【第8章】








〔8−1〕


雨も上がり、ようやく出発した三蔵一行は、順調に次の町を目指していた。
途中、妖怪の襲撃にも何らかのトラブルにも遭わずに済んで来ている。
そこで、ここぞとばかりにとにかくジープを走らせ稼げるだけの距離を稼ぐと、夕方頃には次の町へ辿り着けた。
辺りは人通りが多く、割合に賑やかな様子だ。
何軒かある宿はどこも結構埋まっていたが、何とか一部屋だけ確保できた。

「では、お留守番を頼みますね」

夕食まではまだ間があるので時間を有効に使おうと、八戒は悟空と連れ立って買い出しに出掛けた。
部屋に残されたのは三蔵と悟浄。
今回の宿は四人相部屋しか取れなかったので、他に寛げる部屋は無い。

悟浄が残ったのは三蔵のせいだ。
八戒にどうするかと訊かれた時、三蔵の視線を感じた。
いつもなら他人には無関心なのに、珍しい。
そう思って目を合わせてみると、ふいと横を向いてしまった。
その仕草が妙に気になり、何か言いたい事でもあるならと思って外出は控えたのだが…。

三蔵はといえば、テーブルに着いて八戒が用意していったお茶を飲みながら新聞を読んでいるばかり。
会話は全く無い。
どことなく気まずい空気さえ漂っている。

(こんなことなら、俺も荷物持ちでもいいから付いて行きゃ良かったかな……)

窓にもたれて溜息を吐きつつ外を見ていた悟浄は、もう一本吸おうと煙草を口に咥え、ポケットを探った。

(ん? あ…)

目的のライターはテーブルの上にあった。
さっき一服した時に置いたのを忘れていたのだ。

「三蔵、そこのライター取ってくんね?」
「……」

呼ばれた三蔵はテーブルの上にチラと目を走らせたが、無言のまま再び新聞に視線を戻した。
また沈黙が流れる。

「シカトかよ」

ふんっと鼻を鳴らして、悟浄は窓から離れた。
その動作は三蔵の視界に入っているはずだが、眼鏡越しの紫暗の瞳は動く悟浄の姿を映しもしない。

(コノヤロ……)

素直にそのままテーブルに近付いても良かったのに、三蔵の態度に仕返ししたい気持ちが唐突に湧いてきた。
歩きながら脱いだ上着をベッドへ放り投げる。
バサッという音に、経文が載っている肩が微かにぴくりと反応したようだ。
だが、それ以上は動かない。

(いつまで頑張れるのかな、三蔵サマ)

悟浄は三蔵が座っている側にわざわざ廻り込んで背後に立ち、眼下にある身体を囲うようにして右腕を伸ばした。

「!」

丁度、湯呑みを取ろうとしていた三蔵の右手が、硬直したまま止まった。
少し上から、平行に並んでほぼ同じポーズで伸びてきたモノ。
自分よりも逞しい腕。
自分よりもやや大きな手。
布に覆われているか否かは関係無い。
数センチの距離しか離れていないと、見たくなくとも違いを見せ付けられてしまうのだった。

その手は湯呑みの近くにあったライターを取り上げた後、特に不審な動きも見せず、ただゆっくりと去って行った。
視界から外れてようやく三蔵も動き出し、湯呑みを掴む。
が、またすぐに止まってしまった。

背後から離れないのだ。
悟浄の気配が。
悟浄という存在が。

頭上でライターを使う音がした。
深く吸い込み、美味そうに煙を吐き出している。
三蔵はまだ動けない。

腕が再び伸びてきた。
途端に、三蔵の右半身に緊張が走る。
思わず、息をつめて様子を窺う。

悟浄はライターを元の位置に戻すと、そのままテーブルに手を着いた。
座っている三蔵を囲う姿勢は最初と変わらない。

まるで、室内の時間が止まったかのようだ。
微動だにしない悟浄に対して、三蔵も牽制しているのかじっと動かないでいる。

だが、三蔵は止めていた息だけはこっそりと吐き出していた。
悟浄がまだ至近距離にいるとはいえ動かなくなったのを見て、取り敢えずは冷静に対処しようと考えたのか。
努めて平常心を保とうと、密かに深呼吸を繰り返す。

呼吸が元に戻ってからは、観察する余裕も出てきた。
側で見れば筋肉の付き具合まで否応無しにわかってしまう。
逞しい、男の腕。
戦いに使われるだけではないことも、もう知っている。
この腕の力強さは、身をもって……。

じっと見てしまった次の瞬間、三蔵の全身が強張った。
悟浄が少し前屈みになった為、その身体が三蔵の肩と後頭部に触れたようだ。
決して押し付けているのではない。
ほんの軽く当たっているだけ。
しかし、三蔵の意識の全ては一瞬にして接触している部分に集中した。
当たっている右側だけが重く感じられる。
鳥肌が立つ時のぞわぞわとした感覚が肌を覆って離れない。

「緊張してんの?」

獲物を追い詰める狩人の気分だと思いながら、悟浄が問い掛けた。

「何をしている…」

一旦、湯呑みから手を離すと、その姿勢を崩さず三蔵が呟きで問い返す。

「ただの一服だけど」
「……余所でやれ」

三蔵の手が、わなわなと震えだした。
指先に力が入っているのか、ぎぎぎ、とテーブルを引っ掻く音がする。

「俺が怖い?」

悟浄が三蔵の耳元に顔を近付けて囁く。
びくりと細い身体が竦んだ。

「誰が!」

三蔵が振り上げた拳を、

「……っ!」

悟浄が捕まえる。
片手はテーブルに着いたまま、もう片方の手で造作なく。
口元に余裕の笑みまで浮かべて。

腕と同時に悟浄に向かって行った鋭い眼差しは、真紅の瞳とぶつかる前に逸れてしまった。
何故か居た堪れない。
そんな自分を気付かれたくはない。
三蔵は無意識のうちに、悟浄と対峙することを拒んだ。

「離せ…」
「ヤなこった」

捕まえた腕が捻り上げられると、三蔵の頭は悟浄とは反対の方へと遠ざかった。
まるで、その場面を見たくないとでも言うように。
まるで、逃げようとしているかのように。
でも、振り払えないのは……。

金糸の髪がやや俯いた三蔵の顔を隠してしまっている。
悟浄は残念そうに僅かに眉根を寄せてから、掴んでいた箇所へと視線を移した。
手甲で覆われている手首。
指先を通じて、自分のものではない少し早い脈拍が伝わってくる。

「細ぇな」
「離せと言っているっ」

特に声を荒げているわけでは無いのに、必死の形相が目に浮かぶ。
三蔵を見つめる悟浄の瞳が、すっと細められた。

「何、テンパッてんだよ」
「……」

返事をせず更に背けた顔を、テーブルから離した手で無理やり引き戻す。

「っ!!」

その拍子に、まだ三蔵が片手に持っていた新聞がばさりと落ちた。
しかし、それにも気が向かないほど、三蔵は奇妙な感覚に陥っていた。

伸びてきた悟浄の腕は、ついさっきまでテーブルの上でじっと黙していたはずのもの。
それが急に動いた為に、彫像に息が吹き込まれたかのような錯覚に囚われたのだ。
目の前の腕をじっと凝視していた視界の隅では、悟浄が咥えていた煙草から灰が落ちてゆく。

「聞いてんの?」

力を込められ痛みを感じて、浮遊しかけた意識は瞬時に引き戻された。
慌てて顎を掴んでいる手を引き剥がそうとするが、片手では抵抗しきれない。

「返事しろよ、ん?」
「貴様ッ…!」

三蔵は、この部屋で二人になってから初めて、真正面から悟浄の瞳を見た。

「そう…そうやってちゃんと俺を見ろ」

静かに命令して、喉仏が露わになるほどに三蔵の顎を持ち上げる。

「くっ……」

仰け反らされて息苦しくなってきた。
しかし、一度見てしまうと、三蔵は悟浄から目が離せない。
まともに呼吸ができていないことに気付いているだろうに、悟浄は手を緩めようとしない。

「俺の姿が目に入んねえってんなら、いつでもこうやって、見えるように手を貸してやる」
「……」

低い声が降ってきた。
見下ろしてくる男を、三蔵はただ睨み返すしかできないでいる。
噛み締めた唇が今にも切れそうだ。
それを見た悟浄は、不意にあっさりと拘束を解いた。

「な〜んてね、ちったあ暇潰しになったか」

解放された三蔵の腕が、急に重力を感じてだらりと落ちていった。
脱力したまま椅子の背もたれに預けた身体は精神的な疲労を覚え、下方へと沈み込んでしまいそうに重い。
ずっと強く掴まれていた手首が、今更ながらにじんじんと痺れてくる。

「てめぇ……殺すっ……」

三蔵は眼鏡を乱暴に外すと、手首を擦りつつ吐き捨てるように言った。

「ああ、首を長くして待ってるぜ」

悟浄はテーブルから離れて窓の桟に腰掛け、外に向かって煙を吐き出した。
すっかり闇に覆われた空では星が瞬いている。
どこか心落ち着く景色とは裏腹に、さっきよりも気が張っているのは何故だ。

(ああ、この感覚……)

残っていて正解だったか、と悟浄はふと考えた。
まだ自分に突き刺さっている三蔵の視線を全身で感じて、ぞくぞくと肌を粟立たせたままで。




〔8−2〕


ジープに乗る時の席は特に決めたわけでは無い。
でも今日もまた、いつもの席にそれぞれが落ち着いている。
運転席の八戒の後ろは悟空。
助手席に三蔵、そして、その後ろには悟浄が。

「おや、静かになりましたね」

さっきまで後部座席では日常茶飯事の喧嘩が繰り広げられていたのだ。
だが、いつもなら切れた三蔵によって無理やり中断されるのに、今回は自発的に収束していた。

「騒ぎ疲れたのか勝手に寝ちまったよ、この猿」

悟浄はやれやれといった様子で首を竦めている。

「お疲れさまでした」
「けっ」

八戒がバックミラーを見つつ微笑んだ横で、三蔵が呆れたような声を出した。

「よくまあ飽きもせずに同じことばかり繰り返せるもんだ」
「いいじゃないですか、あれもコミュニケーションのひとつの形なんでしょうから」
「……」

本当にコミュニケーションを取ろうと思っているのか何なのか、悟浄はやたらと他人に接触したがる。
一番背が高いせいもあるが、後ろから人の肩に腕を廻してそのまま寄り掛かるポーズは定番だ。
悟空はそこから更に髪をぐしゃぐしゃと掻き回されたりもしている。
八戒とはそれほどべたべたしていないが、自然と横に並んで立っている構図が多い。
つまり、対等な位置にいるということか。

――― 俺の場合は………

三蔵は溜息と共に瞼を伏せた。
他の二人と同じ程度のスキンシップというレベルは、とっくに超えてしまっている。
服の上からや外に出ている部分の触れ合いどころでは無く、内部まで深く関わってしまったのだ。

それについては極力考えまいとしてはいるものの、側にいるとどうしても意識してしまう。
最後に触れたのはどんな風だったのか。
次はいつ、その手が伸びてくるのか。
……と……。

――― はっ、馬鹿なっ!

何を……期待しているようなことを……。
己の思考に半ば呆然としながら、三蔵はぶるぶると頭を振った。

「どうしました、三蔵?」
「いや…何でもない……」
「うたた寝して、悪い夢でも見たんですか?」

(悪い夢………)

これまで自分の身に降り掛かってきた災難が夢なら、どんなにか良いだろう。
けれど、全て現実だ。
お師匠様を失ったのも、この身を男に嬲られたのも、全て……。
黙ってしまった三蔵を八戒が窺う。

「寝ていても構いませんが、落ちないでくださいね」
「……ああ」

その後ろでは、悟浄が風になびく金糸の髪を眺めていた。
どんな髪なのかは指が覚えている。
昨日だとて、間近で見た時、本当は触れたくて仕方が無かった。
さらさらと指を通る感触。
撫でると絹糸のように滑らかで。
他にはなかなか居ない、黄金の髪の持ち主。
そんな人物と自分は旅をしている。

しかし、旅の同行者、という関係だけでは無いのが厄介なのだ。
戻れないところまで来ているのだと自覚してはいるが、この先は視界ゼロの世界を手探りで進むようなもの。
予測もつかなければ、方向さえわからない。
一体、どうなるのか。
どこへ向かっていくのか……。

「う……ん……はあっ、はあっ……」
「ん?」

横から声がして、悟浄の物思いは中断された。
見ると、寝ていたと思っていた悟空が荒い呼吸を繰り返している。

「どした? 具合でも悪いのか?」

頭に手を置くと、じんわりと温かい。
その顔は赤らみ、触れた肌は熱かった。

「おい、こいつ熱あんぞ!」
「え?」

八戒がジープを急停車させる。

「どうしたんですか、悟空?!」
「う…………」

まともに返事できずに眉根を寄せた苦し気な表情の悟空を見て、八戒は三蔵へと向き直った。

「どうしたんでしょう?!」
「俺が知るかっ」

盗み見るように悟空の様子を覗っていた三蔵は、八戒に問われて慌てて視線を遠くへやった。
八戒はもう一度悟空を見遣ってから、再び三蔵を見た。

「町まであと少しのはずなので、急ぎます」
「…ああ」

そっぽを向いたままだが、三蔵も神妙な顔つきになっている。

「悟浄、悟空を頼みます!」
「お、おう、わかった!」
「ジープ、お願いしますっ!!」

八戒はギアを入れると思いっきりアクセルを踏んだ。







次の町に着いた早々飛び込んだ一軒目の宿で、運良く部屋が取れた。
チェックインと同時に宿の主人に医者の手配も頼めた。
しばらくしてやってきたのは、まだ若い医者。
悟空の胸に聴診器を当てて時折不思議そうに首を傾げていたものの、特に異状は無いという診断を下した。
体調不良は、多分心労によるものだろうと。
一晩ゆっくり休めばすぐに回復すると告げ、熱冷ましの頓服だけ出すとすぐに帰っていった。

大事に至らずに済み、八戒はほっと胸を撫で下ろしている。
しかし、悟空がようやく穏やかな寝息を立て始めた時、その顔が急激に曇った。

「そう言えば…、昨日の買い出しの時も、いつもほどはしゃいではいませんでした」

もっと早く気付いてあげればよかった、と八戒は自分を責めた。
雨が上がった朝も、一番に三蔵の変化に気付くはずの悟空が何も騒がなかったのだ。
本来なら、真っ先に悟浄に食って掛かっていただろうに。
ただ、三蔵が法衣姿で現われたことを喜んでいただけで。
二人の顔を見れば一目瞭然の状態に注意が向かないほど、気持ちにも身体にも余裕が無かったのか。
そういう自分も余裕があるとは言えなかったか、と八戒は心の中で嘆息した。

体調が崩れたのは、知らずに覆っていた緊張が旅の再開により解けたからだと推測できる。
意外と繊細な部分を持ち合わせている悟空なのだから、今後はもっと気を配ろう。
そう、八戒は改めて心に刻んだ。

「おまえのせいじゃねーって。 心労ってんなら、原因はコイツなんだし」

悟浄が親指をくいっと動かして示した先には三蔵がいた。
法衣の上を肩から落とした格好で腕組みし、仏頂面でドアに凭れ掛かっている。

「雨ん時ずーっと、誰かさんのコトを心配してたもんな、悟空は」
「ふんっ、誰も頼んじゃいねぇ」
「そーゆー冷てえヤツだよ、オマエはよっ」

悟浄が叩く憎まれ口に三蔵が目を眇めて対抗しようとした時、

「喧嘩は外でやってくれませんか」

と、八戒に窘められてしまった。

「悟空には僕が付き添いますので、貴方達二人は向こうの部屋を使ってください」

ここではツインが二つ取れただけだ。
病人を前にしては、おとなしく従うしかない。
三蔵と悟浄は互いに睨み合いながら、しぶしぶといった様子でもうひとつの部屋へと向かった。




〔8−3〕


「チッ、貴様と相部屋とはな」

部屋に入るや否や、三蔵はいきなり文句を垂れ始めた。
できるだけ同室にはなりたくない相手だったが、今夜は仕方無いだろう。
しかし、イライラは消えてくれない。

「嬉しいくせに」
「誰がっ!!」

からかいが混じった悟浄の口調が耳に入り、三蔵は更に神経を尖らせた。

「そう緊張すんなって。 いきなり取って食いやしねぇからよ」
「……」

椅子にどかっと音を立てて腰を下ろした悟浄は、黙ってしまった三蔵を何気ない風を装いつつ観察していた。
距離を置くかのように、テーブルを挟んで立っている。
僅かにだが、普段よりも呼吸が早いようだ。
苛立ちに加え、どこか興奮しているとも見てとれるのは、自分が抱いている邪な想いのせいだろうか。

この二人だけで同室になるのは初めてだった。
今までは個室か四人部屋が多かったし、ツインならば、三蔵は八戒と一緒の部屋を選んだ。
だから、二人だけという状況にまだうまく対処できないでいるのが手に取るようにわかる。
身体を休める場所であるはずの宿でいらぬ緊張に包まれ、三蔵はいつもよりもピリピリしていた。

「近寄んじゃねえぞ」

押し殺した低音で唸ると、悟浄はニヤッと口の端を上げた。

「何を期待してんのかな、三蔵サマは」
「何だとっ!」

ジャキ、と銃が悟浄に向けられた。
険しい顔には微量ながら狼狽が混じっているようにも見える。

「怒った? んじゃ、図星なんだ」
「てめ…ッ」

悟浄は立ちあがりざまにその腕を掴んだ。
自分を狙う銃口に怯みもしない。
驚いた三蔵が慌てて剥がそうと出したもう片方の腕も一緒にまとめると、そのままテーブルへと引き倒す。

「なっ……」

手から離れた銃をベッドへと放り投げてから、両掌を片手一本で拘束した。
空いている手が三蔵の二の腕に触れる。
ぴくっと反応した隙に、手甲を手首まで一気に手繰り寄せた。
三蔵は声を上げる間も無い。
滑らかな肌が灯りの下に晒されている。
悟浄は抵抗が始まる前に剥き出しの肩を素早く押さえ付けた。

細いが適度に筋肉の付いた腕を、悟浄の視線が辿っていく。
見られていると感じた三蔵の頬に赤味が差した。
動揺が皮膚を通して悟浄に伝わってしまうのを恐れ、慌ててもがきだす。
しかし、腰から折り曲げてテーブルに突っ伏した格好では、容易には起き上がれない。

「離しやがれっ!!」

反抗的な紫暗の瞳が自分を見下ろす男を睨み付ける。

「慌てんなって」

悟浄は落ち着き払って三蔵を見た。
そして、いきなり肩を掴んでいる手に力を込めた。

「!!」

三蔵は出そうになった悲鳴を飲み込み、顔を顰め、ぎゅっと目を瞑って、痛さを耐えている。
その仕草を見ていた悟浄の喉がごくりと鳴った。

痛みを堪える三蔵の表情は、交わって絶頂を迎えた時のそれとオーバーラップするほど悟浄を興奮させたのだ。
どくん。
大きく鼓動が打った音が自分の耳にまで届いた。
どくん。
分身に血液が集まるのがわかった。
思わず……。
悟浄は三蔵に覆い被さった。

晒されている片腕に何かがさらりと触れた感触を覚え、三蔵が目を見開く。
ぞくりと背筋が震えて弾かれるように顔を上げた先には、視界いっぱいに紅い色が広がっていた。
悟浄の長い髪が三蔵の白い肌を覆っている。
だが、肌に触れているのは手と髪だけだ。
手首ぎりぎりに近付いている顔はじっとしたまま動かない。

纏わり付く髪に絡め取られてしまったような感覚に陥っているのに。
主導権は悟浄にあるのに。
一体、何を躊躇っているというのだ。

三蔵は困惑していた。
悟浄がどうしたいのかがわからない為、戸惑いが先に立って三蔵も動けない。

すると、吐息が掛かったのか唇が触れたのか判別し難いくらいの微かな感触が肌に伝わった。
ふっと笑った声が聞こえた気がしたと思った直後、三蔵の皮膚からするすると髪が離れていく。
悟浄は唐突に三蔵を解放した。

「俺が一緒だと気が休まんねぇだろ。 今夜は外で飲んで朝まで帰んねーから、この部屋はひとりで好きに使え」

いつもの軽い口調で。
何も無かったような態度で。
一方的にそう言うと、悟浄の姿はすぐにドアの向こうへと消えた。

「………」

ドアがバタンと閉まった音を聞き届けてから、三蔵はうつ伏せにされていた身体をゆっくりと起こした。
ふらつく足でベッドへ歩み寄り、どさっと座り込む。
途中まで脱がされかけた片方の手甲を無造作に脱ぎ捨てた。
と、何かが意識に引っ掛かったのか、三蔵は自分の手を目の高さまで持ち上げた。
手首の一点をじっと見つめている。
そこには、何の痕跡も見付けられない。

「………」

一人になった部屋の中で、その影は、しばらくの間そのまま動かなかった。







「えへへ、昨日は悪かったな。 もう大丈夫!」

翌日、悟空はもうすっかりいつもの調子を取り戻していた。

「熱が下がったら腹減っちまったー!!」
「おめーの空腹はいつもじゃねぇかよっ」

喧嘩相手は元気でないと張り合いが無い。
口ではからかっているものの、悟空の頭をくしゃくしゃと掻き回している悟浄は楽しそうだ。

「三蔵!! あれ食いたい!」
「却下」
「何でだよっ! イジワル坊主!!」
「聞こえんな」

一見、冷たく見える対応をされても、悟空にとってそれは三蔵との大事なコミュニケーションの一環なのだ。
悟浄との軽い喧嘩を交えてのスキンシップもそれなりに楽しい。
けれど、三蔵と会話が交わせるのは何よりも嬉しい。

「まあまあ……、いいんじゃないですか? 肉まんくらい」

久しぶりにはしゃいでいる悟空の姿を微笑を浮かべて見守っていた八戒は、早速甘やかしているようだ。
いつもの雰囲気が戻ったのは喜ばしいのだが、すぐに次の行程に発たなければならない。
それでも、活気のある町をあと少しだけ楽しもうと通りを歩いていると、突然、易者に呼び止められた。

「もしもし、そこ行くお兄さん達、旅の人でしょ?」

占いには興味が無い、などと相手にしない四人に対して、その易者はくくくと笑いながら告げた。

「死相が出てますよ、皆さん」





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