ラブリィ スイート ホームタウン
誤算





早起きも習慣になってしまえば然程苦にならないものだ。
ましてサンジはガキのころからレストランの手伝いで、朝起きするのに慣れている。それに負けない体力もある。
それでもやっぱり、今日みたいに寒い日はまだ寝てたかったなー
とか思いながら、今朝は曇天で薄暗い朝の町中を、がこがこと今にも壊れそうな音をたてて、サンジは自転車をこいでいた。
あの角をまがって、そっから左側のあたりが全部オレのまわるとこ。
くいっと、サンジはハンドルを傾ける。
曲がってすぐのところに、赤い屋根の可愛い一軒家がある。
白い塀に囲まれた、芝生の庭。
ゾロの家だ。
この家は、配達リストには入っていない。
けど、サンジは毎日この家の前に立ち止まり、庭に放置されたバーベルを見たり、玄関にとめてある自転車を見たり、干しっぱなしになってる洗濯物を見たり、その洗濯物が翌日には取り込まれてるのを見たり、また別の洗濯物が干されているのを見たりして
「あー、ゾロって生きてるんだー」
と実感することを毎朝の喜びとしていた。
だから今日もゾロの家の様子を覗ってから、そのわきを通り過ぎようとした。
だが、玄関前のポーチに見慣れた人影。
ゾロだ。
ゾロ本体だ。
「ゾロー!」
朝から躁状態になったサンジがゾロを呼び止める。
「あ?」
ゾロは相変わらず凶悪そうな顔で振り返るのであった。
「てめえか……うす」
「おはよーさん。今日は早ェな、どっか行くのか」
ジョギング、とシンプルにゾロは答えた。
だがサンジメモリー保存のゾロ情報によれば、通常彼が走りに出る時刻には多少早い。
「夕べ変な時間に寝ちまったから、明けがた目が覚めて寝れなかった。走ってから寝ようと思って」
ゾロは言った。
「なんだそりゃあ」
体鍛えてばっかりいるくせに不健全な生活してんなあ、とサンジはちょっと呆れた。
だが、いいことを思いついた。
「なあ、じゃ、今日はヤクルトトレーニングだな!」
「はあ?」
「ほれ、これ持て」
ぽいぽいっと、サンジはヤクルトがたくさん入った大きな袋をゾロに手渡す。
「手伝え。今日マジでマズいんだって、配送に手違いがあってさ、配達に出るのが遅れた」
「はあ?!」
「いいだろ、重いモン持ってたほうが筋肉にいいって」
意味が分からねえ。
ゾロはそう思ったが、どうせ何もなくとも走ることは同じなのだ。メシの御礼に少しぐらい手伝ってやってもいいか、と考え直して、サンジから手渡された袋を持ち直すと、「どこの家に配ればいいんだよ」と聞きながら、一緒について走り出した。

あっちの家に何をいくつ、とゾロに指示を出しながら自分は自分であちこちの家のポストへサンジは商品を放り込んで行く。さすがに仕事にも慣れてきたのか手際が良い。結果的には普段より少し早いくらいの時刻で全ての家をまわることが出来た。上出来だった。最早呼吸もピッタリ最高のカップルだオレらは!とサンジは心のなかで一人ガッツポーズを決めた。
ゾロはゾロで、微妙に良いことをした気分になって、サンジの自転車の横を気持ち良く走っていた。
今朝は曇天だが、オレの心は日本晴れだ。
と、心の中で力強く叫びながら、サンジは
「ほれ」
小さな四角いパックをゾロに向かって放り投げた。
見慣れたパッケージ。
ミルミルだった。
だがそれはいつものミルミルとは違った。
別にパッケージの模様が違うとか、注意して見るとメルメルという名前のパチモンだとかいうわけではない。
価値が違うのだ。
今朝は本部からの配送に手違いがあって、商品の数がこちらから注文したものより随分少なかった。
通常、商品は契約客の分と、あとは予備で、道で呼び止められたりしたときにその場で販売出来るように多少余分に仕入れてある。店で販売する分も仕入れてある。
それが今日はどうにか契約客の分は確保できたものの、余分が殆どとれ無かった。
滅多に通りすがりのヤクルトレディーを呼び止めて商品を購入しようというひとは居ないので、まあ、それでもいいかと言うことにはなったのだが……
サンジは良くなかった。
これじゃ、ゾロの分が無い。
けど。
天の差配か、日頃の行いがいいのか。
ミルミルは、たった一個だけ、余分があったのだ。
「おばちゃん……これ、オレが貰っていいかな」
おずおずと言い出したサンジに、おばちゃんは快く了承をくれた。
「あんた、いつもそれ持ってくねー。好きなの?」
にこにこ顔で気前良くミルミルを手渡してくれたおばちゃん(アバウトなひとなので商品をちょろまかしてる事実には頓着しない)に、
「うん……(ゾロが)」
サンジも笑顔で答えたのであった。

そんなわけで。

大切なたった一個のミルミルを、サンジはゾロに手渡した。
「御礼な」
さりげなく微笑んではいるが、このミルミルに託されたオレの海のような愛を受け取れー、という念がこもっている。
そんなシロモノとも知らず、ゾロは
「サンキュな」
と、ごく自然に、嬉しそうに受け取った。
ゾロは、ソレが、好きだ。
ひとまずうけとったパックをジャージのポケットに突っ込むと、二人はいつもゾロがランニング後に休憩している図書館の横の公園まで走り出した。
だが、そんないつもとちょっと違う朝は、いつもとちょっと違う出来事を呼び込んだらしい。サンジは、このバイトについて以来初めて、道行くひとに呼び止められて、
「なんか買える?」
と聞かれたのだった。
「なんかって、ええと……」
「余分のものがあったら買えるんでしょ?前買ったことがあるのよぅ」
見るからに散歩ダイエットの帰りらしき年配のレディーが、サンジの自転車に据え付けられた大きなバックを指差して言う。
「ええと……そうだなー、何がいい?」
サンジは自転車を止めて、バックの中身を確かめた。
今日は先述の理由から、殆ど余分が無い。
カバンの中にはジョアが3つだけ転がっていた。
「そうねえ」
マダムは可愛らしく首を傾げながら言った。
「ジョア以外ならなんでもいいわ」
ぐわ。
駄目だそら。だってソレしかねえもん。
客の要求に答えられないというのは、少なからずサンジには不本意な出来事であった。
ちょっとがっくりきてしまった。
「ごめんね、奥サン、なんも無いわ」
普段だったらこんなことないんだけどさ、また買ってね。
そう言って断ろうとしたサンジに、ゾロがぐいっと手を伸ばした。
「これ」
ゾロの手のなかには先ほどサンジが手渡した、ミルミルのパック。
「まだ飲んでねえから、売ってやれよ」

いつも休憩している公園のベンチにどっかりと腰を下ろすと、ゾロはジョア・レモン味にストローをさした。
「まあそうしょげんなって」
「…………」
「別にこれはこれでうまいって」
「…………」
「乳酸菌って、筋肉痛のときの乳酸と関係あんのかな」
「…………」
「……また今度、たくさんあるときに、貰うから」
「…………!!」
しょげかえるサンジを、不器用ながらもゾロが慰めて。
サンジは思いがけないゾロのやさしさに危うく涙が出そうになった。
こいつ、筋肉鍛えてるだけじゃないんだ。いいやつだ。てゆうか優しい。ひょっとしたらオレには特別優しいのかもしれない。他のやつと話してるとこ見たことないから知らないけど。やっぱなー、ちゅうとかしちゃうと違うのかなー。
えへへ。
単純にもサンジは妄想の力によって立ち直った。
そして更に「また今度」の言葉に果てしも無く励まされた。
また今度。
それは、また今度も二人で会いましょうの約束。
てめえと一緒に居たいぜの証拠。(サンジ基準)
「じゃあ……明日もまた一緒に配達してくれっか?」
ベンチの上に土足で体育座りをしたまま、サンジがゾロを見上げる。
「あ?……あー……いいぜ、そんくらい」
……なんだかもう、それだけで明日が待ちきれない気分になった。

「待ちきれなかった」
そう言いながらサンジが庭のサッシ戸からゾロ宅へ侵入してきたのはその日の夕刻。
ゾロは今更驚かなかった。
「てめえか」
「今日はテレビ見に来た」
「……てめえんちで見ろ」
「ねえんだよ、テレビ、うち」
サンジは当然のようにあがりこむと食卓にでっかいスーパーの袋を置く。
「今日はもののけ姫やんだよー、金曜ロードショー」
知らねえよ、と言いつつも、ゾロはサンジの持ち込んだ袋の中身を覗いて
「今日もなんか作ってくれんのか」
と、嬉しそうにする。
手なずけた!
サンジは心の中で大ハシャギだ。
「今日は和洋折衷創作料理だぜ!」
「なんだそりゃ」
「それ以上てめえに説明してもわかんねえだろ」
クリーム色のシャツの袖を捲り上げ、サンジは気合満々で台所に立った。
確かに、それ以上聞いてもどうせ分からないと思ったので、ゾロは追求することを止して、サンジを観察することにした。なかなか面白い人間であることは既に判明している。
サンジは机の上に袋の中身を次々取り出しては楽しそうにより分け、洗って、刻んで、調理する。
大層手際が良いので簡単な作業に見えはするが、ほそっこく見えるのに、どこにそんな体力があるのかと感心するくらい立ちっぱなしで良く働く。
黄色いアタマをふりながら、鍋を見たり、味見をしたり、ゾロを見たり、鍋をかき混ぜたりする様は、一生懸命なアヒルみたいで可愛げがあった。
が、そんな感慨も束の間、すぐ飽きて眠くなったのでゾロはためらい無くソファでごろりと横になってしまった。横になるとすぐにイビキが聞こえてくる。
そんなゾロを見てサンジは
(昔「ドラえもん」でのび太が昼寝大会をしようって皆に提案して速攻却下されてるシーンがあったけど、コイツとのび太が昼寝大会したらどっちが優勝すんのかな)
と関係無いことを考えた。

サンジの作った夕飯は今日もおいしかった。
「うめえ」
と言えばサンジは異様なほど喜んでくれる。というか、異様だった。
それから二人で順番こで風呂をつかってくつろいでテレビをつけて。
もののけ姫を見た。
アシタカとサンが別れるシーンでサンジは泣いていた。
ゾロは途中で飽きて寝ていたものだから、起きたらいきなりサンジが泣いていて、びびった。

そんなふうに夜がふけて。

いつの間にか深夜番組の時間帯に突入していた。
何だか居心地が良すぎてサンジはついうっかり、もう帰る、と言い出すタイミングを逃してしまったのだ。それに、まだ帰りたくない。せっかく二人きりなのに。
ゾロはゾロで何にも言わない。
まだ寝ないんだろうか。
いや、時々寝てる。テレビ見ながら寝てる。そんで時々目を覚ます。
サンジはゾロを見たりテレビを見たりゾロを見たりしながらのんびりした夜を楽しむことにした。このまま朝まで起きてて、仕事に行っちゃおうかな、とか思った。
何だかコイツと昔っからのダチだったみたいな気になる。
ソファに並んで座って。
ぼんやりしていたら、テレビ番組の司会者がけたたましい声で何事かを言い、会場にどっと笑い声が起こった。
画面に視線を戻すと、なにかのバラエティー番組っぽいものが流れてて、男女二人が笑いながらキスする場面が大きく映されている。
「て、てめえの親御さんはどうしたよ」
サンジは急に居心地悪そうに投げ出してた足を体育座りに組んだりしながら、関係無い話題をふった。
ゾロは怪訝に思いながらも「二人とも出張だ」と端的に答えた。
ゾロの受け答えは、そんなふうに端的である分、素っ気無い印象を相手に与えることが多い。お互い信頼し合うような友人達の間でも、とっつきにくいと言われることが頻繁だった。それなのに、サンジは違う。最初から、全然めげずに、擦り寄って来る。
「そ、そう、出張……え、二人とも?」
「おお」
「はー?!どんな偶然だよ!」
「あー……オヤジが社長で、オフクロが秘書」
「マジ?!」
画面ではまた別のカップルがキスをしている。
会場に笑いがおこる。
サンジは画面から逸らした視線を彷徨わせながら、ますますキュウキュウに膝を抱え込む。
「ウソついてどうするよ、マジに決まってんだろ」
「どんな背徳的な家庭だよ!」
「イヤ何がだよ!」
テレビには、また別のカップルが、今度はお互い腕を絡めながらキスをしている。会場はとても盛り上がっている。
どんな番組だよ。
興味を失ったゾロは、ふと、気まずそうにソワソワ落ち着きの無いサンジに気付いた。
なにコイツ。
照れてんの、テレビ見て。
「くはは」
おもしれえ。
ゾロはポンポンとサンジのアタマをはたいた。
昨日は冗談でキスしてきたかと思ったら、今日はテレビのキスシーン見て赤面してやがる。
まるで、付き合い始めたばっかりの、女みたいだな
そう思ったとき、何故だか、変だな、とひっかかった。
でも何が具体的に変なのか判然とせず、ひとまず、眠くなったのでまた寝ることにした。
そして、再び目をあけたとき。
時刻は早朝に差し掛かるくらいの頃合だった。
ふ、と暖かな感触を唇に感じた。
視界は暗い。
いや暗くはない。もう夜明けだった。
暗くはないが、間近に人の顔があって、光を遮っている。
つけっぱなしだったテレビは、サー、サー、とほら穴の中で空気が鳴るような、不思議な音をさせている。
間近にあるのは、伏せられたマツゲとか、流れた髪の隙間から覗く白い、額。
気が付いたときには、慌てて起き上がってた。
「てッ!」
「あたッ!」
ゴチッとアタマをぶつけた。
「てめえ、今……」
ゾロは自分の口へ手をあてた。
今、キス、された。
サンジはまっすぐゾロを見ていた。
そして、笑った。
「なんだ、もう二度目だろ、あせんな、馬鹿」
顔をくしゃっとした、その笑顔は、何故だか、その場から言葉を奪った。
変だ、とゾロは思った。
けれどやはり判然としない。
「オレ、もう仕事あっから」
サンジは立ち上がる。
唖然としたままゾロは答えた。
「お、おう……気ィつけてな」
答えながらも、アタマの中では盛大に疑問符が行列を作る。
何なんだ、一体。
ガタンと玄関先から音がして、サンジが自転車を出したらしい。
テレビは相変わらず、さー、さー、と振動するように鳴っていた。
それから二時間くらいして、コトンと玄関先から音がする。
ゾロは玄関まで歩いて行った。
寝すぎたせいなのか、眠れなかった。
玄関のポストには、やっぱりミルミルが入ってた。

参ったな、とゾロは思った。

参ったな。
あいつ、ひょっとしてホモなのか。そんで、オレを好きなのか。
それってどうなんだろう。
どうって言うか、どうする、オレ。
こないだの、冗談のつもりのキスのことを思う。
喜怒哀楽の激しいサンジのことを思う。
……怖い。
なんだか、眠くないけどとりあえず寝たかった。
自分の布団がものすごく恋しい。
そして、アイツに何からどう話そうかと、考えた。
思ってることを。





03/11/17

 


4があまりにも長くなりそうなので一旦切りました。