【第3章】






〔3−1〕


「ん……」
「よ、お目覚め?」

三蔵が瞼を開くと、どこからか悟浄の声が聞こえてきた。
まだ覚醒しきっていない紫暗の瞳が、見知らぬ部屋の中をぼんやりと見廻している。

「……ここは……」
「俺の知り合いの医者んとこ。 つってもモグリらしいけどな」

それまでずっと前傾姿勢でベッド傍のソファに腰掛けていた悟浄が、背凭れに身体を預けながら答えた。

「医者?」

三蔵が小さく呟く。

「傷だらけで転がってんの見付けたら、取り敢えず連れてくのは医者だろ」

傷だらけだと?
そういえば身体が痛むと感じた瞬間、倉庫に連れ込まれてからの場面が三蔵の脳裏にありありと甦った。

「!」

危うく叫びそうになる。
しかし、ぐっと堪え、出かけた声を無理やり飲み下した。

「……俺を運んだのは、おまえか?」

やや間があってから、どこか怒りを押し殺しているとも聞こえる声で三蔵が問う。

「そうだけど」

医者に診せたのなら、何があったかわかってしまっただろう。
それを悟浄は知っているのか?
三蔵は、苦々しい思いでじっと天井を睨んだ。

ヤツに問い質すなんてことはできない。
あの夜のことは、二度と蒸し返したくないっ…!
悪い夢だったと思えばそれでいい。
あんなことは何でもないんだ。
何でも………。

「チッ、余計な真似を……」

忌々しさが、悪態となって口から出ていった。

「礼の代わりにいきなり文句かよ。 ま、いーけど」

悟浄はいつものことだと思って適当に聞き流したようだ。
……と、三蔵は思っていた。

その悟浄はといえば、意外にも普通に目覚めた三蔵を前にして、どう接すればいいかと考えあぐねていた。
最初の夜は、 『酷かった』 。
今朝、老人が出発間際にそう言い残していったからなのだが……。

大丈夫か、とは聞けない。
三蔵は心配されるのを嫌うから、余計な気を遣わせて気力や体力を消耗させる訳にはいかない。
けれど、何があったのかくらいは訊きたい。
そう思い口を開きかけたが、……止めた。

そんなことをして気が済むのは自分だけだ。
きっと、訊いたところで、三蔵は何も喋らないだろう。
これは本人の問題なのだから、他人が口を挟むことではない。
三蔵を傷付けた相手を許すことはできないが、そいつらももう、この世にはいないのだし。
ならば、怪我の回復に専念すべきであって、あの夜の出来事について考えるのは後でも構わない。
まだ傷が癒えていない今は、ゆっくり静養させることが先決だ。

――― コイツの専属看護師に徹するってことで……

そう心の中で呟きながら、吸い始めたばかりの煙草をゆっくりと燻らせた。
すると、煙の匂いに気付いた三蔵が、頭だけをそちらに向けた。

「俺にも寄越せ」
「悪ぃ、もうこれが最後なんだわ。 おまえのも後で買ってくっから」
「寄越せ」

悟浄の言葉など聞く耳持たず、目を眇めて強要する。

三蔵は、自分を呑み込んでしまいそうな現実の波と闘う為にも、苛立つ気持ちを少しでも鎮めたかった。
吸い掛けだろうと何だろうと、そんなことに構っている余裕など無いほどに切羽詰っていて。
とにかく、早く、いつもの自分を取り戻したかった。

「ったく、ワガママ坊主が」

立ちあがって枕元に近寄った悟浄が、自分の吸っていた煙草を三蔵に咥えさせようと口元に近づける。
その腕が迫った時、三蔵がビクッと反応した。

「ほらよ」

三蔵はほんの一瞬、軽い口調と共に目の前に現われた悟浄の手を警戒の色を浮かべた瞳で見た。
けれど、すぐに無表情に戻り、何食わぬ顔で差し出された煙草を咥えた。
と同時に寝具の下から腕を出そうとしたが、

「……!」

動きが一瞬止まった。
咥え煙草が微かに震えている。
急に身体を動かした為、どこかに痛みが走ったのだろう。
けれど、そんなことは億尾にも出さず、ゆっくりと腕を持ち上げてフィルターを指に挟むと、煙を深く吸った。
そして、一旦肺に入れてから時間をかけて吐き出した。

「不味い」
「なら返せ」

悟浄は何も気付いてないフリで軽く言い返し、三蔵から目を逸らせた。
そのまま、空いた両手はポケットに突っ込んだ。
そうでもしないと、布団ごと三蔵を抱き締めてしまいそうだったのだ。

傷付いた三蔵がその痛みに耐えて平気な風を装うのは今に始まったことではない。
いつもなら、いくら痛々しくても簡単に助けたりしないことが、三蔵に対する接し方のひとつだと理解していた。
自尊心が強く人に頼ろうとしないこの男のプライドは壊してはならないと思っていたから。
けれど、今回ばかりは限界を超えそうだった。

ただ、ギリギリのところで、悟浄は堪えた。

抱き締めてしまうと、三蔵の矜持を打ち砕いてしまいそうで。
それは、三蔵自身が許さないだろう。
守ってきたものは、守り通させてやりたい。

いや、そうじゃない……。
それよりも、今、三蔵に触れると抱き締めるだけでは済まなくなりそうな気がするのだ……。
何故そう思うのか自分でもわからない。
けれど本当に、手を伸ばしたが最後どうなってしまうか先が見えなくて。

だから、耐えることにした。
ポケットの中で掌に爪痕が付くくらい拳を握り締め、奥歯をぐっと噛み締めて。

ふと顔を上げると、三蔵の指に挟まれた煙草からゆらゆらと紫煙が立ち昇っているのが目に入った。
それは、ひどく懐かしい気がするくらいのいつもの光景で、悟浄はふっと肩の力が抜けるのを感じた。

――― そうだ、コイツはそんなに弱い奴じゃねぇ

さっき怯えたように見えたのは、いきなり目の前に腕が伸びてきて驚いただけだ。
普段の言動からして、三蔵は数々の修羅場をくぐり抜けてきたはず。
ならば、己をコントロールする術くらいは身に付けているのではないか。
既に立ち直ったかに見える三蔵を前に、悟浄は半ばそう思い込ませるようにして自分を納得させた。
すると、いつもの軽い調子で声を掛けた方がいい気がしてきた。
黙っていると、かえって怪しまれそうでもあったし。

「なあ、かくれんぼでもしてたのか?」

そうか……どこか裏道にでも迷い込んでいたのか。
途中から記憶が無い三蔵は、悟浄の質問で自分がどこで倒れていたのかと見当を付けた。

「……そんなもんだ」
「鬼さんは?」

それならはっきり覚えている。

「殺した」

感情を排除した短い一言。
三蔵は言い捨てた後、またフィルターに口を付けた。

「そりゃ勇敢なことで」
「フンッ」

もう一口吸い込むと、煙草を持った手を悟浄に向けて伸ばした。
返す、ということなのだろう。
悟浄は、三蔵の指先から引き抜いた煙草をすぐに咥えた。
これ以上はもう、余計な事を喋らないように。

三蔵は煙草が離れていった手を頭の後ろに廻していた。
リラックスしているようにも見えるその姿。

ほら、いつもの三蔵だ。
何も心配することはない。
あとは、身体の傷さえ治れば……。

悟浄は残り少ない煙を最後まで味わってから、吸殻を灰皿に押しつけた。
暫し、沈黙が流れる。
が、突然その静けさを破るように、三蔵の口元からくくっと笑い声が漏れた。

「鬼がいねぇんなら、もう隠れてる必要はねーよな」
「ん?」
「戻る」
「あ?」

まだ薬と痛みで動けないはずなのに、三蔵は身を起こそうとしている。

「まだダメだって」

制止しようとする悟浄を払い除け、ベッドから下りて床に足を着いた途端、激痛が三蔵を襲った。

「くっ!……」

身体が半分に引き裂かれそうなほどの痛み。
苦痛に顔を歪める三蔵を、悟浄は難しい顔で見ていた。
脂汗を流しながら、必死の形相で何かを堪えている細い身体。
ただの暴力によるものだけではない、心までも踏みにじられた、その痛みまでが伝わってくるようだった。

――― まだ……ダメだったのか……?

歩き出そうとした三蔵が崩れ落ちかけたところに、悟浄が手を差し出した。

「っと」
「触るなっ!!!!!」

今までよりも過剰な拒絶。
けれど、放っておくわけにはいかない。

「おい」
「触るなと言っているっ!!」

悟浄の腕を無我夢中で振り払い懸命に立とうとする三蔵だが、自力では無理だった。

「まだじっとしとけって!」
「離せっ!!……」

叫んだと同時に、三蔵がぐらりと傾く。
咄嗟に受け止めた悟浄は、触れてみてその身体がひどく熱を持っているのに気付いた。

「三蔵?」
「俺に……構…うな……」

ぐったりとした三蔵を抱き上げると、素早くベッドに戻した。
寝具を整え、汗で貼り付いた前髪をかきあげてやる。
苦しそうに眉根を寄せていたが、変わらず美しい顔がそこにあった。

「三蔵、おまえ……」

三蔵を見つめる悟浄の瞳は、やり切れなさでいっぱいになっている。
ふつふつと沸いてきた憤りが、今にも噴き出しそうだった。




〔3−2〕


三蔵がうなされている。
熱と痛みのせいなのか。

――― いや……

額を冷やしていたタオルを取り替え、汗を拭ってやりながら、悟浄は知らないうちに首を横に振っていた。

――― 違う

誰だかわからない、三蔵を凌辱した奴等のせいだ。
だから、あれほど触れられるのを拒んだのだ。

今までだって接触を嫌がってはいたが、あんなに全身で拒絶されたことはなかった。
それほど、犯されたという事実はその身体の中に深い傷となって残っているのだろう。
一度目覚めた時は落ち着いていたから、大丈夫だと勝手に思い込んでいた。
しかし、受けた傷は、悟浄が思っていた以上に深いもののようだった。

「三蔵、おい三蔵」

肩を掴んで揺り起こすと、三蔵の瞼がゆっくりと持ち上がる。
そして、紫暗の瞳に悟浄の影が映った瞬間、恐怖に慄いたようにわあわあと声を上げて暴れだした。
額に当てていた濡れタオルが滑り落ちてゆく。

「三蔵、落ち着けって!」

押さえつけても、三蔵は悟浄の制止を受け付けない。

「俺だ、悟浄だ、三蔵っ!!」

その声も耳には届かず、ただ、自分に覆い被さる影から逃れようと必死に抵抗している。
三蔵が腕を振り回した時、爪が悟浄の首を引っ掻いた。

「痛っ!!」

その声に、一瞬、三蔵の動きが止まった。
手にも何か感触が残っていたのだろうか、じっと自分の指先を見つめている。
そこに僅かに赤いものを見付けた時、また喉の奥から悲鳴ともつかない声がせり上がってきた。

「あああ…あああ……!!」
「チッ」
「うっ!……」

再び暴れ出す寸前に鈍い音がして、三蔵がベッドに沈んでいく。
言っても聞かない三蔵の腹に、悟浄が止む無く拳を叩きこんだのだ。

気を失って静かになった三蔵を見下ろした悟浄の表情は苦痛に歪んでいた。
またうなされると、同じ事の繰り返しになるのだろうか。
身体に付けられた傷はいずれ治るが、心の傷はそう簡単にはいかない。

目覚めれば、修羅場の再開だ。
老人が用意した薬は、痛み止めの錠剤と傷薬くらいしかなかった。

――― どうすりゃいいんだよ……

悟浄はジンジンと痛む首を押さえて、しばらくその場に突っ立っていることしかできなかった。




〔3−3〕


どのくらいそうしていただろう。
悟浄はまだベッドの横に立ち尽くしたままでいた。
あれからずっと三蔵は落ち着いていて、掛けられた寝具が規則正しく上下している。

ひとつ、大きな溜め息が出た。
いくら考えたところで、いい対応策など思い浮かばない。
けれどとにかく、三蔵が目覚めた後しっかりと相手できるようにだけはしておかなければならない。
自分も少し身体を休めておこうと、ソファに向かいかけた。
その時、ぼんやりとしていた紅い瞳が、部屋の隅で何かを見付けた。

――― これは………

使えるかもしれない。
次に三蔵が暴れ出しても、これがあれば少しは何とか…。

悟浄は、その様子を想像してみた。
三蔵がうなされて、目覚めてもまだ興奮していれば、これを使って大人しくさせて。

ドクン……

その時、悟浄の鼓動がひとつ大きく波打った。
何だ……?
妙にドキドキしている自分がいる。
ベッドに横たわる三蔵を凝視したまま、悟浄は、もう一度さっきの続きを考え始めた。

三蔵をこれで拘束して…。
いや、三蔵はこんなものくらいじゃ抵抗を止めないだろう。
むしろ、余計に暴れ出すかもしれない。
余計に……俺が押え付けている下で、寝間着を肌蹴させ、あられもない姿になって……。

ドクン!

え……?!

俺は、欲情しているのか?
淫らな格好で暴れまくる三蔵を想像しただけで、こんなにも身体が反応しているなんて。

――― これじゃ、三蔵を襲った奴等と変わんねぇじゃねーかっ!!

悟浄は、頭を抱えてソファに座り込んだ。
そんな目で三蔵を見ていたつもりは無かったのに!
けれど、気付かないうちに、自分の中に密かな欲望が生まれていたのだろうか。

三蔵を組み敷く……
白い肌を指で辿っていく……
柔らかそうな厚い唇に吸いつく……
そして、三蔵の中に自分を埋め込んで………

きっと、三蔵は男達にそのようなことをされたのだろう。
そう思った途端、ぞわっと鳥肌が立った。

――― 嫌だ!!

三蔵の中に残る忌まわしい記憶が、どこの誰ともわからない者達であることに吐き気がしそうだった。

おまえはこの先ずっと、そんな悪夢に苦しめられたままでいるのか?
俺は、夜毎うなされるおまえを、ただ見ているだけしかできないのか?

嫌だ、嫌だ嫌だ、嫌だっ!!!!!

三蔵の心にも身体にも、そんな男の跡は残って欲しくない。
だが、今更無かったことになんてできない。
それだけは、どう考えたって無理だ。

だったら……。

悟浄はもう一度、部屋の隅に目をやった。

これで………、そして…………。

目的のものを手に取り視線を三蔵に戻すと、ゆっくりとベッドに近付いた。
立ったまま見下ろし、そっと金糸の髪を撫でる。
三蔵が、微かにうめきだした。
また、夢を見始めているのか。

――― 三蔵………

髪を梳いていた手が下へと移動し頬を撫でていく。
そして、その手が三蔵に掛けられていた寝具を掴んだ。

静かな部屋の中で、紅い瞳が鈍く光った。








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