悟浄×三蔵

『雨が降っていた』

小説 スフィア様













指先が震えてる。
忘れようとする身体。
塗り替える、染める、染まるだけだいつも。最後にはそうやって逃げやがる。
瞼の裏に染み付いて離れない、あの情景。
黒い雨に。闇の雨に。煩いくらい鳴り響く。


まして昨日今日。
そんな雨が降っていた。
























ACT1 いけすかない


「どうかしたんですか?」
平時、“余計なお世話”は努めて避ける優男が、眉根を寄せて幾分不可解そうにそう尋ねてきた。
きっと二人を買出しに行かせたのは、俺とふたりきりになってこの話を切り出したかったからだろう。
そんな余計なお世話をしたくなる程なのか、俺は。

・・・嫌気がさす。

「どーもしねえ。余計なことぬかしたら殺すぞ」
「それは分かってますけど・・・」
言わずにはいられないといった風な。
こいつの様子見の科白はいつも通りなのだが、何分俺がいつも通りではなくて。
苛立ちに拍車が掛かってしまった俺は、つい力を込めて奴を睨みつけてしまった。
多分それはものすごい形相で。
これには相手も驚いたようで、その顔を見た俺はハッとなり慌てて目を逸らした。

・・・バツが悪い。
何なんだ。苛立ちが過剰なんだ。些細なことで神経がささくれ立つ。
感情がコントロールの外で激しくうねり、あの日からずっと、暴れたがってるみたいだ。
こんなこと・・・。

「三蔵?」
そのまま俯いてしまっていた俺に、奴が心配そうによびかける。呼ばれるままに顔を上げた。
困惑しているんだか、何だか少し悲しそうな顔がある。
その顔を俺は何故かしばらく凝視した後で、
「すまない」
思わずそんな言葉が口をついて出ていた。
やはり驚いた奴の顔。その顔がみるみる真剣味を帯びていって。
見方によっては、それは、怒っているようにも見えた。
「・・・あなたはそんな殊勝な性格でしたか?」
諭すような口調。
分かってる。だが自分でもう自分自身がどうなってしまったのか解らないのだ。
・・・思い当たる原因はあっても。何でそれによって自分がこんな風になってしまったか、それが分からない。

理由がない。
あいつに振り回されるなんて。あってはならないのに。

「悟浄と何かあったんですか?」
奇妙なほどぴったりのタイミングで、奴がそう切り出した。
今までの科白からワントーン落とした、凄みを利かせた物言いだった。
俺はあまりのことに声が出ない。どうしてだ。どうしてこいつがそんなことを言うんだ。
咄嗟に言葉が見つからない。淀みのない翠の瞳が、逃がさないといった風に俺を見つめる。
最初からこいつはこれを訊きたがっていたに違いなかった。
「なにも、ない」
ギリギリで喉が発した、そんな言葉だった。
何かあった?何もない。これは本当だ。何もありはしなかったのだから。
けれど動悸がおさまらない。奴の名を耳にしただけで心臓が潰れそうに軋んだ。血液が逆流したかと思った。
振り回されてる。嫌でも自覚する。
でも“何もない”のだ。それが真実ならいいではないか。俺は縋るように言い聞かせた。
「そうですか」
引き際を分かっている奴はそれ以上は訊かない。これはいつものこと。
だから、俺は強張らせた身体を少しだけ弛緩させることができた。
まあ、納得がいっていないだろうことは奴の表情から見て取れたが。
それでも奴はもう深くはつっこんでこないのだ。それが分かるから俺は落ち着いていられた。
だが。

ドアのノブが回る音に俺はぎくりとする。
「よお。ふたりして密談でもしてんの?」
軽口をたたきつつ部屋へと入ってきた男は、買ってきたものをテーブルの上に乱暴に置いた。
「ああ、悟浄。おかえりなさい。悟空はどうしました?」
「知らねーよ。そこいらへん駈けずり回ってんじゃねーの。ガキだしな」
到って普通に会話を始めるポーカーフェイスさに唖然とすることもない。
そんなことより、俺は、早くこの部屋を出ること、それだけしか考えていなかったのだから。
無言で奴の隣を通り過ぎようとした、その時。
「三蔵サマ、お出かけ?」
奴がからかうように言った。
「・・・ああ」
一言返して。
俺は逃げるように部屋を後にした。








「・・・貴方の口から教えていただけると楽なんですが」

「何が?」

「何だと思いますか?」

「さーね。三蔵が何か言ったのか?」

「いいえ。生憎」

「・・・だろうな」

「言わなければ分からない人だとは思っていませんが・・・あの人を傷つけないでくださいね」

「・・・傷つける、ねえ」

「脆い人です。分かっているでしょう?もし彼に何かあったら僕が貴方を許しませんから」

「・・・・・」

「悟浄?」

「・・・だからダメなんだよ」

「え?」

「だからお前らじゃダメなんだよ」




俺が去った後、そんな会話が繰り広げられていたことも、俺は知らずに。








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写真素材相田一穂さま

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