「ほら、ここに、おまえの写真が載ってる」
そう言って親父が見せてくれたのは、お山の鳥居へ続く細い急斜面をのぼるオレと、そのオレに手をひかれた、あいつの写真だった。
「ちっちゃかったなあ」
しみじみと親父は呟いて、
「美人だったんだよ、この写真撮った学生さんさぁ。ここへ来たのは、もう五年も前かな」
ニヤニヤしながらそんな話を付け加えた。
オレはその雑誌をひったくり、くいいるように記事を読んだ。
うちの村で調べたらしいことが書いてある。むつかしくってよく分からねえが、書いたのは、あのロビンとか言った女だと分かった。
「親父、これどうした」
その薄くて白っぽい表紙の小冊子は、研究とかしてる奴のための専門の雑誌らしく、およそこのあたりの本屋でなんか見かけるもんじゃなかった。
「送ってきたんだよ、丁寧な子でね」
「送ってきた?手紙でか?」
「そうだよ、ニコ・ロビンて言う名前の学生さんでね」
「どこだよ!その封筒!」
訝しげな顔をした親父からひったくった茶封筒には、確かに、ニコ・ロビンという差出人の名前と、多分東京にある大学名と、修士二年という在籍と、学生研究室宛てになった連絡先住所が、女が書いたっぽい細い筆跡で記されていた。



オモザシハルカ



オレがサンジについて知っていることは、名前がサンジであることと、東京に住んでるということと、この村にばあちゃんがいたということだけだ。
そのばあちゃんはもう居ない。
あいつと出会った年の、その秋口に、ばあちゃんは死んだ。
「昨日まで元気だったのに」
口々に大人達が話すのを聞いて、オレはいてもたってもいられない気分になった。
死んだばあちゃんには申し訳ないが、あのばあちゃんがいなくなったら、あいつがもう二度とここへ来ないんじゃないかと、オレはそればかり心配していた。
うちの親父やお袋も葬式の手伝いに出かけた。
「オレも行く」
と、オレは何度も言い張ったが、
「子供が行くもんじゃねえ」
頑として両親はそれを許してはくれなかった。
だがオレは必死だった。
ひょっとして、あいつが来るんじゃないかと思ってたから。
それを両親に話すと
「ああそうか、親戚だって言ってたか、もしあの子も来てるならウチへ来るように言うか。子供がいては不便だ」
そう言って親父は出かけて行った。
その晩は眠れなかった。
うまく言えない、たまらない気持ちになって、あいつに来て欲しいのに、すごく緊張してて、どうしたらいいのか分からなくなった。
また会おうと言った。約束した。
そのことは、絶対なんだと思った。

結局あいつは来なかった。
あのヒゲのはえたジジイはあいつを連れてこなかった。
オレはあのジジイにすら会えなかった。
それっきり、ジジイは来なくなったし、あいつも来なかった。
オレは今年で14になった。
あいつも同じ歳のはずだと思う。
確か、そんな話をした。
あいつはオレにむかって「てめえ、タメか」って言った。
オレはそのころタメって言葉を知らなくて
「なんだ、タメって」
って聞いて、あいつは
「だっせえ」
って笑ったんだ。

鉄道の駅には相変わらず誰も居ない。
無人駅なんだから当然なのかも知れないが、乗客すら居ないんだから、いつまでこの駅に列車がくるもんだか知れたもんじゃない。
まだ朝早い時刻だった。
親父からあの雑誌を見せられた翌朝、オレは学校をさぼって、駅に来た。
ありったけの小遣いを財布に入れて、オレ達二人の写真の載ってた雑誌を持って、部活の朝練だってウソついて。
制服のまんま。
あのニコ・ロビンという名前の女だけが手がかりなんだ。
東京へ行く。
この大学を探す。
ロビンに会う。

列車は来た。

斜めに射す朝日は、車両のゆるくカーブした天井を滑って反射する。まぶしかった。
約束を果たすのだと思うと、緊張で気が張り詰める。
絶対にやりとげなくてはいけないことのように思ってたから。



今でも時々、サンジが夢に出てくる。
あいつは黄色い髪をしてる。青い目をしてる。
ガキのころみてえに一緒んなって遊んだりして、寝っころがって静かになると、「ちんちん固くなる」とか言ってオレにナニを掴ませたりする。
そんな夢を見て目覚めると、実際には自分のちんこが固くなってたりして、それを自分で擦ったりしながら、オレは、あいつのこと、考える。
あいつのちんちんを、こんなふうに擦ってやることとかも考える。
ちんちんは勃起するってことをオレに教えたのはあいつだ。
初めてキスしたのもあいつだ。
しょうもねえヤロウだな、あいつ。
オレはちんこが固くなったときはいっつもあいつのこと考えるし、そうじゃないときも、よくあいつのこと思い出す。
きっと、「また会おう」と約束したから、オレの人生のなかに、あいつのための部分が出来てしまったんだと思う。
あいつに会うための時間や労力が、オレのなかに、ちゃんととってある。



東京の駅について、ロビンの大学の場所を聞いたら
「ここから山の手線に乗って行きなさい」
と呆れたように駅員に言われた。
東京には駅がたくさんある。
路線もたくさんある。
階段もたくさんあって、ホームもたくさんあって、改札もたくさんあって、とにかく電車に乗るだけでも一大事で、ほんとムカついた。
こんなとこにあいつは住んでんのかよ。
毎日、こんなグルグルまわって電車探してんのかよ。
山手線て書いたホームに来たのに、反対だとか言われるし、意味分かんねえし、ほんとにムカつく。
道に迷って、間違って何度か改札から出た。
改札もたくさんあるから、どれがどの改札だったか思い出せない。
改札口の前に、深緑の黒板があった。
「先に行くね」
「遅い。電話して」
「今日はありがとう、またね」
「うんこ」
色んなメッセージが書いてあった。
なるほど。
これを皆が見るのか。うまい仕組みだ。ここなら通った人間全員見るだろうし、言いたいことが伝わるだろう。
「サンジへ」
とオレは書いた。
けど、続きを思いつかなかった。
あいつになんて言おう。
なにを言おう。
まず、オレが書いたと分かってもらわないといけないので
「ゾロ」
と名前を書いた。
「サンジへ ゾロ」
その横へ、
「来た」
と書き添えた。
あいつは東京に住んでるって言ってたし、ここは東京の駅だから、きっといつか見るだろうと思った。



緑の電車は、やけにたくさんの駅に止まる。
しかもやたら混んでる。
あいつもこんな電車に毎日乗ってんのかよ。ぎゅうぎゅうに押し潰されてんのかよ。
小さかったころの、ひょろひょろしたあいつの姿を思い出す。
あんなんじゃ無理だ。
でもひょっとしたら、今はでっかくなってるかもしれねえし。
とか考えてたら、子供も、老人も、ほそっこい女も、皆平気そうな顔して混みあった車内ですました顔して立ってるから、全然あいつがちっこいまんまでも、平気なんだろうと思った。
すげえな。
オレが育ったとことは、やっぱり違う。
こんなとこであいつはずっと暮らしてんだ。
毎日、こんなにたくさんの人間を見てたら、オレのことなんか忘れちまうんじゃないだろうか。
そもそも、ガキのころの口約束なんか、普通覚えてるか?
あの黒板の伝言見ても、あいつはオレを思い出さないかも知れない。
オレが書いたって分からないかも知れない。
ああ、住所とかも書いとけば良かった。
それでも分からねえかな。
分からねえか、あいつ、うちの住所知らねえだろう、多分。
あの、イナカで会った、海で遊んだ、小学校3年のときに会った、ちんちん固くなるとか言われた、ロビンて女も一緒に遊んだ、また会おうって約束した、ロロノア・ゾロだ
て、書けば良かった。
それなら少しは思い出したかも知れねえ。
もうあの伝言の黒板は無意味だ。あんなんじゃ思い出してもらえない。
直接会いたい。
でも分かるだろうか。
顔も変わった。背も伸びた。
そうだ、ロビンも、変わったかもしれない。オレはロビンが分かるのか?ロビンに会えるか?
……大学まで行きゃあ、誰かしら知ってるだろ。
そうだ、ロビンには会えるだろ。
でも、ロビンはサンジを知ってるのか?
同じ東京なんだから、知ってるだろうと思ったけれど、あの二人はあの夏に初めて出会った。
そして、それきりなんじゃないだろうか。
こんなたくさんの人間が集まって歩いてるんだから、どっかであいつに出会えそうな気がしたけど、どこにもかしこにもこんなにたくさん人間が居るなら、あいつはどこに居るか分からないし、出会っても見逃してしまうかもしれない。
オレが知ってるのは、ガキのころの黄色いアタマと、サンジって名前と、ロビンと一緒に遊んだということ、だけ。
あんなに朝早く家を出たのに、もうすっかり午後の時間帯だった。
こんなに遠くまできたのに徒労に終わって、もう二度と会えなかったりしたら、どうしたらいいんだろう。
東京駅の駅員から聞いた駅についた。
ドアがひらく。
考えても仕方ない。
ここまで来たんだから、あとはロビンに会うだけだ。
それであいつに会えなかったら。
それでも、オレはあいつを忘れない。約束も忘れないし。
東京は広いけど、何度も来て歩き回ったら、そのうち会えるんじゃないだろうか。
駅はものすごく細長くて、たくさんの人間が居て、ぶつからないで歩くのは難しかった。



大学は駅からそんなに遠くはなかった。
東京駅でさんざん迷った反省から、今度は曲がり角ごとに人に道を尋ねることにしたので、すぐ着いた。
すげえいっぱい車が走ってる道路の向こうに、すげえでかい建物があって、それが大学だと言う。
敷地に入ってすぐ出会った奴に
「おい、ロビンて奴はどこだ」
と尋ねた。
「なに、きみ、中学生?誰かの弟さん?」
まわりに居た女どもが笑い出す。うるせえ。オレは長男で誰の弟でもないし、ロビンの居場所を聞いてるだけなのに、「どこの制服ー」と指差されて、まいった。
「そこに学生課あるから、聞きなよ」
「……おい、てめえ、ひっぱんな」
「はやくはやく」
「おい」
「すみませーん、この子お姉さんを探してるみたいなんです、ロビンさんてひと」
「ああ、ニコ・ロビンさんね」
引っ張り込まれた事務室みたいな場所にいたオッサンが、にこにこ笑って機嫌良く教えてくれた。
「彼女は有名だよ、優秀なお姉さんだ、あの子は学部生じゃないから、ここじゃなくて大学院棟の受けつけで聞きなさい」
……なんか、覚悟したよりもずっとあっさり、あの女に会えそうだった。



ロビンが居るらしい建物は、今まで居た建物とは道路を挟んで反対側の敷地にあった。
同じ学校の間に道路が走ってるなんて、すげえ変わってると思う。
横断歩道を渡り終えてすぐの場所に門があって、そこには小屋が建っていて、出入りする人間を見張ってるようだった。
建物の中には、人相の悪いオッサンが居た。
こいつなら、いつも出入り口にいるんだから、ロビンを知ってるだろうと思い、尋ねてみた。
「おい、ロビンはどこだ」
人相の悪いオッサンは、オレのことを不審者かなんかみたいな目で見て
「あんた、どこの生徒さん」
と逆に質問してきた。
そんなこと知ってどうすんだよ、オレはそれどころじゃなくて、ロビンのこと知りたいのに。
なんか、疲れた。
たくさん歩いて、さんざん探して、やっと着いたと思ったら、こいつはなかなかロビンのこと教えやがらねえ。言葉遣いとかもオレの地元とは随分違ってて、どいつもこいつも早口で性格悪そうに感じるし、あいつは、サンジは、ほんとにこんなとこに住んでるんだろうか。
なあ、また会うって言ったろ。
サンジ。
「もういいよ自分で探すわ」
我ながら、愛想無い声が出てしまった。
オッサンが眉しかめてる。
その時だった。背後から、高くてまるい、不思議な声で呼ばれたの。
「ゾロ君……?」
振り向くと、あんま記憶のなかと変わってねえ、ロビンが居た。
あんぐりクチあけて呆けてたら、ロビンは見張りのオッサンに「これ、学研の鍵」と鍵を渡しながら
「ごめんなさい、ええと、間違いかしらね」
と言ってオレの顔まだじっと見ながら微笑みかけてくる。
ニコ・ロビンさんね、はいコレ、とオッサンがオレん時とは全然違うにやけヅラで、ロビンの顔写真と名前の入った学生証みたいなのを、ロビンに返す。ありがとう、とロビンは答えた。オレは二人のやりとりを眺めて、まだポカンとしたままだった。
「ロビン……」
オレは名前を口にした。
ロビンだ。
会えた。
ようやく実感が湧いてきた。急速にオレのなかで子供のころと今とが繋がって、ほぐれてく。
「やっぱり」
ロビンがみるみるうちに輝くみたいな、昔たまに見たような、素敵とか言うときに見せたような、サンジが生意気にも「バラ色の微笑みだ」とか言ったような、まるっきりの笑い顔になる。
「ゾロ君だ!そうでしょう、ゾロ君だ」
ロビンは、オレを覚えていた。
でっかくなったと自分では思ってたのに、ちょっと見てすぐ分かったのか。
「ああ、素敵、なんてことかしら今日は」
ロビンは両手を顔の前で祈るように合わせると、言った。
「今さっきまでサンジ君が来てたのよ、彼時々遊びに来るのよ、近くでお茶を飲んだの、ねえ、まだ電車に乗っていないかも、待って、今、ケイタイで呼ぶ……」



あれからもう5年が経っていた。
どこもかしこも道路みたいな地面の上に突っ立って。
ロビンはカバンから取り出した携帯電話のボタンを、慣れた仕種でカチカチと押した。
丁度門の前の信号が青になって、たくさんの人間がどっと歩き出した。
横断歩道の縞々の上は、今一時、溢れ出す人波の海になる。



end



ハツコイ / 面差し遥か / キエナイヒ


中学生になりました。
ゾロっぽくありません・・・・


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