彼の指は制服の内ポケットの隠しに入り、ピルケースを出し、震える手にカプセルを一つ落とした。それを紅茶と共に飲み込む。
うつ伏せに暫く何かを耐えるようにソファに横たわっていた。
唇に、聞こえないほどの悪態が零れた。
アデスが聴かなくて良かった言葉だった。
「くそっ!出かける前までいたぶりやがって・・・まともに歩けなくしやがって・・・パトリックの野郎・・・」
そこまで呟くと不覚にも初めての部屋で寝込んでしまっていた。
***
シャワールームから出たアデスの目に意識無く横たわっている青年の姿が入ってきた。
疲れていたのだな、あの彼が、初めての部屋で、こんなに無防備に眠っているとは・・・
ふと彼の手から、覗くピルケースに目がいく。
コーディネーターが薬を持ち歩くことなどめったにないので、不思議に思ったが、それより、上掛けを取りに、寝室に向かった。
妻帯者なので、同じ隊長や艦長職でも、独身者よりは部屋数の多い宿舎を割り当ててもらっていたが、未だに、妻と一緒に住むつもりはなかった。
二人とも軍属ならそれでも良かったかもしれないが、妻をこの雰囲気の中に置きたくなかったのである。
それが言い訳にはならないが、整理整頓は苦手かもしれなかった。
戦艦の艦長室には何も持ち込まないので、殺風景ではあるが・・・
私の人間性の部分は妻の元においてあるのだ・・・
そう思い、なるべく軍人であろうとしてきたつもりである。
だが・・・
この無防備に私の部屋で横たわっている青年を思うと、今まで以上に胸がひりひりとあぶられているような気がした。
起こさないように、静かに毛布を掛け、自分は、リビングの端で彼を見守ることにした。
携帯のパソコンを出し、本部からの連絡のチェックや仕事の予定、艦の定期検査結果などが送られているのを確認しておく。
確か、明日は私も含めてほとんどの艦長は休暇を取っていたはず。いつもことだった。だから浴びるほど正体を無くすまで、酒を飲む。
明日は我が身、と、命の儚さを知っているからだ。
彼は何故戦うのだろう・・・
確か、初めて乗せた作戦の乗員データの個人プロフィール欄には、不思議と空欄が多かった、
職業欄には医師、とあった。
人の命を救う医者が、軍医ならまだしも、敵とはいえあれだけの犠牲者を・・・
いや・・・人には窺い知れぬ事もあるから・・・
もう一杯お茶を入れていると、僅かに彼が身じろぐ。
カタンと小さな音に跳ね起きた。
ピルケースが手から滑り落ちた音だった。
彼はあのケースを急いで上着の内ポケットの隠しに仕舞い込んだ。
彼は頭を上げ、キッチンにいて、その行動を眺めていた私を、見た。
私はそう驚くこともないだろうと、次の行動に移り、声を掛けた。
「目が覚めたかな?もう一杯お茶を入れよう。」
彼は私の前に歩いて来ると、あの獲物を前にした時の声で私に迫った。
「今のことは他言無用ですよ。」
「ああ?ああ・・・何もそんなに神経質になることも・・・」
最後まで言葉は続けられなかった。
彼が、私の唇を彼の唇で塞いだからだ?!
「!!!」
ただ触れただけのキスだが私は真っ赤になってしまい、言葉に詰まったのだ。
妻とはもっと濃厚な欲情する口付けをする。ただ触れ合っただけのキスとも言えないような行動にここまで動揺するとは・・・
くすっと笑った彼に私は救われた。冷静さを取り戻した。困らせてやりたくなる。
「口止め料か?もっとイイものが欲しいね?クルーゼ艦長?」
私の言葉に、彼の仮面のため感情の分かりにくい顔の口元に、一瞬の嘲りの表情が浮かんだ。
だが、私の続けた言葉に、彼は弾けたように、私が聴いたこともない明るい笑い声を響かせた。もしかすると、これが彼の年相応の声かもしれないと頭の隅で思った。
「私と同じ戦艦に乗って、戦いに行き、勝利を私にもたらして下さい、。死神?」
それほど変な願いだっただろうか?
まだ、くくくっと笑っている彼に尋ねようと口を開きかけた。
彼は私が持っていたポットを取り、自分のカップに注ぐと飲み干した。もう一杯注ぎ、笑いを口元に残しながら言った。
「私はナスカ級の戦艦の艦長を抜かして隊長に成らなければならないのだなあ?
それも急いで・・・大変だ!
死神は明日にでも出撃だ。」
『アデス、君を私は見誤っていたようだ。申し訳ない。
君の、口止め料をキスよりもっとイイものを、と言ったとき、パトリック・ザラのように、他の下種な者達のように、私の身体を望んだのだと、嘲笑ってしまった・・・蔑んでしまったのだ・・・
ただ、軍人らしく、同じ艦に乗って、ただ勝利するところが見たかっただけとは・・・
アデス、君の軍人らしい願いが嬉しい、私を一軍人と見てくれているのが嬉しい体調を心から心配してくれるのが嬉しいよ。
それに比べて、なんと情けないのか、アデスを哂うどころか、哂われて当然なのは・・・
この私だ!!
アデス、君の言葉に笑ったのではないよ、私を哂ったのだよ・・・』
まだ、くくっと笑いを噛み殺しているクルーゼを見ていたアデスには、彼が、大笑いをしたお陰で気分がすっきりしたのか、明るい声と軽いからだの動きが戻ってきたように感じられた。
先程のキスをくれた人物とは思えないほどに。今の彼のほうが元気で嬉しく思った。
「送りましょう、何処のブロックの宿舎ですか?もう、上級士官用に引越しを済ましましたか?
」
「今夜はこのソファがイイ。ここにいる。」
「クルーゼ艦長?それでは子供ですよ?」
「明日は休み、私は所在不明、行方不明の一晩ぐらいイイだろう?なあ?」
と、ソファから動こうとはせず、子供っぽい仕草と話し方で私を見上げて来る。
「所在不明は軍則違反です。携帯端末も持っていないのですか?何処へ置いて来たのですか?先程の店?」
「いや、別のところに置いて来た、・・・ワザと・・・大丈夫、処罰はされないところ・・・」
と言って、唇の端をゆっくりと引き上げた。
「しかし、わかりますよ、私と一緒に店を出たのですから。」
「迷惑はかけない・・・」
「じゃあ、あの国防委員会で、ザラ国防委員長の前で、どう弁明して下さるのでしょうか?」
「そんな心配はしなくていい。」
「クルーゼ艦長?医者でしょう?いつも連絡の取れるようにしていてくれと言われませんでしたか?
テロで事故が沢山続いたときがありましたね?緊急の時連絡がつかなかったらどうなっていたと思いますか?」
「私が嫌いか?ここにいては迷惑か?」
と、ソファから、立っている私を見上げて心細げな声を出す。
あまりの子供っぽい口調にあきれしまった。
このネヴュラ勲章を貰った英雄とのギャップに私は籠絡されたのだろうか・・・
溜め息を一つつきキッチンに向かい冷たいボトルを取り出し一気に飲み干した。
ビールだ。もう2本だし、1本をこのわからずやのガキに突き出した。
***
死神と、ガキが私を翻弄している。
「酔い潰れている、と伝えてあげますよ。この部屋にはビールしかありませんが、二日酔いになるまで飲んでいればいいでしょう?」
「アデス・・・有難う・・・」
「呼び捨てにはしないで下さい。アデス艦長か艦長と呼んで下さい。全く・・・ナスカ級艦長に昇格したら『アデス』と呼び捨てにして下さっても宜しいです。」
「新米艦長のクルーゼ君?」
二人して、あっという間に飲み干し、又ボトルを取りに行く。数本ずつ前に並べる。
「アデス艦長?今に、貴方の艦にクルーゼ隊を乗せられるようになって見せる。」
「進水式に間に合うといいですね?クルーゼ隊長?
そうだ、その時にさっき買ったジンを開けて飲みましょうか?お祝いに・・・」
「軽口をたたく奴だとは見えなかったがな・・・」
と、ソファの背に背中を預け彼が呟いた言葉に、改めて青年を見つめた。
『私をいつから見ていたのだろう・・・』
確かに、こんな舌が回るとは自分でも意外だった。冗談一つ言うにも緊張するのだが・・・
部下に説明や指示を出したり会議に出席するのは苦痛ではないのだが、妻に掛ける言葉にも赤面したりするのだが・・・
彼の仮面を剥ぎ取り眼を見たくなった。どんな眼で私を見通しているのだろうか?
胸が苦しくなる、鼓動が早く打ってきたのが自分でわかる。頭に、血まで上ってきたようだ・
・・
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