ラブリィ スイート ホームタウン
発展





サンジはパートのおばちゃんたちに人気がある。
愛想も良いし、時々自慢の腕でお菓子やら惣菜やらを作ってマメにタッパにつめてお裾分けしてくれる。意外とタフで力仕事もこなすし、健脚なので配達も素早い。昼間販売所に居るときは文句も言わず事務仕事も手伝う。
だから、サンジがふらっと店を抜けてどっかにいなくなってしまうことがしばしばであっても、店のおばちゃんはまるで文句を言わなかった。
それがめぐりめぐってゾロの災難であった。



早朝。
ゾロは家の前で簡単な準備運動をすると、スニーカーのヒモをぎゅっとしめ、走り出そうとした。ランニングも筋トレ同様彼の日課である。
日ごとに柔らかくなってゆく春の空気を吸い込んで、気分良く出かけようとした矢先。
「あー!ゾロだー!」
馬鹿みたいにでっかい声が響き渡ったのであった。
振り向かなくても分かる。サンジだ。
「なんだ、どっか行くのかよ?」
でっかいカゴのついた自転車をガコガコこぎながら、サンジがついてくる。
「ウッセエ、走りに行くんだよ」
「走んのか!さすが筋肉!朝からハイテンションだなあ」
そりゃテメエだ、というゾロのつっこみも聞こえないのか、サンジは当たり前のようにゾロのあとに続いて自転車をこぐ。
「おい、金髪、テメエ、仕事いいんかよ」
仕事ォ?と、まるでゾロが変なことを言いでもしたかのように、ワケが分からないみたいな口調でサンジは言う。
「ああ、仕事。今終わって店帰るとこ」
ガコガコ、とサンジが自転車をこぐ、ブサイクな音がする。今にも壊れそうな自転車だ。
「なあ、オマエ、どこまで走んの」
ギイー、ギイー、とチェーンをカラ回しさせながらサンジが近寄ってくる。
「どこって、一周。むこうの公園のとこまで」
「公園、よし、公園な。あの図書館のあるとこだろ、じゃ、あそこまで行ったらちょっと待ってろよ、オレ一度店戻るけど、すぐ行くから」
「は?」
疑問を質す余地もなかった。
強引に、待ってろよお、と言い残したまま、サンジはまたガコガコとブサイクな音をたてながら、物凄い勢いで走り去ってしまった。

なんなんだ、ありゃ。

公園が見えてきたあたりで、店から戻ってきたらしいサンジが黙々と走るゾロを見つけ、後ろからついて来た。自転車のカゴにさっきまで入ってた、配達の残り物のビニールとかは消えていた。
「仕事終わったって一応報告に行ってきた」
と言うから、案外彼は真面目な性格なのかも知れない。
しょうがねえな、とゾロは肩を竦めた。
公園のゲートを抜けると軽く体を動かしてから、どっかりとベンチに腰掛ける。
「ほい」
サンジがケツポケットから何かを出してゾロに手渡した。
見ればそれはミルミルだった。
ケツポケットのなかでパックが微妙にひしゃげて生あったかくなっていた。
「サンキュ」
「いえいえ、どういたしまして」
付属の細いストローをさしてゾロがそれを飲み始めると、サンジは自分もベンチの隣に腰掛けながら「すげえ、ムキムキマンなのに細いストロー吸ってるよー!」とか言って笑い出した。ほんとにコイツは何が可笑しいのかさっぱり分からない。ゾロは頭をガリガリ掻いた。そして「あと」と付け足した。
「あと、メシもありがとな」
ベンチに座る二人の前を、犬をつれたじいさんが通り過ぎる。
犬がサンジに向かってワンワン吠えた。サンジはちょっとびびってゾロから注意を逸らしていたので「え?」と聞き返してきた。
「だからメシ」
「あ」
警戒して犬から視線を外さず、でも驚いたみたいにゾロのほうをぱっと向いて、でもまた犬のほうを警戒して、落ち着き無くきょろきょろ両者を見ながら、サンジはもう一度
「え?」
と言った。
でも今度の「え?」はゾロの発言の意味を飲みこんだ上での「え?」のようであった。
その証拠に、サンジの白いほっぺたがばばっと紅潮する。
「うまかった、ごちそーさん」
重ねてゾロが礼を言うと、サンジは
「よっしゃ!」
と気合を入れて急に立ち上がる。
その両腕は男らしくガッツポーズをきめ、うきうきと相好は崩れ放題になっている。
「じゃー今夜はスキヤキな!!早く帰って来いよー!!つうかテメエ今日はもうどこも出かけんな、このヒマ人がぁ!」
わけのわからないテンションに突如支配された黄色頭は、己の発言がもたらしたあまりの効果に呆然とするゾロを取り残して、何度か強引に握手を求めると、自転車に乗って「じゃあな〜」とどこかへ出かけてしまうのであった。

わけが分からねぇ

未だかつて見たことのないようなハイテンションの男との出会いは、まさしく彼にとっては降ってわいた天災のようなものであった。



夕方。
やはり今日も開きっぱなしになっていた庭のサッシ戸からサンジは侵入した。
家の中には人の気配はなく、がらんどうの印象だった。
リビングのテーブルの上には食べ残しのコンビニ弁当がそのまま放り出されている。
「あ〜、アイツ、こんなもん食いやがって」
こと食事については気を遣うタチのサンジにとって、ゾロの食生活は全く信じがたい無神経なものだった。
冷蔵庫の中にはビールぐらいしか入ってない。
棚にはカップ麺ばっかり入ってる。
一人暮らしの男かっつーのテメエは!
思わず激昂しかけたが事実それに近いものであることを思い出し、そうか仕方ねえなと思い直した。
そうだ、アイツはまともに料理なんか出来ねえに決まってる。
そんで親御さんも留守がちなんだ。
やっぱオレが来てやらねえとなー。
微妙に「オレが来てやらねえと」の思考に力が入っていた。

ゾロの家のキッチンを借りて簡単に下ごしらえをする。
今夜はスキヤキにするつもりなので、然程手間はとらない。あっという間に済んでしまった。
子供の頃から店の仕入れを手伝ってたこともあり、サンジは材料を見る目も確かだった。
今日も安くて良い品を手に入れたと内心得意だ。
はやくゾロが帰ってくればいいのに。
料理が出来て良かったと今ほど思ったことはなかった。
ジジイ、オレは料理の最高の隠し味、「愛情」を手にいれたぜ!
そう思うと誇らしくてゼフのレストランまで走って行って自慢してやりたいくらいだった。
テーブルの上に簡易式のガスコンロをセットしたところでゾロが帰宅した。
「……テメエ、何してやがる」
無人のはずの室内に黄色い頭を見つけ、思わずゾロが低い声を発する。
「なにって……メシに決まってんだろうが」
アホかこいつは、と言わんばかりのサンジの口調。
そうだ、テーブルの上に鍋が出てるんだから、メシの支度に決まっている。
そうではなくて、問題点はそこにはなくて、問題なのは、何故サンジが勝手に留守宅にあがりこんでいるのかということであったが、
「今夜はスキヤキッつったろー」
ニコニコと嬉しそうなサンジに毒気を抜かれたのと鍋から旨そうな匂いがしだしたのとで、何だか細かいことはどうでもいいかという気分になってきた。
それにしても何故この黄色アタマは食事を作ってくれたりヤクルトをくれたりするのだろう。
いいヤツなんだな。
ゾロはとりあえず、そんなふうに考えた。
それ以上のことは何故か思いつかなかった。
どっかりと自分の定位置に座って、ぐつぐつ煮えだす鍋をつつこうとして
「手ェ洗ってきやがれ!」
とサンジに注意された。
(うるせぇ……)
と思いながらもしぶしぶ手を洗い、再び席につくと、サンジはわざわざ卵を割ってかき混ぜて渡してくれた。そこまでしなくていいと思った。しかも器を手渡すとき「えへ」とか可愛く微笑まれた。怖い。しかも何でまだ他にも席はあいてるのにすぐ隣りに腰掛けるんだろう。
だが、料理はもの凄く旨い。
だから素直に「旨ェ」と感想を言ってみた。
「あっ」
サンジは大仰な動作でふんぞり返った。
「ったりめぇだろ、オレの料理はバラティエ仕込みだ!」
「へえ」
そのレストランの名前はゾロでさえも聞いたことがある。
「オマエ、あの店の息子かなんかか?どーりで料理が上手いはずだぜ」
「…………!」
二度もうまいと誉められて、サンジは無言で悶絶した。
「おい、大丈夫か」
ゾロは心底イヤなモノを見る目つきでサンジを見た。
サンジは「オマエはオレのトンボさんだ」と意味不明の呟きをもらした。
「は?」
「いや、なんでも。……オレはあの店の、ええと、なんだ、息子ってわけでもねえんだが、あそこのオーナーのジジイに育てられたんだ」
「ふうん」
鍋はぐつぐついってるし、ゾロは自分の話を聞いてるし、何だかいい感じだ、とサンジは思った。
「ま、それだけなんだがよ」
「へえ」
ゾロはもぐもぐと口を動かしている。
サンジはかいがいしくゾロの皿に野菜も入れてやった。栄養がかたよっては困る。
「いいやつだな、そのジジイは」
「え……」
ゾロは野菜ももりもり食べる。
そうだ、とサンジは思った。
そうだ、ジジイはいいやつだ。
そんで、コイツも凄ェいいやつだな。さすがオレのトンボさんだ。
オレはコイツのことなんも知らねえけど、いいやつだ。
なんだかサンジは胸がじんわり暖かくなるのを感じた。
そこでゾロのどのへんがいいところか考えることにした。
考えつかなかった。
考えてみれば、サンジはゾロのことをちっとも知らない。
ほんと、コイツ何やってるヤツなんだろう。
黙々と食事するゾロを眺めながらボンヤリ考えた。
(筋トレばっかりしてるってことしか知らねえ。)
自分でもちょっとアタマを抱えたくなるような情報量の無さだった。
(筋トレしてると、どういいヤツなんだろ。
いやあれだよ、でも筋トレで人助けとかしてくれるかも知れねえし。
災害とかあったときとか。
家屋が倒壊してきて、助けてくれるとか。
あー、いいなそれ。かっこいいな。
それかあれだよ、筋トレしてるとこしか見ないけど、インテリで大学生とかで研究してるとかかも知れないじゃないか。そうゆうのもかっこいいな。
なんの研究か知らないけど。
そんで地震予知とかして助けてくれるかも。そんで倒壊した家屋から……いや結局下敷きかよ、それじゃ予知した意味ないだろ。でもいいなあ、倒壊した家屋。「オレのことは構わず逃げろ」「オマエを置いて逃げられっか!」とかさあ。ああもういっそ倒壊しねえかなあ、家屋!)
どんどん思考は脱線して行った。
その間に、鍋は空になっていた。
ぼんやりしているサンジの横で、うーん、と幸せそうにゾロが伸びをする。
「ふぁー、ハラいっぱい。ごちそーさん」
そのままヨタヨタとソファーまで歩くと、どさっと横になる。
ものすごく満腹で、気持ち良く眠気に支配されてしまった。こうなるともうゾロはテコでも動きたくないタイプだ。
「あ!てめえ、食べてすぐ寝ると牛んなんだぞ!それに片付けくらい手伝え」
「んー……片付けて?」
「かッ……かわいく言いやがってぇ!このクソ筋トレ!片付け終わったら御礼にキスしろよ!つうかさせるからな!」
サンジがどさくさにまぎれて妄想を織り交ぜて怒鳴りつける。
「くはは」
ゾロは笑った。
「おー、してやるしてやる、いくらでもしてやるから」
「えッ!ほんと?」
「マジ、マジ」
ゾロはまた「くはは」と笑う。
まさかサンジが本気だとは、夢にも思わないのであった。
サンジは「おりゃあああ」とか「どりゃああああ」とかよくわからない怒声をあげながら全力で皿を洗った。
その間にゾロはすやすや寝入ってしまう。
開けっ放しの窓から夜風が入って室内は少し肌寒い。春の虫が網戸にあたって、小さな羽音をたてて落ちる。
ある意味平和そうな光景と言えた。

「おい」
全ての皿を洗い終えたサンジがゾロの横にぺたりと座る。
「おーい」
ゾロは眠っている。額を指先でつつくと、煩そうに払われた。
よく考えてみれば、これほど間近で彼の顔を見たことはなかった。オヤジっぽいなあと思っていたけれど、こうしてみれば自分と同年ほどに見える。
いつも凶悪そうに眉間に皺が入ってるが、今も寝てるのにタテ皺がはいってるが、だらしなく口開けて寝てる顔は、まだ、全然ガキみたいだ。
なんとなく、その額をもう一度指で触ってみた。
汗か油かよく分からないものがついたから、ゾロの服で拭った。
やっぱり野郎は汚ねえ。
でも、なんかな。

(なんだかなー。)

サンジはゾロを揺すって起こす。
「おーい、オレもう帰るけど。明日も早いし」
「んー」
いかにも眠たそうにゾロが薄く目を開く。
「おー、帰んのか、ごちそーさん、またな」
追い帰すようにひらひら手を振ると、サンジにガシッと掴まれた。
「キスするッつったろ!」
「ああ?」
「するッつった!」
んー、とサンジは顔を近づけてくる。
相変わらずハイテンションで意味が分からねえ。
そう思いながらも、サンジの悪ふざけのノリの良さに、可笑しくなってきて、ゾロはブチュっと、サンジの口に自分の唇を押し付けてやった。
そらみろ。
びっくりした顔してやがる。
ほんとにされると思わなかっただろ、悪ノリしやがって。
そう思うとおかしくておかしくて、ゾロは声をたてて笑った。寝起きの悪い彼にしては珍しく、凄く上機嫌だった。
「お、オレ、もう帰る、帰るからな」
ぎくしゃくとサンジは立ち上がり、玄関から外へ出ようとし、靴がサッシ戸のところにあったと思い出して戻ってきて、そこから出ていった。
「またな」
とゾロが言うと、もの凄い笑顔で庭先から「うん、また明日」とこたえた。
おもしれーやつ。
とゾロは思った。
ほんと、おもしれーやつ。
残念だな、もうあんま会えなくなるな、夏休みくらいは帰省するけど。
そんなことを考えながら、もたもたと起き上がり、
「さーて、ちったあ荷造りするか」
と、自室へ向かった。
春休みが終わればゾロは大学生になる。
そして、ゾロの通う予定の大学は遠く離れた他県にあるのだ。



一方、暗い夜道に自転車をこぐがこがこという音をたてながら、サンジはどうしたってニヤついてしまう顔を押さえるのに苦労していた。
(ちゅうしちまった。ゾロとちゅうしちまったよ)
嬉しくて嬉しくて、幸せでならない。しかも、
(ファーストキッスだぁ〜)
そう、意外とオクテのサンジにとっては、あれが記念すべき初キッスだったのだった。
ドキドキした。
(アイツはどうなんだろ。)
考え出すと、なんとも形容し難い高揚が込み上げてくる。
アイツ、初めてかな、初めてだといいな。
いや、初めてだろ、あのキスは。
なんかあんな、勢い込んだガキみてえな、乱雑な……
おぎゃー!
どうしようー!
オレらもうラブラブカップルと言っても過言ではないー!
どうしようどうしよう、明日っからどんな顔すりゃいいんだろ、「サンジ」とか呼ばれちゃったりしたらどうしよう、もうどうしよう。
ああ、ごめん、ゾロ、家屋が倒壊すればいいとか思って。
倒壊したら困るよ、家屋。
だってあそこはオマエの居場所で、寝場所で、筋肉鍛え場で、そんでオレのメシを食う場所だもんな。そんで世界はやっぱりずっと平和がいい。何事も無いといい。毎日今日みたいに幸せだといい。

そんなことをグルグル幸せ色に麻痺した脳みそで考えながら、サンジは家路を急いだのだった。



03/10/20

 





くうこ様よりいただきもの

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