(2)
口から押し出されるように吐かれた空気が音をたてた。
何を言った?笑うことさえできない科白をこいつは吐いた。
思考が止まった。互いに無言まま。
すると奴は嘲るように笑ってそれからあろうことか首筋に顔を埋めてきたのだ。
「や、やめろ!」
反射の様に叫ぶと、奴は意外にもあっさりと行為を止めた。
「何にも言わねーから、了承したのかと思った」
いけしゃあしゃあと言ってのける奴の態度に不覚にも頭に血が上る。
「ふざけるな!さっきから何なんだてめーは!」
「ふざけてねーよ。言ったとおりだろ。寝れねえし、外にも出れねえんだよ」
殊更面倒そうに言葉を吐く。
「暇なんだから、いいだろーが」
・・・馬鹿じゃねえのか。
愕然とした。
こういう奴だったのか?
訳の分からない衝撃が身体を駆け巡った。
裏切られた。何に?苛立ちが募っていく。誰に何を期待していたのか分からないのに。
ただ、その苛立ちに正直になって、俺は暴れるようにして奴を振りほどこうとする。
奴は驚いたようだったが、その強い力で俺の動きを易々と封じると、行為を再開しようと動いた。
俺はただ闇雲に暴れて、ようやく解放された右腕を彷徨わせる。
頭の上のほうにある、ベットの右横のサイドテーブル。
一番上の引出しに手を伸ばそうとしたところで。
「・・・ッ」
掴まれた。強く、砕かれんばかりに。
「ざんねん。まだ撃ち殺されたくないんだわ」
これだけ長く共に旅をしていれば、癖や行動パターンは否が応にも筒抜けだ。
そんな当たり前の事を目の当たりにして、呆然とした。
どれだけ隙を作っていたんだ。開放していたんだ。見せていたんだ。・・・寄り添っていたんだ。
浅ましさと情けなさが身体を引き裂くみたいだった。
俺は力を失って、抵抗することも放棄した。
だが、それに合わせるように、奴は再び行為を止めて、力なく横たわる俺を見つめる。
「三蔵・・・」
呼ばれても、応える気力もなかった。
すると。
突然、奴が顔を近づけてきて。
「・・・んっ・・・」
そのままでくちづけを受ける。
それは今までの言動からは想像もつかないくらい労りに満ちてそれでいて間断がなくて。
苦しくて、奴の肩に手を置き引き剥がそうとしても、奴はそれを許さなかった。
尚強く押し当てるようにして貪るさまに、段々と頭がクラクラしていく。
引き剥がそうとした手が縋りつくようになって、まるで自分から求めているみたいだった。
長いくちづけが終わりようやく解放された頃には、息が上がっていた。
唇を離しただけの距離で間近に見つめあったまま吐息が触れ合う。
「何なんだよ・・・」
俺の吐いた言葉に、奴は反応することなくただ俺の目を見つめ返していた。
「ヤリてーんだろ?こういうんじゃねえだろうが」
「・・・・・・」
「さっさと済ませろよ。いらねえんだよ。こういうのはいらねえ・・・ッ」
途端、きつく抱きしめられる。
何を喚いているのか、俺は自分がコントロールできないでいて、ただ抱きしめる腕の強さだけが確かだった。
奴はしばらくして、抱きしめる力を緩めながら言った。
「ばーか。しねえよ」
幾分柔らかく笑う。
「できるわけ、ねえだろうが」
こういうのを、反則というのではないか。何でそんな切ないような顔をしやがる。
「貴様・・・」
何でもねーよと呟く奴の声がひどく弱々しかった。
そして、まるで何かを振り切るように奴は俺からその身を剥すと、不意に窓の方に目をやった。
「・・・雨、止まねえな」
その科白に俺は瞬間はっとする。
そういえば、今日は雨だったのだ。
ついさっきまで耳のすぐ傍で掻き鳴らされているかのようなあの音が、今、一切消えていた。
雨が止むまで決して消えることがなかったあの音が、一切。
・・・こんなことは初めてだった。
俺の驚きを知ってか知らずか、奴は言葉を続ける。
「相変わらず泣いてるんだな・・・雨の日は」
「・・・泣く?」
馬鹿馬鹿しい。
泣いてなんかいない。
「でも、ホントは泣いてるんだろ?」
そうやって、これまでやってきたんだろ?
まるで全て知ってるかのように言った。だが誇示するような優位に立とうとするようなものではなく、いたって自然に。
すぐに湧いてきそうな反発が咄嗟に出てこなかったのは、その自然さのせいだった。
「知ったようなことを・・・」
「知ってるんだよ」
「何を・・・ッ」
「も、自分でも嫌になるくらいにな」
次の言葉が喉の奥で詰まった。ひどく真剣な表情を向けられたから。
「知ってんだよ、お前のことなんか」
奴はもう一度言った。
それこそ、膿みを吐き出すみたいに。投げ捨てるような口調で。
次の日、雨は止んだ。確かに止んだが。
何か塗り替えられたような、日常に不調和な色が混じり始めた。あの日以来。
俺から奪ったタバコを美味しそうに燻らせ晴れ渡った空を眺めている男を、視界の隅に捉えては、気のないように逸らす。
この不自然な視線に気付いてるくせに、その当人は雲ひとつない青に感嘆の声を洩らすだけだった。
「いい天気だね〜。いや、爽快爽快。ジープ日和じゃあないですか」
「そうですねえ」
「んでもってメシ日和ィ!」
「てめーはいつでも食ってんじゃねーか」
だが、いつも通りの日常にそれは紛れているのだ。
「晴れてることはいいことだよな?三蔵サマ」
時折見せつけるように向けるその目。お前は俺にどうしろっていうんだ?
行き場のない感情に翻弄されていた。まるで何かに焦っているみたいに。
・・・焦る?
何故、こんなにも。
俺の思案などお構いなしにジープは4人を乗せて出発した。