◆ 16.


荷物を持って入ってきた悟浄を見て、三蔵はあからさまに嫌な顔をした。

「よろしく♪」
「チッ…」

二日ぶりの宿で寛げる夜だというのに。
二部屋しか取れなかったので相部屋は仕方が無いが、今夜の同室はできればコイツじゃない方が良かった…。
などと思ってみたところで、変更は無理だろう。

今回の事件はたまたま遭遇した災難だったものの、何日も自分が行方不明だったとは思ってもいなかった。
そのことで、三人に迷惑や心配をかけたことは否めない。
けれど、それをお詫びやお礼などという言葉で表わそうなどとはこれっぽっちも思っていない。
ただ、無闇に諍うことは止めておいた。

「あれから、あんまり眠ってないだろ?」

同室者を無視するかのように新聞に目を戻した三蔵に、深刻になるまいと気を付けながら悟浄が声を掛けた。
返事が無いならそれでいいかと思って、気軽な調子を装った。
が、その言葉で、灰皿に置いていた煙草に手を伸ばそうとした三蔵が一瞬動きを止めた。

「ほっとけ」

三蔵は読んでいた新聞をテーブルに放リ投げた。
その顔には、はっきりと “構うな” と書かれてある。
吸い掛けだった煙草をそのまま灰皿に押し付けて消すと、さっさとベッドに上がってしまった。
その姿を、悟浄はじっと見つめていた。

抜け落ちた部分を探そうともがいている三蔵は、前よりも黙り込むことが多くなった。
それに加え、自分を見る時の仏頂面が一層険しくなったように感じる。

――俺とのことが、こっちに戻ってくるキッカケになったとはね……


『思い出せたのはおまえのおかげだ…』


助け出した夜の、思いがけない三蔵の告白。
あの場では聞こえなかったフリをしたが、本当はしっかり悟浄の耳に届いていた。
飛び上がりそうだった心臓を押さえ付けたのは、三蔵以上に自分が照れていたからなのかもしれない。
役に立ったという事実は、心の底から嬉しかった。
しかし、このところ自分を避けるようにしている三蔵に対してはもどかしく思ってしまう。

――もっと素直になりゃいいのに

悟浄の目がスッと細められた。


ベッドに足を伸ばして座り込んだ三蔵は、ふぅと長く息を吐いた。
無意識のうちに緊張で肩に力が入っていたようだ。
さっきまでずっと字を追っていたせいか、目にも疲れを感じる。
ごしごしと両手で目を擦っていると、横から投げかけられていた視線に気付いた。

「何だ?」

顔だけを向けて怒ったように問うが、見ている本人は微動だにしない。

「ふんっ」

構うだけ時間の無駄だとばかりに不躾な視線は無視することにし、また顔を手で覆った。
その時、ギシリとベッドが軋む音がした。
え、と思う間も無く肩を掴まれ、三蔵はベッドに押し倒された。

金糸の髪がシーツに広がる。
悟浄はその髪を下敷きにしないようにさっと寄せると、顔のすぐ横に両手を付き直し、三蔵に馬乗りになった。
見下ろしてくる顔がいつもと違って真剣で、三蔵は咄嗟に振り払うことができないでいる。

「…どけ」

ようやく出せた声にも、悟浄は表情を変えない。

「てめぇ、こんなことして、ただじゃ……」

食って掛かってきた三蔵の言葉を、悟浄の人差し指が止めた。

「っ!……」

軽く唇に押し当てられているだけなのに抵抗できない。
三蔵が思わぬことに半ば唖然としていると、その指がそっと動いた。

「!!」

唇を割って中に入ろうとする人差し指。
押し留めようとすると余計に咥え込んでしまいそうになり、三蔵は慌てて唇の力を抜いた。
悟浄の指は、その隙を狙って更に侵入してくる。

(やめろ…やめろ……)

阻止したいのに、紅い瞳に見つめられ、蛇に睨まれた蛙のように身体が動かないでいる。

「っ……あっ!」

口をこじ開けられ指が舌先に触れた瞬間、全身に電気が走り、咄嗟に横を向いて侵入者から逃れた。
顔の上で両腕を交差させて自分を隠すようにしながら荒い息を吐いている三蔵を、紅い眼が見下ろしていた。
逃げた獲物を追い求めるかの如く、悟浄の手が伸びてくる。

「!!」

三蔵の両腕はクロスしたまま頭上で拘束されてしまった。
悟浄の片手が三蔵の両手首を掴んでベッドに押さえ付けている。
もう一方の手は、輪郭を確かめるようにゆっくりと三蔵の身体を辿っていた。

「や…やめっ……」

完全に身動きできないほどに組み敷かれた格好になり、三蔵は抵抗できず、ただ身を捩るしかなかった。
下まで潜った手が、下着の中にまで入り込んで三蔵を捕らえた。

「……うっ!!」

紅い瞳と紫暗の瞳がぶつかった。
先ほどからずっと、全く表情を変えない悟浄に、三蔵は抗い難い何かを感じていた。
けれど、簡単に身を任せるわけにはいかない。
三蔵はありったけの力で逃れようと試みた。
しかし、押さえ付けている半妖の力には叶わず、その姿は身悶えしているようにしか見えない。
金糸の髪を振り乱し、晒される首筋や胸元。
アンダーシャツ越しにわかる身体のラインが淫らに蠢く。

「くっ!…んんっ!!……」

三蔵は固く目を瞑り、感じまい声は出すまいと歯を食い縛っている。
その様はこの上なく扇情的で、悟浄はごくりと生唾を飲み込んだ。
そんな悟浄に気付く余裕も無く、三蔵は必死で喘ぎ声を我慢している。
三蔵を扱いている悟浄の手の動きが速くなった。

限界を迎えそうになったその瞬間、三蔵の脳裏に誰かの顔が過った。
黒い髪に黒い瞳……

――誰……?

思わず開けた目の前には、鮮やかな紅が広がっていた。

――そうだ……今、俺の上にいるのは、紅い髪に紅い瞳の、この男……

荒々しい悟浄の雄の部分を全身で感じた時、仰け反ったまま硬直したように三蔵の身体の動きが止まった。
その直後、悟浄の手の中のものがどくんと波打った。

びくっびくっと僅かに痙攣しながら脱力していく三蔵。
その瞳は見開かれているが、ぼんやりとして焦点が合っていない。
悟浄がようやく腕を放しても、肩で息をしている身体はすぐには動けないようだった。
ややあって、ずっと頭上に上げたままだった腕を難儀そうに下ろすと、三蔵はひとつ大きく深呼吸した。

今のは何だったのか…。
そう頭が考え出した途端、胸座を掴まれ上半身を起こされた。

悟浄は三蔵の顔を近くまで引き寄せると、さっきまで三蔵自身を握っていた掌をぺろりと舐めて見せる。
そのまま、まだ荒い息をしている唇にむしゃぶりつき、舌を絡ませて三蔵の口腔内を犯していった。

この熱いくちづけ。
以前、悟浄から受けた以外に、どこかで自分は経験している……?
助け出されてから、悟浄を見る度に思い出しそうになる何か…。
頭では思い出せなくても、自分の身体のどこかが覚えているような感覚。

一瞬の内に頭の中で目まぐるしく思考が飛び交った。
しかし、整理しようとする前に舌に苦味を感じ、その正体に思い至るや吐き気を覚え逃れようとした。
が、それよりも早く悟浄が唇を離すと、三蔵の胸を突き飛ばしてその身体をベッドに沈めた。

「この勝負はおまえの負け」

三蔵を見下ろしながら悟浄が告げた。

「……賭けなどした覚えはねぇし、負けた覚えもねぇが」

ベッドに大の字になったなったままの三蔵がようやく声を出すと、悟浄はふっと鼻で笑った。

「どっかに意識を飛ばしたままじゃ、雑魚にも勝てねぇぜ」

気持ちが不安定だった事が見透かされていたのかと、三蔵が唇を噛んだ。
そんなことは言われなくてもわかっていたのに、今の自分は確かに、そう忠告されても仕方の無い状態だった。

「今日のところは、おとなしく負けを認めるんだな」
「……」
「そのまま、何も考えずに眠っちまえ」

自分に圧し掛かっていた重さが離れていく。
三蔵は天井をぼんやり見つめたまま動けなかった。
ドアが開かれる音がし、部屋から出て行った足音は、やがて遠ざかって聞こえなくなった。

「言われなくてもそうする……」

ひとり残された部屋で、三蔵は誰に言うとも無しに呟くと、そのまま瞼を閉じた。
振り回されて疲弊していた意識は休息を求めている。
心地よい身体の疲れも相俟って、三蔵は瞬く間に久しぶりの深い眠りへと落ちていった。


* * *


部屋を後にした悟浄は、外に出ると宿の庭石に腰掛け、ひとり煙草を燻らせていた。

ちょっとした悪戯心と好奇心から始まった賭け。
それがキッカケで、思わぬ傷を見てしまった気がしたが、本人に確かめるわけにもいかない。
じっくり時間をかけて三蔵を解き放してやろうと考えた。
ところが、あんなことがあったせいで、賭けはうやむやになったか、と思っていた。
けれど、あれが三蔵を助ける手掛かりになっていようとは。

――何にせよ、あいつの心の中に俺との事が残っていたってのは嬉しいよな

そんな三蔵を、悟浄はこの上なく愛しく思った。
しかし、二人の間に甘い時間など期待できるはずもなく。

己の欲望に素直に従えばいいか、と悟浄は心を決めた。
そして、自分がもたらす刺激が三蔵の中で何か変化を起こさせることができれば…。
そこから違う展開が待っているなら、それを受け入れるまで。

――力んだってしょうがねぇしな〜

三蔵の傷は、多分根深いものだろう。
だが、取り敢えずこの旅が終わるまで、と考えても、時間ならまだまだたっぷりある。

「なんとかなるさ」

悟浄は吸っていた煙草を揉み消すと、火照った身体を酒で鎮めようと夜の街へと消えていった。


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