ACT2 Scare
何を恐れているのだろう?
逃げるように部屋を出た後、俺は人気のない町外れの森に辿り着いていた。
宿からはかなりの距離がある。そのくらいまで来ないと心臓が落ち着かないなんて何てことだ。
ただ。
奴のあの目が何か、俺の何かを見透かしている、そんな気がするから。
けれど、見透かされたから何なんだ。
何で逃げるようなマネを繰り返さなくてはならない。そうしなきゃいられないこの切迫感は何だ。
俺は苛々を少しでも解消したくて、懐からタバコを取り出した。
火をつけ、吸い込み、吐き出し、そうやって一息ついてから木に凭れて空を仰ぎ見る。
青い。白い雲が薄く棚引いて。徐々に徐々に流れていく。
時折風が吹いて木々がさんざめく。髪をくしゃくしゃに掻き混ぜられた。
晴れ渡る空にほどよい風。
この分じゃ雨は当分来ない。この空じゃ雨は呼べない。
降り注ぐ陽光に目を細めたら、視界にちらつく、鮮やかな赤。
だから奴の瞳が頭に過ぎった。
・・・何なのだろうと、思う。お前は一体俺にとって何なのだろう。
抉り、引き摺り出す、まるで。
言葉も何もかも、存在自体が凶器の様に、俺に突きつける背筋の凍るような刃を。
怯えている自分を否定できなかった。・・・俺はあいつが怖い。
身体全てでもって反応してしまう。そんな対象がこんなにも近くにいたなんて。
何で今まで普通でいられた。騙されてた?うまくはぐらかされていたんだ。
俺は奴の事を何にも分かってはいなかった。奥に秘めたマグマ。一切見えてはいなかった。
胸クソ悪すぎる現実。
・・・身体中侵しやがって。
「悟浄・・・」
苦虫を噛み潰すように呟いた。
カサリ、と。
背後で小さな音がしたのは、その時だった。
気配も感じる。が、そう多くはない。ひとりで易々処理できる数だろう。
振り返らないままで懐を探る。手をかけ、すぐに抜けるよう準備をした。
背後に全神経を集中させ、気配が動きを早めたのを察知した刹那。
「・・・ッ」
振り返って、発砲する。
不意を襲ったつもりの妖怪達が面食らった表情のまま、次々射殺されていった。
血しぶきの上がる様を苦い表情で見つめながら、隈なく殺す為に発砲を止めない。
断末魔の叫びと銃声がこだまする。
そして。
最後の引き金をひき銃声がエコーの様に響き渡った後で、ようやく辺りは静寂を取り戻した。
俺は構えていた銃をゆっくり下げる。力なく、だらんと。
そして、屍が転がっている周囲の惨状を見つめ思わず舌打ちした。
いい加減こういったことには慣れたが、この苦々しさはいつまで経っても消えはしない。
・・・殺しまくってるくせに。
時に隙間に入り込む言葉。
俺は再度木に凭れて、深く息をつく。
チチチ、と鳥の鳴く声が遠くで響くと、この場所が世界一ゴミみたいな場所に思えた。
目を上げると、光に晒されて、何も見えない。
何も。
ならば無意味だから、目を閉じた。
「まーた随分派手にやったもんだな」
少し遠くから向けられた言葉。目を開けると今まさに自分のところに歩み寄っている奴の姿を捉えた。
・・・追ってきたのか?何で。
俺は警戒も露に奴を睨み据える。近寄るな、と目で言う。それは牽制だった。
だが奴は少しも動じない。
・・・前だったら違った。
そこそこ探るようなマネをしても、拒めばそれ以上は侵入してこない奴だった。・・・そう思っていた。
けれど今のあいつはそんなんじゃ済まされない。
土足で入り込むような無神経さで近づいて来る。拒むことの出来ない恐ろしい程の圧力でもって。
だから、怖いのだ。
・・・怖いのは何でだ。暴かれるからか。全て視線に曝されるからか。
「こんなとこにひとりで、どーしたんだよ」
笑いを含みながら、まるで全部分かっているとでも言いたげに。
「お前こそ、どうした」
「三蔵サマのお守りをしねえと。約1名うるさいのがいてな」
尚近づいて来ようとするのを、俺の言葉や視線で止めることはかなわないと悟った。
牽制もなにもかも通用しない、お構いなしの侵入。
だったら。
こうするしかないじゃないか。
俺は奴に背を向け歩き出す。
・・・と。
数歩歩いたところで右腕を掴まれ、止められた。
「・・・離せッ」
触れられた右腕。たったそれだけのことで身体が過敏に反応する。脈拍が跳ねあがった。
「嫌だ」
「離せと言っている!」
「いい加減逃げるのはよせよ」
言いざま、腕を思いっきり引っ張られたかと思うと、そのままの不恰好な姿勢で唇を奪われた。
「んっ・・・ッ」
その後で俺の髪に手を差し入れ、引き寄せるようにして、強く強く貪られる。
頭の中で、あの夜がフラッシュバックした。俺はたまらずぎゅうっと目を瞑り、映像を闇に還そうとして。
でも一層鮮明に蘇る。俺を変えた、あの夜の全てが。
・・・何でなんだ。こんなの、違うだろう。
俺は抵抗した。だが、手を突っぱねても抑えられ、より深くなるくちづけ。息ができなくて、空気を求めて喘ぐ。
角度を変えるために唇が離れた刹那、
「や、やめ・・・んッ」
何とか声を発しようとしても、それを阻むように再度押し当てられた。
どれぐらいの間の出来事だったのか。それさえも分からなかった。
ただ俺は解放されてから、しばらく呆然としたままで奴の顔を見つめていたのだ。
表情はない。だが見つめ返す瞳。紅い紅い、炎のような色をした。
「悟浄・・・」
何か言って欲しかった。期待するとかではなく、とにかく何かを。だから名前を呼んだ。
すると。
「逃げんじゃねーよ」
憤りに僅かな悲しみが見えた気がして、俺はどうしようもない気持ちに苛まれる。
「・・・何でそんなこと言うんだ」
そんな風な言い方で。
どうしようもない気持ちが、これまでの狂った感情と混ざり合った瞬間、弾けた。
「・・・何なんだ」
俺は途端に感情が高ぶって、
「お前、何なんだ。・・・何なんだ!」
意味のない喚きを撒き散らす。
頭の片隅で冷静に自分自身を嘲笑ってる自分が居るのに、それでも止まらないのだ。
「お前一体何なんだよ・・・俺にどうしてほしいんだよ!」
分からないから問う。知りたいから問うんだ。それ以外は真白で。
「・・・そうじゃねえだろ」
だが、奴から返ってきたのは、低く唸るような声だ。
「お前にどうしてほしいとか、そうじゃねえだろうが」
俺は声を失った。
奴の顔が今まで見たことがないくらい、苦痛に満ちていたのだ。
何かに耐える様に眉根を寄せ、瞳の赤が悲しげに揺れているのを見た。
その瞬間、俺は。
他人の感情にこんなにも胸を潰されることがありえるんだと知ったんだ。
「ご、じょう・・・」
「・・・どうして、そうやって、お前は」
掠れるような声で奴は言葉を繋ぐ。
「お前は、いつも、痛みを感じないフリをして、与えるばかりで、いつだってそうやって・・・触れさせない」
悲哀で染められた言葉が脳に染み込むように溶け入る。
痛みを感じないフリ。
与えるばかりで。
触れさせない。
言葉のひとつひとつを頭の中で繰り返した。
ああ、そうか。
何だか、その時、なんとなくだが分かった気がした。
俺が何をあんなにも恐れていたのかを。
そして、その次の瞬間、俺は視界の中、奴の背後にひとつの影を見つけて。
それが、俺が先程の闘いの中で迂闊にも仕留めそこなっていた1匹の妖怪だと理解した時には、
「・・・三蔵!伏せろッ!」
奴がそう言って俺を抱きしめていて。
それから肉を切り裂く鈍い音がした後、鉄の匂いが充満した。
俺を抱きしめた身体が力を失いずるずると地面へと落ちていくのを見て。
奴の背中に回した手に感じたぬるっとした感触は紛れもない、血。
「・・・悟浄ッ!!」
――――太陽の光がいっそ禍禍しい位の世界で。
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