◆1
夕闇が深まるにつれて活気付く歓楽街。
さびれた建物の影に立つ娼婦
酒場の客引き女
着飾った彼女達は、甘い誘惑を投げかけてくる。
その街角を、悟浄は珍しく三蔵を連れ立って歩いていた。
少々しつこい客引きに袖を引かれそうになって、悟浄の隣を歩く三蔵の眉が、不機嫌そうに歪められる。
それをちらりと盗み見るように、三蔵に向けた視線を隠して、悟浄は内心溜め息をついていた。
やっぱ、こういう所は、三蔵の趣味じゃあねえよなあ。分かって連れてきてるとは言え…せっかく立てた計画だけど、上手くいくのかねえ…。
出掛けまで差ほど悪くなかった三蔵の機嫌が、ちらちらと盗み見る度に、確実に悪くなっているのを感じている。
いつもなら軽口でもきいて三蔵をからかう所なのだが、それで三蔵が怒って宿に帰ってしまいでもすると今日はマズいのだ。
三蔵のために、悟浄は兼ねてから、とある計画を立てていた。
今日、まさしくそれを実行するために三蔵を連れて、酒場へと向かっているのだが…
華やぎうかれる歓楽街を三蔵と二人で黙々と歩きながら、悟浄の勇気は既にくじけそうになっていた。
***
今はまだ西への旅の途中。
とある理由で、この街には、比較的長く滞在している。
四人揃って宿での夕食を軽く済ませた後、一人部屋に戻ろうとする三蔵に、廊下で悟浄は声をかけた。
「な、三蔵…ちょっと街に飲みに出ねえ?」
「何でオレがてめえと一緒に飲みに出なきゃならねえんだ」
間髪入れない悪態は、吐息まじりで耳に心地良い。
このレベルの反応なら、嫌がっているというのではなく、この申し出が意外で怪訝だ、と言ったものなのだろう。
確かに、三蔵を改まって酒場に誘うというのは、今までそう無かったかも知れない。
こうして一緒に旅をして、三蔵の事を深く知るようになってから、三蔵は酒は飲むが、酒場があまり好きでは無いのだということを知った。
理由も知っている。何度も目の当たりにさせられたからだ。
とにかく三蔵は、酔っ払いに絡まれやすいのだ。
それも喧嘩を売られるのじゃなく、三蔵に見惚れた男が口説こうとするのである。
自分や八戒や悟空が目の前に揃っている時でさえ、そんな事がかなりあって、その度にキレる三蔵をなだめるのが一苦労だった。
三蔵は、自分の容姿には頓着が無いようだが、《女顔》だとか、《細っこい》とか、《金髪美人》だとか言われると、酷く馬鹿にされた気分になるらしい。
三蔵と少しでも行動を共にすれば、“鬼みたいに強い”超鬼畜生臭坊主様に、生半可な気持ちで手を出そうなんて気は、消え失せると思うのだが…。
まあ、初めて三蔵を見た奴には、印象的な美人としか映らないだろう。
美女には慣れた俺でも、三蔵に初めて会った時は、男だと分かっていても、つい“美人だ”と口走ってしまった程だ。
類い稀な美貌の持ち主であることは認めている。
その上、三蔵は単に容姿が整っているというだけでなく、ただ立っているだけでも、何処か強烈に人を惹きつける何かを発している。
三蔵法師としてのカリスマ性や神聖さを強烈に感じさせられる事はしばしばあるのだが、そういったモノとはまた別の…
妙な色気があるのだ、三蔵には。
“男”をソソらせる類い…と言えるだろうか。
それは、激ノーマルで、純粋にノンケなこの悟浄サマでも、時々それに当てられて、ヤバいんじゃないかと思う程度に。
まあ、とにかくそのせいで三蔵は、度々見知らぬ男に“オンナ”扱いをされる。
特に酒場では不躾な連中が三蔵をその手の意味で構いたがる。
だから三蔵は酒は好きだが、酒場が嫌いなのである。
それを分かった上で、悟浄はあえて酒場に三蔵を誘ったのだ。
「毎日宿屋で新聞読んでるばっかりで退屈だろ? 買い物にも出てねえし。少し散歩でもした方が気分転換にもなるってもんだし。まあ三蔵サマがもうおネムだってんならあきらめるけどよ。そろそろおネムの時間だろ、お前」
わざと子供扱いな言い方をすると、
「ざけんな。てめえに俺の時間の使い方をどうこうされる言われはねえんだよ」
案の定、毛を逆立てて絡んでくる。
真っすぐに向けらけた深い光を湛えた目は、それでも本気で怒っているんじゃなく、子供っぽい反抗心をさらけ出しているだけだ。
こういう三蔵は普段の老成した姿よりも、自分に近い感じがして悟浄は気に入っている。
「ま、だからさ。貴いご身分の三蔵サマがたまには一緒に呑んで下さったら、光栄だな〜なんて思った訳よ。暇だったら付き合えって」
三蔵は押しに結構弱い所があるから、ちょっと引目に下手に出てみたり、わざと子供扱いな言い方をしたりして、
「それとも本気でおネムな訳? まさか、ンな事ねえだろ? 大人の時間はこれからだもんな、行くだろ? この街の偵察も兼ねてさ、珍しい話に当たるかも知れねえし」
適当な大義名分も付けて、後は押しに押してみると、
「チッ…。そんだけしつこく誘うんなら、当然奢りなんだろうな」
案外簡単に折れてくる(ただし、とても尊大)。
旅の間に悟浄が必要に駆られて身につけた、意地っ張り三蔵説得技だ。
「わざわざ三蔵サマに御足労いただくんだからな、ま、ここんトコ賭博でけっこう稼いだから、奢らせていただきましょう」
何とか思ったように話がついて、三蔵を酒場に誘うことに成功した。
今日のために街々賭博で稼いだ金をかなり溜めておいたから、軍資金はたんまりある。計画はとりあえず順調だ。
丁度三蔵はいつもの法衣ではなく、白っぽい光沢のあるシャツに綿パンという私服姿。そのまま部屋に戻らず、二人で街に出掛けることにする。
「八戒は一緒じゃねえのか?」
二人きりで宿を出ようとすると、三蔵がそうたずねてきた。
「なに? 八戒がいないと三ちゃんは寂しいのかな?」
その答えに三蔵はまた子供扱いされたとムっとする。
「俺じゃねえ。てめえだろ、そりゃ」
八戒と悟浄は一緒に暮らしていただけあって、お互いに気心を知り尽くしている間柄だ。
だから街に呑みに出るならば悟浄は当然八戒を一番に誘っただろうと、三蔵は考えたらしい。
「あいつウワバミ過ぎて、俺の金じゃ奢るのは心元ないしな。それに八戒は心配性だから、お前、身体の事心配されて、多分あんまり呑ませてもらえないぜ。たまにはこのメンツも新鮮で良いだろ。三蔵が酔い潰れたら、俺が八戒並に世話してやるよ、たまにはな」
介抱するように背中をさする真似をすると、他人に触られるのが嫌いな三蔵は、その手を大袈裟に振り払う。
「おい、呑みに行くんなら、ぐずぐずしてねえでさっさと歩きだしやがれ。いつまでもこんな所に突っ立ってんなら、ダれて寝ちまうぞ」
自分が立ち止まらせていたのに、全部悟浄のせいにして、“おネム”の意趣返しのように“寝ちまう”を強調しながら、三蔵は小馬鹿にしたような笑みを口端にのせた。
すくい上げるように向けられる紫の瞳が、いたずらっぽさを滲ませている。
心地良い動揺が身体中に沸き上がって、悟浄は少し困惑する自分を感じていた。
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