スプリング ナンバー ワン
第15話 手と手と手






ナミの住む家の窓には夜更けだというのにぼんやりと明かりが見えた。
その扉を、サンジは何の先触れもなく勢い良く開け放った。
「ナミさん、無事か?!」
「きゃっ」
驚いたのか小さく悲鳴が聞こえ、続いて
「え……サンジ君?」
戸惑うように若い女が顔を出した。ナミだ。
これでナミがしどけない寝姿で、背後から男の声でも聞こえたんならサンジはどうするんだろうかとゾロは思わなくもなかったが、どうやらナミは起きていたようだ。こんな時刻に、それはそれで尋常ではない。
「ナミさん、あの……」
勇んで踏み込んだわりには、歯切れの悪い切り出しだった。
「ええと……」
「どうしたの、こんな夜分に」
「ごめんよ、でも」
「何かあったの?」
「いや、オレじゃなくてナミさんが」
「あたし?」
「困ったことでもあるんじゃないかって」
そこまで聞いて、ははん、という顔をナミはした。
「分かったわ。そこの男に聞いたのね、それで心配して来てくれたのね」
ナミはサンジへ笑顔を向けた。
輝くような、健康な表情だった。
「平気よ、サンジ君、心配しないで」
下駄を履いて、ナミはたたきへ降り、二人へ近寄った。
「それにしても、凄い格好ね、アンタたち」
ゾロはほっとけ、と呟いた。
暗闇の中ありあわせの着装で窓から飛び出て来たために、サンジはタテジマのシャツにうっかりタテジマのズボンを合わせ果てしなくタテジマに支配されており、しかも縁側の下へいつも出してある雪駄を履いていた。ゾロに至っては服装こそ昼間のままの袴姿であるが、足許は裸足だった。
うちへあがるなら足を拭いてよ、とナミは手ぬぐいを濡らして投げて寄越した。
ゾロとサンジは顔を見合わせ、奥へと続く障子を開くナミに従うことにした。



こざっぱりとした調度の置かれた室内は、今は紙片が散乱していた。
「ごめんなさい、散らかっていて。仕事をしていたのよ」
でも丁度区切りのついたところだから、とナミは周囲を簡単に片付けながら言った。
そして私の仕事はお妾さんじゃなくて小説家なの、と二人に説明した。
「女の一人暮らしなんてね、ロクなこと言われないわよね。でも仕方ないでしょ、私は元々ひとりぼっちなんだからさ」
「ナミさん……ごめんね、オレ、疑って……」
「あはは、疑ったんじゃないでしょ、心配してくれたんでしょ。いーひとね、サンジ君、大好き」
大好き、と言われてサンジはあからさまにデレデレした。
ゾロは舌打ちする。そのゾロをサンジが小突く。
「今朝写真館に行ったっていう中年男にも、心当たりあるわ。多分、ここの雑誌の編集者ね」
そう説明しながらナミは窓際に置いた文机の下から、粗末そうな紙質の雑誌を取り出した。
「うちで書いてくれ書いてくれってしつこくてね、こう見えても私は売れっ子なの。でも断ったわ。ここの雑誌、好かないのよ」
「え、ナミさんて凄ェんだな」
「まあね。それであんまりしつこいから気分転換を兼ねてこないだ引越しをしたの。と言っても前の家と今のこの家はそんなに離れてないんだけどね。でもそのせいで私と連絡のつかなくなった編集者がこの近辺をうろついて……」
それで、多分おじさんとこの写真館で私の写真を見かけて、飛び込んだんでしょうね。
ナミはぴんと背筋を伸ばして、話を結んだ。
聞いてみればなんということもない結末だった。
サンジのホッとした顔や、おじさんの写真館もこの町も好きだからここから離れる気にはならないわ、と言うナミに、安堵している自分にゾロは気付いた。
そしてこれで安心したサンジが、やっぱり船に乗るよ、と言い出すのではないかと期待した。
サンジが選ぶ道が、いつも自分とは正反対の場所へ価値を見出しているような気がして、複雑な気分だった。
船に乗ることを選べばいい、と思った。



夜陰はますます坂の下を谷底のように見せていた。
ナミは玄関を出ても坂の中途まで二人を見送った。
「サンジ君は、きっと心配して来てくれるんだと思ってた」
「そりゃね。ナミさんが幸せであるようにいつも祈ってるからね」
「そこの書生はそうは思わなかったみたいよ」
「え?」
「私が幸せでないとは思わなかったみたいよ」
意味ありげに片方の眉をあげて視線を寄越すナミにゾロは口をへの字に曲げて見せた。
「まあ、私はアンタの考え方のほうが共感しやすいかな」
からからと浅く引っ掛けただけの女物の下駄が軽い音をたてる。
やはりこの道は家々が並ぶわりに、随分ひっそりとしているように思えた。
なんとなく3人は声を潜めるように話し合った。小さな声を聞き取るために近付いた腕が、歩くうちに時折ぶつかりあった。
「でもサンジ君は、こんな男と寝たら、不幸になっちゃうわ。サンジ君とは考えが全然違うんだから」
寝たら、の部分にサンジは過剰に反応してぎくりと身を竦めた。
「な、なみさん、なにゆってんの、なにゆってんの」
「何よー、こいつがまだヤッてないってわけないでしょ。強引そうだもん」
「あー……」
「ああじゃねえアホ学生くっきり否定しろ!てゆうかななななななにゆってんのナミさんほんとに」
「したんだ……」
「あー……」
「……アンタ、覚えてなさいよ」
「あ?何でテメエにンなこと言われなきゃなんねーんだよ」
「テメエ、ゾロ、ナミさんになんてクチききやがる!」
からから、と下駄は軽い音をたてている。
気付けば時刻を忘れて大声になっていた。これでまた近所に悪い噂でもたてられるのかも知れないが、今が楽しいから構わないか、とナミは思った。



ついにここで別れようかと立ち止まった坂道の中途で、ナミはゾロへ
「アンタはいいわね」
と言った。
その時サンジはどこぞかの家の明かりの灯った窓に蝙蝠がとまっているのを見つけて二人から少し離れていた。こちらからは表情が見えないが、ものめずらしげにひょこひょこと頭を動かして黒い小さな生き物に見入っている。
「男だし、どこへでも行けるじゃないの。学校でも、外国でも」
「……誰に聞いた」
「鼻の長い男」
「ああ」
そういえばウソップにはさっき一緒に呑みに行った時、少しだけ話した。
「あいつ、いい奴ね、あのあと謝りに来たわ。大方アンタと飲み屋にでも行ったあとでしょ、お酒の匂いがしたから」
ちょっと時間帯が非常識だったけどね、と言ってナミは腰に手をあてる。
確かにゾロはどこへでも行ける。
だが今までそれを別段良いこととは思わなかった。
ナミにも行きたい場所があるんだろうか、と思った。
ナミの願いも叶えばいいと、思わなくもなかった。



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05/6/14
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あとちょっと。
ほんとはこのあたりでルフィの出てくるエピソードがあったのですが実力不足のため削ってしまいました。いつかリベンジしたい…というか、複数のエピソードをきちんと書けるようになりたいです。