ラブリィ スイート ホームタウン
錯綜





突然現れたゾロに、サンジは呆然とした。
どうしてこんなとこにゾロがいるんだろう。
「幻覚か?」
思わず呟くと、
「あぁ?」
と剣呑な声で返される。
「てめえの脳の回路は繋がってるときがねえのか」
つっかけてきたサンダルを脱ぎながら、ゾロは溜め息をついた。
「話、あんだよ」
ゾロがそう言うと、サンジは覚悟したようにスポンジを置いて、玄関のすぐ脇にあるキッチンから、奥の部屋を指し示した。
「ああ、あがれ」
別れ話かぁ、これがカップルの終わりなのかぁ、と思うと心臓がドキドキしてきた。すごく胸が痛くなった。
はは、とサンジは少し笑った。
こんなにドキドキしてたら、も一回、恋におちられんな、オレ。
……ちっとも笑い事じゃなかった。



サンジの部屋には全然家具が無い。
玄関からあがるとすぐそこがキッチンで、キッチンの先が6畳ほどの和室になっている。
和室にはカーペットが敷いてある。
窓にはカーテンがかかっている。
あとは小さな折りたたみ式のテーブルがあるだけで、他には何も無い。床の上に本や雑貨が並べられている。
タンスすらないらしく、服がきちんとたたまれて、そのまま部屋の隅へ置いてあった。
……これが、こいつの部屋か。
ゾロは無言で室内を見渡した。
これといった家具の無い部屋は殺風景で、寂しく、からっぽみたいな印象だった。
まるで、サンジは何も持っていないように見える。
この部屋もそうだし、必死になってゾロの家にばかり来る様子もそうだし、「あそこのオーナーのジジイに育てられたんだ」と言ったときの、何気ない明るさも、そうだと思う。
ふとゾロは、部屋の隅に置かれた衣服の山のなかに、なくなったと思っていた自分のぱんつがあるのを発見した。
今、それは関係ないので、見なかったことにした。
「話って……」
窓の下に腰掛けながら、サンジが切り出した。
ゾロもサンジの正面にあぐらをかく。
「わ、わ、わ、別れ話だよな」
あからさまに無理のある笑顔を作りながら、サンジがごそごそズボンのポケットを探る。
煙草さがしてんだな、とゾロには分かる。ここしばらくのつきあいで、彼が随分な愛煙家であることは分かっている。だから
「シャツのほう」
と教えてやった。
気分屋のサンジは、煙草の箱をズボンのポケットにいれたりシャツの胸ポケットにいれたり色々するが、今日のところはシャツの胸ポケットに見慣れたケースが覗いていたのだ。
「サンキュ……」
肩を竦めて、サンジは煙草に火を点ける。
ふう、と白い煙を吐き出したあとになって
「あ、は、灰皿」
と、きょろきょろする。
「灰皿、どこだ、灰皿」
「知るかよ」
「この辺に置いてたと思ったのに、見あたらねえ、なくなったかな、なくなるかなあんなもの、まあいっか」
とりあえずカバンの中から携帯灰皿を発見して取り出すと、そこへ灰を落とした。
あー……煙草がうめェな。
真剣な表情のゾロを前に、サンジは果てしなく現実逃避していた。
煙草の煙を吸って、吐く。
また吸って吐く。
吸って吐く、吸って吐く。
遠くから、「よろしくお願いします、よろしくお願いします」と叫びたてる選挙の車の声がする。
ゾロはずっと険しい顔をしていた。
「オレ」
沈黙に耐えられず、サンジがまた口をひらく。
「ええと、好きじゃなかった」
「あ?」
ゾロの眉間のシワがますます深くなる。
怖い。
なんて凶悪な顔してんだろ、こいつ。
やっぱ、そうだ、勘違いだ。
こんなやつ、好きになるわけねえ。
だって理由がねェもん。
そうだ、とサンジは一息に吸い込んだ煙を吐き出す。
「……好きじゃなかったんだよ、てめえのこと、勘違いで、だから、別れるし」
「何言ってやがる、おまえ」
ゾロはサンジの話を飲み込んでいないらしく、凶悪な顔のまま、首をかしげている。
別れてやるって言ってんだよ!とサンジは怒鳴った。
「みじっ……短い、間だったけどっ、吊り橋はもう終い、なん、だよ」
はあ?
とゾロが苛立った声をあげる。
「意味わかんねえ、勝手言うな、ずっとオマエはちっとも人の言うこと聞きやがらねえ。聞けよ、ずっとそう言ってんだろうが」
「聞けねェし!」
「なんでだよ!」
「聞いたらなァ……」
「ああ?」
「聞いたら……泣く!」
「泣いてんだろうがもう」
「ふぇ」
オマエみたいなマリモっぽいヤツに分かるもんか。
こみあげる鼻水をこらえて、サンジはゾロを睨みつける。
なんと勘違いだったんだぞ。
理由なんかわかんないけどオマエのことばっか気になって、毎日会いたいって思って、一緒にいると楽しいと思って、それなのに、全部勘違いだったんだ。
オマエは遠くに行くって言うし、オレはすぐオマエなんかいなくて平気になるし。
ラブラブだって思ってたのに。
あんなに仲良しカップルだったのにオレら!
でも全部、もうすぐ、無かったことみたいにどうでもよくなる。

こんなに、好きなのに。

「オレ、てめえのこと、何にも知らねェんだ」
「……オレもだ」
「ご、ごめんな、勘違いだったから、もう、つきあえねえよ」
「いや、そこが分かんねえよ」
ゾロはまるきり冷静だ。
「分かれよ!」
なんだか、自分一人が混乱している。
ゾロを好きだと思った。
でもそれは吊り橋の恋みたいなものだったに違いないと思う。
ゾロは引越しするという。
もうすぐ会えなくなってしまうのだ。
好きだと思ったのも、一緒に居られるのも、一過性の、短い時間だけのものだったのだ。
今はもう、きっと、その時間の終わりなのだ。
だから別れると言っているのに、ゾロはそれが分からないと言う。
なんでだ。
こんなに分かりやすい状況がなんでゾロに理解してもらえないんだろう。
恋って擦れ違いなんだ。そうなんだ。
人間って一人きりなんだな。
孤独で胸が痛ェ、とサンジは思った。
ゾロは相変わらず不機嫌に、頭の後ろをボリボリ掻いていた。それからこう言った。
「おい、さっきから気になってんだが、オレはテメエとつきあってねえぞ」
「え……?」
思わずサンジは呆気に取られた。
相変わらず窓の外から「よろしくおねがいします」「ありがとうございます」と選挙の車の叫びが聞こえる。
アパートの薄い壁越しに、隣りの部屋のテレビの音まで聞こえる。
世界は平和だった。
なのに今サンジの心の中では、コペルニクスがとても重要な発見を発表しようとしていた。
「え……なに、つきあってなかったの?」
「おう」
「…………」
いかんいかん。
すげえ、今、鼻水たれまくった。
サンジはずずっと洟をすすった。
なんつう男だ、こんなヤツのために泣いちゃ駄目だ
サンジは気を強く持とうと努力した。
ヒドイ男だ。やっぱり玩ばれたんだ。
キスまでしたくせに、つきあうつもりもなかったなんて。
遊びか。
あの晩キスしてくれたのは、あれは遊びだったのか。
「あ……あれはファーストキスだったんだぞ!」
言うまいと思っていたのに、つい口から出た。
「知らねえよ」
ゾロが言った。
「なに、あれが最初か、てめえ」
悔しくて泣きそうになりながら見上げたゾロの顔は、全開の笑顔だった。
何で笑ってんだ、とサンジは腹がたった。
そんなにおかしいかよ。
嬉しかったのに、オレは。
おまえとキスして、嬉しかったのに。
でもそれは誤解だ。嬉しくなんかなかった。そうだ、嬉しくなんかなかったんだ。
おまえとなんか、恋におちてない。
ゾロはまっすぐサンジを見ていた。
「まだ何も話してねえだろ、オレら」
サンジにはゾロの言う意味が分からなかった。
「つきあうとかって、ゆってねえだろ」
なんもしてねえし、会ったばっかだし。
当然のこととばかりに、ゾロが言う。
「おい」
ゾロは床に片手をつき、身を乗り出した。
「テメエはオレを好きなのか」
その質問は、この間もされた。もう来るなと言われた、あの日にもゾロはそう尋ねた。
「好きじゃ、ねぇよ……」
サンジは、そう答えた。
携帯灰皿を握る自分の指が、力の入りすぎで白くなっているのが見えた。
俯いたサンジがその自分の指先をぼんやり眺めているのを、ゾロは続く言葉を待ちながらじっと見ていた。
やがてサンジはゆっくりと口を開き、ゾロ、と呼んだ。
名を呼ばれた男は、おう、と頷いた。それに応えて、サンジは普段良く見せるように、口角を上げてニヤリとする。
「テメエも勘違いじゃねえか、オレぁ好きだなんて一度も言ってねえだろ。なんで、オレがテメエみたいなゴツイ野郎を好きになる理由があるんだよ」
アホだなテメエは、とサンジは笑う。
だが唇が僅かに震えていた。
白い頬の端に小さな笑い皺が寄れば皮肉な表情にも見えるが、そうかと思えば幼いまでにクシャクシャに目を瞑って笑うこともあるのだと、ゾロは知っている。
初めてキスしたときに知った。
二度目にも、そうだった。
だから、今のこのどこか頼りない笑いかたは、ゾロを何故か苛々させた。ゾロが期待するサンジの表情とは、あまりに違うのだ。
「話あるって、それかよ。もう来んなっつったのはテメエのくせによ」
「…………」
「もう帰れよ」
「…………」
ゾロは動かない。
ただサンジのはりついたような笑顔をじっと見ていた。
「はーん、今更寂しくなったか?このアホめ。きょ、今日はもうオレも忙しいし、また、夏休みにでも……」
ここは絶対笑顔で乗り切ってやるぞ、とサンジは眉間に力をいれたが、ことさらそれは表情を歪めるばかりで、ちっとも上手くゆかなかった。
「……帰省してきたときとかでも、顔とか出せ、よ……その頃までには、オレも……目ぇ、覚め、る」
「テメエは」
ゾロが口を開いた。
「オレが好きなんじゃなかったのか?」
ゾロはいつもと変わらない、落ち着いた話し方だった。
「オレはテメエがオレに惚れてんじゃねえかと思って」
それで抱こうと思ったんだけど、オマエ本当にイヤだったのか?
そう続けたゾロの言葉に、今度こそ取り繕うことも出来ずサンジは顔色を失った。
「……それで?」
「あ?」
「惚れてんじゃねえかって思って、それで?」
「……ああ」
「…………」
ぽつり、と低くサンジが呟く。
声が低くて、よく聞き取れない。
何と言ったものなのか、ゾロが聞き返すまでもなく、次にははっきりと唸るように
「ふざッけんな、よ!」
とサンジが叫んだ。
「あ?なんだ、テメエ何様なんだ、オレがテメエに惚れてたら抱くのか?なんだそりゃ!そんなんで、そんなんで、オレが喜ぶとでも思ったのかよ!お別れのシルシかよ?アホか!ああ嬉しいよ!嬉しいさ!オレはテメエが……超好きだってんだ!このクソ野郎!!!」
もう会えねえのに!
サンジは立ち上がり、無理矢理ゾロの手をひっぱって部屋の外へ引きずり出そうとする。
「テメエはオレを好きじゃねえんだ!」
ガタン、と扉が開かれた。
「ちっとも好きじゃねえんだ!」
出てけよ!
二度とツラ見せんな、と部屋の外を指し示したサンジを、腕を引かれたままゾロが見返す。
「んだよ、てめえ、やっぱ……」
「惚れてんに決まってんだろうがボケェ!!!」
風を切る音を聞いたのと、ガン、という音を聞いたのは同時だった。
気が付くとゾロは玄関前の床にしりもちをついていた。
目の前の男が蹴りを繰り出したのだと気付くと、頭にカッと血がのぼった。
油断した。
何だコイツ、強ェんじゃねえか、いつもヘラヘラ笑いやがって。
いっつも、ヘラヘラヘラヘラ笑いやがって。
なに考えてるかちっとも分からねえじゃねえか。
「……オレはテメエが……ッ!」
「うッせえ!!!」
胸倉を掴みかかるゾロの手を、サンジが払い除けようとする。だがそんなことでゾロの手は外れない。サンジはゾロの腕を掴んでジタジタと足掻いた。
「好きでなきゃ、誰がキスしろとかゆうか、馬鹿野郎がッ!オレはテメエと違うんだ!おかしいかよ!遊びでセックスできなきゃおかしいかよ!」
「あ?オレぁ別に」
「この遊び人がァ!次から次に女とっかえひっかえしやがって、オマエは寅さんか、この変態ッ!!変態筋肉男ッ!!」
「いや寅さん全然そんな話じゃねェだろ?!」
「つっこんでる場合かボケェ!!」
腕を外すことを諦めたかに見えたサンジの足が、僅か浮いたかと思った次の瞬間には足払いが来た。
それをかわそうとしたゾロは体勢を崩し、手すりに身体を打ち付ける。
ガン、という音がまた響いた。
「…………」
ゾロはサンジを睨んだ。
「テメエが……嫌いだ」
「あ?今度は嫌いかよ。どっちなんだ、テメエは」
屋外に出ると、表通りを車が通る音が聞こえたり、そよそよと風が吹いていたり、日が射していたりして、場違いに心地よかった。
そういえばここはサンジの住むアパートで、職場のすぐ脇で、なんだか向こう三軒両隣にまで響き渡るようなとんでもない言い争いをしているような気がしたが、そんなことはゾロの知ったことではなかった。
「でッ嫌いだ、今、目が覚めた」
普段その眉目の半分以上を覆い隠す前髪を引っ張りあげながら、サンジはわざと目の前のジャージ姿の男から視線を逸らす。
神経質そうに髪を引っ張る彼は、本当は、泣き出しそうな表情なのだとゾロは思った。
いつもの彼とは違う。
いつもの、笑い出したいような表情とは違う。
ゾロを見かけると、いつも全身で楽しそうにすりよってきた彼とは全然違っていた。
「嫌い、だったのかよ」
「あー、今度は間違いないねえな!」
「そうかよ」
ゾロは部屋の入り口をふさぐように立つサンジを押しのけると、玄関に転がっていた自分のサンダルをつっかけた。
「……悪かったな」
そして再びサンジを押しのけると外に出て、カンカンカン、と今時珍しい軋みをあげる階段を降り、帰っていった。
あとに残されたサンジは
「何だよ、あいつ」
憎憎しげに呟くと、ゆっくり、ドアを閉め、部屋へ入った。

それから、静かになった玄関の内側で、少し泣いた。





04/1/26

 


ウン・・・・・
全5話の予定。
いや、「5」がね。「5」が全5話の予定・・・・・
今回は大変な難産でした。何度書きなおししたか(泣)
次はこんなにはおまたせしないで済むかと思います、


くうこ様より頂きもの