〔5−1〕
「今日は土産もあるぜ〜。 お前、よく読んでたろ?」
ノックをしてから返事を待たずにドアを開けた悟浄が、新聞をかざして入ってきた。
「適当に選んじまったけど、いっぱいあんだなー」
そう言いながら、机に転がっている何本もの空き缶を片付けつつ、買ってきた物を紙袋から出して並べていく。
「好きなだけ飲んでもいいけどよぉ、少しは食いモンにも手を付けろよ」
「……」
「んじゃ、俺はあっちにいるから、用があったら呼べよな」
一方的に喋ると、悟浄は空き缶の入ったゴミ袋を持って部屋を出て行った。
足音が遠ざかってから、三蔵がようやく缶ビールに手を伸ばす。
買ってきたばかりでまだ冷たく、液体が喉を通っていくのがわかった。
ここ数日、三蔵は悟浄とほとんど口を利かないままでいる。
悟浄が調達してくるビールで腹を満たし、煙草をふかしているだけで、自主的には何もしていない生活。
三蔵は待っていたのだ。
心と身体が回復し、自ら前に進もうとする時を。
急に自分の身に降りかかった様々な出来事を、最初は頭の中でどう整理していいのかわからなかった。
先ずは気持ちを落ち着けたく、その為に何も考えたくなかったので、実際そうした。
思考を停止させ、心も閉ざして、一日をやり過ごす。
そばで見ていた悟浄は、生きる為に必要な部分であれこれと構ってきた。
それらに反発もせず、要求も突き付けず、ただ淡々と受け入れ、ゆるやかに過ぎていく日々。
何故、悟浄がそんな三蔵に付き合っているのかは、向こうが勝手に喋っていった内容から察した。
悟浄は、この家の主に留守番を頼まれているらしい。
怪我をした三蔵を連れ込んだ先でたまたまそうなったという説明は、別に疑わしさも無い。
まだ何日かここに居るつもりなのだと聞いたので、三蔵も自分を焦らすことなく時間を使うつもりだった。
すっきりしない気持ちとは別に、身体は本調子に戻りつつある。
じっとしているおかげで、治り切らないままに抉られていた傷は徐々に癒えてきていた。
けれど、穏やかに過ごしているにも関わらず、三蔵の心は次第に不安定に揺れていった。
――― 好き勝手やりやがって……っ
あの日、銃を突き付けた後から、悟浄は三蔵に触れてこなくなった。
何故、急に止めたのか。
…などとは訊けない。
散々この身体を貪って、もう飽きたとでもいうのか。
何かぽっかりと胸に穴が空いたような気分になる。
そんなのは、お師匠様を失って以来かもしれない。
光明三蔵法師と悟浄では、自分の中に占める大きさが比べ物にならないくらい違うはずなのに。
これは喪失感なのか、と考えると、同じ範疇で括られてしまうのだ。
だが、それは違うと、悟浄など何の関係も無い奴なのだと、自分自身に必死に言い聞かせる。
八戒が転がり込んだ家の住人、それだけではないか。
悟空のように自分が面倒を見なければいけない相手でも無し、特に関わりを持つ必要も無いのだ。
なのに何故、今、その男が頭から離れない……。
思い出すまいとして失敗し、余計に悟浄のことばかり考えている。
その繰り返しが続き、正面から向かい合うのを躊躇していた。
姿を見ようとしないのは、その身体のどの部分からでも、記憶があの行為を再現してしまうから。
目さえ合わせないのは、紅い瞳の奥に潜むものを見るのが嫌だから。
言葉を交わさないのは、余計なことを口走らないようにする為……。
あんなのは、もう二度と御免だ。
と、思った次の瞬間、気付けば悟浄との場面を頭に思い浮かべてしまっている。
――― クソッ!……
三蔵は飲み干した空き缶を握り潰して放り投げると、いらついた仕草で煙草に手をやり、乱暴に新聞を開いた。
◆
買出しを終えて一服していた悟浄は、ふと、継母に首を絞められた時のことを思い出していた。
――― 殺して…欲しかったんだよな……
自分はあの時、死んでもいいと思った。
――― 俺が死んで母さんが泣き止むなら、それでもいいと……
いや、それとも、自分が楽になりたかったのか。
これ以上、継母の泣く顔を見ずに済むなら。
この苦しみから解放されるなら。
あの時、自分はどんな顔をしていたのだろう?
恐怖は感じていたのだろうか?
太腿に乗せていた両手に目をやると、その先に三蔵の顔が浮かんだ。
三蔵は一体、どんな気持ちであんな行為を受け入れたのか。
白く細い首に手をかけた時は無我夢中だった。
しかし、冷静になった今、改めて考えると、自分の行動が信じられなくも思える。
俺はただ、三蔵の意識に自分の存在を知らしめたかったんだ。
あの瞬間は確かに、この世の全てが自分と相手だけで構成されていると言ってもいいくらいだった。
多分、三蔵も……。
だが、残念なことにそれは永遠では無い。
ずっと三蔵を占有するなど、できっこない。
元々、心に誰かを住まわせるなど、三蔵はしそうにないのだ。
時折、遠い目になった時などは、ここに居ない誰かを思っているのだろうかと考えたりもした。
けれど、踏み込む権利は自分には無いと思っている。
三蔵との間には、名付けられるような関係性は持ち得ていないから。
八戒と繋がりがあるというだけで、さも当然のような顔をして接しているが、ただの知人。
それ以上でもそれ以下でも無かったはずだ。
なのに……。
今はもう、違うのかもしれない。
襲ったヤツと襲われたヤツ。
簡単に言えばそういうことになる。
無理やり身体を開かせ、その奥を知ってしまった。
ある程度は自制が効く方だと思っていたのに、あんな風にしてしまうとは……。
塗り替えられない代わりに、新たに作り上げる。
そうやって、三蔵を忌まわしい過去から開放しようと考えた。
しかし、己の欲望のままに突っ走ってしまったのは衝動的だった。
あの肌に触れると、抑制が効かなくて。
あの唇を味わってしまうと、もう他のモノは何もいらないと思えるくらいに虜にされて。
三蔵の中の熱さは、忘れようもなくて。
今までもずっと、心のどこかで三蔵を求めていたのだろうか。
最初はウマが合わないヤツだと思い、何かにつけて反発していた。
けれど、いつもどこか気に掛かる相手だったのは確かだ。
強がっているが内面は脆そうだとわかった時、少しだけ可愛くも思えた。
だから、ちょっかいを出したくなったのかもしれない。
肩に腕を乗せると、一瞬、ビクッとする。
他人との接触を嫌がるのは、コミュニケーションを取ることを拒否しているからなのか。
だが、誰とも関わりなく生きていけるものでもない。
すぐにむっとしながら払い除けられても、悟浄は懲りずに三蔵に触れてきた。
何故か、そうしたかった……。
女性に対する感情とは明らかに違っている。
こちらの欲望の捌け口にしたいんじゃない、向こうから感情をぶつけて欲しかったのだ。
その三蔵を誰かわからない奴等に汚された。
腹立たしかった。
自分のモノでも無いのに、涌き上がる怒りを抑えられなかった。
――― これは、エゴだ………
三蔵が悪い訳ではない、とはわかっている。
その美貌が知らぬ間に誘ってしまったのだとしても、本人の責任では無いのだから。
けれど、悟浄はやりきれない思いを拭い去ることができず、三蔵にぶつけてしまった。
そして、後悔していた…。
刹那の繋がり、それはあまりにも儚くて。
三蔵に酔うなど自分には許されないのだと、自戒の念で押し潰されそうだった。
裸にしてみてわかった、傷だらけの身体。
意識を飛ばしている間に清めておこうとした時、改めて見つめた肌には様々な痕が残っていて。
凄まじい過去だったのだろうと一目でわかる。
だが、今までに遭った一番酷い経験を挙げさせれば、ここ数日だと言うかもしれない。
だから、もう手を伸ばすことも唇を寄せることもできなかった。
が、自分の行動を謝ったりもしなかった。
それは返って、三蔵を傷つけると思ったから。
実際、最初の酷さに比べれば、三蔵は今では悪夢にうなされる夜も少なくなったようだ。
ならば、悟浄の行動もあながち無駄では無かったと言えるだろうか。
そんなもの、自分にとって都合のいい解釈に過ぎないのだが。
三蔵はあれから口を利かなくなった。
それが哀しく、痛くもあったが、拒絶されてはいない様に見えるのが僅かな救いだった。
嫌なら、悟浄の買ってきた物になど目もくれず、とっくに出て行ってしまっただろう。
療養の為という名目でも、三蔵はまだ悟浄と一緒に居る。
そんなことが、嬉しく、また切なかった。
〔5−2〕
「三蔵?」
昼過ぎに悟浄が部屋を訪れると、そこに三蔵の姿は無かった。
「とうとう出て行っちまったか」
傷の具合もほとんどよくなり、支障無く動けるようになっていたようだ。
遅かれ早かれこの日が来るだろうとは思っていたが、一言の挨拶も無しというのは少し寂しかった。
「ま、らしいと言うか……」
帰ろうとする三蔵に出くわしたところで、言葉を交わしたかどうかわからない。
だが、文句のひとつくらい言ってくれも良かったのに、とやや感傷的になってしまう。
そう言えば、もうここに何日居たのだろうか。
と、指を折って数えてみて、今日が十日目だと気付いた。
「おっと!」
そろそろ、この家の主である老人が帰ってくる頃だ。
ヒトの家だというので気を遣ってはいたが、来た時よりは部屋の中が荒れているように見える。
三蔵の不在は丁度良かったかもしれないと思い直して、悟浄は一通り片付ける為、髪を括り腕を捲った。
◆
悟浄に何も言わずに出てきた三蔵は、町の中を歩き回っていた。
部屋でぼんやりしている時に、中断していた調査を続けなければと思い立ったのだ。
今回、三蔵が三仏神から依頼されたのは、特に三蔵が自ら動かなくとも良さそうな調査だった。
しかし、ずっと寺に篭っているのにも飽きたので、外の空気を吸いがてら片付ければいいかと思っていた。
それが……。
突然、男達に襲われるという目に遭った。
身に起こった事件は忘れられる筈が無い。
だが、思い返そうとするとより強く頭の中を占めていたのは、そんな奴等の面影などではなかった。
――― 悟浄………
ボロボロになっていた自分を助け、医者に診せた。
余計なお世話ながら、そこまではまだいい。
けれど、
――― あいつが俺にしたこと……
初めての行為で付けられた傷よりも、悟浄によって抉られた傷の方が大きかった。
延々と続く終わりの無い行為に、このまま犯り殺されるのではないかと思った時もあった。
抗えない大きな存在に感じて、為すがままになってもいた。
怒りも、憤りも、感情のベクトルの何もかもが悟浄に向いていた。
殺してやりたいと、何度も思った。
それなのに……。
目を閉じると脳裏に浮かぶのは、自分を抱いていた悟浄のことばかりで。
初めて見た、悟浄のあんな目。
初めて聞いた、悟浄のあんな声。
初めて知った、悟浄の身体の熱さや力強さ。
思い返すだけで、身体の芯が疼いてしまう。
――― クソッ………
三蔵は裏道に入り、建物の陰に隠れて自分の身体を抱き締めた。
――― 何故、触れて来ないっ
自分の意思でそうしてきたのでは無いけれど、四六時中悟浄と密着していたような日々。
永遠に続くような気さえしていたのに……。
それはたった数日のことだったが、三蔵を “三蔵法師” から解き放ち、一個人として過ごせた時間でもあった。
もう一度戻りたいと思っている訳ではない。
なのに、無性に思い出してしまうのは、無意識のうちに望んでいるからなのか。
自分でも気付かないままに悟浄を求めている状態を、三蔵は認められずに持て余すばかりで。
今日、出掛ける前もそうだった。
久しぶりに寝間着を脱ぎ、八戒から借りたという服に袖を通していた時、腕に目が行った。
この包帯を取ってしまおうか。
取れば、嫌でも傷を見てしまい、悟浄がやった行為に記憶が直結する。
取らなければ取らないで、悟浄が自分の腕を取り、包帯を巻いているところを想像してしまう。
どちらにしても、思いが悟浄と関わってしまうのだ。
「とにかく、調査を続行せねば」
もやもやを払拭するように頭を振った。
ぎゅっと瞑ってから開かれた瞳は険しい。
三蔵は大きく深呼吸して、再び表通りへと歩き出した。
多量に服用すると廃人になってしまうという危険な薬が出回っているとの噂が流れたこの町。
今回の調査では、その出所を確かめていたのだ。
無許可で診察している老人がその件に関わっているかもしれないとの未確認情報もあった。
モグリの医師ならば、まさに自分が手当てをしてもらった相手ではないか。
そう思って、部屋の中も少し調べてみたが、怪しいところは無かった。
一応、町の住民にも老人について訊いてみると、慕っている者が多いのに驚いた。
正規の医師が居ない町では、皆、その存在を有り難がっていたのだ。
更に聞いて廻るうちに、薬を流していたのは、どうやら三蔵を襲った人物と思われる二人だったとわかった。
老人は関与していなかったようだ。
むしろ、その二人に家を荒らされた経緯があるとかで、被害者の立場らしい。
薬を盗まれ、それを横流しでもされたのか。
老人の関与が疑われた原因はそんなところだろう。
偶然とは言え、探していた人物は自分が始末してしまっている。
三仏神に報告さえしておけば、背後関係についてはあとでどうとでもするはずだ。
となると、この件は片付いたことになる。
三蔵は、いつの間にか町外れまで来ていた。
そのまま寺へ戻ってしまおうかと思ったが、足が動かない。
ふーっと溜め息をつくとそばの大木に凭れ、そのまま煙草に火を点けた。
◆
ガチャ、と玄関の扉が開いた。
「おっ帰……り………!」
老人が帰ってきたのだと思って出迎えた悟浄は、そこに予想通りの姿を見付けて明るい声を出した。
が。
扉の陰に三蔵が一緒に立っているのを見て、言葉を失った。
三蔵が出て行ったのを知った時、もう二度と会えないかもしれない、とまで思った。
自分のした行為を振り返れば、当然だろう。
だが、今また、目の前に三蔵がいる。
仏頂面は変わらないが、やや落ち着き無く、悟浄からわざと目を逸らしているようにも見える。
それが、照れているように可愛らしく感じたが、三蔵に限ってそんなことは無いと、心の中で即座に否定した。
「どういう組み合わせ?」
動揺を悟られまいとしながらも、疑問は隠せない。
「町に入るところでばったり会ったもんでな。 つい、連れて来てしまったわい」
うはははは、と、老人が相変わらずの賑やかな笑い声を響かせる。
「世話になった」
「お、やっと喋ってくれたか。 いやいや、またいつでも使ってもらって構わんよ」
家には入ろうとせず、挨拶を切り出した三蔵に、老人は微笑んで応えた。
「借りは、いずれ返す」
「そんなもん、気にせんでいい」
老人が差し出した右手を、三蔵が軽く握った。
チラ、と腕に視線が走ったが、顔はすぐに悟浄へと向いた。
「また酒でも一緒にな」
「楽しみにしてるぜ」
続けて悟浄も握手を交わすと、預かっていた鍵を返し、三蔵と連れ立ってその場所を後にした。
去っていく二人を見送りながら、老人は首を傾げた。
先ほど見た、三蔵の手首に巻かれていた包帯から来る違和感は何なのか。
「はて、あんなところに傷があったじゃろうか……?」
〔5−3〕
「そう言や、あの猿がうちに来てたっけ」
悟浄が、服を取りに戻った夜の出来事を説明すると、三蔵も一緒に付いてきた。
もしかすると、悟空がまだ居るかもしれない。
それなら連れて帰らなければならないし、居なければ八戒に服の件で話もある。
口には出さないが、三蔵は自分の中でそう理由付けた。
そうやって、悟浄と共に家に向かうという行為を正当化しようとしていたのだ。
「おまえのこと、心配してたぜ」
「誰も頼んじゃいねぇ」
やや距離を取って歩きながら、三蔵が不機嫌そうな声で応える。
「仕事が立て込んでる、と言ってある」
「……」
ありのままを説明できない現状では、話を合わせておいた方がいい。
そう判断した悟浄の意図を汲み取ったのかどうか、三蔵は文句も言わず黙っていた。
やがて家に着くと、八戒が驚きと喜びの表情で二人を迎えた。
「お帰りなさい」
「この服は後で返す」
いつもと変わらない紫暗の瞳を確認して、八戒は微笑んだ。
「僕が取りに行きます。 次は来週の予定ですから」
三蔵が監視役という名目を全うしているように見せる為、八戒は定期的に寺を訪れていた。
行けば悟空に勉強を教えるという用事もあり、良い気分転換にもなっている。
何より、三蔵に会い、少しでも言葉を交せるひとときは、八戒にとって、とても大事な時間だった。
「わかった」
「ところで……」
八戒の視線が、三蔵の顔の一点に集中した。
口の周りには、まだ青痣が残っていたのだ。
腫れは引いているから、そんなに酷くも見えない。
しかし、ずっと不安だった八戒は些細なことでも気になったようで、それが顔にありありと浮かんでいる。
黙っている三蔵の横から、悟浄が仕事上のトラブルだと説明した。
時折、悟浄を睨み付けるような三蔵の目が気になったが、八戒は気付かないフリで聞いていた。
「悟浄も大変だったんですね」
深緑の瞳は、次は悟浄の首の治りかけていた傷に向けられている。
出掛ける時には無かったはずの痕を、八戒は目聡く見付けてしまっていた。
悟浄がうまい言い訳を探していると、話し声を聞きつけた悟空が台所から飛んできた。
「三蔵!!!!!」
飛び付かんばかりに三蔵に近寄った悟空だったが、一歩手前で急停止してしまう。
「ホントに、三蔵だよな……?」
心配し過ぎて、いきなり現われた姿をまだ信じられないでいるらしい。
いつもの法衣では無いので、余計にそう思ったのか。
しばらく見つめていたが、そうっと手を伸ばすと三蔵が着ているシャツに触れた。
身頃をぎゅっと掴んでようやく本物だと確認できたようで、顔を綻ばせるとそのまま項垂れてしまった。
涙が零れ落ち、床にいくつもの染みを作る。
「何、泣いてんだ」
「だって……」
見上げた悟空の顔は、嬉し泣きでぐちゃぐちゃになっている。
三蔵は、その頭にぽんと手を置いた。
「帰るぞ」
「うん!」
悟空は 「美味かった」 と 「またね」 を八戒に忙しなく伝え、さっさと歩き出した三蔵の後を追い掛けて行った。
急に静かになった家には、悟浄と八戒が残された。
「猿はあれからずっとここに?」
「ええ」
椅子に座って寛いでいる悟浄の為にコーヒーを用意しながら、八戒は微笑んで返事した。
「毎日ちゃんと、朝になったら起きて夜には寝て、三度の食事もきちんと摂って、規則正しい生活でしたよ」
「オレ、居なくて正解だったな…」
「おかげで、ストックしていた食糧が底をついてしまって。 買い出しの量も凄かったので財布の底も……」
「は?」
「実は、二人が帰ってきたらご馳走で迎えようと計画していたんですが、こんなに長引くとは思わず……」
「……で?」
「一応、毎日作っていたんですけど、全て綺麗に悟空のお腹に収まってしまいまして」
「何だと?!」
「今夜も丁度さっき片付いてしまったところだったんですよ。 でも助かりました、もう明日のお米も無かったので」
八戒が苦笑を漏らす。
「あんのヤロッ! てめぇが食う分くらい、てめぇで用意して来いっての!」
「三蔵宛に請求書でも発行しますか?」
「内訳は 『餌代』 でな」
「あはははは、間違いではないですね」
ひとしきり笑うと、八戒は呼吸を整えてから口を開いた。
「とにかく、お疲れさまでした」
「え…あ、ああ……」
湯気が立ち、芳香を漂わせているマグカップを悟浄の前に置いて、八戒が向かいの椅子に座った。
どんな追求が来るのかと、悟浄が僅かに身構える。
「仕事は終わったんですか?」
「ああ、済んだってよ」
やりかけていた仕事は、戻ってくる前に実際に三蔵が片付けたようだ。
だから、その言葉に嘘は無かった。
そんな悟浄の様子を窺って、特に不審なところも無さそうだと、八戒は自分自身を納得させた。
「なら、良かったです」
安堵したような表情になると、やや緊張していたのか強張っていた肩の力をそっと抜いた。
――― 三蔵が無事に戻ってきたなら、他に言うことはありませんから
「あ、お風呂、沸いてますよ」
「んじゃ、もらおうかな」
「ええ」
深く詮索もせずに解放してくれた同居人。
その心遣いに感謝しながらコーヒーを飲み干す。
「ごっそさん」
立ち上がって八戒の肩をポンと叩くと、悟浄はここ何日かの疲れを取る為に風呂場へと向かった。
◆
寺へ戻った翌日、三蔵は斜陽殿へと赴き、調査の結果を報告した。
本来なら、疑いをかけられた者は、連行され取調べを行われる。
その上で無関係かどうかという判断が三仏神により下されるが、今回は違った。
三蔵が無実を強く主張した為、老人に追求の手が及ぶことは無かったのだ。
それからしばらく経ったある日、三蔵はまた三仏神から呼び出しを受けた。
そこで、悟空、悟浄、八戒を連れて天竺へ向かうようにと言い渡された。
三蔵に異存はあるものの、上からの命には従わなければならない。
燻った思いを抱えながらも、三蔵は承諾した。
四人が再び集まる。
そして、西を目指す、長い旅が始まった。
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