一昨日も昨日も、サンジは来なかった。
今朝も、来なかった。
「……くそっ」
麗らかに晴れ、桜のつぼみがあと少しとばかりにふくらむ、暖かな日だった。
すっかり家具がなくなった部屋で、布団のなくなったベットのマットの上に毛布だけかけて、ゾロは横になっていた。
全然眠れない。

この町で生まれ、この町で育ちました、皆さんと一緒によりよい社会をつくってゆきたい、よろしくおねがいいたします、よろしくおねがいいたします、この町で生きる、この町で生きる、よろしくおねがいいたします、どうか皆様の一票を、ご声援ありがとうございます、ありがとうございます

選挙でも始まったのか。
煩い車が朝から何度も何度も、家の前を通ってはやけに朗らかな声をスピーカーから響かせていた。





ラブリィ スイート ホームタウン
迷走





このへんでヤクルトの販売所と言えばあそこしかない、と近所のおばちゃんに教えられた場所は案外近所で、今までそんな場所にそんな店があると気付かずに過ごしたというのは不思議だと、ゾロは思った。
ずっとこの町に住んでたのにな。
ポケットに手をつっこんでぶらぶら歩く町並みは、春だからか埃っぽく、ぼやけている。
もうとっくに転居の予定日は過ぎていた。
ついさっき、荷物だけ先に運送屋に渡して引越し先のアパートに送り、今ゾロの部屋にはろくな家具が無い。
本来なら荷物を送るのは両親に任せて、自分は一足先に転居先へ行き、不足分の家具を買うなどして荷物の到着を待つ予定だった。
電話の加入権をとったり、転入手続きをしたり。
することは山ほどあるはずだった。
それなのに、やっぱり荷物は自分で送るから、とずるずる実家に居残ってしまっているのは、サンジのせいだった。
今日来るか、明日来るかと思って彼を待ってしまう。
あれっきり顔を見せないサンジが気になって仕方がない。
うだうだするのは嫌いだった。
明日には転居先へ行って、荷物が届くのを待たなくてはいけないのだ。
こんなすっきりしない気分なんて冗談じゃねえ、と、ゾロはサンジのところへ自分から赴くことにした。



その店は、目立つ店構えはしていなかった。
緑の庇と、まるで民家のような小さな構え。二階建ての建物の一階が店舗、二階は住居になっているようだった。
ガラス張りのサッシ戸の奥に、でっかくダルメシアンの顔のプリントされたトレーナーを着たおばちゃんが座っていた。
「よう、ババア」
非常に無礼な初対面の挨拶をしながらゾロが店へ入る。
おばちゃんは
「いらっしゃいませ」
と、めんどくさそうに言ったきりゾロをほったらかしにした。
店内には机があって、事務室のようになっていて、そうかと思うとよく駅の売店にあるような保冷機があって、そこに商品が並べられている。
ミルミルもあった。
そうか、あいつ、ここから来てんだな、と実感が湧いてなんだかささやかな感動を得た。
「おい、ババア、サンジはどこだ」
相変わらずゾロは非常に無礼な人にモノの尋ね方をした。
おばちゃんは、あら、と顔をあげると意外にも人の好さそうに目尻にシワを寄せ、莞爾とした。
「あの子の友達かい。裏のアパートの二階にいるよ、手前っかわの部屋だよ」
そっか、サンキュ、とゾロは素直に礼を言って、「オレこれ好きなんだ」とケースの中のミルミルを指差して言った。おばちゃんは誇らしげに「そうでしょ、おいしいでしょ」とニコニコした。



店のすぐ脇は細い私道になっていて、その奥にアパートが建っている。
簡素な木造モルタルの建物で、一階には3つ、二階には2つのドアが見える。
店と同じ敷地にあるようなので、どうやらこのアパートは、あの店の店主の経営であるらしい。
今時珍しい、アパートの外側に取り付けられた錆びた階段を上る。
カンカンカン、と上まであがれば、部屋は二つだけ。
手前にあるのがサンジの部屋のハズだ。
突然やってきて、突然あがりこんで、突然来なくなった男を、ついに追い詰めたのだ。
逃がさねえ
とゾロは気合をいれた。
サンジに、絶対、この間の続きを聞かせてやるのだ。
白黒はっきりさせてやる。
「おい、てめえ」
初めて訪問するお宅へかける挨拶の文句にしては、あまりに愛想の無いセリフとともに、ゾロはその部屋のドアを開けた。



サンジは悩んでいた。
悩みの種は他でもない、ロロノア・ゾロという男であった。
一体自分はあの男のどこが好きなのか。
初めて会った時、あいつは筋トレしてた。
クソ寒いってのに上半身裸で、筋骨隆々で、汗くさそうで。
どうかしてるんじゃないかって思って目が離せなかった。
それは好きになる理由として正当だろうか。
いや。
全然正当じゃない。
でももう一回、真剣に考え直してみた。
……考えれば考えるほど、好きになる理由なんか見つからねェ。
だって筋トレだろ。
あらためて考えてみると、別にときめかねぇ。
ううん、とサンジは畳の上にカーペットを敷いたエセ洋間の上で寝返りをうった。
そして当時の自分を振り返ることにしてみた。
どうだったっけ。
そうだ。
オレは仕事始めたばっかで、不安と期待で胸がいっぱいです、だった。
サンジはごしごしとアタマを掻き毟ってみる。
サンジの脳内の貧弱な知識の連絡線が、今、どうにかして繋がろうと、一世一代の輝きを見せていた。
あれは、あれだ。
こないだテレビでゆってたアレだ。
じょ、情動の二要因理論。
つり橋の上で出会った男女が恋に落ちるように、初仕事でちょっとドキドキだったオレが、筋トレ見てドキドキと誤解してうけとっただけだったんだ。
ずっと育ったレストランを出て、他に目的もなくて、たまたま目について気になったのが、ただあいつの良くわかんない筋トレぶりだけだったんだ。他になにも無い生活だったんだ。
そっか。
じゃあ、オレは別に最初からあいつを好きなわけでもなんでもなかったんだな。
そうか。
そうかそうか。
ごろり、とサンジは今度は反対側に寝返りをうつ。
床に置きっぱなしの灰皿に、煙草の吸殻がうずたかくつまれているのが目に入った。
そのまま無視しようとしたが、綺麗好きのサンジは一度それに気付いてしまうと、どうにも放ってはおけない。
「くそッ」
無気力やるかたない身体を勢い良く跳ね起こして、灰皿を手にとると、キッチンへ持ってゆく。生ゴミを捨てる小さなバケツに吸殻を捨てて、水道の蛇口を捻る。
ざー、と水が流れた。
メシでも作ろうかな、気もまぎれるし、と思った。
サンジの部屋にはまだ冷蔵庫がないので、その日作る分の材料は、その日買ってこなくてはならない。
今はまだそんなに気温も高くないからいいけど、給料出たら、まず冷蔵庫だな。あと、フライパンとか鍋とかも必要だ。ジジイのレストランからマイ包丁セットと中華鍋だけは持ち出したけど、あとは全然何にもないもんなあ。華僑みたいにオレはたくましいぜ。もう世界のどこにでもいく覚悟だもんな。いや、全然町から出てねえけどさ。
だってこの町には、ジジイのレストランもある、ガキのころからの友達もいる。
ゾロの家には、昨日も、一昨日も、行かなかった。
毎日会わないと駄目だって思ってたけど、そんなことないんだ。こうやって距離が出来てくもんなんだ。
……そのうち忘れんな、どうせ吊り橋だしさ。
そうだ。
暫く会わなきゃ、忘れるのなんか、あッちゅう間だ。
オレのメシをうまいって言ってくれたことも、一緒に配達したことも、楽しそうなアイツも、楽しそうな筋トレ風景も、ジジイのことをいいやつだって、何も知らないくせに、それでもそう言ってくれたことも、キスしたことも。
吊り橋が終わったら、そこでお別れなんだ。
毎日、当たり前のように顔合わせてたとしても。
そこまで考えて、サンジはふと、灰皿のついでにシンクまでピカピカにしようと、スポンジを握り締めていた手を止めた。
……オレ、もしかして。
どん、と大きな音がして、アパートのドアが叩かれた。
「おい、てめえ」
返事も待たずに乱暴に開け放たれた扉の向こうには、いつも通り清潔感の欠片も無いジャージ姿のゾロが居た。




03/12/17

 


5が長くなりそうです……
上・下じゃなくて上・中・下になってたら私をあざわらってください……
いやむしろ、上・中・下1・下2…とかね……