◆ 14.
「三蔵、目を覚ませ、三蔵っ!!」
悟浄は、気絶してしまった三蔵を起こそうと、両肩を掴んで揺さぶっていた。
「う…ん……」
先ほど閉じられてしまった瞼が、ゆっくりと持ち上がる。
「三蔵、気がついたか?!」
「悟浄…」
意識を取り戻した三蔵は、目の前にいる人物を見てすぐに浮かんだ名前を口に出した。
「俺がわかるのか?」
「何、寝惚けたこと言ってやがる」
三蔵がいつもの調子を取り戻していることがわかり、悟浄はようやく安堵の表情になった。
「ここは…どこだ?」
「え?!」
辺りを見まわすと、妖怪の残骸らしきものが目に入った。
この場所は記憶に無いが、自分の置かれている状況を三蔵は瞬時のうちに理解した。
そして、目の前にいる男に助けられたという事実に心の中で舌打ちした。
しかし、この有様では多分、自力ではどうすることもできなかっただろう。
「…来んのが遅ぇんだよ」
礼の代わりだとばかりに、三蔵は文句を垂れた。
「悪ぃ、ちょっと焦らし過ぎ?」
三蔵がここでのことを覚えていないような様子が気になりながらも、悟浄はその胸に目が惹き付けられていた。
いつもは覆い隠されている三蔵の肌。
黒のアンダーシャツが引き裂かれたことにより露わになった白い胸は、あまりにも刺激的で。
悟浄は無理やりそこから眼を逸らすと、手の戒めを外しにかかった。
「さっさとやれっ」
助けてもらいながらも悪態を吐く三蔵の後頭部に向かって、悟浄は縄を解きながら、鼻に皺を寄せて舌を出した。
それに気付かない三蔵は、イライラを隠そうともせずに舌打ちをしている。
「あとは自分でできるだろ」
どこまでも手を貸すと嫌がるだろうと、続きは自分でさせることにした。
三蔵は縄目のついた手首を擦りながら、足の縄を解くために膝を折り曲げ身体の横に流すように持ってきた。
やや俯いた三蔵の、まだ乱れたままの法衣の下から覗いているのは、いやらしいほどに艶めかしい鎖骨。
初めて見たわけでは無い筈なのに、悟浄は視線が釘付けになった。
「何見てやがる」
三蔵は自分のそばから離れようとしない悟浄を睨むように見上げると、冷たく言葉を投げつけた。
鋭い視線が悟浄に突き刺さった途端、身体の中心がズクンと疼いた。
――おっと!
反応し始めた自分の一部を宥めようと、思わず三蔵に背を向け手をポケットに入れて前屈みになる。
突っ込んだ手が、さっき使った銃に当たった。
「あ・・・」
三蔵が気絶した時、知らずポケットに入れていたことに、今、思い至った。
「これ、返すわ」
足が自由になり、ベッドから降り立った三蔵に、悟浄が小銃を放り投げた。
「さっき、一発使っちまったぜ」
「弾代は後で払え」
「げっ! 有料かいっ!」
「当然だ」
久しぶりに手にした気がする、愛用の銃のずっしりとした感触を確かめると、三蔵はそれを無造作に懐へ入れた。
そして法衣を正し、いつものようにさっさと歩こうとしたが、いきなりその足が縺れた。
「っと、危ねー」
後ろから悟浄が抱きかかえるようにして転倒を防いだ。
その助けを振り払おうと三蔵がもがく。
「離せ!」
悟浄は、こんなになりながらも気丈な台詞を吐く三蔵にどこか安心している自分が少し可笑しかった。
「ワガママ言ってたら、お姫様抱っこしちゃうよ♪」
「やめろっ!」
ふざけた調子で三蔵を煽り、自分の方に意識を向けさせたまま歩き出す。
貸そうとした肩は、無下に断られた。
「おまえサンさあ、ちったあ人に甘えてもいいんじゃない?」
「甘えるだと? そんな言葉、俺の辞書にはねぇな」
「相変わらずだね〜」
「ほっとけ」
「ま、そういうのは三蔵サマのキャラじゃないってか」
「ふんっ」
悟浄は、三蔵に余所見させずに家を出ることに成功した。
扉の外には、丁度、到着した八戒が立っていた。
八戒は悟浄と別れて一度宿に戻り、待っていた悟空に村人から聞いたことを簡単に説明した。
そして、麓にある、山に続く道を見張ってくれるように頼んだ。
もしも、まだ妖怪が山に入っていないのなら、そこで阻止するため。
また、もしかすると、自分達と入れ違いに三蔵が山から下りて来るようなことがあるかもしれない。
悟空のことを覚えているかどうかわからないが、その時は、とにかく目を離さないように、と。
出てきた悟浄は、三蔵に気付かれないように首を横に振った。
微かに八戒が肯いたが、その目には若干の困惑が滲んでいる。
(訊かれたら、どう説明しましょうか……)
八戒は、ボロボロになった三蔵を見て驚いたものの、すぐに安堵の笑みを浮かべた。
「無事でなによりでした」
八戒に近寄りながらも、三蔵は悟浄を目で追っていた。
――何だってんだ……
悟浄がそばから離れたことで寂しさを感じている自分に対して、三蔵は苦々しい顔をした。
悟浄はそんな三蔵を目の端に入れていたが、気付かないフリをしている。
「んじゃ、先に行っててくれる?」
「わかりました。 悟空と合流して、宿で待ってます」
二人の会話に疑問が沸かないでもなかった。
しかし今の三蔵は、自分の持て余した気持ちをどうにかさせることで頭がいっぱいだった。
悟浄は、八戒と三蔵を見送ると踵を返し、瓏洸の、そして三蔵が少しの間だけ暮らしていた家へと戻った。
鼻を突く血の匂いにむせ返りそうになりながら、居間のベッドの陰に転がっていた死体を見下ろす。
「三蔵を助けてくれたことには礼を言う。 だが、この先、あいつを苦しめるようなことはしないでくれよな」
物言わぬ相手に向かって、悟浄は誠意を込めて頼んだ。
――あいつ、あんな風に笑えるんだな……
瓏洸と三蔵のツーショットを思い浮かべて、悟浄は複雑な想いに駆られた。
“玄奘三蔵法師” に戻った三蔵が、山の中で見たような笑顔を浮かべるのは不可能に近いだろう。
そう思うと、一度でも貴重な三蔵を見られたことを良かったと喜ぶべきなのか。
「取り敢えず、サンキュ」
そう言ってから、瓏洸の身体をシーツで包むと、家の外へと運び出した。
少し離れたところまで引き摺ってきた時、木陰に人影を見つけた。
「出て来いよ」
現われたのは、今朝、街で会ったばかりの村人だった。
「瓏洸は死んだのか…?」
引き摺っていた布から黒い髪が覗いている。
「ああ、妖怪にやられちまった。 その妖怪も、もう生きてはいねぇがな」
悟浄が答えるのを、村人は合掌しながら聞いていた。
「あとはわしらに任せてくれ。 知らない間柄では無し、村の寺の住職に頼んでおく」
三蔵や妖怪の情報を教えてくれたことから見て、世話好きな人物らしい。
この遺体は山のどこかに埋めてやればいいかと思っていたが、村人の申し出を素直に受けることにした。
「じゃ、よろしく。 俺はもうひとつ片付けなきゃいけないことがあるんで」
「あの家か?」
「ああ、悪い夢がこの世に残っていても、なんもいいことは無いからな」
ヒラヒラと手を振りながら、悟浄は元来た道を戻って行った。
しばらくして、悟浄の消えた方角から火の手が上がった。
悪夢の残骸は、業火によりこの地から消し去られた。