◆3

悟浄が案内したのは、落ち着いた造りのダイニングバーだった。

ここは繁華街から少し外れた坂の上。

店内は適度に客が入っているが、三蔵と悟浄という目立つ存在が店に入っても、不躾な視線を送るような客層では無い。テーブル席の空きはあったが、二人はカウンターのスツールに落ち着いた。

ここは食事もできる店なのだが、メインは酒だ。酒のセレクトが良い。
ポイントは抑えながら趣味が渋すぎず、アグレッシブなセンスが気に入っている。
食事もかなりの腕のシェフの作らしく、つまみが三蔵の口に合えば、明日にでもまた連れてきても良いと思う。

明日…もしまた三蔵が一緒に来てくれれば…なのだが…。


なんだかなあ…

自分としては、かなり決死の覚悟で立てた計画を、今日実行に移している訳だ。
しかし、これからの話し次第では三蔵の機嫌を損ねる…どころでは無くなるのが容易に想像できてしまう。

だが…どうしても、自分ができることをしておかなければならない理由が、悟浄にはあった。



軽いつまみと、芳醇な味わいの地元の酒。
グラスを傾ける三蔵を、それとなく伺った。

「どうよ」
「まあ悪くはねえな」

三蔵の悪く無いは、良いという賛辞に近い。
琥珀色の液体は、とりあえず、三蔵サマの機嫌を良くしたようだ。
会話をしたくなるような、柔らかさのある雰囲気に包まれる。

「それはそうと、身体の方はもう良いわけ?」

返る言葉は予想がついたが、聞いておかなくては気が落ち着かなかった。

「…フン… ンな事気にするくらいなら、飲みになんか誘ってんじゃねえよ」
「ったく、やっぱ可愛くねーなあ。せっかく奢ろーってのに」
「てめえが奢らせてくれと哀れに頼むから、仕方なく来てやってんだ。感謝するんだな」
「へえへえ…、ま、そこまで悪態がつけるなら、元気になったってことで」

三蔵の悪態は無視されるより至極上等な態度だ。
正直、三蔵がここまで回復してくれたことに、心底安堵していた。
だからこそ、今日この街で計画を決行に移しているのだが…










あの日から、もう二カ月近く経つ。




あの日…



カミサマと名乗ったあの男と対峙してから、もう二カ月だ。

あの日から、殆ど西には進めていない。

あの日から…




四人ともひん死に近い重体だったが、妙にハイテンションだった俺たちは、三蔵の荒い運転に更に気分を高揚させたまま次の街にたどり着いた。

だが…結局そこで、三蔵は一カ月近く寝込むことになったのだ。

気分が高揚していた間の空元気があだになったらしい。
あれだけの重症を無理やりに治して、また重症を負って…
人間である三蔵の身体がついてこられるはずが無かったのだ。

妖怪の血を持つ俺たちの身体は、受けた傷を着々と治癒していった。
八戒も自分の怪我の回復を後回しにして、三蔵の怪我を治療し続けた。
…しかし、傷は癒えても三蔵の体力までは回復はできない。

それでも、少しでも動けるようになると、三蔵は平気な顔をして西へと移動したがった。
最初はその意志を止めることができない気がして、無理に出発してみたのだが、…三蔵の具合が芳しくないのは瞭然で。
そこで下僕三人組で何だかんだと理由を作っては、街々に長く滞在するようになったのだ。





この街には、三蔵の法衣の繕いが限界で、新調するべきだと八戒が理由を付けて、法衣の仕立て中は滞在することが決まっている。
着物の事は分からないが、そんなに日にちのかかるものではないだろう。
が、注文した寺には出来る限りゆっくりと仕立てるように言ってあるらしい。
多分今頃紡いだ糸を織りにかけているのかも知れない。(もしかすると蚕の卵からよりすぐって育てていたりとか)

八戒に丸め込まれた三蔵は、意外にも文句も言わず、毎日宿でおとなしくしていた。
だからかも知れないが、このところ随分と顔色も良いように思う。

酒場に誘ってついて来てくれるくらいは機嫌も良い。







心地よい照明に背中を押されるように、とりとめもないことを話すと、三蔵から「フン」とか何とか、短い返事が返る。

少し興が乗ると、もう少し長い返事も返る。
返事を返してくれるのが何だか嬉しくて、つい調子に乗って余計な事まで喋ってしまう。

「あんま、焦ってねえんだな」
「何のことだ」
「ここんとこ、けっこう何だかんだ足止め食ってるだろ? お前はずっと西に進むのを焦ってるみてーなトコ、あったから」

出立が遅れると三蔵は良く苛ついていた。
それが最近は、三蔵の苛つきをあまり感じない。出立は急ぎたがるが、それが受け入れられなくても苛つくことはあまり無い。


「…俺だけ焦っても…仕方ねえからな」

三蔵は低くゆっくりと、かみ砕くようにそう呟いた。

「三蔵…」

その三蔵の言葉に、俺はどう反応していいのか分からなくなる。



あのカミサマとの戦いを経て、…三蔵は以前とは少し変わった。

三蔵は着実に新しい変化に一歩を踏み出しているのだと…こうして傍にいれば感じることになる。
あの戦いに至るまでにあった紆余曲折で。
俺自身も、三蔵のかつての言葉に影響されて、いつの間にか変わっていた自分を知ったのだが…
更に新しく変化を受け入れた三蔵に、俺はまだ、真正面から向き合うだけの決着を…付けられないでいる。

以前の三蔵だったら、下僕が何を言おうが自分の体調がどうであろうが、西へ向かうことを選んでいた。
実際、俺が勝手にカミサマを追いかけて…消えた…後も、三蔵は一度は西へと向かったのだ。
三蔵は三蔵としての正しい意志を通しただけで、実際そうするのが正しくて
始めから一緒でなければならない理由なんか一つもない俺達だったから…。

そして俺は、どんな理由があろうと、三蔵から一度は離れた…ことになる。

あの時はそうするしか無くて、三蔵を引き留めたり、巻き込んだりする資格なんか俺には無かったのだし。
自分一人抜けても、戦力的にも三蔵の世話にしても、特権だったタバコの火種も…大して影響が無いのが分かりきっていたし。

だから首を締めあげるカミサマの数珠を…三蔵の弾丸が打ち砕いた時
夢でも見ているのかと信じられない気持ちだった。



嬉しかったのだ。
気分が高揚して、三蔵が現れたあの一瞬はひどく浮かれていた。



馬鹿みたいに浮かれていたのだ。













「悟浄…」
「えっ…あ、…」

名前を呼ばれて、心臓が撥ねる。

「お前、しょぼくれた犬みてえな顔してるぞ」

三蔵は無表情に近いながら、面白そうに隣に座る俺を観察している。

「うーん…ああ、まあ、何つーかな…」

俺らしくなく言いよどむ。
気の利いた軽い受け答えも浮かばない。
あれから二ヶ月近くも経つというのに…
…未だに、三蔵にあの時の事を何も言えないままだ。




勝手な行動をした自分を救いに来た三蔵を、自分は一度失った。

失ったに等しかった。

あの酷い怪我の状態では助かる見込みは殆ど無かった。

…八戒が意識を取り戻すのがもう少し遅かったら…制止を聞かずに三蔵に気功を使わなかったら…。


その上、自分は過ちを繰り返した。
三蔵の枕元で、経文を取り戻すのに自分の命をかける…ような話しをしてしまったのだ。
意識が無いと思っていた三蔵が、その俺の言葉に激高した。
その反応に、俺もめちゃくちゃに腹が立って。
この失態を挽回するために、命をかけることすら許してもらえないことに。

経文を一人で取り返す…と言い出した三蔵は、あの時点で、俺たちを切っていた。
死なないはずの俺たちが死にかけて、共に戦うことを拒絶しきっていた。

いたたまれなくて、悔しくて、それで俺がしたことと言えば、思い余って重症の三蔵を殴り倒したことだった。

あのチビ猿の奇策に救われ…
そして俺たちは、あの金色の光の元に、再び集うことを許され…

俺一人で何とかしなくてはならなかったカミサマを、全員でよってたかって倒す結果に…なった。







結局、俺は三蔵に未だ殆ど何も…出来ていない…ままだ。

謝って済むようなことでないから謝らない。

八戒になら「済まない」くらいは言えたが…三蔵に言える言葉なんて、何か言える資格なんて未だに無い。
借りはデカすぎるが、命で払うことも許されない。
こいつの側にいる限り、賭ける代償は命じゃありえない。

戦力では悔しいが認めるしかなく猿に負ける。
三蔵の世話は八戒が他の奴にはやらせない。
怪我をした三蔵を癒すことができるのも八戒だけだ。

俺ができることと言えば…火種切れの三蔵のタバコに、愛用のジッポで火をつけることくらいだ
……火種が切れた時限定で。
時折戦闘中近くにいる時には、三蔵の銃のリロードの間、背中を守ることがあるが…それだって八戒が代わりができる。

自分の手持ちのカードと言えば、『酒とタバコと賭博と女。 』
三蔵は酒もタバコも賭博も、それなりにこなしている。
残っているのは…

「なあ…三蔵… お前って…さ…」

計画の進行に向けて、三蔵にどう切り出したものか、考えあぐねながら言葉を選ぶ。
俺の碌でも無い計画が、心底碌でも無いことくらい、分かっている。
分かっているが…出せるカードが他に無いのだ。
とにかくどんなカードでも、三蔵に差し出さないことには…一緒に旅を続けていくのが…辛くなるばかりな気がするのだ。

三蔵の為じゃなく、自分の気持ちに決着を付けたがっているのだ…と
俺は…今更に気が付いた。










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