悟浄×三蔵
小説 スフィア様

『It was raining』



(1)

世界を檻に閉じ込めようとする。そんな閉塞感に満ちる。
傷を疼かせる湿気に嫌気がさして、だから眠りたいんだ。なのに。
掻き乱すような音がずっと鳴り止まないまま。


誘われて、
また新しい闇に、落ちる。


とんだカタストロフィーに酔いきって、消えてしまえくらいまで思った後で、あまりのくだらなさに笑った。
・・・笑うくせ。
「でもホントは、泣いてるんだろ?」
そうやって、これまでやってきたんだろ?
読みきったような言葉が煩わしかった。






あの日以来、振り回されている自分を自覚する。
・・・奴の目がいけないのだ。
俺は火のついてないたばこをくわえたままで、しみじみとそう思う。
冗談を言って、笑って。そうやって細められていたって、その奥には、あの日以来いつも鈍く光る何かがあった。

まるで、呪縛みたいに。

背筋に寒気が走るような、射抜くようなそれに、だから俺は思わず目を背けたくなるのだ。
何でこんな。
その違和は、でも日常から見るとほんのわずかなことで、忘れようと思えばきっとできるのだ。
今だけだ。こんなことはすぐ時間の中に紛れ消えていくこと。
焦っているみたいにその文章を繰り返している頭に、自分のことながら腹が立ったが。




「さんぞ、たーばこ」
不意に話し掛けられて、肩が震えた。
大げさな反応だったと内心舌打ちする。こいつごときにビビるなんて、と苦々しく思いながら、
「あ?」
とりあえずいつも通りに気のない返事をする。
「たばこ、きれた」
くれ、とばかりに右の掌をこっちに差し出してきた。
「お前にやるタバコなんざ・・・」
ない。
そう言う前に、ずっとくわえたままだったタバコをスッと奴に奪われた。
驚く間もなく、奴がそのタバコを自分の口にもって行くのをただ口をあけたままの間抜けな顔で見送って。
奴は殊更ゆっくりとそれをくわえ込み、その後で伏せてた瞳をこっちに向けてきた。


目が合った瞬間。
あの寒気みたいな感覚が身体を駆け抜ける。
ポケットから取り出したライターでもって火をつけ、煙をくゆらせ、
「間接ちゅう」
と言ってからかうような笑みを浮かべた奴に、
俺は、だが、怒るとか、そういう反応ができないままで。呆然と、したままで。
「冗談だろ?固まるなよ」
その時垣間見せたわずかな嘲笑を、見逃すことはなかった。









時は遡る。
この胸クソ悪い現状を生み出した元凶は、ある夜の出来事だった。
その日は、突然の天候の悪化に伴い、予定より早めに宿をとったのだ。
各自個室があてがわれ、ゆっくり休養を取ろうということになった。


薄暗い部屋の中に、轟音のような雨音が絶え間なく響いている。
大層な過去の傷に涙でも流れればいいのだが、そういうことではなくて。
俺はただ漠然と雨が嫌いだった。
不快になるだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。過去は過去として風化していくことを知りながら。

それでも、眠れない。


(悲しいのか)
(不安なのか)
(憎いのか)
(自分が?)


負の感情だけが身体に満ちていく。
記憶は詳細さを欠いていって、曖昧な感情だけ落としたまま去っていく。
嫌だったとか、辛かったとか、苦しかったとか・・・・壊したかったとか。
そういうものだけがひどくリアルであり続ける。消してしまいたいのはそこなのに。

だから吐き出してしまいたくて。臓腑も取り出して洗い流したくなって。
血もどんな体液も、この身体の中のもの全部を。

洗面台の蛍光灯が切れかかっていた。安い宿だ。仕方がない。
黄ばんで濁った光が、チカチカと明滅するたびに、嘔吐感が増していくみたいだった。
ひねった蛇口から出る水が渦をまいて排水溝に吸い込まれていく様を、見つめて。
雨音なんだか、水道の音なんだか、耳鳴りなんだか分からない音を、聴きつづける。

垂れ流しの水に頭から突っ込んで、それから顔をあげると、
洗面台に備え付けてある鏡に、自分以外のもう一人の人物を見つけた。
いつからそこにいたのか、不覚にも分からなかった。
「何やってんのお前」
ひどく冷えた声。腕を組んだままこちらを見つめる瞳も、恐ろしいほど冷たい。
ぽたぽたと髪から雫が落ちる。頬を滑って顎を伝い、首筋にまで到る。
俺の頭には部屋に無許可で入ってきたことへの怒りやら罵りやらが、その時は浮かんでこなかったのだ。
ただ、奴から向けられたおそらく初めてであろう類の視線に、戦慄めいたものをおぼえていた。
何が奴の怒りに触れたのか、とかじゃない。
そうではなくて、これから何をされるのか。
殺されることさえ、何故だかありえる気がした。

「ご、じょう」
やっとの思いで言葉を返すと、奴が鼻で笑った。
「風邪ひくだろーが。んなことしてると」
気遣っているかのような科白に、空々しい響きが混じる。
それから突然腕をつかまれ引っ張られたその強さが痛みを生んで、思わず顔を顰めてしまった。
引き摺られるようにして連れてこられたのは自分の寝室。俺はそのままベットに放られる。
スプリングで無造作に弾む身体。
何をする、と言いながら上体だけを起こして奴の方を見たが、部屋が暗すぎて顔が見えない。
奴はただ俺の方を見るようにして立っているだけ。
それがひどく不気味で。

「・・・何の、つもりだ」
息を整えて、ゆっくりと俺は言った。
「今日は・・・ひどい雨だな」
だが、返って来た言葉は的外れなもので、俺は思わず面食らう。
「バケツひっくり返したってやつ?煩くて眠れやしねえ。・・・なあ?」
「・・・・・」
「街にも繰り出せやしねえし、んとにいいことねえよな」
「・・・何なんだ」
「寝れねえ、遊べねえ。最悪の極みだと思わねえ?」
「何が言いたい!」

ひどく苛立った。
言葉が、言っている内容如何じゃなく、まるで刃なのだ。
傷つけたいのか何なのか。ただ今目の前の男がいつもの奴ではないことは確かだった。

すると、男の影が不意にこちらに近寄ってきて、そのまま身体を後ろに強か押しやられる。

驚いて、瞬間閉じてしまった目を再び開けると、目前に奴の顔があった。
覆い被さってくるような体勢だ。俺は思わず息を飲んだ。

何だこれは。

「何が、言いたいと思う?」
不敵に笑いながら。
「つまりは、お前とヤリてーんだよ」












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写真素材相田一穂さま

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