新しい感情を表す、新しい言葉として。



ゾロの留学まで、あと一ヶ月程しかないことをゾロはサンジに伝えた。
それはサンジが乗る予定だった船の出航よりも、更に早かった。



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05/6/20
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今回は短めで切ってみました。