出会って、恋におちて、キスして。
二人の仲は順当に進展している。
幸せだ。
いつまでもこんなふうだといいな、とサンジは思っていた。






ラブリィ スイート ホームタウン
回転






サンジが育ったゼフのレストランからほど近く。
自転車で10分くらいの場所に小さな神社があった。
買い物帰りに思いついて立ち寄ったことに、あまり意味はなかった。
天気もいいし、あったかいし、そのへんに座って一服したい気分だったのだ。神社の境内にはすべり台と砂場とベンチだけの簡単な公園が作られている。子供のころはここでよく遊んだ。
こんな、何にもない公園なのになあ。
なんであんなに一日遊べたのか不思議だ。
参道の入り口、鳥居の脇へ自転車をとめて、境内へ入る。
入ってすぐ右手には手水舎があって、竜の口から水がだばだば出ている。
ひとまず正面の社殿の前へ立ち、
「オレとゾロがラブラブでいられますように!」
とお祈りした。
今朝もゾロの家へ寄った。
今日は珍しく、いつも玄関前にとめてある自転車がなくなってたから、てっきり出かけてるのかと思ったら、相変わらずあのマリモ風の男は寝ぐされているようで、愛用のスニーカーが庭先のサッシ戸の前へおきっぱなしになっていた。
ゾロもあの窓を出入り口にしている。
しょうがねえよな、とサンジは煙草をくわえる。
社殿の隣りには二階建ての建物があって、「社務所」と書かれた看板が出ている。
建物の一階部分は事務所のような造りになっていて、大きな窓の前には台が出され、お守や御札が並べてある。
お守りでも買おっかな。
サンジは思いついた。
(縁結びとか)
でもオレとゾロはもう縁で結ばれちゃってるわけだしな。
(じゃあ安産)
やだもうそんな冗談、オレったら、ありえないうえに大胆。
……でもいつか、あいつの童貞はオレが貰い受ける。とかね。
初々しい!なんてさわやかカップルなんだオレら!
とんぼさんと魔女子さんが18になったら、きっとオレらみたくなんだ。幸せだあ、オレ。
無言で身悶えしていたら、「サンジ君!」と背後から可愛らしい声がした。



「サンジ君、今どうしてんの、卒業してから」
神社のすぐ裏手には湧き水の池があって、そこから細い川が流れている。川とは呼べないほど細い流れなのだけど、少し歩いた先で用水路と合流して、まとまった流れになる。
その川に沿って続く遊歩道を、サンジは自転車をひいてナミと歩いた。
ナミはサンジの幼馴染で、今年高校3年生になる。
秀才の彼女は当然のごとくサンジとは違う高校に通っていた。ちょっと残酷な事実だと思う。小さなころから美少女で、いまやナイスなバディーのレディーに育った彼女をサンジは愛してやまない、と、いうのに。
「うーん、オレはいま、一人暮らししてる」
ちょっと大人になったような気がして、サンジは得意げにナミの質問に答えた。
「あら、レストランは?」
「レストランは、ええと」
がこん、とサンジの自転車が道端に落ちていたコンクリブロックの破片にぶつかって、跳ねた。
「わわわ」
ひっくり返りそうになる自転車を引っ張りあげながら
「今はバイトしてて、わ、ごめん、泥とかはねなかった」
「平気よ、やだ、ちょっと大丈夫なの荷物」
「大丈夫」
もう、いやねえ、と言って、あははと笑うナミは、なんとなく今のはずみでレストランについての話題を忘れてしまったようだ。バイト、と言ったのを良いようにレストランで働いてるものと誤解してくれたのかもしれない。
良かった。
サンジは自転車をたてなおして、はあ、と溜め息をついた。
いやべつに隠してるわけじゃねえけど。
でもそう言えば、コックになりてえって、オレ、ずっと言ってたっけ。
胸の内がちくりと痛む。
ナミさんは確か、お天気お姉さんになりたいって言ってた。
それを思い出して、サンジは尋ねた。
「……ナミさんは、受験?」
「ん、そうね」
そう言ってナミは少し遠くの大学の名前を告げた。
「私、気象予報士の資格とろうと思ってるの」
「へえ、すげえ!」
心底感心したというふうに笑顔全開のサンジに、ナミも「えへへ」と少し微笑んだ。
ナミさんは可愛いし、かっこいい。自分の夢を叶えようとしてんだ、彼女は。
「……でもそれじゃ、家からは通えないよね」
そしたら、やっぱり大学の近くでアパート借りたりして、今までみたいに気軽には会えなくなってしまうのだろうか、とサンジは少し寂しく思った。
何しろサンジは殆どこの町から出たことがない。
ナミとは本当に小さな頃からずっと一緒に育った。
彼女の夢を応援したいと思うのと裏腹に、今まで通りの生活が続けばいいのにと思う気持ちがなくもなかった。
ここらへんが、道の分岐点なのかな。
ガラにもなくそんなことを考えて切なくなってみたりした。
「うーん、私は悩み中」
道のぬかるみを軽やかに避けながら、ナミは困ったように笑う。
「通おうかな、遠いけど」
一人暮らしはねえ、とナミが呟くように言う。
「なんで、いいよ、一人暮らし」
サンジはそう言った。そして少ししまったと思った。
ナミが遠くへ行くことを躊躇してるらしいことに安心しながらも、一方で自分は自活してるんだということを彼女に自慢したくて、つい心にも無いことを勧めてしまった。
だってナミにはちょっとでも大人に見られたい。
これで彼女が「そうね、じゃあそうしようかしら」とでも言い出したら、ショックを受けるだろうに、うっかり見栄をはることを優先してしまった。
川の水はちょろちょろ流れていた。
カルガモが居た。
もうすぐ、「市民憩いの広場」と名付けられた、別に広場でもなんでもないスペースに着く。
ベンチしか置いてない、遊歩道が広くなっているだけの場所だ。滅多に人は居ない。
まだ中学生のころ、サンジがドキドキしながら初めて煙草を吸ったのも、この広場のベンチでだった。
「そうねえ」
でもわたし、このまちが好きだからねえ
ナミはそう答えた。



次の日、サンジがゾロの家の前を通りがかると、ゾロの部屋(チェック済み)のベランダから、エアコンの室外機がなくなっていた。
新しいのにすんのかな、と思った。
翌日は、ベランダにたくさんの洗濯物が干してあって、そのまた翌日にはいつもなら一度干すとしばらく干しっぱなしにしてる洗濯物が、一つもなくなっていた。
その翌日には、庭にあったバーベルや物置の脇に立てかけてあった木刀がなくなってた。
何故だろう。
どうしてだか、サンジは不安でたまらなくなっていった。
ここ数日、ちっともゾロと出会わないのも不安の材料だった。
夜明けにキスをした、あの日以来、ずっと会わない。
毎日しつこく会ってると軽く見られるしな、ストーカーみたいとか思われても困るしな
などと考えて深く追求せずにほったらかしてたのも、またいけなかった。
もっと毎日しつこく情熱的に通えば良かった、とサンジは後悔した。充分しつこかったことについては自覚が全く無かった。
……本当は毎日だって会いたいし、わかんないことばっかりで不安なんだ。
配達の行きがけに覗いたゾロの家の前を、店への帰りがけにもまた覗いて、
何かがおかしい
とサンジは思った。
違和感がある。
ゾロの部屋をまじまじと見つめ、ようやくその違和感の正体に気付いた。
ゾロの部屋の窓には、カーテンがかかっていなかった。
開いているんじゃない。
カーテンが無い。
カーテンのなくなった窓は恐ろしく殺風景に見えて、人の居る生活感を否定していた。
そうだ。
カーテンの無い部屋に住む人間なんて、居ない。
サンジは凄いスピードで店へ配達完了の報告へゆき、ミルミルいっこを手に持って、ゾロの家のチャイムを鳴らした。
まだ早朝であることは、すっかりどうでもよくなっていた。
泣きそうだった。
不安だった。
何度かチャイムを鳴らすと、寝惚けた顔でゾロが出てきた。
「あー、てめえか」
寝巻き代わりのスウェットをぐしゃぐしゃに着て、まさにおきぬけの様子で、アクビを噛み殺しながら、前までと変わらない態度でサンジにこたえる。
「ゾロ……」
そんな彼の様子を見ただけでサンジは安堵が胸に広がるのを感じた。
「なんだ、いたのか、なんだ」
「あ?」
「いや、いい、何でも無い」
サンジはごしごしと目を拭った。
ちょっとだけ、涙が出ていた。
ゾロは困ったようにアタマを掻いている。その様子は、いつもより少しだけ優しく見えた。久し振りに会うからなのだろうか。
「なんか……」
なんか会いたかった、とか言って抱きついたりしたら、キスされたりする場面だろうか、これは。
なんとなくそんな気がしてきた。
凄くそんな気がしてきた。
間違いないと思った。
ヨシ、行こうと思った。
「ぞ……ッ!!」
飛びついた。
「……ろぉーッ!!」
数日ぶりの、ゾロのにおいがした。
あったけぇ。
幸せなぬくもり。
ありがとう筋肉発熱。オレはおまえの腹筋の割れ目に住む妖精になりたい。
いよいよ感極まって涙を抑えられないサンジのアタマに、ゾロの手がのせられた。
「しょうがねえなあ、てめえは」
ゾロは心底苦りきった表情をしていた。
オレが泣いたりしてるから心配してくれてんだな、とサンジは思った。
あと最近会えなかったし、超心配してたんだな、とサンジは思った。
恋の駆け引き作戦だ。
オレって結構上手くやってんな、とゾロを見上げると、やっぱりまだ苦りきった顔をしていて、
「なあ、てめえ、オレが好きなんか」
……何を今更言うんだろう、と思った。
このヤロウ、本人相手にのろけたぁ良い度胸じゃねえか。
好きって言ってほしいのかよ。
なんだよ、可愛い奴だなー。
サンジはそのとき、本気でそんなふうに思って、好きにきまってんだろ、とかなんとか言いながらチュウとかしちゃおうと思っていたのだった。
でもゾロは、その時のゾロは、本当に困ったような顔をして、その顔を見たら、なんだかサンジも不安になってきて、まるで、息を詰めるみたいに、じっと、二人はお互いを眺めあった。
喉になにかつかえてるみたいで声が出なかったけど、言わなきゃいけないとサンジは思った。
でも言えなかった。
やっぱり声が出なかった。
口だけがパクパクした。
「サンジ」
ゾロが呼んだ。
「あんな、もうすぐ大学始まるし、オレはこのウチを引っ越す」
だから、もうこのウチには来んな、とゾロが言う。
「や……」
あ、やっと声出た。
「……やだよ、なんだよ、それ」
「他県の大学なんだよ」
「遠く、なの、か」
「この近くにオレの受かる大学なんかあるかよ」
「……なんッだそれ、このアホがぁーッ!!」
サンジは力強く絶叫し、ゾロの胸を掴んで揺さぶった。
「なんでだよ!なんでどっか行っちゃうんだよ!」
「なんでってテメエ、進学するからってゆってんだろがアホ」
「通えアホ!自宅通学だアホ!」
「片道何時間かかると思ってんだアホ!むしろ飛行機だっつーんだ!」
もみ合う二人の間で、つっかけたままだったゾロのスニーカーが脱げて、踏まれて、蹴り転がされる。
「と、遠い、のか」
サンジが確認するように、小さな声で、また聞いた。
「近くねえ」
ゾロはもみ合う姿勢でサンジの両手を掴んだまま、答えた。
「もう、来ないほうがいいんだな、オレ」
サンジの手から力が抜けてゆく。
「……いや、あのな」
「来んなってどういう意味だよ」
「それは、だって、来ても居ねえし」
「…………」
はあ、とサンジが詰めていた息を吐いた。

……離れたくねえ。

その声は、とても小さかった。
「……てめえはっ」
ゾロはますます苦りきった顔で、ごしごしアタマを掻きむしって、それからサンジの腕を引っ張って家のリビングまで連れて行った。土足のままだったので、サンジは引っ張られながら、しかも鼻水までたらしながら、懸命になんとか靴だけ脱ごうとした。こう見えても厳しく躾られた箱入り息子だった。
かこん、とようやく靴のカカトが抜けた。
「おっ」
靴脱げたー!
とサンジが会心の勝どきをあげたときには、もう身体はいつものあのソファーの上へ転がされていた。
ゾロが真剣な表情で、サンジを見下ろしていた。
「あんな、オレぁ確かに遠くに行くって言ったけどな、同じ日本なんだしな」
「や……やっぱし、行くのか」
「でも夏休みとかは必ず帰るし」
「行くなよ」
「聞けよ」
「やだね!」
「聞け!」
「わーわーわー!!聞ーこーえーまーせーんー!」
「……アホかてめえ」
「アホじゃねえ!」
聞こえてんじゃねえか。
ゾロは溜め息をつく。
サンジは無理に首だけ捻じ曲げてそっぽを向いた。
「……だってオレは、てめえとずっと居てえと思ってたのに、てめえはそうじゃなかったんだ」
電気を点けないままの室内は朝の光でいやにすがすがしく、庭では小鳥がチュンチュン鳴いていた。
本来これから一日が始まる時間なのだ。
なのにサンジは、たった今この世が終わるような気持ちになっていた。
「聞けよ、オレは……」
ゾロが何か言いかけてるけど、聞きたくなかった。
「聞きたくねえし!!もてあそばれた!!」
凄く悲しくなってきた。
今にも「オレのファーストキスをかえせ」とか叫ぶ駄目な男になってしまいそうだった。
てめえのファーストキスはかえさねえからな、とか意味不明な言動をしてしまいそうだった。
そうだ、オレたち、初めてここでキスしたじゃねえか。
それなのに、もう別れちまうんだ。
ハツコイは実らねえってホントなんだ。どうしよう、別れちゃうんだ、こんなに愛し合ってるというのに。
ゾロが物凄く凶悪な表情でサンジを見下ろしている。
なんて人相が悪い奴なんだろう、と思った。
なんでこんなヤツ好きになったんだオレ、とサンジは思った。本当に、何でなのかさっぱり分からなかった。
ただ、ゾロが引っ越すと聞いて、寂しいと思った気持ちだけは確かだった。
「ゾロぉ……」
ぎゅうっと、サンジはゾロの首に両腕をまわした。
ゾロの身体は、やっぱり暖かい。
「聞けよ、ちゃんと……」
いつものぶっきらぼうな言い方とは違う、低い声で呟きながら、ゾロの顔がゆっくり近づいてきて、唇が触れた。
そうかと思うと、深く重ねられた。
口の中に舌が入ってきて、吸い付くように何度も深いキスをされる。
こ……これが、ディープキッス。
呆然としているうちにゾロの指が耳の後ろをかすって、首を固定するように後頭部を抱えられた。
「ふぁ」
じわっと、全身から快感が湧きおこる。
ゾロの唇が顎のあたりを辿る。
あ、オレよだれ出てる
やだどうしよう、と思う間もなく、喉許を吸われる。
舌先が鎖骨のほうへおりてゆく。
慣れた動作でゾロがサンジの足の間に自分の膝を割り込ませ、尻を押し上げるので、サンジは両足を開いて腰をあげることになり、
(やべェ……)
いつの間にか勃っていたことに、その時気付いた。
(何考えてんだオレ)
サンジは焦った。
(どうしよう、ゾロに気付かれないようになんとか、こう、帰る口実……)
「あ、あ」
あったかい舌が耳の下を舐めてる。
空いたほうの手で、ゾロはサンジのシャツのボタンを外し始める。
(ふあ、駄目だ、気持ちいい、どうしよう、勃ってるし、おさまらねえし)
シャツの隙間からゾロの手がもぐりこんでくる。
(ん……?待って、これって、なに、なんか始められようとしている?)
もぐりこんだ手は、サンジの胸のあたりを探って、乳首をつまんだ。
「……ッ!!」
ち、ち、ち、ちくび触られてるーッ!!
決定的だ。これはつまり情事を迫られてる場面なんだ。
良かった、なにひとり興奮して勃起してんだとかゆわれたらツライとこだった。勃起で正解だったんだ。
いや安心するとこじゃねえだろ。
なんだこれ
なんだよこの展開
「なんで……」
「あ?」
そうだ。
重要なことにサンジは気付いた。
渾身の力でゾロを押しのけると叫んだ。
「なんでテメエはこんなに手馴れてんだーーーッ!!!」



「なんだ、あいつ……」
ゾロの家のサッシ戸は、サンジが開け放っていったまんまに全開で、春の風が吹き込んでいた。
オマエの童貞をかえせー!と、意味不明の叫びをあげながらサンジは走り出ていった。
「…………」
床の上に落ちていたミルミルのパックを拾い上げて、ゾロは明かりをつけないままの室内から、まぶしいくらい日の射した庭をいつまでも眺めていた。
それっきり、翌日も、その翌日も、サンジは来なかった。ポストの中は郵便物や新聞だけで、ミルミルのパックはどこにも入っていなかった。




03/12/04

 


さあ、5だ。5。