【第7章】







〔7−1〕


次の日も、まだ雨が降っていた。
その夜更け、隣の部屋でベッドを抜け出す足音が悟浄の耳にまで届いた。

旅が中断してからもう何日目だろうか。
落ち着かない気持ちを自分でも持て余しているような三蔵は、悟空に八つ当たりしてもいた。
食事を運んだ八戒は、三蔵のやつれた様子を心配している。
その八戒自身も、細々と世話を焼こうとしてはいるが、あまり眠れていないようだった。

そう言えば八戒も雨の夜は駄目だったな、と悟浄は思い出した。
三蔵にもやはり、雨が関係しているのか。
だが、三蔵が心の奥底に何か抱えているのだとしても、そうそう落ち込まれてばかりでは先へ進めもしない。

――― 俺なら、もう一度、三蔵を闇から救い出せる……?

――― 救うだと? 本当はあの快感が忘れられないだけじゃないのか?

建前と本音がぶつかり合う。
だが、悟浄にとってはどちらもが本心とも言える。

悟空は自分の気持ちが伝わらないので拗ねているばかり。
八戒は天気の回復とともに、三蔵の復活をひたすら待っている。

――― なら、俺は………

止まってしまった現状を打破できるのは俺だけだと自分に言い聞かせた。
悟浄は吸っていた煙草を揉み消すと、ベランダへ通じる窓を開けた。







本来なら、休日をのんびりと過ごす為に使われるのだろう。
山の中のゆったりとした敷地に建っているこの宿は、各部屋に広々としたベランダが付いている。
裸足でも歩けるように木で作られているが、雨の日は厄介だ。
半分ほどは屋根が突き出しているおかげで、そこに出てもしとしとと降り続く雨に濡れたりはしない。
けれど今は、立っただけで水分を含んだ木からじっとりとした湿り気が伝わってきて、肌に纏わりつくようだった。

足を踏み出した悟浄は、隣部屋のベランダにいた三蔵と目が合った。
白いシャツにラフな黒いパンツという格好は “三蔵法師” だということを一瞬忘れさせる。

三蔵の部屋は角部屋だった。
建物の端の向こうは、真っ暗な森と山が広がっているだけ。
隅に立っている細く白い姿は、闇と溶け合っている境目に辛うじて存在しているように見えた。

三蔵は、隣から窓を開ける音が聞こえたがその場を動けなかった。
無視すればよかったものを、現われた姿を見てしまい、相手にも自分にもチッと舌打ちした。
壁に凭れて吸っていた煙草は、指先でほとんど灰になっている。

「眠れねーの?」

悟浄が声を掛けると、三蔵は吸殻を闇の中へと弾いた。

「俺の前から消えろ」

腕組みして目を閉じ、やや顔を背けて威嚇するように低い声を出す。

「それは、今だけ? それとも、これからずっと?」
「……」

そう言われて、三蔵はそこまで意味を持たせたわけでは無かった自分の言葉を反芻してみた。
今のこんな姿を見られたくない。
雨が降る度に身動きが取れなくなる厄介な心を抱えたままの奴なんてのは、三蔵法師に相応しくはないから。
とにかくこの場はひとりにして欲しかった。
けれど、雨の夜などこの先いくらでもあるだろう。
その都度、こんな遣り取りをするのは御免だ。
相手が誰であろうと。
いや……、特に悟浄とは。

「どっちでも構わん! とにかく、消えろ…」

語尾がやや震えた。
強がっているのは自分でもわかっているが、それを相手に気付かれるのは我慢ならない。
三蔵は気を張り詰めて、悟浄がそこから去るのを待った。

だが、悟浄は三蔵の願いを聞き入れなかった。
隣との間にある低い垣根を乗り越えて、悟浄は三蔵の部屋のベランダへと入ってきた。
その気配に三蔵が顔を上げると、悟浄の険しい眼差しとぶつかった。

「何をしている、消えろと言っただろうが! 聞こえなかったのか? それとも言葉が理解できねぇのか?」
「逃げんなよ」
「何……っ!」

不意に引き寄せられ、唇を奪われた。
呆然としたのは一瞬で、三蔵は身体を押しやると同時に悟浄の頬を殴った。

「何しやがるっ!」

雨の音に三蔵の声が紛れていく。
八戒と悟空の部屋は廊下を隔てた反対側なので、元よりそこまで声は届かない。
今夜は他に客もいないらしく、同じ並びにも聞き耳を立てている者はいないはずだった。

三蔵は 「てめぇ」 と唸ると、悟浄を睨みつけた。
しかし、睨まれた方は怯みもしない。

「逃げんな」
「な……!!」

何から、と言いかけた三蔵に、悟浄がまた顔を寄せた。
差し込まれた舌に三蔵が抵抗する。
必死で突き飛ばして身体を離すと、もう一度、悟浄の顔面に拳を叩き込んだ。

悟浄の上半身が揺れた。
しかし、体勢を立て直すと、三蔵の頬を平手で張った。
パン、という音がやけに大きく響く。
まさか反撃されるとは思っていなかったのか、三蔵がやや呆然としていると、悟浄が再び顔を近付けて来た。

「んっ……」

肩を壁に押し付けられる。
押し戻そうとするが悟浄は頑として動かない。
唇を貪られながらも、三蔵は悟浄の腹を目掛けて不自然な体勢から拳を繰り出した。

「うっ!」

痛さで呻いて一歩後ずさった悟浄が、今度は拳で三蔵を殴り付けた。

「そんなもんじゃ効かねぇぜ」

ふらついた三蔵の両手を頭上で一纏めにする。
ここ数日、ろくに食事も摂っていなかった三蔵は、片手一本で容易に拘束できてしまう。
下半身も動けないように膝で押さえ付けた。
三蔵は、僅かに開いた口ではあはあと荒い息をついている。

「いつまでも逃げてんじゃねぇよ」

悟浄が空いた右手で三蔵の顎を掴んだ。
切れた唇から流れていた血を舐めとり、そのまま舌を差し入れて口腔内を探る。
鉄の味がする。
悟浄の口も切れていたので、もうどちらの血の味なのかわからない。

抵抗が弱まった三蔵の肌を、悟浄の手が辿っていく。
顎から首へと下りると、三蔵がビクンと反応した。
首筋を撫で廻す指先から逃げるように頭を動かすと、絡まる舌の愛撫を余計に感じることとなった。

「んっ……ん……」

呼吸すらままならない深いくちづけを受けて、知らない間に三蔵の身体も熱くなってしまう。
悟浄の手が更に下へと這って行き、股間に辿り着いた。

「!!」

布越しに柔らかく握られた途端、三蔵が目を見開いた。

「感じてんだ?」

唇を完全に離さないまま、悟浄が吐息だけで問う。

「んうっ!……」

意識が下半身に向かった隙に、また舌が容赦無く絡み付いてきた。
くちづけに気を取られると分身への刺激が襲いかかり、三蔵は両方からの責めに翻弄されている。

だが、三蔵は快感を刺激する波に呑まれまいと必死で自分自身を奮い立たせ、悟浄を突き飛ばした。
ベランダの端まで飛ばされた悟浄がみるみる雨に濡れていく。

「まだ抵抗する気力が残ってんの?」

悟浄は不敵に笑みを浮かべると、すっと立ち上がって三蔵へ近付いた。
その目は真っ直ぐに三蔵を見つめている。
蛇に睨まれた蛙のように、三蔵は動けなくなった。

「来るなっ」

吐き出した言葉は空しく雨に掻き消されていく。
段々と雨足が強くなってきた。
稲光に続いて、雷鳴も轟いている。

「甘えんのもいい加減にしろよ」

そう言った悟浄の手が、三蔵の胸座を掴んだ。
引き剥がす間もなく、そのまま引っ張られてよろめいて、ベランダの手すりにぶつかった。
二人の身体に、容赦無く雨が打ち付けている。

「おまえを見てるとイライラすんだよっ」
「あっ…」

足を払われた三蔵が、床に押し倒されてしまった。
馬乗りになった悟浄が、三蔵のシャツを引き裂いた。

ピカッと空が眩しいくらいに光る。
肌蹴られた三蔵の胸が、白く浮かび上がった。







「俺の痕跡なんて、とっくに消えちまってるよな」

裸に剥いた身体を見下ろした悟浄の目は冷たく鈍い光を帯びていた。
三蔵は手首を押え付けられて身動きが取れない。
木の床は水分をたっぷりと含み、当たっている背中が冷たい。

「もう一度、付けてやるよ」

かつて縛られた跡が残っていた三蔵の手首。
それと同じ場所に、悟浄が唇を寄せた。
ちゅ、ときつく吸い上げる。

「つっ!」

右手首に赤い印が付いた。
悟浄は満足そうにそれを眺めると、左手にも同様に唇を付けた。

「これは俺がつけたモンだ。 覚えとけ」
「て…めぇ……」

喋ろうとすると降り注ぐ雨が鼻からも口からも流れ込んできてゴホゴホと咽てしまう。
三蔵は涙目になりながらも自分の上に覆い被さっている男を睨み上げた。
しかし、悟浄の指が首に触れた時、はっと硬直した。

――― まさか……

弄られている感覚に、身体の芯が疼いてしまったのだ。
三蔵は自分の変化に驚いた。
屋外で、しかも雨の中、自分を犯した男に再び襲われているのに、何故身体が反応するのか。

三蔵の動揺の隙を悟浄は見逃さなかった。
膝裏を抱えて局部を剥き出しにさせ、取り出していた分身を宛う。
その瞬間、三蔵はこの後に続く行為がどんなものであったかを思い出して戦慄した。
咄嗟に逃げようとしたが、それよりも早く悟浄が三蔵を貫いた。

「あああーーーーーーーーーーーっ!!」

やっと傷が癒えていたというのに、同じ場所を再び抉られた。

「息止めるな」
「ううっ…!」

歯を食い縛り、うめく三蔵に容赦無く悟浄の攻めが続く。
三蔵の身体を気遣う素振りも見せず、悟浄はただひたすら奥へと楔を深く打ち込み続けた。
やがて、動きが止まったと同時に、「んっ」 と息を止めて悟浄が三蔵の中に放った。

荒い息を吐く悟浄の下では、三蔵がぐったりとしたまま動かない。
手首を解放した悟浄の手が、白く細い首へと伸ばされた。

「うっ!!」

突然覚醒したかのように、三蔵の目がカッと見開かれた。

「締め付けが足んねーんだよ。 こうすりゃもっとイケるだろ」

じわじわと力が込められる。
三蔵は悟浄の手を引き剥がそうと懸命になったが、段々と腕に力が入らなくなっていった。
また、頭の中が白くなっていく。

「いいぜ、その顔……もっと感じろ!」

――― 俺は、感じてなどいない……

聞こえてくる悟浄の声にも、もう言い返すことができない。
わなないている半開きの唇から、震える舌が覗いていた。
悟浄がその舌にむしゃぶりつく。

「んっ…ん……」

呼吸を奪われ、苦しげな声が三蔵の喉の奥で漏れている。
達したばかりの悟浄の分身がまた質量を増し、三蔵の内部を圧迫した。
律動が再開される。
前後に動く悟浄の動きに合わせて、二人の身体の間に挟まれていた三蔵自身も擦られていく。
身に受けている行為に感じていないとはもう言えない。
昂ぶった身体には、雨の冷たさが心地良いほどだ。

悟浄の攻めは激しさを増し、やがてまた三蔵の中で達した。
首を締められたまま三蔵も同時に頂点を迎え、放出すると共に意識まで手放した。




〔7−2〕


ずぶ濡れになりながら三蔵を部屋に運び込むと、悟浄はすぐにバスタブの蛇口を捻った。
雨で張り付いた服を脱ぎ捨て、湯が張られた風呂に三蔵を抱えていく。
冷え切った身体が温まってから、自分が汚した部分を綺麗に洗いはじめた。
だが、洗っても消えないものがある。
首には指の跡が残り、手首にもキスマークが残っていた。

「逃げちゃいけねーのは俺か……」

身体を拭いてベッドに横たえたところで、三蔵は気が付いた。
まだ裸のままだったが、湯上りだとわかる。
以前もこんなことがあった。
散々好き勝手に嬲られた後、別人がしたかのようにケアされたのだ。

「貴様!」

まだ部屋の中にいた悟浄の姿を見付け飛び起きようとしたが、下半身に激痛が走った。

「一晩くらいはじっとしてろ」

動きが止まってしまった三蔵を見る悟浄の目はいつもと変わらない。
それが余計に三蔵の怒りを刺激した。

「殺してやる」

押し殺したような声に、悟浄は身震いした。
三蔵の全身全霊が、自分に向かってきている。
久々に感じる感覚だった。

「いいねえ、その目、ゾクゾクするぜ。 けど」

快感に浸ってばかりもいられない。
悟浄は建前の方を口にした。

「殺るのはさっさと旅を終わらせてからにしてくんねぇ? こんなとこでトロトロやってねーでよ」
「言われなくとも、望み通りにしてやる」

今、三蔵の中は、悟浄への憎悪しか存在していない。
雨による呪縛も、一時薄れているようだ。

「よろしく頼むわ」

そう言って、手をひらひらと振りながら悟浄は部屋を出て行った。
後に残された三蔵は、唇を噛み締めると、ベッドに突っ伏した。

「ぜってー……殺す……」

呪いの呪文のようにその言葉を何度も繰り返す。
そのうち、いつしか眠りへと落ちていった。

まだ雨は激しく降っている。
けれどその夜、三蔵はうなされずに朝まで眠っていられた。
悟浄のことばかりで占められている意識には、悪夢も入り込めなかったようだ。




〔7−3〕


翌日、雨はまだ止まなかった。
だが、変化があった。

「明日、出発する」

食事を運んできた八戒に、三蔵は背を向けたまま告げた。

「え…?! あ、はい、わかりました。 準備しておきます」

明日も雨が降っているかもしれないのに大丈夫なのか、と八戒は訝しんだが、素直に従った。
この旅は三蔵の意思で進んだり止まったりするものだから、三蔵が出発だと言えば出発だ。

「なら、ちゃんと食べてくださいね」

一言残してから部屋を出た八戒の顔には、久しぶりに笑みが浮かんでいた。
三蔵の格好がいつもと同じ、首までのアンダーシャツに手甲を付けていたので少し安堵したのだ。
“三蔵” として、踏み出す気になったのだと思えて。

八戒はその後、悟浄と悟空に三蔵の言葉を伝えた。
顔は見ていないがいつもの格好だった、と言ったところで悟浄が複雑な表情になった気がした。
悟浄に会って様子が違っているのに気付き、 「どうしたんですか、その顔?」 と訊いたのはついさっきだ。

「別に…何でもねェよ」

曖昧に誤魔化されてしまったので、それ以上の追求は躊躇われた。
悟空に変わりは無い。
とすると、悟浄の顔に殴られたような跡を付けたのは、三蔵だろうか。
そんなことを思いながら食事を運んだのだが、思わぬ出発の言葉にすっかり忘れていた。

実は昨日の夜中、三蔵の部屋のドアが開いた後、悟浄の部屋のドアが開いた音を八戒は耳にしていた。

(あの二人……また何かあったんでしょうか……)

旅する前、同じようなことがあったのを思い出した。
あの時も、自分は蚊帳の外だった。

(二人の間の問題なら、僕が首を突っ込むわけにはいきませんよね)

助けを求められればいくらでも手を差し伸べるが、余計なお節介は焼くまいと思っている。
体調管理については口うるさく言ってしまう時があっても、心の中までは踏み込まない。
それが、この旅を続けていく上での暗黙のルールだと考えていたから。

だから今は、“三蔵” の姿に戻った三蔵にほっと安心するだけに留めた。
いつもの姿になった本当の理由はわからなくても。


本当の理由、それは本人と悟浄しか知らない。







三蔵が指定した出発の日、空は青く、前日までの雨が嘘のように晴れ渡っていた。

「三蔵、晴れるって何でわかったんですか?」

宿を出ながら、八戒は後ろを歩く三蔵に問いかけた。
今日の出発は、雨が上がったからだと思っていた。
だから、三蔵が昨日の時点で天気を予測したと八戒は思い込んでいたのだ。

「何のことだ?」
「いえ…いいんです」

今まで雨だったから動けなかったんでしょ?
……などとは訊けない。

もう一つ、口元に殴られたような跡が付いているということについても、問い質せなかった。
やっぱり、と思っただけで。
だから八戒は、何も詮索せずに運転席に近付いた。

後部座席には既に悟浄と悟空が座って待っている。
悟空は三蔵の姿を見つけると、「おーい三蔵ーっ!」 と大声を上げて手を振った。

「朝っぱらから煩せーんだよ、バカ猿っ」

一喝されても、悟空の頬は緩んでいる。
三蔵がいつもの三蔵だという、それが素直に嬉しかったのだ。
その横では、悟浄が空を見上げながら煙草をふかしていた。

「いい天気だね〜」

のんびりとリラックスしている様子にチラと三蔵が視線を走らせる。
だが、何も言わずに助手席へと乗り込んだ。

全員がジープに揃ったところで、八戒が三人を見回してにこっと笑った。

「じゃあ、行きますよ、皆さんっ!」

八戒の掛け声でジープがエンジン音を響かせ、思わぬ長逗留となった宿を後にした。
それは一見、いつもと何も変わらないように見える光景。
各々の胸の内は別にして……。







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